21
にこにこしている男を見て、紗良は涙も止まった。
やっぱり、ってどういう意味だろうか、と、すでに予想している結末以外を探そうとしてみたが、そんな救いはなかった。
「知ってたんですか?」
「あ、いえいえ」
男は、慌てたように手を振る。
「ほぼ精霊様のようなものですし、最初に間違えたのは私ですし、もうそのまま精霊様で構わないというか」
「人間ですみません」
「魔物を見たことがないとおっしゃるし、人の手の入ったものを召し上がってらっしゃいますし、結界についてもご存じありませんでしたし、まあなんといいますか、その」
「人間の分際で黒いのに攻撃したこと怒ってすみません」
「御召し物も少々、その、奇ば……いえ、独特、ええと、オリジナリティの高い」
「褒めてます? か?」
「あ、えっと、つまり、そういうことを考えあわせると、界渡り様なのかなと」
突然出てきた知らない言葉に、紗良は首をひねる。
言語は一致しているのに、意味は分からない。
「界渡り?」
「ええ、こことは違う世界からいらっしゃった方々のことです」
「ええっ、異世界転移って、他にもいるんですか!」
胸がざわざわする。
自分が唯一ではないことが、救いのような、奇妙な予感を生むというか、複雑な感情で落ち着かない。
「ええ、現聖女様も、先日こちらへ呼ばれて降臨なさった界渡り様ですよ」
ああ、やっぱり、なんだか胸が変な感じ。
紗良は、その話題から離れるべきだと思った。
そうでなければ、知らなくてもいいことを知ってしまうに違いない。
予感であり、確信でもある。
「あの、じゃあ、そういうことで、もう来ないでください」
立ち上がってそう言うと、男は、怪訝そうな顔をした。
それから悲し気な表情で、
「……申し訳ありません、不躾でした。
望んで降りて来られる界渡り様はほとんどいらっしゃらないこと、失念していた訳ではないのですが、精霊様が森に馴染んでいらっしゃったので……」
「私、精霊じゃありません、人間です。
あなたの言う通り、望んでないけど、この森で暮らすつもりです。
私にはそれが出来るし、お供え?とかがなくても、別に困らないんです。
だからさっきの話は、ナシで」
男は、肯いた。
「精霊様が……いえ、あなた様がそうお望みなら」
「癒しの実ならその辺から取って行ったらいいですよ。
このでっかい木だけじゃなく、森全体に癒しの効果があるみたいです」
「そう、ですね」
紗良は、男の顔が微妙に揺らいだのを見逃さなかった。
真顔ではあるが、一瞬、困った顔をした。
「……なんですか、駄目なんですか?
勝手に採っちゃ駄目とかいうやつですか?
人間が勝手に決めたルールで、勝手に困ってたら世話ないですよ?」
彼は、一瞬の後、面白そうに笑った。
「ええ、全くですね、少なくとも結界に関してはそうです。
しかし、御神木様の恵みについては、私たちが決めた話ではなくて」
「というと」
「うーん、実は、我々が採取したものは、森を出るとなぜかあっというまにしおれて枯れてしまうのです。
ただ、結界内に侵入不可、というのは、教皇庁が定めた法でして、病人を連れて森に入ると言う訳にもいかないのです」
「ふうん」
紗良は腕組みをした。
「偉い人って、決めごとをすれば万事解決と考えますよね、そんな訳ないのに」
「全くです」
男は苦笑する。
「ところが、精霊様が下さった実は、街へ持ち帰っても新鮮なままでした。
これは本当に稀なことで、聖女様かよほどの高位神官にしかなしえない奇跡なのです。
だから、先ほど申しましたでしょう、人間かもしれないけれど、もはや精霊様といってもいいでしょう、と」
腕組みのまま、首をひねって考える。
森の植物は、万能薬ではないらしい。
けれど、人を元気にするくらいの効果はある。
これが、絶対に治る、とかなら逆に森の恵みをうまいこと管理、ということになるだろうが、そこまででもない。
逆に言えば、普通レベルの回復効果しかないから、聖域を荒らす危険をおかしてまで立ち入り許可を出さない。
紗良の癒しくらいの効果なのかな?
とはいえ、誰もかれも全員が魔法を使えるわけでもないだろう。
近隣の人々にとっては、実在するのに手に入らない恵みなんて、酷な話だ。
「そういうことかー……。
うーん、私が採ったから、っていうのが本当にそうか分かりませんけど、私であることに意味があるなら、じゃあ、ご協力しますけどー」
仮令教皇庁とやらの許可があっても、今はもう、紗良とこの人以外、この森には入れない。
誰に試してもらう訳にもいかないのだ。
「すみません、あなた様ならきっとそうおっしゃってくれると思い、枯れてしまうことを打ち明けました。
お心に背いてまで、お手を煩わせてしまうこと、分かっていました」
男は、片膝をつき、頭を下げた。
「感謝いたします、精霊様」
「いやいや、私でもそうすると思うので大丈夫です、大した手間じゃないですし。
あと、その呼び方やめてください、お互い人間って分かってるんだし」
「ではなんとお呼びすれば?」
「名前でいいです、私は紗良です、津和野紗良」
「では紗良様と」
様をつけるのに名前呼びか、と突っ込みそうになったが、姓と名を取り違えている可能性に思い当たる。
津和野様、と呼ばれるよりは幾分かマシ、という気がして、紗良は訂正するのをやめた。
「最初のご希望通り、半月に一度、こちらに参りますね。
申し遅れました、私は、近隣の街ナフィアの神官、フィル・バイツェル。
以後、紗良様にお仕えいたします」
「お仕えとかはいらないので、ご安全にここまで来てください。
本当に大丈夫なんですね?」
「はい、お任せください!」
にこにこしている男は、どんと胸を叩いた。
あまりどんと任せられそうな胸板はしていないが、本人がいいと言うのだから、いいのだろうか。
紗良はうーんと唸りながら、こっそり後ろを向いて、ノートを開いてみた。
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<魔法使いと賢者>
ふたつの魔法は違うようで同じ、同じようで違う性質を持ちます。
世界を理解すればするほど、お互いにその力を高め合うでしょう。
属性エーテルを取り込む根本は同じですが、賢者の魔法は単体では常時発動が出来ません。
魔法使いとしての道を究めた者だけが、全ての属性を使いこなすことができます。
理解とは、実践です。
おめでとう、あなたを【魔法使い】として世界が認知しました!
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よし、何を言っているのか全然分からない。
とにかく、常時発動、というひらめきだけは得た。
これは今でも使っている。
例えば、安全地帯とか、床暖とかだ。
自分対象の安全地帯だけでなく、離れたウッドデッキにも発動可能なことを考えると、出来ることは多そうだ。
目的に照らし合わせてみると、イメージは──そう、警報器だ。
レーザーに触れると、ワーニングアラームが鳴るような感じ。
まずは光、それから雷のエーテルを使う。
「あのー、今からあなたに、感知式の魔法をかけてもいいですか?」
「……と、おっしゃいますと?」
「あなたが攻撃を受けたら、私に分かるようにするんです」
「なんと、そんなことが可能なのですか?」
「うーん、多分?
っていうか、ちょっとイメージが追い付かなくて、攻撃受けてからじゃないと分からないタイプなんですけど。
そのうち改良できるかもしれないけど、とりあえずですね」
「はあ、なるほど」
「まあ、死んでなければ多分助けられるので、駆け付けるまで頑張ってもらえれば!」
「多分、が多いようですが、もちろんお受けいたしますとも。
私を気遣ってくださるのですね」
「うーん、まあそうですね……私が罪悪感覚えちゃう結果になってもアレですし」
「はい、アレですよね」
当初の印象より、だいぶ能天気な気がしてきた。
精霊様と崇めていたのが、一応、人間同士だと確認し合ったからだろうか。
フィルと別れて河原に戻ってくると、なんだかどっと疲れた。
ウッドデッキに靴を脱いで上がり、やはり寛ぐときは裸足だな、などと思いながら、クッションにもたれかかる。
床はほどよく暖かく、紗良は少しだけうとうとした。
やがて、少し肌寒くなり、目を覚ます。
いや、肌寒いというよりは、風を感じて起きたのだ。
生ぬるい風だ。
その正体は、こちらの顔を覗き込んでいる、黒い魔物の鼻息だった。
ちなみに、アテルグランスというこの魔物の名前は、こちらの言葉で『黒き弾丸』という意味である。
こののっそりした生き物に弾丸なんて、似合わな過ぎて、一文字ごとに盛大に草を生やしたい気持ちだ。
紗良が森に出歩いていたことから、シンクの完成に感づき、今日はパン以外のものが出てくると思ったのかもしれない。
渋々とクッションからどくと、魔物はいそいそと代わりに寝転んだ。
やれやれ。
とはいえ、さすがに自分もおなかが空いている。
紗良は、キッチンに立つべく、ウッドデッキから降りて靴をはこうとした。
辺りはもう薄暗く、うまく足元が見えない。
靴、ここらへんだったな。
心当たりの場所を探るつま先が、何か、柔らかいぶにっとしたものに触れた。
なんだろう。
紗良は、光を操り、足元を照らした。
紗良一人では抱えられないくらい大きなサイズの、鶏が死んでいた。
「ぎゃぁぁぁぁぁ!」
心臓が縮み上がり、喉から悲鳴が飛び出す。
背後で、びたん、と魔物の長いしっぽが床板を打った。
金網に乗ったユキヒョウを下から見られる動物園があってな。