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二話


フィルが生まれてから5年が経過した。


生まれてから5年も経てば、フィルはこの生活にも慣れていた。



元日本人のフィルからすると、生活は不便を極めている。


水道、ガス、電気、現代社会の基盤である全てのインフラがない。あるのは村に4つしかない井戸のみ。


近くの川水は生で飲むと腹を下すため煮沸する必要がある。夜は月明かりと蝋燭の灯火しか光がない。




食事には慣れたが、今でも美味しいと感じることは少ない。母エラの料理の腕の問題ではなく、食材の問題だ。


この村の主食は大麦から作られる硬いパン。


我が家には窯があるが、大半の村民は粉屋でパンを焼いてもらうため、手数料として大麦粉を取られて食卓はさらに寂しくなる。

そのため、粉屋は村の嫌われものだ。



移動手段は動物か徒歩のみ。服装はウールや綿、革製品で着心地は良くはない。




しかし、フィルは前世の窮屈な社会からの解放感を感じていた。


この村には忙しなく生きている人は見かけない。ここの村人は農奴ではなく、農民。彼らは貴族に与えられた仕事をこなせば、生きていける。



単純作業の労働力となれば、競争社会の中で周囲を気にして生きる必要はない。



ーーー思ってた以上に平和で長閑な村だな。






フィルはとっくに乳離れをして、足越しは成長した。


今まではロベルとエラと三人で川の字に寝ていたが、最近自分の部屋を貰えるようになった。



この世界の言葉も少しずつ話せるようになり、2足歩行で家の中を1人で歩き回り、家事など家の手伝いをしている。


三歳の年に言葉が少しずつ理解できるようになり、4歳を迎える頃には簡単な文字が読めるようになっていた。




文字を読むのには苦労した。最初は家にある児童用のお伽話『勇者ルソロスの冒険譚』をエラに夜に読み聞かせて欲しいとお願いした。

この読み聞かせから単語暗記と文法理解に努めた。



エラは最初はただ冒険譚が気になる少年らしいお願いだと考えていたが、フィルが文章や単語に注釈を付けると、悪魔に取り憑かれたのではないかと心配していた。



言葉は英語と基本的な文型同じであったため、フィルの習得は早かった。



──これも小さな子供の柔らかい脳かエラの優秀な遺伝子のおかげだろうな。



エラは息子の頭の良さに大分驚いていたが、変わった息子だと思われようと学習を諦めなかった。


誤魔化しながら、夜な夜な自分の部屋で学習をしていた。



フィルは焦りを感じていた。


テルルト村の識字率は低い。


村の大半は自作農だが、一家が領主に税金を納めれなければ土地を没収されて農奴となるしか道は無くなる。


そのため、村は子供を8歳くらいから本格的な労働をさせ始める。子供を遊ばせている余裕など皆無である。



文字など読めなくても村人は生きていける。しかし、元日本人としての矜持が警報を鳴らす。



今学習を怠ると勉強時間を確保するのが難しくなるだろうと考え、ごく僅かな学習教材から語学学習に励んだ。




言語学習の基礎を一通り終えるたフィルは見聞きした事や家にある僅かばかりの書物などから情報を集め、整理していた。





この世界では一日の時間は十二に区切られている。

日の出からで夜明け前で十二分割されている。


一日の時間が前世の12時間と体感では大差ない気がした。そして、一年は三百六十日と定められている。一月は三十日の十二月。週は五日。




また、読解力向上と情報収集を兼ねて、家の居間の棚に置いてある『ナザビア帝国史』という歴史を簡易的にまとめた書物を十日間で読破した。


歴史書であるため読めない文字は多く、その都度未知の言葉遣い、単語、言い回し、知識をエラに質問して、学んだ。




ナザビア帝国は中央大陸に存在していたルダン人が起源である。高い魔術適性を持ち、金髪に白い肌。


中央大陸であるため、歴史的にも様々な血が混ざり合っため現在の肌色は少し変化している。ルダン人は争いが絶えなかった。


そして、生き残った人々が旧アルカンタラ帝国が勃興。


現在の帝国はかつて中央大陸の覇権を握っていた旧アルカンタラ帝国が分裂し、中央大陸は戦乱の世となったらしい。

一度、新たな国が勃興するが数年で滅亡。


そこから中央大陸の西に位置するナザビア領が生き残り、ナザビア帝国を築き今に至ると。



興国から現在の皇帝で13代目であり、政治体制は帝政。帝国は中央集権寄りの単一国家であった。



そのため、民が使用している言語は厳密に定義すると、旧アルカンタラ帝国式の人族語らしい。帝国ではおそらく主流言語なのかな。



ナザビア帝国内での我が家の場所はラヴディ伯爵領の管轄東南部テルルト村。付近にはラヴディ伯爵領がある。



ある程度の大規模市街地らしく、おそらく方角的には北北西。



そして、この世界は様々な多種族で溢れている。肌の色どころか、人族以外にも存在する。


森人 魔人 鉱人 獣人など様々である。



ーーファンタジーの世界だ。



この世界には多数の民族、国家、宗教がある。言語や見目、考え方が著しく差異があるため争いや戦争は頻繁に勃発する。


街や村、主要街道以外では治安は悪く、衛兵や騎士の管轄外になると殺傷沙汰は多々耳にする。


生まれる2年前にもナザビア帝国東部と属国間での戦争があった。



また、帝国は戦争を頻繁に行う国ではあるが、現在の税金は重すぎない。


これは帝国が魔大陸の魔人族の国の一部領地の主権を奪い帝国から人材を派遣し、植民地として統治をしている。

彼らは重税を課されて、過酷な労働を強いられている。



──臭い国に生まれたもんだな。




フィルは家族についても把握し始めていた。



我が家は元々中央大陸東の国クレモベルト王国からの移民であった。


ロベルがラヴディ伯爵軍団から傭兵として雇われていた。

フィルが生まれる前に勃発した帝国の属国ラウゴラ国の反乱を鎮圧するのに一役勝った事で正式にテルルト村の用心棒として永住しながら、ラヴディ伯爵軍団から派遣される事になったのだ。



父ロベルは村の用心棒兼農家。

普段は農民として働きながら、稀に村に近づく魔物を狩っている。

無口だが腕前は良いらくし、村長から良い給金をもらっている。

そして、この世界の剣士はデタラメに強い。

こないだ、ロベルが自宅近くにある岩を剣で真っ二つにしていた。



──反抗期には絶対になれないな。



母エラは家事をしながら、薬師としても活動していた。森などから材料を集めて薬を作り、ラヴディ伯爵領で薬を卸しているらしい。


以前、エラに「どんな薬を作っているの?」のと聞いたら傷に塗る薬だと答えてくれた。

そして、我が家にただ1人の魔術師でもある。使える魔術は水術だけだと言っていた。



祖父ダンケルは巌のような表情をしながらも、おれは見る目には優しさが溢れていた。

よく剣を使い身体を鍛え、母の薬の材料集めや畑の手伝いなどをしている。



おれは日に日にこの家族を大切にしようと考えるようになった。


ーーフィルとして生まれた。できる限り、彼らの子として精一杯生きよう。



*********



夏の暑さが残る秋口のある日、我が家では穏やかな日々に嬉しい出来事が起きた。エラの妊娠が発覚したのだ。


エラは月のものが来ないとわかると、直様知り合いの薬師に診てもらうと妊娠だと告げられた。


ロベルの顔は喜びに溢れ、エラをそっと包み込むように抱きしめながら「良くやった」と涙ながら呟いた。


巌のような顔のダンケルの目にも涙が流れていた。




その日の夜は細やかながら祝いの宴を催した。


我が家では普段あまり見ない、鶏肉の丸焼きや調味料が豊富に使用された鹿肉と芋の煮込み料理、普段より白く柔らかいパン、砂糖が使用された苺のジャム、葡萄酒と果実水が机の上に並べられた。



フィルは自身が再び兄なる事に不思議に思うと同時に来年にはこの家族に新しく増える兄弟に喜びを感じた。



*********



秋が終盤となり木の葉が末枯れ始めた頃、冬支度のために村中が慌ただしい雰囲気に包まれていた。



我が家でも、日持ちの良いイモ類等の農作物や小麦粉を密閉した木箱に入れて家の床下倉庫に仕舞い込む。


その後、ガーキンや人参を塩漬けの後に酢漬にしてピクルスを作る。


更に豚などの家畜は解体し始める。捌いた肉を塩漬けした後に燻製して、ベーコンなどに食肉加工するが、大半は干し肉として冬に向けて貯蔵される。



フィルは解体作業の光景は少し戸惑ったが、これから生きていくために目を逸らせないのだろうと考える。



前世は食肉製造業の人々が家畜を解体してくれて、嫌な物から目を逸らし食事を楽しんできた。こんな場所からは逃げたくなる。



そんな事を考えていると、エラはフィルの心情を察して頭を撫でる。



「見るのが辛かったら、目を閉じていいのよ」


「少し怖いかも」


「そう。フィルにはちょっと早いかもね」




毎年冬間近になると少し食卓は寂しくなる。普段よりパンが小さく、肉類等の食材は節約されていた。



冬籠り中は主要街道の道に雪が積もり、街に行く事が面倒になるため、生活品を蓄える必要がある。



しかし、ナザビア帝国東南部地域の冬は短く2ヶ月程。帝国内では恵まれた気候である。



ダンケルの話によると、3年程前にナザビア帝国北部の辺境村では驚異的な大寒波により、大飢饉が発生した。

その地域では厳冬を乗り越えるために、農奴が人を殺して肉を食べるカニバリズムが起きた。

禁忌を犯した農奴達は領地の貴族に処刑され、その村は廃村になったと。


この話を聞いたフィルは厳しい世の中に対する危機感とこの村、この家に生まれた事に安堵した。



*********



冬籠りが始まりつつある日、フィルは編み物途中のエラにあるお願いをした。


「母さん お願いがあるんだけど...」


「なぁに?言ってみなさい」


「僕に薬学を教えて!」



フィルは少し焦りを感じていた。


この厳しい世の中で何も手にしていない自分が生き残る自信が感じなかった。


万が一、明日この家族が消えたら、見捨てられたら生きる事ができないと感じていた。



そして、この家は戦士の家系だ。

父ロベル、祖父ダンケルは屈強な戦士だ。


もし、技能も何も持たない男に育った場合、戦士として戦場に駆り出され、フィルは自分が無惨に死んでいくと考えた。



何か学ばないと、自分が戦場に駆り出されてしまう。そんな思いが日に日に強くなってこの言葉を発した。



「普段から我儘を言わないフィルがお願いなんて、珍しいと思ったけど。なんで薬学を学びたいの?」


子供の言葉だが、正直に本心を口にした。


「薬学を学び、将来お金を稼ぎたいからです」


そんな言葉を聞いてエラは不安そうに首を傾げた。


「フィルは今の生活じゃ不満かな?」


「そんな事ないよ!

ただ、早い内に学び母さんとお家にこうけんしたいなと思って」


「偉いわね。そうね、じゃあ冬籠りの期間教えましょう。母さんもそこまで優秀な薬師じゃないのだけどね」


エラは暗い金色に染まった髪をかき分けながから、嬉しそうに微笑んでいた。



*************



その日の夜からフィルはエラから薬学を学び始めた。


エラは5歳になったばかりのフィルにも理解できるように優しく丁寧に教えてくれた。


エラは5歳の子供が薬学を理解は難しいだろうと考えている。

しかし、理解できなくとも、教えた事がフィルの人生にいつか役に立つと期待を込めて教えていた。



フィルはエラの教えを聞きながら、情報の整理をする。



この世界では薬師が前世の医者と同義であった。薬で血を止め、病を治し、折れた骨を繋げる。


では治癒の魔術では何ができるのかとエラに聞くと、病以外の大体の外傷を治す事ができるらしく、この道を極めし術士は腕をも生やす。



病は薬でしか治療、緩和、予防ができない。おそらく、治癒術は免疫力やウイルス等の病原菌には効果を示さないのだろう。



また、治癒術を行使する場合には人体の仕組みを学ぶ必要があるため、治癒術士は大抵は基礎薬学を修めている。


例えば、骨折に治癒魔術を行使する場合に骨がどのような型で繋がるかを理解をしていないと、逆に悪化させてしまう場合があるのだと。



薬師には誰しも師の存在がある。

元々は森人族の自然と共に生きるための知識であった。


そこから、森人に訪れた人族のオルフェウスが知識を人族に持ち帰り、約1200年前に学問として薬を学問として体系化させた。オルフェウスの源流薬学から様々な門派が派生する。


森人族はオルフェウスを好いていない。

"森人から知識を盗んだ男"と呼ばれ、彼は森人から蔑まれている。


エラの薬学の師は自由都市大学のエレオノーラ教授から6年師事されたらしい。



──母さんは学生だったのか。可愛かったんだろうな。



エラの出身もナザビア帝国ではなく、中央大陸東の国クレモベルト王国出身であった。実家には11年年帰っていない。



薬学は主にの5部構成に分かれている。



・基礎薬学

・外傷

・病

・衛生

・魔力



基礎薬学でも二部に構成されており、一部は人体の仕組みや薬の元となる材料、採取方法を学ぶ。


そして、ニ部は薬の幅広い学識、知識と総合的な判断能力を身につける事が目的である。



フィルはこの冬籠りの期間にエラと基礎薬学の一部を学ぶ事にした。


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