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コンテナに土を入れ、その上に、靴の箱から出したハーブ類を載せる。
根っこごと掘り出しているから、根付かないということはないだろうが、育つかどうかは別だ。
そして、早くもひんやりし始めた空気を感じ、今から菜園を作るのはちょっと無理そうだ、と考える。
日本で言えば、秋の始めといったところか。
来年の春に何か作り始めるならまだしも、今からでは収穫までに冬が来てしまうだろう。
やはり、食料を集めて保存食にするほうが良い。
とはいえ、部屋にある分だけで、飢えるということはないのだから、さほど差し迫った話ではなかった。
豊かな食卓のためには必要、というだけ。
紗良は、旬にはちょっとうるさい。
母親に教え込まれた、という訳ではないが、その影響を受けていることは否定できない。
紗良の母親は、料理学校を経営している。
元々料理好きで、家では斬新なメニューよりも、基本の料理を好んだ。
母がいない日はお手伝いさんがいたし、紗良は自宅で包丁を握ったことはないが、彼女たちの傍でよく調理の様子を眺めていたものだ。
一人暮らしを始めてから、ようやく、見よう見まねで料理をするようになった。
実践経験のなさが、結局、シンプルチャーハンとか目玉焼き丼とか、独身サラリーマンのような食卓になって現れている。
舌だけは肥えているので、やっかいだ。
父親も、別の会社を経営していて忙しそうだったが、母が作るとなれば必ず夕食に間に合うように帰ってきていたものだ。
とても、恵まれた生活だった。
そのことに気づいたのは、大学に入ってからだったけれど。
恵まれた生活が、他人から見れば妬ましいものだということも、その頃に初めて知った。
だから、きっと、自分は異世界に──。
紗良は頭を振って、家族について考えるのをやめた。
ふと、川が、目に留まった。
こちらに来てから毎日見ている、川。
「魚、食べたいな」
冷蔵庫には、塩鮭と冷凍のタコ、あとは実家から届いたホタテとたらこがある。
それ以外に魚介類はなかったと思う。
あとで冷凍庫をちゃんと漁ってみよう。
いずれにしても、川魚は魅力的だ。
紗良は、川岸に寄ってみた。
手前は砂地になっていて、ゆるい内カーブだが、外側に行くほど深く急流になっているのが分かる。
とはいえ、流れは全体的に弱く、かなり下流であることを感じさせた。
紗良は釣りをしたことがない。
釣り竿も持ったことがないので、構造が分からない。
ステンレスの化学構造を知らなくても錬金できたように、釣り竿も出来るだろうか?
ためしに、木と適当な金属インゴットを放り込んでみた。
呪文を唱えたが、いつもの手ごたえはない。
釜を開いてみると、材料がそのまま残っていた。
「うーん、ほんのイメージすらないもんな、釣り竿とか……」
あの手で巻く部分とか、糸が先端までどう渡っているのかとか、全く想像も出来ない。
絵に描けと言われたら、浦島太郎が持っていたような竿しか描けない。
「……それでいっか」
紗良は釜の中身を一度取り出し、木材とインゴット、それから、鉱石を運び焚き付けを拾いセメントを入れて使いつくした、スーパーのビニール袋を代わりに入れた。
「生成」
ぼっふん、と音がして、紗良は蓋を開けた。
手を入れて触れたものを、にゅーっと引っ張り出す。
しなる竿の先端に、ナイロンの釣り糸が付いていて、その先に返しのついた釣り針がぶら下がっている。
うん、これでとりあえず。
紗良は竿を担いで、新しいビニール袋をポケットに入れ、川に再び近づいてみた。
どうだろう。
覗き込んでみるが、魚の気配は感じない。
イメージだと、上流のほうがいそうな気がする。
あまり部屋から離れたくはないが、少しだけ、川岸を上ってみることにした。
対岸は、かなり深く藪が生い茂っている。
反して、こちらはひらけていると言えるだろう。
5分ほど歩いていくと、随分と大きな岩が立ちふさがった。
下流だと思っていたが、こんなサイズの岩があるなんて。
とはいえ、高さは1mほど、そして上面は平たくなっている。
ちょうどいい。
紗良はその岩をよじ登り、ふちに足をかけて座ると、ビニールが入っているのとは逆のポケットから、魚肉ソーセージを取り出した。
歯でビニールを開け、少しちぎって針につけると、ひょいと川面に投げ入れる。
そうして、紗良は、じっと待った。
聞こえるのは、川のせせらぎと、遠くで鳴いている鳥の声だけだ。
太陽は高い位置にあり、十分に暖かい。
まあ、魚が釣れるなんて思ってなかった。
けれど、いつかは釣りたいとも思っている。
そのためには、竿をどう改良しようか、考えなければならないだろう。
手始めに浦島太郎の竿を作ってみたが、アイディアはまだ浮かんでいない。
どのくらい経っただろう、ぼうっとしていた紗良は、竿に今までなかった手ごたえを感じた。
小刻みに振動がくる。
これは……アタリというやつだろうか?
全く分からない。
その時、ぐっと竿が引かれ、紗良は慌ててすっぽ抜けそうなそれを強く掴む。
次の瞬間、手ごたえはあっけなく消えた。
針を引き上げてみる。
「ギョニソなくなってるじゃん」
何かがいる。
紗良はがぜん、やる気になった。
少し乾いて固くなったソーセージをちぎってつけ、二度目の投入だ。
目を凝らしてみると、水面に小さく跳ねるものがある。
何かがいる!
ツン、と何度かアタリがきた。
紗良はじっと我慢し、ぐいと引かれる瞬間を見極め、竿を跳ね上げた。
「あっ」
魚の全身が見えた。
水面にきらりと光り、そして、手ごたえの消失とともにぽちゃんと水の中に落ちていく。
「あああああー」
いける。
がんばればいける。
紗良はそれから、ソーセージをつけては投げ入れること15回、もうそろそろ一本なくなってしまうと焦りだした。
っていうか15回も釣りそこなってまだ食いつく個体がいるとか、警戒心なさすぎて間抜けな魚ではないか?
「その間抜けな魚すら釣れないなんて、私は……?」
そしていよいよ16回目。
ぐっと引かれた竿を、ほんの少し置いてから強く引き上げる。
重みは消えなかった。
左に振り回すように引っ張り上げると、きらめきと水しぶきと共に、魚が河原にぴしゃりと落ちた。
紗良は急いで、岩を降りた。
思ったよりも大きい、30cmはありそうな太った魚が、ぴちぴちと跳ねている。
イワナに似ている。
一応、マニュアルを開いてみる。
案の定違う名前が付いているが、食べられることさえ確認できればそれでいい。
紗良はそれを勝手にイワナと呼ぶことにした。
少し迷ったが、素手でがっしりと魚を掴み、口から針を外す。
返しが引っ掛かったが、手首を返すようにすると綺麗にとれた。
それをビニール袋に入れ、意気揚々と自分の部屋へと帰った。
魚は何度かさばいたことがある。
鱗と匂いの処理でいつもげんなりするので、今日は外にまな板を持ち出した。
川の傍に座り込み、包丁の背で鱗を引く。
頭を落とし、内臓を取り除いて、全部まとめて川に流した。
多分いろいろとダメな行為のような気がしたが、日本でもなければ人もいないので気にしない。
「……この川の水、飲める?」
マニュアルに聞いてみる。
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<飲料水問題>
現在住んでいるエリアの川は、人体に害のないレベルです。
ただし、日常的に飲料水にするのはお勧めしません。
水が引きたい場合、井戸を掘るか、魔法を使いましょう。
*水を出す
手のひらを向けて 流水
*攻撃する
人差し指を向けて 貫通
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現代日本よりかは大分綺麗なのだろう。
紗良は、川の水で魚の血とまな板をすすぎ、流水の魔法で仕上げ洗いをすると、中骨に沿って三枚におろした。
まな板ごと、イワナを調理台まで戻って来た。
それにしても大きい。
紗良にとっての川魚のイメージは、小ぶりで串に刺してたき火で焼くものだ。
紗良は部屋から調味料と、それからコンテナに植え付けたハーブの中からローズマリーを摘んできた。
かまどに火を入れ、フライパンをかける。
軽くオイルをひいて、スライスしたニンニクと、ローズマリーを入れる。
ぱちぱちと気持ちの良い音を聞きながら、さばいたイワナに塩コショウと小麦粉をはたいた。
香りが立ったところで、フライパンにバターを追加する。
オイルを先にいれておくことで、バターが焦げるのをふせぎ、キツネ色になったニンニクとハーブを引き上げる。
そこに皮目からイワナを入れた。
幸せな匂いがする。
紗良は急いで、ビールを取りに行った。
ツマミ用の煎っておいたクルミと共に戻り、イワナの様子を見ながら、ひっくり返して両面を焼く。
焼き上がりを見て、ニンニクを戻し、フライパンごと石のテーブルに運んだ。
ちょっと食べにくいが仕方ない。
そうだ、ここで食べるのに使えるちょうどいいサイドテーブルを作ろう。
そのうち。
箸でほぐして、カリカリの皮と一緒に口に入れる。
臭みがなく、ニンニクとバターに負けない魚の味がちゃんとする。
川魚独特の身の舌触りと歯ごたえがとても良い。
ビールを飲む。
ふと見ると、月が出ていた。
夕暮れから夜に移る特別な時間だった。
少し肌寒かったので、たき火を設置する。
そうだ、たき火用の薪も貯蔵しておかなくては。
枝ではなく、幹を使うとすると、やはり乾燥させなくては駄目なのだろうか?
あとでマニュアルノートに聞いてみよう。
今はただ、月を眺めながら、たき火のはぜる音を聞く。