23
大きな翼が風を生み、紗良の顔を撫でる。
相変わらずでっかいな、と思いながら、少し下がって場所を空けた。
久しぶりに見たペリカンは、口に何かをくわえている。
そのせいでバランスが難しいのか、とても慎重にウッドデッキに降りてきた。
鳥特有の足が床に着いた途端、ぴょんとはねた。
どうやら、床暖にちょっと驚いたらしい。
しかし、再び降り立つと、確かめるように何度もその場で足踏みしている。
挙句、辺りをぐるぐる歩き回り始めた。
気に入ってくれたようでなにより。
「ヴィヴィドちゃん、ヴィー、食べちゃ駄目」
尻を上げ、頭を低く保って、あからさまにペリカンを狙っていたヴィヴィドは、仕方なさそうにまた腹ばいになる。
それに気づいたのか、ペリカンは慌てたように紗良の元にやって来て、くちばしを突き出してきた。
くわえられていたのは、プラチナのような柔らかい銀の色を持つ、綺麗な杖だ。
上部には金色の繊細なツタが絡みつき、てっぺんでカゴのようになっている。
中には、真っ赤な石が抱かれていた。
手に持ってみると、ずっしりと重い。
「え、これ、持ち歩くの? 無理だと思う」
ペリカンは、紗良の疑問を我関せずとばかりに無視し、ちょっとだけまたその辺りをぺたぺたと回った。
一度ぺたりと座り込み、鼻息を長くはいてから、バッサァと舞い上がった。
みるみる遠くなっていく。
「ねえこれ重すぎるよ!」
「アホー」
このやろう。
紗良は途方にくれた。
すると、風もないのに、マニュアルノートが勝手に開く。
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<賢者の杖>
賢者の杖は、力を増幅させるだけではなく、安定性を高めます。
繊細な魔法が多い賢者の場合、常に身につけておくのが良いでしょう。
まずは、あなたの魔力を登録します。
杖を握り、額に当てます。
名を名乗り、世界の理に誓う者であることを告げましょう。
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そんななんだか分からないものに誓うのはどうだろう。
そう思ったけれど、世界の理というのが、エーテルの流れのことだと気づき、それならばと納得する。
「『我が名は津和野紗良、世界の理に誓う者』」
その途端、てっぺんの石が輝き始めた。
そして、そのままゆっくりと回転する。
すぐに、杖と一体になった感覚があった。
その感覚に従って、変化をイメージする。
手の中が一気に軽くなって、杖はそのまま小さく縮んで消えると、紗良の右耳にイヤーカフとなって現れた。
「これなら持てる」
頭を振ると、垂れ下がった金鎖と赤い石がしゃらしゃら揺れる。
耳から外せば、元に戻るらしい。
何の気なしに取ってみる。
わずかに光り、一瞬ののち、手の中に杖があった。
「あっ……ば……」
危ない、急にずしりと重くなって、取り落とすどころか一緒に転ぶところだった。
落としたら割れるだろうか。
危険すぎる。
今は保存の魔法にしか使わないから、心構えをしてから出すことにしよう。
紗良はもう一度杖をイヤーカフにした。
よし、森へ入る。
保存の魔法を覚えたからには、保存食に加工しなくてもいいということだ。
冬越えに十分なだけの量を採ってくれば、春までのんびり暮らせる。
翌日、いつものジーンズとブルゾン姿になり、おにぎりを二個作って、遭難セットに入れる。
ザックを背負って、外に出ると、ヴィーが河原で水を飲んでいた。
「ちょっと行ってくるねー」
そういえば、魚もなんとかしたいんだったなぁと思いながら、紗良は森へと足を向けた。
どこかで鳥の声がする。
動物たちはどうやって冬を越えるのだろう。
さほど雪が降らないらしいから、冬ごもりまではしないのかもしれない。
小さな鳥たちは、暖かい地方に渡るものもいるだろう。
マニュアルノートによれば、ここは大陸の南端だというから、だとすれば海を越えるに違いなかった。
「海か」
紗良は、部屋の前の広い川を思い浮かべた。
明らかに下流域の水量と流れだし、川幅もある。
もしかして、川に沿って下れば、海に出るのではないだろうか。
海の幸はとても魅力的だ。
とはいえ、釣り竿が昔話レベルの紗良では、漁など望むべくもない。
何か考えないと。
「うわぁ、無花果だ」
寒い地域で育った紗良には、高級品だ。
一度、四国の旅行先でとんでもない安価で売っているのを見て、心底羨ましくなったことがある。
就職は絶対に西日本にしよう、とまで思っていた。
マニュアルノートを確認して、食べられると分かったので、味見、と言いながら一口かじる。
とても甘い。
原種でもこれだけ甘いのは、きっと珍しいに違いない。
その証拠に、手の届く範囲は皆、食べられてしまっている。
逆に、てっぺんの方も、鳥につつかれている。
中間あたりの、無事なものを風魔法で収穫した。
そのままでも食べたいし、ジャムにもしたいので、ちょっと多めにもらっておく。
移動しながら、きのこと、天然酵母用のりんごも採取する。
そういえば、カゴを編むためのつるも欲しいのだった。
乾燥きのこ用に作ったカゴは、重かったけれど、ちゃんと使えている。
あれは木の皮を裂いて作ったけれど、つるやツタのほうが長くて使い勝手が良さそうだ。
「そうだ、さつまいも」
御神木の下に出来ていた、さつまいもと呼ぶことにしたあの芋のつるはどうだろう。
紗良は、北に向かっていた足を、西に向けた。
そろそろ陽が高くなってきている。
腕時計はつけない習慣なので、スマホで時間を確認しようかと思ったが、面倒だったのでやめておく。
今が何時かなんて、もう、あまり意味がない。
昼間か、夜か、それだけでいい気がする。
日本で生きていたら、一生に一度も経験することのないだろう感覚は、紗良の心を少しだけ自由にしていた。
相変わらず尋常ではない大きさの御神木の下で、しゃがみこむ。
ふかふかとした地面は、この木の葉が降り積もり、栄養満点という感触だ。
つるを引っ張ってみると、前回より少し太ったさつまいもが現れた。
もしかして、以前は収穫にまだ早かったのかもしれない。
10本ほど掘った後、その実がついていたつるもついでにひきちぎってもらっておく。
意外に繊維質で強く、乾かせば使えるような気がする。
ある程度集まったら、休憩がてら、お昼ご飯にすることにした。
ザックからミネラルウォーターのペットボトルとおにぎりを出し、流水で手を洗ってさらに浄化をかける。
現代日本で育った紗良のこと、未知の世界の病気にかかったら、重篤化すること請け合いだ。
リセットはあるにせよ、魔力がリセットされない現象もあるし、用心するに越したことはない。
「いただきます」
今日は、しゃけとうめぼしのおにぎりがひとつずつ。
あいにくとお茶のペットボトルはなかったので、水だ。
今度、家のどこかにある水筒を探しておかねばならない。
アルミホイルをむいて、一口いこうとした時。
何か変な衝撃を感じて、紗良は動きを止めた。
安全地帯が発動した様子ではない。
感覚が違った。
そうではなく、何かもっと別の衝撃だ。
それが、二度、三度とある。
え、なに?
きょろきょろしている紗良の背後で、ひときわ大きな衝撃音がした。
慌てて振り向く。
そこにあるのは、御神木のとんでもなく大きな幹だ。
じっと見ていると、なんだか小さく光が瞬いた。
なんだろう。
目を凝らすと、その光はあっという間に大きくなり、そして、四角い形を作る。
馴染みのある大きさだった。
そう、それはまるで、ドアのよう。
御神木にドアが出来た?
そう思ったせいかどうか、まばゆい光は増し、それと同時に、光の向こうから誰かが飛び出してきた。
風と、光と、それから足元の枯葉を踏む大きな音と、そんな騒がしい気配と共に現れたのは。
「あっ、あ、い、いた、ほんとにいた……!」
真っ白いシンプルなドレスに、長い髪をなびかせ、額には金のサークレットをつけている同年代の女性で、そして、その顔に紗良は見覚えがあった。
彼女は、紗良を見て、顔をくしゃりとさせた。
「ごめんなさぁぁぁい、津和野さぁぁぁぁん!」
大声で泣き始めた彼女の背後で、光のドアが静かに閉じていった。