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ミネットは、何度も頭を下げる侍女に連れられ、帰って行った。
引きずられていった、というのが正しいかもしれない。
さすがに、平民との食べ歩きは許されないらしい。
結局、紗良とアンナで、二軒ほどはしごした。
今回はどちらも煮込み料理の店で、片方はトマト、片方はコンソメのようなスープだったが、中身はどちらも魚だ。
いずれも白身の魚で、ぎゅっと締まった肉質ながら、実に柔らかく煮てあった。
鯛のような、ノドグロのような、魚本来のうまみがある。
「この魚を買って帰りたいのだけど」
「パルスね、美味しいわよね、分かるわ。でも、鮮度的にちょっとアレだと思うわよ。なにしろここは、海からそう近いわけじゃないから。
店に瓶詰があったでしょう、あれの方が良いのではないかしら?」
海が近いわけではない、という話に、少し驚く。
それにしては、昨日今日と、魚料理にも多く触れたと思う。
「鮮度は問題ないの、保存の魔法をかけて持って帰ればいいから。
ねえでも、海が近くないのに、どうやって魚を街におろしているの?」
「ああ。それはね……」
「ようこそ魔法使い様!」
大きな屋敷、大きな正面扉、その前には噴水まである、典型的な立派なおうち。
紗良が、アンナとともにスーシェル家の馬車で到着すると、彼女はすでに、外で待っていた。
「こんにちは、ミネットさん」
「お待ちしておりましたわ! うふふ、我が家自慢の港をご覧になりたいなんて、魔法使い様はお目が高いのです!」
アンナの住むこの街は、侯爵領なのだそうだ。
王都から大分南に下がった土地で、侯爵自身はほとんど住んでいないそうだが、領は広く裕福だ。
そのため、近隣の貴族の子女は、王都ではなくこちらの学園に通っている。
ミネットなどはその例だ。
そして、王立ではないために、侯爵の裁量で、優秀な平民もまれに合格することがあるという。
それがアンナだ。
それはさておき、ミネットの自領はここの隣。
そこが海に面しているらしい。
「うわ、速い!」
「そうでございましょう?」
アンナのいる街が、魚を比較的入手しやすいのは、どうやらミネットのおかげだという。
「海の近くで育ちましたもので、どうしても海のものを日々食べて暮らしたいのですわ。
父にお願いしましたら、多少勉強した値で特別にこの領に卸そうと言ってくれましたの」
ということで、ウィンザーネ伯爵の計らいで、手ごろな値段で魚料理が食べられるそうだ。
手ごろといっても、庶民がやすやすと食べられる程ではないそうだ。
アンナが連れて行ってくれた店は、いずれも平民向けではなく、裕福な商売人やある程度の地位にある者しか出入りしない。
輸送がいかに難しいかを表しているだろう。
この輸送が、ウィンザーネ領の強みである。
今、紗良達が乗るのは、ミネット用の馬車だ。
ただの馬車ではない。
引いているのが馬ではなく、半魔獣だという。
どうりで、ヴィーの鼻息が荒いわけだ。
「半魔獣というのは、人工で生まれるの?」
「いいえ、とんでもない。魔獣に人の手を入れられるはずがございませんわ。
これらは、偶然の産物ですの。
森に馬を逃がしてしまったことがありましてね、魔獣が出るので可哀そうに探しには行けなかったのですが、一週間ほどしてふらっと帰ってきたのです。
腹に子を宿しておりました」
うーん。
ミネットは意味が分かっているのかな?
ちょっとしんどい話のように思うが、さらりと話している様子から、詳しい意味は分かっていなそうだ。
「生まれたのが、この子です。
普通の馬よりも大きく、強く、速く走ります。
今ではこの半魔獣が、領に10頭ほどおりますの。
魚介類を他領に高値で売れるのは、この子たちのおかげなのです」
いやもうそれは、領地の経営のかなりの部分を半魔獣に頼っていることにならないだろうか。
「ヴィー……絶対に、絶対に、食べちゃ駄目よ、お願いだからやめてね?
とんでもない賠償金を払う羽目になるかも」
小声でフードの中に囁きかけると、ひときわ大きな鼻息が返ってきた。
分かってるのかな、ほんと。
そのまま、三人で美味しいものの話などをして、途中に一度休憩を入れて、四時間。
通常ならまる二日かかるというのだから、この馬車の速さが知れる。
転移ほどではないが、それでも、商売の形を変えそうなほどだ。
今は数がいないとしても、運用の方法は数知れない。
まあしかし、人を運ぶのには向かない。
いくら馬が優秀でも、馬車は結局は馬車だ。
ミネット用にかなりクッションを敷き詰め、車輪にも工夫をこらしているようだが、揺れは相当なものだ。
ただ、他領が同じように真似をして、大人しくない半魔獣を生み出してしまうのではないかという懸念はあった。
一応、後で教皇様に伝えておこう。
「さあ、紗良様はきっと、まず港をご覧になりたいでしょう!」
この四時間で、魔法使い様ではなく、紗良と呼んでもらうことにした。
そして、港が見たいのもその通りだ。
速度を落とし、やがて馬車が止まる。
扉が開くと、踏み台が置かれ、御者が手を貸してくれた。
「わあ」
紗良にとって、海は身近ではないが、遠いものでもない。
故郷では、車で一時間ほど走れば海に出た。
泳ぐ習慣はあまりないが、砂浜でのキャンプは良くしたものだ。
今、ウッドデッキにあるキャンプ用チェアは、ホームセンターで買ったものだが、家にはキャンプ道具もそれなりに揃っていた。
懐かしい。
海でもBBQじゃなく、ジンギスカンなんだよね。
「右手の大きな入り江が、外洋船用の港です。
そして岬を挟んで向こうが、漁港になっております。
あちらのほうが、水深が浅いのです」
港はとてつもない活気だった。
大型船を乗り降りする船乗り達は、胴間声をはりあげて荷運びをしているし、奥からはひっきりなしに荷車で魚が運ばれてくる。
女たちがそれを仕分け、子どもたちがその隙間を走り回って小遣い稼ぎをする。
「すごい……」
「ええ。自慢の領民たちですの」
目を細めて彼らを眺めるミネットは、鼻の穴が膨らんでいる。
ところで、ずっと黙っているアンナはどうしたのだろう。
そう思ってちらりと彼女の顔を見る。
こちらも鼻の穴が広がるほど、鼻息が荒かった。
「きょ、興味深いよね、アンナ?」
「……ええ! 本当に!」
思えば、彼女はお嬢さん育ちだし、そもそも都会育ちだ。
こんな雰囲気は初めてなのかもしれない。
「あら! そうでしょう、アンナさん、気に入っていただけて!?」
「はいミネット様! すごく……すごくいいですね!」
あのアンナが語彙を失っている。
どうやら魅了されたようだ。
「一般人が直接買うことはできるの?」
「勿論ですわ! それでは、市場にご案内いたしましょう!」
市場も相当な活気だった。
ミネットによれば、これでも落ち着いた時間帯なのだそうだ。
異世界でも、魚の水揚げは早朝で、その頃が一番殺気だっている、と。
商人の仕入れがその時間なのだろう。
紗良は、状態の好さそうな魚介類を好きなだけ買い、保存の魔法をかける。
「……うらやましいですわね、私が魔法を使えたなら、我が家ももっと発展いたしますのに」
「魔法が使える人で、そういう仕事をしている人はいないの?」
「いませんわね。実用に耐えるほど魔力のある方々は、国に登録されて、そちらでお仕事をなさいますの」
国で雇いきれるほどの数しかいないのか。
そう思えば、やはりフィルが教皇候補というのは、納得できる話なのかもしれない。
「大荷物ですわね。とりあえず、我が家へ参りましょうか」
ミネットの誘いに、紗良達はありがたくのることにした。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
「お客様のおもてなしをお願い。私は着替えます」
当たり前のように、今日はお泊りだ。
それぞれの部屋に案内され、後ほど茶席に呼びに来ると言い残し、荷運びの従者とメイドがそろって退室していく。
「うーん、確かに買いすぎたかも」
運び入れられた魚は、木箱に入れられている。
保存しているので匂いもないし、床も濡れることはないが、生理的に気になる。
ヴィーは、早速そのうちの一匹を、勝手に魔法解除して食べ始めた。
「ちょっとヴィー、臭いがしちゃうから外でやって!」
ちらっ、とこちらを見た黒猫は、あっという間に魔物の姿に戻ると、魚をぺろりと一口で丸呑みした。
それから、また、しゅるんと黒猫に戻る。
物足りなそうだ。
「もう駄目!」
発泡スチロールの箱が欲しい。
あの、よく魚が入っているあれ。
三つほど欲しい。
そう考えていると、お腹のポケットに入っているマニュアルノートがもぞもぞしはじめた。
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〈空間収納〉
荷物を預けましょう。
制限も上限もありません。
なんでも預けられます。
預けている間は、時間が停止します。
預ける時には魔力を消費しますが、預けている間は消費しません。
女神の懐
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以前、萌絵が言っていた収納魔法のようだ。
やはり、女神のいる空間に荷物を転移させる魔法らしい。
「……」
この魚たちが、女神の横に積み重なっている光景を想像し、紗良は笑いを必死にこらえた。




