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つまりそれは、選択の問題だと紗良は思う。
この場所を選んだのではなく、他を拒否しただけ。
萌絵が言いたいのは、そういうことだ。
「私、森を出たほうが良かったかな?」
萌絵は、今度こそあからさまに嫌な顔をした。
え、舌打ちしなかった、今?
「なんで私に聞くの。そんなの聞いてどうするの」
「これからの人生の参考に」
「だめだめそんなの!」
「だってずっとそうだったもの。家族とか友達とかが色々教えてくれたし」
「今まで、自分で決めたことって何があるの?」
紗良は、考えた。
小さな決断はいくつもあった、ような、気がする。
けれどたぶん、萌絵が聞きたいのはそういうことではないのだろう。
「あ、学部は自分で決めた」
「え、すごいじゃん」
「自由に決めていいって言われたから」
「微妙じゃん……」
慌てて首を振る。
「誰も決めてくれなかったから自分で決めた訳じゃないよ!
ほんとだよ、小さい頃から学校の先生になりたかったし!」
「ほんとぉ?」
「ほんと!」
急に、萌絵がテーブルに突っ伏した。
そして、唸っている。
「お腹痛い?」
「違います。自己嫌悪」
「なんで」
「この世界に無理やり連れてきたの私なのに、何を偉そうに決断を迫っているのかと思いました。
私は馬鹿です。罵ってほしい」
「いやいやいや、そのことはもういいよ、私、わりと楽しくやってるよ」
ちらっと目を上げた萌絵は、紗良の表情をうかがっている。
ことさら真面目な顔を作ると、彼女はのろのろと顔をあげた。
「横から見てると、津和野さんのそういうところ、いい子ちゃんみたいでイライラしてた」
「口に出しては駄目よ!?」
「でも、当事者になってみると、優しさしか感じない。
私、本当に聖女かな?
こんな自分勝手な性格してて、聖女なんておかしくない?」
「さあ……聖女が何か分かんないし」
素直にそう言うと、萌絵はちょっと目を見開いた。
少し経って、急に、笑い出す。
「やっぱり私、駄目だな! 思い込みっていうか……狭い世界で生きてた」
「私もだよ」
「ふふっ、だよね。
……今、弱音を吐いた後、津和野さんなら慰めてくれるって思ってた。
そんなことないよ聖女向いてるよって、言うんじゃないかなって」
あれ、言わなかったかな。
言ってないかもしれない。
「ますます罪悪感すごいけど、反面さ、異世界に一緒に呼ばれる相棒としては当たりだなって思っちゃったごめん」
「元々聖女さんのために呼ばれたんだから、それでいいんじゃないかな」
ふう、と息をついた萌絵は、お菓子のクズを膝から払いながら立ち上がった。
こぼれおちたクズは、魔法でどこかへ飛んでいく。
「洗うね」
「ありがとう」
と言っても、カレー皿とガラスボウル、あとはスプーンと箸だけだ。
靴を履いて、二人でシンクに並び、萌絵が洗って、紗良が拭く。
紗良が水瓶から湧かせた水が、いつのまにかお湯になっている。
どうやら萌絵がやっているらしい。
「お湯を出してるの?」
「ううん、水魔法に火魔法を重ねてる。組み合わせ魔法はまだなの?」
「うん、マニュアルには載ってない。
組み合わせかぁ、なるほど」
流水と保温の組み合わせだろう。
あとでやってみよう、と紗良は心に留めておくことにした。
「よし終わり。じゃあ帰るね。
えっと……また来てもいい?」
「いいよー、次は何食べたい?」
「うーん、甘いものかな」
「おっけー」
萌絵は、光の扉を開き、じゃあまた、と帰って行った。
「決断力かぁ」
自分の人生に一番欠けていたものを、こちらに来て初めて自覚した。
そのことに気づかない人生より、気づけた人生で良かったと思う。
明日は何をしよう。
それを決められるのは、今、自分だけだ。
海を見に行ってみよう。
朝起きて、二日目のカレーを食べてから、そう考えた。
もちろん、海に着くかどうかも分からない。
どのくらい遠いか、いやそれどころか川下に海があるのかどうかも分からない。
それでも、雪が降る前に試してみるべきだろう。
皿を洗うとき、組み合わせ魔法を試してみた。
まず水を出し、それをお湯に変える。
萌絵はいきなりお湯を出したように見えたが、練習の成果だろうか。
ウッドデッキに戻ると、マニュアルノートがぱらりと開く。
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<森を出るということ>
いくつかのスキルは十分に上がったといえるでしょう!
気をつけさえすれば、森を出るレベルに達しています。
ただし、外で夜を明かすには、まだまだ危険があります。
また、外ではリセットが働きません。
外出は計画的に行いましょう。
転移魔法は、【賢者】スキルのひとつです!
【賢者】のレベルをどんどんあげましょう。
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ふむ。
紗良は、つまるところ、海を目指すのはまだ早いのだな、と思う。
一日では到着しないよ、でも転移魔法にはまだレベル不足だよ、と言いたいのだろう。
萌絵が使っている、あの光のドアは、転移魔法だろうか。
王都はとても遠く、そこから一瞬で来ているのだから、きっとそうだろう。
その時、スマホが通知を鳴らした。
見ると、地図アプリに通知バッジがついている。
開くと、なんと、森以外のエリアが表示されている。
全てではないが、かなり広い部分が分かるようになった。
それによると、海はやはりあった。
紗良が今いるところから、川に沿って下った場所だ。
支流はいくつかあるが、この目の前の川が本流で、ほかは合流してきているように思う。
「川を渡らないとだめかぁ」
そう、つまりはそれら支流を越えないと、海にはつかないということだ。
距離は、おおよそ20kmというところ。
一日かければ行くことは出来るが、帰っては来られない。
マニュアルノートの言い分は正しかった。
「でも……決めたのに」
せっかく、決めたけれど。
危ないと分かっていて決行するのは、愚の骨頂だ。
自分の気持ちを大事にするために、誰かの忠告を無視していいということにはならない。
でも──。
「ちょっとだけ見に行こう!」
紗良は立ち上がり、部屋に戻って、遭難セットを作った。
恰好は、ダッフルにジーンズ、ブーツと、いつもの森コーデだ。
本当の森ガールだ。
最初の支流まで、ほんの3kmほど。
難しい往復ではない。
地図を拡大しても民家がなかったことから、ここより南は人の出入りがないのだろう。
よく考えたら、立ち入り禁止の森を通らずにこの先には行けない。
人と会う可能性はないといっていい。
要するに、紗良は、新しい場所に行ってみたいのだ。
元々旅行は好きだ。
知らない場所をうろうろするのも好きだ。
この世界では、その趣味はちょっと危険だけれど、せっかく身に着けた魔法がそれを補ってくれるだろう。
「ちょっと行ってくるねー」
ちなみに、ヴィーはいない。
近くにも見当たらないが、とりあえず、森に向かって叫んでおいた。
なんとなく、ヴィーなら聞き取ってくれるきがしたからだ。
ザックを背負い、川岸に出た。
さて。
では行ってみよう。