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美味しいものを食べたい、という紗良の希望を、アンナは覚えていてくれた。
約束通りの日に訪ねた、その日のうちに、はりきって街へと連れ出された。
紗良だって、望むところだ。
時間は昼時で、朝はコーヒーだけだったし、やる気は十分ある。
「以前に来てくれた時には、新しいお店に付き合ってもらったでしょう?
だからね、今回は、この領地の伝統を味わってもらおうと思っているのよ。
新しい味ではないけれど、引き継がれてきたということは、まあそれなりに美味しいからではないかしら? ねえ?」
そう言いながら、まずはカフェのような小さな店を案内される。
牛肉をパイで包んだものや、魚のフライを勧められ、片っ端から食べた。
時々、フードの中のヴィーに欠片を差し出すと、音もたてずに一瞬で消えていく。
ヴィーも気に入ったらしい。
「美味しい」
「良かった! ほら、こういうのって素材も大事だけれど、基本の味付けってあるものね、基本になるものよ、出汁とかそういうものね。
そこが合わないともうダメだけれど、逆に言えばそこさえ合えば食べられないってことはないわよね!」
「動物性の出汁に、香辛料だね。美味しいよ」
味は濃いめだが、伝統料理ということはきっと、腐敗防止の意味もあるだろう。
臭み消しとか。
輸送に関して発達しても、手順は変わらないのが伝統というやつだ。
きっとビールに合うだろう、と思ったが、やめておく。
アンナがアルコールを飲んでいるところを、見たことがないので、きっと習慣にないのだろう。
店をはしごし、今度はひき肉のパイを食べる。
うーん。
ビール飲みたい。
かなり香辛料が効いているし、中身がたっぷりだ。
外側のパイもバターの香りがしっかりして、塩っ気が感じられる。
「お嬢さん、ワインはいかが?」
見かねたのか、店主がそう聞いてくれた。
「あらそうね、きっと味が引き立つわね! どう、紗良さん、飲むかしら?」
「うん、ぜひ」
「ではワインと、ガス水をひとつずつ」
やはり飲まないらしい。
炭酸水を頼んだアンナは、上品にそれを飲みながら、次の店に考えをめぐらせているようだ。
紗良は、待ちに待ったワイングラスを、同じように上品に飲む。
それでもあっという間に空いたが、すぐに店主が二杯目を注いでくれた。
「お腹の具合はどう?」
「そうだなあ、パイ系が多いからちょっと満腹が近いかも」
「分かったわ、じゃあ今日はあと、甘いものでおしまいにしましょう!
申し訳ないけれど、我が家でも紗良さんを歓待しようとディナーの用意があるの。
シェフのためにも、余力を残しておいてほしいのよね!」
おう。おk。
翌朝、紗良は朝食を遠慮し、紅茶だけ部屋に運んでもらった。
なんとも優雅だ。
しかも、ヴィーのことを承知してくれているため、ゆで鶏とミルクを別に用意してくれるまでした。
至れり尽くせりで素晴らしい。
まあ、当のヴィーは、味のない肉をもそもそと食べており、ちょっと不満そうだったが。
仕方ない。
この家の人たちには、正直に魔物と言うわけにはもちろんいかないので、猫で通している。
きっと明日は、ゆでた魚が出されるだろう。
支度をして階下に降りていくと、アンナがサロンで食後のお茶を飲んでいるところだった。
隣にはスーシェル夫人もいる。
「おはようございます」
「おはよう!」
「おはよう紗良さん、紅茶はいかが? 軽食を用意させましょうか?」
夫人がおっとりと気遣ってくれるが、慌てて手を振る。
「ありがとうございます、でも、今日の食べ歩きのためにお腹を空けておきます」
アンナがくすくすと笑う。
さすがに、昨日は食べすぎた、という自覚があるらしい。
「ではコーヒーは?」
「えっ。それは嬉しいです、いただきます。ブラックで」
「ぶらっく?」
「砂糖もミルクも入れないで飲みたいです」
「まあ。そうなの?」
執事の手で運ばれてきたコーヒーは、やや雑味があるけれど、いい香りだった。
何より、濃くて熱い。
素晴らしい。
「あー……」
体が目を覚ます感じがする。
「まあまあ。そんなに美味しそうに飲んでくださるなら、アンナ、今日はうちの店にご案内してみてはどう?」
「いい考えだわお母さま。
どうかしら紗良さん、本店のほうには、珍しいものが結構そろっているの。もちろんコーヒーもあるわ。日によるけれど、5種類はあるはずよ!
果物や菓子類もあるし、ワインもある!」
紗良は、体を起こし、頷いた。
「ぜひ!」
紅茶とコーヒーをそれぞれが早々に飲み干し、早速出かけることにする。
店に行くことに意味があるのか、アンナは少しドレスアップし、馬車も用意された。
いわゆる社長の娘、という立場だから、迂闊な恰好は出来ないのかもしれない。
到着したのは、貴族街のようだった。
通りには馬車が走り、お付きのいる男女しか歩いていない。
その中でも、アンナの家の店はかなり規模が大きい。
ドアマンがいて、出迎えの言葉とともに丁寧に中に案内される。
中は広く、商品棚の並ぶフロアの奥には、個室らしきブースがいくつか並んでいた。
「すごい。立派なお店」
「ありがとう! 私の案も取り入れられているのよ、そう言ってもらえると嬉しいわ」
「もう経営に関わってるんだ。すごいね」
「うーん、ええ、実のところ、すごくはないわ。普通ならばとうに働いている年齢なのですもの。
学生だから、多少の猶予を貰っているの。だから、どちらかといえば、すごくないといえるわ」
自分よりも年下の少女に言われ、紗良は微妙な気持ちになる。
ある種、日本の大学生と同じかもしれない。
働いている子もいれば、学生だからと猶予を貰っている者もいる。
「あら。アンナさんじゃない。お店のお手伝いなの? 感心ねえ」
棚の商品を眺めていると、個室のドアが開き、すぐにそんな声が聞こえた。
反射的に振り向くと、いかにも貴族のお嬢様といったふうな少女が、尊大な表情でアンナの前に立っている。
「エンバーグ伯爵令嬢、このような店に足を運んでいただきありがとうございます」
アンナは、落ち着いた声でそう答えた。
「いいのよ、クラスメイトが汗水たらして働いているのですもの、ちょっとばかり売り上げに貢献して差し上げるのも、貴族としての務めだわ。
そうね、でも、なかなか買うに値するものが見つからなくて苦労しているの。
あなた、何か見繕ってみせなさいよ」
「ええ、かしこまりました。
……ごめんなさい紗良さん、しばらくご自由にご覧になってね」
にこりと微笑まれ、その内心が読めないにしろ、紗良は頷くしかない。
しかし、相手の令嬢の視線は、すかさずこちらに向いた。
「あら、ご友人? 平民同士、気が合うのかしらね。
ふふ、変わった格好をなさっているけれど、どちらかの劇団の方? それとも、異国の旅芸人かしら?」
「テリア様、どうかその方にはお構いになりませんよう。大切な客人ですので」
「……面白いことを言うのね」
途端に、テリアは目を細めて不満をあらわにした。
「私に指図をするというの? その奇妙な客人とやらのために?
ふうん。そう。
あなたがそのような態度だったこと、お父様に相談してみるわね?」
珍しく、アンナが少し困った顔をした。
おそらく、アンナ自身ではなく、店の信用に関わる話に発展しそうだからだろう。
私なら構わない、と声をかけようとしたとき、正面の扉がドアマンによって開かれ、新しい客がやってきた。
全員の視線を集めて入ってきたのは、やはり同じ年頃の貴族令嬢だ。
「……あら、何かの集まりでいらしたの?」
おっとりと声をかけてくる。
すぐに、アンナが同じように柔らかい笑みを浮かべ答えた。
「いいえ、テリア様に商品をお見せしようとしていたところです。
改めましてようこそ、ウィンザーネ伯爵令嬢様」
「いつもの通り、ミネットと呼んで構わなくてよ。……あら」
物静かなミネットは、紗良に気づくと、すぐに近くにやって来て礼をした。
それも、片足を引いて腰を深く折る、正式な礼だ。
「こんなところでお会いできるとは光栄ですわ。こちらへはお忍びですの?」
丁重な挨拶を受け、さすがに慌ててしまう。
アンナは苦笑しているし、さっきまで居丈高だったテリアは目を丸くしている。
「あの……どちらかでお会いしましたか?」
「ああ、いいえ、以前に王都で、神官長様とご一緒のところをお見かけしましたの。その時と同じ、魔法使い様のお姿でしたので」
「そうでしたか。良かった、見忘れたのかと。
ええと、こちらへは、友人のアンナに会いにきました。
街を案内してもらおうと思って」
「それはそれは、アンナさんはそういう意味でとても適任ですわ。平民街も貴族街も、どちらも彼女の庭のようなもの。
知りたいことや欲しいものについて、尋ねればすぐに答えがあるのです」
紗良は、嬉しくなって笑った。
フード越しなので、口元しか見えていないだろうけれど。
「そのアンナさんは、テリア様の接客でお忙しいのかしら?
良ければ代わりに私が、簡単ではありますが特産など説明いたしますわ」
ミネットがおっとりと首を傾げ、アンナとテリアに視線を投げる。
テリアは、胡散臭げな顔をしている。
「……ミネット様、そちらの者は、」
「まあ! テリア様、そのような呼び方をして……! 失礼過ぎますでしょう、なんということを……申し訳ありません、半身様」
はっきりと呼び名を口にしたことで、テリアも何かに気づいたらしい。
分かりやすく動揺している。
「半身様……え、本当に……?」
「もう、テリア様ったら、もう、もう、口を慎んで下さいませ!」
「あ、その、ええと……私、用事を思い出したわ、帰ります!」
テリアは、アンナと紗良を高速で交互に見ながら、店外へ消えて行った。
後には、笑いをこらえるアンナと、呆れる紗良、そしてぽかんとしているミネットが残された。
「まあ……どうなさったのかしら、テリア様。ご用事って、急に思い出すものなの……?」
困惑しているミネットに、アンナが声をかけ、そのまま三人で店の中を見て回った。
確かに、珍しいものが沢山ある。
特に目を引いたのは、瓶詰だ。
口がコルクのような木で、周囲を蝋で封してある。
保存食なのだろう。
「これは、魚?」
「そうよ、遠洋の白身の魚をオイル付けにしてあるの。ハーブと一緒にね」
「こっちは?」
「それはドライトマトを、同じくオイル付けにしてあるわ」
「美味しそう」
紗良がよくやるのは、ほとんどが塩漬けだ。
ここでは、塩よりもオイルのほうが安価なのかもしれない。
「魔法使い様は、ワインはお好きですの? こちら、私のおすすめです」
「好きですね!」
「あら、それでは、この魚卵をお試しになっては? 私なんかは分かりませんけれど、父はその組み合わせが大好きですの」
「いいですね!」
わいわいと棚の間を練り歩き、ワインにつまみにコーヒー、焼き菓子なんかをどんどん買った。
なにしろ、アニエスの実家と、アニエスの兄の婿入り先の家、ふたつを最上級の呪文で浄化した礼金ががっぽり入ったのだ。
なんでも買える気分だ。
まあなんでもは買えないが。
商品は、なんとアンナの家まで届けてくれるらしい。
ちょっといいデパートのサービスみたいだ。
「そろそろお腹が空いたね?」
「本当ね! なにか美味しいものを食べに行きましょう!」
「あ、ミネットさんもどうですか?」
流れのままに誘うと、ミネットは飛び上がって驚いている。
「え。ごめんなさい、貴族のお嬢さんを誘ってはダメでした?」
「いいえいいえ、まあ、そう、ですわね、普通はしませんわ! でもほら。半身様のお誘いですし!
父もきっと許すと思います!」
うーん、でも、ミネットさん、後ろの侍女さんは、必死で首を振ってるよ?