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なんとこれは美味しい、と目を丸くしながらツナサンドを食べている男をしり目に、紗良はせっせとお供物をザックに移していた。
今日は、カボチャがある。
日本のものより小ぶりだが、ずっしり重い。
季節を感じられて大変に良いな、と嬉しくなった。
他には、葉物野菜がいくつかと、ワインと木の実。
それから、あのりんごの実もあった。
これは育てたものだろうか、甘いだろうか?
マニュアルノートによれば、ここは国の中でも最も首都から離れているということだった。
多分、農村地帯なのだろう。
お供物の中身は、素朴な田舎を思わせる。
「精霊様、これは魚ですね、なんの魚ですか?」
「ちょっと分かりません……」
マグロです、とも言いかねて、知らないふりをする。
「油を感じますが、こんなに柔らかく揚げられるものでしょうか」
「いえ、火を通してから油漬けにしたんじゃないかなと思います」
男は、御神木から少し外れたところに座って、丁寧な仕草で食べ終えると、
「パンも美味しかったです」
「そうでしょう? 私が焼いたの」
嬉しくなって言うと、彼はにっこりと笑う。
笑うと少し、若く見える。
いくつなんだろう。
「あのー、剣、壊してごめんなさいね」
「いいえ、私の方こそ、従魔……ではなくて、ええと」
「知り合いの」
「し、知り合い? のアテルグランスを攻撃してしまって」
「そう教えられていたなら、仕方ないです」
ちなみに、知り合いのその黒い魔物は、とっくにどこかに行ってしまった。
お互い頭を下げ合って、紗良は首を傾げる。
「前回は持ってなかったですよね、武器」
「ああ。はい、あの時は、森の外の祭壇にお供えするだけのつもりだったので」
男はあっさり肯く。
「しかし、精霊様が、次回もここへとおっしゃったので」
「あ」
そうだった。
「あの後、領主に報告して、すぐに結界石を調べましたところ、やはりひとつ破損しておりました。
それを新たに補修し、張り直しは済んでおります。
しかし、私は精霊様の御言葉に従い、数人を連れてここへ入るため、一時的に解除しました。
ところが、結界を解いたにも関わらず、私以外は立ち入りが出来ないという現象が発生いたしまして」
紗良は頷いた。
「ああ、そうでしたね、御神木の力で、新しい別の結界を張ったらしいです」
すると男は、目を見張った。
「そうでしたか。
……とにかく、私以外は入れず、しかし魔物のいる森を抜けてこちらへ参らねばならないということで、本日は珍しく帯剣しておりました」
「ごめんなさい、私が来いって言ったみたいで、っていうか言ったんですけど、何も考えてなかったので……。
次から祭壇とかっていうところでいいですよ。
私が取りに行くので」
男は、さっきよりも驚いた顔をしてから、とんでもない、と言う。
しかし、紗良も紗良で困ってしまう。
「ここに来る間に魔物に襲われて死んじゃったら困るので。
私なら、悪い奴は私の傍によれないようになってるので、大丈夫ですし」
「そうなのですか」
「そうなのですよ」
「そういえば、精霊様は巧みに魔法をお使いですからね、お強いのでしょう」
「そうですか?」
「ええ、とても繊細に風を操っておられました」
風?
男がそう言った瞬間に、紗良の頭はくらりと揺れた。
まるで新しいデータをインストールされたみたいに、思考がいっぱいいっぱいになった。
そうして、紗良は、切断という言葉が、『風』を意味することを知る。
この世界の言語が、紗良の言語体系と重なっていく。
切断は『息』。
同じ切断でも、その強さが違う。
だから、吐息でかまどの火を調整できた。
言葉はトリガーだと、マニュアルノートは言った。
風をつかさどる魔力を、言葉を通した認知で操る練習をしていたということだ。
紗良は、真上を見る。
男と違って、御神木のすぐ真下にいたから、頭上に樹冠が広がっていた。
その一点に、魔法を放つ。
風を操る。
数秒を置いて、紗良の手の中に、栗の実がひとつ、落ちてきた。
男は、おお、と笑う。
「さすが精霊様です、無詠唱を会得なさっておられる」
そうだ、紗良はたった今、魔法の仕組みを理解した。
もう、呪文に頼らず、自然の摂理を操ることで、魔法を使えるようになったのだ。
その証拠に、さっきからファンファーレの音が止まらない。
何段階もレベルアップしたことを、実感する。
それにしても、やはりこのファンファーレは、自分以外には聞こえないのだな、と納得した。
男は相変わらず、にこにこしているだけだ。
「ありがたいお心遣いですが、やはり私がここまでお供えに参ります。
実は、先日下げ渡してくださった御神木様の実が、病気の子供を救ったのです。
その奇跡を、少しでもおすそ分けいただきたいという下心です」
「ええっ、そんなすごい力が?」
「完治という訳ではないのですが、自己治癒力が働き始めるくらいには、落ちた体力が一気に回復しました。
本当にありがとうございました」
「いえ、私のチカラじゃないので……。
よかったですねえ、お子さん。奥様も喜んだでしょうね」
「ええ、もちろん、奥方も、夫であるシダリウスも、泣いて喜びました」
「ああ、あなたの子の話じゃなかったんですね」
「私ですか? 私は独身で、神に仕える仕事をしておりますので……」
なるほど、神父さんとか牧師さんみたいなお仕事なのかな、と紗良は思う。
そして、男の穏やかで知的な様子に納得した。
「それに、私はそれなりに訓練し、そこそこ強いので、精霊様をご心配させるようなことにはなりませんとも」
「それにしたって、前回から一週間しか経ってないですよ。
こんな頻繁に森に入って、本当に大丈夫なんですか?」
「本来は、慰霊祭に合わせて年に四回なのですが、今日は精霊様にお礼をしに参りました」
たった四回なのか!
紗良はがっかりした。
お供えの野菜で一冬越す、という計画がご破算である。
「領主と相談いたしまして、今後は精霊様の御望みの通りにお供えをお持ちしようと思っております」
何それ最高!
紗良は明るい先行きに喜んだ。
男は、笑いをかみ殺したような顔で、
「七日に一度程度でよろしいですか?」
と聞く。
喜びすぎたからだろう。
仕方ない、嬉しかったので。
「いえいえ、月イチでいいですよ」
「いいのですか? 仕事ですから、毎日でもいいのですよ?」
まじ?
「……いや、じゃあ、半月に一度で」
「かしこまりました」
いいのか?
紗良は、心から自分のことしか考えていなかったので、ここで初めて躊躇が生まれた。
魔物のいる世界で、それが見境なく襲ってくる世界で、それがうようよしているらしい森に、二週に一回のペースで入る、ということについて、考える。
魔物どころか、蛇に噛まれただけで、紗良は死にそうになった。
解毒の魔法がなかったら、あっさり死んでいただろう。
目の前の男は、いうほど強そうには見えない。
それなりに鍛えている、という言葉の通り、それなりの筋肉しかついていないし、虫も殺さないような顔をしている。
もし本当に襲われてしまったら、結構、死ぬのでは?
紗良は、快適な食生活と、目の前の男の安全を天秤にかけた。
「ごめんなさいやっぱりもう来ないでください、私、精霊様じゃないんです!」
さよなら新鮮な野菜。
ひょろひょろのさつまいもを掘って暮らす冬を思い、叫びながらちょっと涙が出た。
すると男は言った。
「あ、やっぱり」