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作ってはみたものの、だ。
箸なら、キッチンの引き出しに入っている。
一人暮らしだけど、最初に買い揃えたものと、百均で見つけた可愛いデザインのものと、二膳。
それに、お弁当を買うたびにたまる割りばしもある。
箸が欲しかったわけじゃなく、本当にレベルアップとやらをするのか、確認してみた意味合いが強い。
「うーん、いやそれでも、誰かがこっそり見てて、アプリを操作するとか、ある」
半ば認めつつも、最後の抵抗のようなことを呟いてみる。
誰かがどこかでこっそり笑っていたなら、本気で信じてるわけないじゃん、と見えるかもしれないし?
ドッキリとか。
あるかもしれないし。
箸が出来上がると、やることがなくなった。
他に出来そうなこともない。
紗良は、チェアの横にあった平らな大きな石をテーブル代わりにしていた。
そこに置いてた例のノートを手に取る。
ぱらぱらとめくり──。
「あれ……増えてる」
<はじめての異世界>の項目以降、真っ白だったはずのページに、新たに何かが追加されていた。
誰かが書き加えている……?
それにしては、手書きっぽくないフォントだけれど。
もはや怖がることすら面倒で、紗良はそのままノートに目を通すことにした。
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<火を起こそう>
少し異世界に慣れたら、火を起こしてみましょう。
何をするにも必要なことが多いので、覚えておくと便利です。
まずは地面を平らにならします。
次に、樹皮などの繊維質の焚き付け、その上に細い木の枝などの焚き付け、さらに太めの薪を組みましょう。
適した木材はこれ!
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ノートの下の方に、三つほど絵が載っている。
スマホを見ると、まだ午前11時を回ったところ。
紗良は立ち上がり、部屋に入ると、シャカシャカのブルゾンとジーンズに着替えた。
念のため、足元も靴底が厚めのスニーカー。
ブーツもあるが、さすがに暑そうだ。
外に出ると、今日もドアの隙間に傘立てを挟み、そっと、脇から後ろ側に回ってみた。
傘立てが挟まった、少し開いたドアがあった。
前に回ってみる。
隙間から、自分の部屋が見える。
「まじ、異世界」
それとも、自分は死んだのだろうか。
死にかけかもしれない。
これはきっと、長い夢だ。
夢なら、なんでもありだろう。
少し歩くと、草地は土が目立つようになり、代わりに木々が迫ってくる。
ドアを常に確認しながら、きょろきょろとあたりを見回した。
「あ、あった、ほんとにあった」
ノートの絵と同じ、脱皮のように木の皮が剥がれ落ちた塊が、地面に落ちている。
そういう種類の木らしい。
次は、たき火に適した木だ。
だが、はたと気づく。
皮と違って、木は、生えている。
「さすがに手じゃ無理か……鉈かなんかないとなぁ」
絵と見比べるためにノートを開く。
何気なく、続きのページを読み進めてみた。
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*道具がない場合は、魔法を使いましょう。
レベルも上がって一石二鳥です。
*木を伐りたい場合、切りたい部分をしっかりと見つめ、右手の親指を三回振りながら、切断と唱えましょう。
レベルが上がれば、次第に呪文は不要になります。
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やっぱりこれ、壮大なドッキリなんじゃないかな。
紗良はそっと周囲を見回した。
ここで、本気で魔法を使おうとすると、テレビカメラかなんかが出てきて大笑いされるのだ。
いや、一介の大学生なんか撮ったって面白くないか。
なら、友達……?
少し考えたけれど、誰かが見ている、というのは、もう恐れじゃない、希望のようなものだと気づく。
これが現実であるより、ドッキリだったほうが、ずっと、いいのに。
紗良は心を決めた。
ちょうど手頃そうな枝をじっと見つめる。
われながらぎこちない手つきで、親指を三回。
「切断」
パサッ、と、枝が落ちてきた。
紗良が見つめていた枝が、見つめていた場所から折れている。
いや、切り口は鮮やかだ。
切断されている?
「……ま?」
マニュアルの通りに、木の皮を中心に、細い枝と太い枝を組み上げる。
そしてやはり、ノートの続きに書いてあった通りに、右手の人差し指と親指の爪を三回、素早くはじいて、
「着火」
呟いた途端に、一気に火が付いた。
「ひえっ!
……たき火ってもっと育てるものだった気がしたけど」
これも魔法だから?
一気にたき火らしい姿に燃え上がったことにびっくりしたが、待ちが発生しないのは便利じゃん、と思い直す。
石を一生懸命避けて平らな場所を作ったが、これもそのうち魔法で出来るようになるかな?
部屋からビールとチーズと持ってきて、チェアに沈み込んだ。
母親が送ってくれた、故郷のちょっといいカマンベールチーズで、大事にとっておいたものだが、再生するなら食べ放題だ。
日暮れ時、川のせせらぎと、たき火のはぜる音。
「……」
思いついて、拾ってきて積んである小枝にチーズを刺し、火であぶる。
すぐに溶けだしたので、慌てて引き上げ、ふうふう冷まして口に入れた。
「うんま」
塩気と匂いが強くなり、冷えたビールが一層美味い。
これも、成人してビールを飲むようになったと言った紗良に、父親が送ってくれたちゃんとした方のビールだから、苦みがまたチーズに合う。
「あー」
日暮れていく景色の中、次第に遠景は闇に溶け、たき火の明かりがにじむ。
「ガチだなー」
少なくとも、自分が今までいた現実ではないと、紗良は認めることにした。
魔法が使えるというのは、それほどにインパクトがあった。
マニュアルは今、部屋にある。
目に入れたくない。
火を起こす手順の一番最後に、信じたくない一文があった。
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*注 元の世界に戻ることは絶対にないので、安心して異世界を楽しもう!
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安心の概念が違う気がする。
母が送ってくれたチーズを食べ、父が送ってくれたビールを飲み、紗良はそのままゆっくりと眠気に身をゆだねた。