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それから数日後、スマホが短く通知を鳴らした。
聞きなれない音だったので、萌絵ではないだろう。
確認すると、やはり、地図アプリのほうだった。
赤い点がゆっくり移動していて、フィルだと分かる。
実は、紗良の青い点と彼の赤い点以外にも、ふたつ、点滅しているものがある。
ひとつは黄色い点。
これは、ヴィーの居場所。
もうひとつ、地図をものすごく縮小すると、空白のエリアの遠い場所に、紫の点がある。
おそらく、王都にいるという萌絵だろう。
こんな遠くからどうやって来たのか?
聖女の魔法というのは、それだけきっとすごいに違いない。
遭難用おにぎりを握っている間に、フィルの位置が、どんどん御神木に近づいている。
紗良もそろそろ出たほうがいいだろう。
今日はさすがに寒い。
しゃかしゃかブルゾンでは薄すぎる。
ダウンはひっかけたらおしまいだし、ボアもキルティングも実用的ではない。
というか実用的なコートなどない。
仕方なく、前がしっかり閉まるダッフルコートを着て、ザックを背負う。
致命的に合わないが、誰に見せるわけでもないのでいいだろう。
「ちょっと行ってくるねー」
川べりから対岸を眺めているヴィーに声をかけ、森へ入った。
「紗良様。お待ち申し上げておりました」
「早いですね、バイツェルさん。森に入ってからここまで、もっとかかりそうだと思ったのに」
「はい、急ぎました」
そうか、急いだのか。
納得して、ザックを降ろす。
フィルも背中のカゴを地面に置いているが、その姿はやはり以前と同じローブ姿だ。
「寒くないんですか?」
「はい、石を魔法で温め、懐に入れておりますので」
時代劇で見たことがあるぞ。
見せてもらうと、確かに、ただの石がちゃんと暖かい。
「私、さつまいものつるを持って帰るので、くっついてる実の方、持って帰って下さいね」
「はい、ありがとうございます?」
「……?」
「……」
「あ! そうか、さつまいもじゃないです、これです、これ」
足元のつるを引き抜くと、また少し太ったさつまいもが出てきた。
「アノームですね。美味しい季節です」
「はい、ごはんと炊いてもいいし、おやつにもなりますよね」
「あ、5本ほどで大丈夫です」
「え、少なくないです?」
フィルは、何かを思い出したように、くすりと笑った。
「実は、前回下げ渡していただいた実を持ち帰りましたところ、領主様が大変に喜びまして」
「それは良かった」
「もっと沢山持ってこられないのかと」
「はいはい、分かります」
「そうしましたらね、その途端、残りの実が全て朽ちてしまったのです」
「なにそのイソップ物語みたいなオチ」
「おや、異界にもお話を使った教訓があるのですね。
そうなのですよ、欲をかくとこうなるぞ、という、女神さまの警告です」
紗良は頷く。
確かに、癒しの食べ物なんて、持ち出す量が多ければ産業にもなりそうだ。
かといって、儲けが出たりするのもおかしな話だし、紗良としてもそんな義理はない。
間に立つフィルも困っただろう。
「ですので、初回と同じくらいの量が適正ということでしょう」
「栗20個と、さつまいも5本。確かに同じくらいかも」
さつまいもをフィルに渡し、紗良の方は、つるとそれから受け取ったお供物をザックにしまう。
その時だ。
紗良のスマホが、とてつもない音を立てた。
緊急アラートのような音で、二人とも驚いて立ち尽くす。
「え、なに?」
そう言った途端に、思い当たる。
ヴィーではないか?
フィルとともに、ヴィーにも安全装置的魔法をかけてある。
といっても、危険に陥らなければ分からない魔法だ。
ということは。
「なんてこと!」
「紗良様! どうなさいました!?」
「分かりませんけど、ヴィーが危険かも!」
「ヴィーとは? あの魔物ですか?」
「うん、はい、ああ、私、行かなくちゃ」
スマホを取り出し、位置情報を確認する。
どうもウッドデッキのあたりにいるように見える。
あの場所で襲われたのか。
「アテルグランスが危険……そんなことが……?」
「すみません、今日はこれで!」
「お待ちください、なれば、非常に危険な魔物がいる可能性があります。微力ながら、私も助太刀いたします、お連れ下さい!」
紗良が走り出しながら頷くと、彼はすぐさま後ろについた。
【戦士】のレベルはじりじりとしか上がっていないが、以前の紗良とはスピードが段違いだ。
藪で顔が切れるのも構わず、全力で走る。
前方が開け、川の音がする。
「ヴィー!」
ざざっ、と土煙がたつ勢いで河原に飛び出すと、周囲を見回す。
そして発見した。
ウッドデッキで、専用クッションに頭をのせて、腹を出している黒いでっかい魔物。
いつもの光景だった。
「……あれれぇ?」
頭脳は大人の子どもキャラみたいな声が出た。
紗良のほうは、身体は大人で、思考力が子ども並みに落ちている。
どういうことだ?
「紗良様」
フィルが、いつの間にか手にしていたらしい剣をマントの中に収めながら、声をかけてくる。
はっとする。
「あっ、ごめんなさい、ごめんなさい、私、勘違いだったみたいで!」
「いいえ、おそらくそうではございませんよ」
紗良を落ち着かせようとするような柔らかい顔で、フィルが川べりを指さしている。
何かあるな、確かに。
一歩、二歩と、正体が分かるまでその物体に近づくと、近づくたびにサイズ感が大きくなっていく。
最終的に、象くらいの茶色い塊になる。
「え? なにこれ、でっかい」
「ブルヴィアインクですね。魔物です」
「死んでるんですか?」
「ええ、傷跡からいって、あなたのアテルグランスが倒したようです」
そういえば、出かけるとき、川向うを随分気にしていた。
対岸から来たのだろう。
「ああ、そうなんだ。
おかしいな、怪我とかしないと分からないはずだったんだけど。
あれからレベルが上がったから、魔法もレベルアップしたのかな。
危険を感知すると教えてくれるのかも。
ということは、良かったですね、バイツェルさんも、怪我する前にお手伝いにかけつけられるかもしれません」
「ありがたいことです」
にこにこしているフィルは、ぺこりと頭を下げた。
紗良のほうは、我に返って、死んでいる魔物をじっくり観察する。
「困ったな。これ、どうしよう」
「魔物の処理ですか?」
「はい。食べられるのかな?」
「うーん……まだやめておいたほうが……」
「そうですか? じゃあどうしよう、川に流してみようかな」
すると、ヴィーが近づいてきて、歯をむいた。
「え、駄目なの? だってどうするのこれ? 困るよ?」
「ヴィー様が食べるのでは?」
当たり前のように言われ、びっくりする。
「えっ、そうなの?」
ヴィーは、ゆっくり目を閉じた。
肯定の意味だろうか。
「めちゃでっかいけど、腐らないの? 何日かけるの? 虫とかこない?」
「あの、おそらく一日か二日で食べてしまうと思いますよ」
「そんな訳ないですよ、だって、いつもこの子、私の倍量くらいしか食べないですよ?」
「それは……どこかで別に食事をしているのでしょう」
紗良は、まじまじとヴィーを見た。
見れば見るほどでっかい。
よくよく考えたら、紗良がたまに与える量の食事で、この身体を維持できるわけがない。
なんで今まで気づかなかったんだろう。
「そっかぁ、あんた、餌が取れないわけじゃないんだね?
ただ……おやつを食べに来てるんだね……」
ヴィーは、ぐっと伸びをすると、そのまま自分よりも大きな獲物をくわえて、引きずりながら森の方へ入っていく。
そしてすぐに出てくると、軽快な足取りでウッドデッキに上がり、フードボウル改を前脚でぼこんぼこんと揺らし始めた。
「紗良様の目の届かない所に置いてきたのですね」
「取らないよ?」
「食事風景を見せない配慮でしょう」
「そうかな、取られないように隠したと思うんだけどな……」
なんにせよ、ヴィーはおやつの時間らしい。
「なんか作りますね。あ、良かったらバイツェルさんもどうぞ」
紗良は、やれやれとザックを降ろしながら言った。