3
早朝の匂いがする。
目が覚めて、身体を軋ませながら、たき火がすっかり灰になって冷えているのを確認した。
ふと思いついてステータスアプリを開いてみた。
【魔法使い】のレベルが上がっている。
2だ。
枝を切断しまくったし、火も使ったからこんなものだろう。
いや必要経験値とか知らないが、なんとなくそう思う。
「ん?」
【調理】のレベルもなぜか上がっている。
まさか、ゆうべのチーズか?
どんなゲームも序盤はレベルの上りが早いものだ。
モチベーションを高めると共に、チュートリアルの意味合いがあるからだろう。
紗良は、立ち上がっていててててと首を押さえながら、椅子にもたれて寝るのはやめようと決めた。
傘立てをよけて、部屋に入り、トイレを使う。
流れでシャワーも浴びた。
この水がどこからきてどこへ行くのか、全く分からない。
そもそも電気もどうして使えているのか。
紗良は最初の一週間で何度も考えたことなので、もう、これ以上は気にしないことにしている。
考えて分かることならば時間も割くけれど、どうもそうは思えない。
タオルで頭を拭きながら、フライパンを取り出した。
テフロンではない、母直伝で自ら育てた鉄のフライパンだ。
油がしっかり馴染んだそれを火にかけ、十分熱くなったところで、濡れ布巾に押し付ける。
もう一度コンロに戻したところで、薄く油をひいて卵を落とした。
同時に、ほんの少し、周囲に水を入れる。
一瞬で沸き立つぽこぽこした音を聞きながら、昨日炊いておいたご飯を茶碗に盛っておく。
白身の端がカリッと焦げ、黄身が半熟になったタイミングで火を消し、ご飯の上に滑らせた。
醤油を垂らし、サニーサイドアップの黄身を崩して米と一緒にスプーンですくう。
卵の下に閉じ込められていた湯気が、一気に熱く舌を襲い、同時にとろりとした食感をまとったご飯を味わった。
立ったままあっという間に食べ終えると、そのまま洗い物まで済ます。
フライパンだけは、冷めるまで放置。
「あれ?」
スマホを開いて、首を傾げた。
【調理】のレベルが上がっていない。
経験値が達しなかったのだろうか。
ふと、紗良は思い付きで、まだ冷めていないフライパンと、新しい卵を持って外に出た。
石のテーブルに置いて、もう一度戻って、玄関用ほうきを持ち出した。
昨日のたき火の燃えカスを掃き寄せて、加減が分からず集めすぎていたたき火のセットをもう一度組み、
「着火」
燃え上がった火にフライパンをかざし、卵を片手で割り落とす。
残っていた油で十分に熱せられはしたが、やや焦げ気味の白身を見つめているうち、手が震えてきた。
「ひ、ひぃ……」
鉄のフライパンは、重い。
もう駄目だ、というところで火からおろし、石のテーブルにそっと置いた。
急いで部屋から食パンを持ってきて、トーストしない柔らかい状態で卵を乗せる。
溢れる黄身を行儀悪く口に集め、小麦の香りと共に飲み下した。
【調理レベル】が2に上がった。
おそらく、経験値が溜まったタイミングである、というよりも、外で調理したことに意味がある気がする。
つまり、部屋の中での行動は、経験値に結びつかないのでは?
紗良は、沸かしたお湯を持ち出して淹れたドリップコーヒーを持って、チェアに座り込む。
すっかり定位置だ。
そして、外での調理について考えた。
目玉焼き程度の時間もフライパンを支えきれないのでは、到底まともな料理などできない。
けれど、あまり心配はしていなかった。
ある予感がある。
カップを置いて、そっと取り上げたのは、『異世界マニュアル』だ。
果たして、予感は当たった。
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<かまどを作ろう!>
まずはレンガを組んだ簡単なかまどを作ろう!
設計図を見ながら、積んでみましょう。
出来上がったら、網を渡して下さい。
*レンガは錬金釜で作ります。
*網は錬金釜で作ります。
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そこまで読んだ時、何かが聞こえた。
それが、羽音だ、と気づいた時にはもう、頭上に黒い影が差している。
軽い風とともに、生き物の気配がした。
見上げるほどの時間もなく、それは、目の前に降りてきた。
ペリカンだ。
思っているよりでかい。
いやでかい。
ペリカンは、首に赤いスカーフを巻いていた。
紗良をじっと半目で見つめた後、カパッと口を開ける。
「……」
「……」
ものすごく責めるような視線に促されるように、口の中をできるだけ遠くからちらっと覗いてみる。
釜だ。
「……」
「……」
ぐぅ、とペリカンがうなる。
紗良はびくびくしながら、口の中に手を差し入れ、その釜を引き上げた。
バケツくらいのサイズで、アラジンのランプみたいな色をしている。
「……」
「……」
バッサァ、と羽ばたきをし、ペリカンは飛び上がった。
風が立ち、上へ上へと登って小さくなっていく。
はるか頭上から、鳴き声が聞こえた。
「アホー」
次来たらぶっとばす。