15
さすがにもう叫ばないし、我ながら落ち着いたものだ。
目の前の獣に対し、紗良は、無意識に後ずさりながら声をかけた。
「動かないでね!?」
じりじりと、背中を向けないようにしながら、部屋に入る。
そして、密閉ジッパーバックを冷蔵庫から出し、キャベツと調味料を持ってもう一度外に出た。
すぐ逃げ込めるよう、ドアは開けたままにしておこう。
「絶対動かないでね!」
獣、いや、魔物に小声でお願いしてから、調理台に立った。
空いているほうのコンロに火を入れる。
魔物が動かないか、ちらちら確認しながらだったが、そいつは四肢を体の下に折り込んでうとうとしはじめた。
ほっとする。
持って来たパックの中身は、豚バラの塊だ。
これを、厚めにスライスしていく。
キャベツもざくざくと切る。
魔力が上がったためか、着火に加えて吐息で火力調整が出来るようになった。
隣の無水鍋に比べて、強火で調節する。
フライパンにごま油を熱し、しょうがと豆板醤を入れて、香りが立ったら豚バラとキャベツを入れる。
がつがつ炒めて、仕上げに酒と甜面醤に醤油を少し、果てしなくいい匂いがしてきたら出来上がり。
丁度、炊き込みご飯もいい具合だ。
蒸らしている間に、火を落として、調味料だけ片付けておこう。
そういえば、と考えて、部屋から戻りがてら資材置き場に向かった。
置きっぱなしの錬金釜にステンレスを入れて、呪文を唱える。
中から引っ張り出したのは、一抱えもある金属ボウルだ。
ただ、底面が広く平たくなっている。
紗良は、それを二つ作り、かまどに戻ると、極厚豚バラ回鍋肉を四分の三ほどよそう。
無水鍋の蓋を開けると、ふわりときのこの香りが立ち上った。
底から混ぜ返すと、おこげが出来ている。
焦げた醤油ほど、紗良を幸せにするものはない。
それを半分ほど、二つ目のボウルに盛り付け、少し迷ってから、石のテーブルに並べて置いた。
「ええと……」
なんと言って勧めたものか、と言い淀む紗良をしり目に、魔物はのっそりと、だが素早く移動し、ボウルに顔を突っ込んだ。
いいでしょう。
これは、豚を持ってきてくれたお礼だ。
存分に食らうがいい、と、そっと後ずさりながら頷いた。
紗良も、自分の分を盛り付け、ビールとともにチェアに座った。
思いついて、ファイヤーピットにたき火を起こす。
性能のほうはわからないけれど、まずは使えているようだ。
ちなみに、丸く形成するのはとても難しく、仕方ないので六角形に作ってある。
もちろん魔物のボウルも歪んでいるが、そちらには目をつぶった。
まあ、後で作り直しておこう。
陽が落ち、少し肌寒かったが、たき火のおかげで丁度良い温度になった。
分厚い豚バラを一口。
魔物のために多少辛さを抑えているが、その味付けはビールに最高に合う。
しばらく食事を堪能していると、どこからか低い振動が聞こえてきた。
なんの音だろう。
紗良は聞きなれない音に怯え、腰を半分浮かせた。
その状態で、どこから聞こえるのか、耳を澄ませる。
きょろきょろするうち、どうやら、音源は、石のテーブルを挟んだ向こう側だと気づく。
魔物だ。
喉のあたりから聞こえてくる。
威嚇だろうか。
固まったまま目線で確認すると、器はきれいにからっぽだ。
足りなかったのだろうか、それとも美味しくなかったのだろうか。
そっと伺うと、魔物は前脚を舐めては口元をこすっている。
ごーご、ごーご、という音は、魔物の呼吸に合わせるように響いた。
なんの音か全くわからないが、機嫌は悪くなさそうなので、またゆっくり腰を下ろした。
野生動物とは目を合わせてはいけないらしいので、たき火を見つめながら無心でビールを飲んだ。
ふと目を覚ます。
体中が痛い。
すわ、魔物に襲われたか、と慌てたが、起き上がった場所は、なぜか自室の玄関だった。
いててててて、と呟く。
時計を見ると、朝だった。
ゆうべの記憶を必死で思い出そうとしたが、全く覚えていない。
外へ出てみると、昨日、たき火周りで料理したり食べたりしたまま、手つかずで残っている。
よく分からないが、多分、寝落ちした気がする。
威嚇音かと思った魔物の発する音が、異常に心地よかったのだ。
あれを聞いているうちに、おそらく、寝た。
そして、魔物が部屋まで運んだ。
それ以外考えられない。
油断しすぎで、自分で自分が信じられなかった。
紗良は、反省をしながらのろのろと後片付けをし、炊き込みご飯の残りの匂いをちょっとかいで、いける、と踏んでおにぎりにして食べた。
ファイヤーピットの薪は、なんだか、燃え残りが多い。
不完全燃焼かもしれないから、底の近くに、風の通る穴をあけたほうがいいかな?
驚いたことに、外に出しっぱなしだったまな板と包丁、そして無水鍋の三つが、部屋に新たに出現していた。
リセット機能が働いたのだと思われる。
「その時」に部屋にないものは、補充される?
これは便利だ、覚えておくべきだろう。
お腹が満たされたので、動き出すことにした。
まず、森の地面にころがっている、木の皮の塊を沢山とってくる。
半分は焚き付け用に溜めて置く。
そのための木箱は、以前作ってあった。
残りの半分を、錬金釜に入れた。
「うまくいくかな」
半信半疑ながら、呪文を唱えた。
期待しながらひっぱりだしてみる。
出来上がったのは、細く裂いた木の皮で編まれた、平たい、浅い、カゴだ。
紗良が見知っているものは、竹ひごで出来ている。
しかし、この世界、あるいは少なくとも近隣のエリアで竹は見かけたことがない。
つる類はあるかもしれないが、まずは手近な材料で試してみたのだ。
思ったより、目の詰まったカゴになった。
材料が竹ひごであるものに比べて、かなり重い。
風通しはどうだろう?
目視できるくらいの網目ではあるので、使えないということもない。
紗良は、それに、昨日採ったきのこを広げて並べ、天日に干した。
しっかり乾燥させれば、一年はもつ。
そして今日はもうひとつ、やりたいことがある。
すっかり定位置と化した、チェア周りの改造だ。
たき火を地面ではなくピットを使うようになったため、ずっとやってみたかったことに挑戦する。
憧れのウッドデッキだ。
まずは、長くお世話になった石のテーブルこと、ただの平たい大きな石をよける。
もちろん魔法だ。
運搬を使って、さらに周囲の石をどんどん移動させていく。
とりあえずは、調理台の裏の方に積んでおくことにする。
土がむき出しになったら、次に、ガラスと木とオイルを釜に入れて作った水平器を使って、地面を平らに均していく。
最初は木材を横にして引きずるように使っていたが、ちっとも進まないので、鉄で大きなブレードを作って換えた。
地面をごりごり削ってある程度のところにきたら、さっきまでテーブルにしていた石をさかさまにして、どすんどすんと持ち上げては落とす。
水平を測って、出ているところをつぶす。
それが終わったら、錬金釜で製材し、防水材の代わりに指定されたこげ茶の植物の汁を塗って、厚めの横木の上に綺麗に並べていった。
そして、新たに覚えた弾丸の魔法で、長い釘を打ち込んでいく。
もう一度水平を測り、石の元テーブルを押し付けるようにして最後の仕上げをした。
10畳ワンルームくらいの広さになった上に、ファイヤーピットとチェア、焼き肉をする名前の知らないアレを並べて置く。
なんたるおしゃれ。
ちょっと寂しいけれど。
【木工】のレベルは32だ。
もう職人と呼んでくれても構わない。
紗良は嬉しくなって、予定外だったが、サイドテーブルを作ることにした。
メインテーブルはまた後で作るとして、まずは小さいものを。
鉄材を長い四角いパイプにし、それをコの字に二本形成する。
並行に並べたその上に、木のテーブルを作って固定した。
がたがたした。
あの黒い魔物のために作った食器ボウルを潰しては生成、潰しては生成し、【鍛冶】のレベルを上げることで、綺麗な丸いボウルが出来たし、がたがたしないサイドテーブルの脚もできた。
ついでにファイヤーピットに空気穴もあけておいた。
悔しさだけで午後一杯をレベル上げに使ってしまった。
紗良は疲れ切って、部屋に戻る。
食パンにハムとチーズをのせてマヨネーズと塩コショウをちょちょっとふって、折りたたんで食べた。
そして、そのまま、ベッドに潜り込む。
布団はいい。
全てを癒す。
安全で暖かい布団の中で、紗良は幸せな夢を見る。
紗良ちゃんも死にませんので!