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紗良だって馬鹿じゃない。
信じられないくらい大きな鶏、というのが、魔物のお土産だということくらい分かっている。
しかし、人間には、獣に比べて幾分か退化したかもしれないが、本能というものがあり、それは止められないものだ。
だからもう、反射的に悲鳴をあげるのは仕方がない。
悲鳴というか、野太い叫び声になっている気もするが、黒い魔物相手にかわい子ぶっても無意味なのでそれも仕方ないことにする。
翌朝。
冷蔵庫をのぞくと、そこは密閉ジッパーバッグの青で埋め尽くされている。
昨日、錬金釜に放り込んでパッキングした鶏肉だ。
いや、もちろんこれは鶏ではない。
なんだか長い名前がついていた。
例によって覚えていないが、でも、要は鶏なのだ。
鶏肉が手に入り、今回はさらに、鶏レバーが追加された。
思えば、前回は初めてということもあり、内臓系は遠慮してくれたのだろう。
確かに、さっきまで目の前で横たわっていた豚の内臓は、なかなかに衝撃だったかもしれない。
ということで、紗良の家の冷蔵庫は今、ぱんぱんだ。
前の豚肉も残っていて、これは切り分けて冷凍してある。
黒い魔物の来る頻度が上がっているので、一冬はもたないだろうけれど、とりあえずは十分というところ。
「レバーパテにするかなぁ」
ため息をつく。
内臓系はさすがに、うろ覚えの手順や目分量でどうにかなるメニューではない。
手はある。
レシピ本だ。
部屋をまるごと転移させられた利点は、ネットが使えなくてもローカルな手段なら現代そのままにとれるところ。
けれど、そのレシピ本は、全て母が書いたものだ。
家族が恋しい紗良にとって、著者近影の載った母の本を開くのは、とても勇気が要る。
新鮮なうちに調理しなければならないけれど、今日はまだ、ちょっと、決心がつかなかった。
ふうとため息をつき、とりあえず、冷凍パイシートを二枚取り出してから、オーブンレンジを予熱し始めた。
昨日、フィルがくれたりんごは、やはり酸っぱかった。
果樹園、というのは、どのくらいの時代で現れるのだろう。
やはり、育てたものではないのかもしれない。
その辺の庭でなっている木の実をもいでお供物にする習慣を想うと、なんだか生活に根差していていいな、と思う。
そんなことを考えながら、りんごを四つ割りにし、皮と芯を除いて薄くスライスする。
それをボウルに入れて、砂糖とシナモンパウダーを混ぜて置く。
その間に、冷凍パイシートは少しだけ柔らかくなっていた。
一枚をクッキングシートに出し、パン粉を薄く敷き詰める。
その上に、ボウルの中身を出し、平らに広げてから、バターをちょんちょんと載せる。
もう一枚をかぶせて端っこをフォークで押さえる。
天板に載せてオーブンに入れて、焼きあがるまでの間にシャワーを浴びた。
コーヒーと、熱々のアップルパイの皿を持って、ウッドデッキに出ると、右に左にごろごろしていた黒いのが起き上がり、フードボウルの前に座った。
半分ずつに切って、それぞれで味わう。
だから一口で食うなよ。
足りないのかな……。
フィリングはわざわざ煮ることなく、生のりんごから焼いたのだが、出た水分はパン粉が吸っているので、生地はさくっとしている。
甘酸っぱく柔らかく焼けたりんごが、紗良の好みにはちょうどいい。
生地のバターと、ダメ押しで載せた塊のバターが、口の中でりんごにコクを与えている。
さて。
今日は、後回しになっていたローテーブルを作りたい。
床暖にしてから、チェアに座ることがほとんどなくなってしまった。
そうなると、サイドテーブルでは高さがありすぎる。
部屋にあるテーブルを持ち出してくる、という案もあるが、レベル上げも兼ねてやはり作りたかった。
統一感もでるし。
アップルパイを食べ終わった紗良は、よしと立ち上がる。
機能確認も兼ねて、外のシンクで皿とカップとフードボウルを洗い、まずまずね、などと思いながら、テーブルづくりに取り掛かることにした。
錬金釜を置いている草地に移動し、材料を確認する。
違う木材も試したほうがいいだろうかどうしようか、と考えていると、急に、ぱしりと皮膚を叩かれたような感覚があった。
実際には叩かれたわけではなく、そんな風な感覚、ということだ。
初めての経験に、驚いて周囲を見回す。
すると、森の入り口あたりで、小型の犬のような動物がいるのに気づく。
茶色というよりは、褐色のような、妙に赤っぽい毛色の犬だが、目は鋭く、ついでに歯も鋭いようだ。
こちらをじっと見ながら、隙間を探すように動き回っていた。
安全地帯が発動したんだ、と、直感した。
敵意を持って紗良に近づいて来ようとした犬が、魔法ではじかれた、その瞬間がさっきの叩かれたような感覚だった。
はっきりと分かるくらい、あからさまな害意だ。
犬は、しばらく辺りをうろうろしていたが、やがて諦めたのか、そのまま森の奥へと去って行った。
いかにも俊敏そうな様子だったから、魔法がなかったら、気づいたら死んでいたなんてこともあったかもしれない。
恐ろしい。
久しぶりに膝が震えた。
ふと後ろを振り向く。
ウッドデッキの上で、黒い魔物が、首をもたげてこちらをじっと見ていた。
しかし、腹ばいになって前脚を伸ばし、動く気はなさそうだ。
あいつはあてにならない。
紗良は、改めて、自分で自分を守ろうと決意した。
がたがたしないテーブルを作り終わるまで、紗良は、さっきの野犬のことをずっと考えていた。
正確には犬ではない。
マニュアルノートによれば、なんとかという種類の野生動物だ。
またまた長くて難しかったので覚えていないが、とりあえず、肉食らしい。
出来上がったテーブルを設置した後、紗良は、相変わらず右に左にごろんごろんしていた黒い魔物の横に正座した。
「ちょっとあんた、座んなさい」
魔物は、声をかけられたらしいことは分かったのか、ちらりと紗良を見た。
座る気はなさそうだったが、一応、仰向けから腹ばいになってはいる。
「……まあいいでしょう。
マニュアルによると、この森にはめちゃくちゃ沢山動物とか魔物とかいるそうです。
危険です」
魔物は、無言でぴくりとも動かない。
「……ええと、あんた、なんか強い種類らしいけど、そりゃ種類としてはそうかもしれないけど、あんた多分、そうでもないよね?
だって、ごはんばっかり食べに来るし、自分で餌が取れないのよね?
分かるよ、あると思う、そういうの。
のんびりしてるし、そういう個性もあると思う」
紗良の慰めに、魔物はなんだかひげを下げ始めた。
きっと、見抜かれて恥ずかしかったのだろう。
「だから、あんたの面倒、私が見るから。
この間、神官のあの人にかけた感知の魔法、あんたにもかけておくから。
いいね?
あと、探しやすいように名前つけるから。
うーん……クロちゃんとか分かりやすくていいよね」
魔物が歯をむき出しにした。
気に入らないらしい。
「何が嫌なの。
じゃあクロネコちゃん?
あ、ネギチャーハンちゃんは?
これも駄目なの?
日本語じゃ通じないのかな。
じゃあこっちの言葉にするかぁ。覚えられるかな。
うーん……こういうのは縁起を担いだほうがいいよね、やっぱり。
元気いっぱいちゃんにしよう。
あんたは今日からヴィヴィドね、分かった?」
黒い魔物あらためヴィヴィドは、目を閉じて無の表情らしきものを見せる。
動物は表情がなくて分かりづらいな、と思うが、歯をむいていないので拒否の姿勢ではないに違いない。
「じゃ、魔法かけるね」
フィルには試行錯誤してかけたが、今回は一発だ。
これでよし。
魔物としては落ちこぼれかもしれないが、美味しい食べ物を共有できる相手としては悪くない。
一人で食べるのもいい。
誰かと食べるのもまた、いいものだ。
ファンファーレが鳴った。
スマホを確認すると、【賢者】のレベルが64に上がっている。
ついでに、もうひとつ、【魔物使い】のレベルも48になっていた。
今までゼロだったのに、随分一気に上がったものだな、と驚く。
序盤補正かな?
これ以上、魔物の知り合いは増えない予定なので、レベルも頭打ちだろうけれど、何をする職業なのか分からないので、気にしないことにする。
レベルが上がったら、とりあえずマニュアルノートを開くことにしている。
出来立てのローテーブルに載せていたそれを開くと、新たなページが増えていた。
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<賢者>
魔法使いがエーテルを操るのに対し、賢者はそこから外れた領域も受け持ちます。
その最たるものは、『時間』です。
これまで使うことのなかった魔法は、今までと同じように呪文をトリガーにして習得していきましょう。
また、繊細な魔法なので、確実性を重要視するために、仕草ではなく道具を利用します。
*時間停止の魔法
杖を両手でつかみ 保存
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杖なんて持っていない。
どうしろというのだろう。
首を傾げた時、頭上から、いつか聞いたことのある音がした。
羽ばたきの音だ。
見上げると、たなびく赤いスカーフが見えた。