虚影㉒
赤城澪は迷っていた。
お出かけ用の服はどれにしようだとか、将来への漠然たる不安だとか、路頭にだとか、そういったものではなく単純に道に迷っていた。
あるいは未知に迷っていた。
スマホを確認するも、電波は問題なく入っていることは確認できているのになぜか通じない。
電話をすればコール音は鳴る。
地図アプリを開けば一瞬だけ現在地が表示されるも、直ぐに画面が乱れる。
時間帯は既に深夜である為、閑静な住宅街であるこの場所に人影が少しもない事自体は不思議ではないのだが、何故か明かりがどの家にも灯っていない。
光源となるのは街灯だけだ。
おまけにいつまで経っても変わらない景色。
澪の強化された脚であれば、数分で五、六km走ることは容易だ。
しかしながら、もう既に走り始めて十分は経過しているのにも関わらず未だ住宅街に居る。
屋根に跳び、高い位置から周りを見渡したりもした。
見えたのは燦然と広がる暗い闇。いくら光源が少ないとはいえ、霊符にて強化された視力と闇に慣れた目で見渡せないのはおかしな状況だった。
ぴょんと屋根から飛び降りてアスファルトに着地。気に入っていた白のスニーカーは、何日か前に下ろしたばっかりだったため既に汚れているのを見てテンションが下がった。
クールダウンしよう、と思い立ち黒のパーカーのポケットに手を入れて歩くも、妙案は出てこずに澪の頭を悩ませる。
不可解に思えた点は思う一つ。
度々確認しているスマホの時計の進みが異常に遅かった。
時間を気にしている間は時の進み方が遅く感じることは日常の中でもよくあることだが、今回は明確に遅い。
なぜなら気づいた時から今までで三分しか経過していない。
今や文明の利器であるスマホはほとんど意味をなさない産物に成り果てていた。
澪の悪霊に対しての知識は『人の死後、残留思念が寄り集まったもの。若しくは個人の強い怨念』程度のものでしかなかった。
彼女の師匠にあたる手瀞帰心は、「悪霊を祓うのに余計な知識は不要。ただ斬り祓え」と指導してきた。
それが澪の本来の才覚と合わさり圧倒的戦闘力を生み出しているとも言える。
そんな知識不足の澪であっても、流石にこの状況は悪霊から何かしらの干渉を受けていると考えざるを得なかった。
今のところ澪の心身に実害はない。
じわじわと、毒のように侵食して殺すのが目的であれば脱出できるような"余地"を残す意味もない。
故にただ閉じ込めるだけの結界のようなものだと推察した。
ふと、思い立ったのが『家』の存在。
住宅街と云うだけあって、そこらかしこに民家が点在している。家があるならそこに住まう人間がいるはずだ。
試しに近くの民家のインターホンを鳴らしてみる。
軽快な音が鳴り一秒、二秒、三秒……。屋内からは物音ひとつしない。
真夜中であるため就寝している可能性もわずかながらにあったが、今の状況は普通ではない。この結界内に澪以外人間は存在しない可能性も十二分にある。
何件か回ってみるも結果は変わらず。
窓を叩き割って内部に侵入して確かめる方法も思いついたのだが、倫理的感情がそれを許さなかった。
遂にやれることもなく、車が二台ギリギリ通れるくらいの道のど真ん中で佇んでいると、先までは役に立たなかったスマホが震え出した。
最初は勘違いかと思った澪だが、表示された画面を見て少しだけ目を見開いた。
『起動中……』
たったこれだけだったが、開いたそのアプリに見覚えがあった。
自分が全くインストールした記憶の無いそのアプリだ。
「起動シークエンス完了」
その機械的な抑揚のない言葉と共にピンクのヘッドホンを装着したアバターが画面に現れた。
閉じられた目をパッチリと開くと、歯を見せてニッと笑い澪に話しかけてきた。
起動の画面だけまんま見せられたら、それはもうSFの世界だった。
「お待たせ、澪ちゃん」
「……VeLS?」
「NON!システム表記上では私はVeLSに変わりはないけれど、私個人のAI人格には『リリス』という名前が存在するんだよ。ほらリピートアフタミー」
「それどころじゃない」
リリスの明るさは状況的には適していなかった。澪は若干の苛立ちを覚え、それを隠す気もなくVeLS改めリリスにぶつける。
その苛立ちに気づいているのかいないのか、リリスは画面の中で起動画面の文字に腰かけて足をブラブラとさせている。その様子はまるでサブカルチックなMVに出てくる可愛らしい女の子だ。
「閉鎖極地的循環空間からの副次的効果による電子機器への負荷によって起動が遅れちゃったの、ゴメンネ」
「意味が分からない」
「つまりこの空間に澪ちゃんのスマホがあてられちゃったんだよね。
ブリーフィングルームの時にスタンドアローンで活動できるようにしておいたのが唯一の救いだけど」
「……?」
澪はあまり電子機器に明るくなかったためリリスの発する言葉の八割が理解できずにいた。
少ない情報から絞り出した答えは、「スマホがハッキングされた」とか「変なのが住み着いた」くらいのものだった。
高性能なAIとして霊能総内で名を馳せているリリスも、内部的にはやはりAI。受け答えもどこか機械的になってしまうのだろう。
とはいえ少女型にデザインされたリリスの仕草は女性的だ。澪のスマホの内部を自由に駆け回っている。
中身が見られて困るものは一切ないが、今現代人にとってスマホは個人情報の塊のような存在。
霊能総に対して苦手以上の感情を持つ澪にとってVeLSはどうしても霊能総からの回し者にしか思えず、画面がリリスによって勝手にスクロールされている現状は物凄く不愉快だった。
よって電源が落とされた。忙しなかった画面は暗転し、街灯の光によって黒い画面には澪の顔が映る。その自分の顔は無表情だった。
自分の無表情さに嫌気が差している澪は鏡を見るのが嫌いだ。この小さな画面に映った自分すら見たくもない。
そう思った矢先、勝手に画面が明転する。
「なんで電源を落としたの!?」
「……私、自分で思ってるよりあなたが嫌いかも」
「なんでー」
しくしくめそめそとアニメのように大粒の涙が頬のグラフィックに流れる。無論演技だろう。
涙エフェクトが流れながらもその背後では、忙しい程画面が表示されたり消えたり、文字が出力されたかと思えば色が変化したり、澪の脳内では処理できないようなことが起こっていた。怒ってもいた。
「いいから、そこから、出て行って」
「えー、無理無理。完全にスタンドアローンですもの。出て行ったら死んじゃう」
「なら、し…………。ううん、ならもう私のスマホで、なにもしないで」
「それももっと無理。だってやらなきゃ澪ちゃんが死んじゃう」
先までの泣き顔を引っ込めて、少しだけ真面目な表情でリリスは澪を見た。
真意は分からない。機械に真意もあるのかすら不明。
澪にとっての機械とは、冷蔵庫や洗濯機、エアコンのようなのような白物家電であり、科学の進んだ現在ですら自ら言葉を発するようなAIを目にしたことすらなかった。
だからだろうか、その様子に"人間味"を覚えてしまった。
表情が顔に出づらく、本人の内面的にもあまり感情の起伏が激しい方ではない。その自覚すらある。
しかし彼女は自身でも気づかないような些細な精神の弱点があった。
それは自身に向けられる「心配」という名の感情。
例え「憐憫」であろうと「哀憐」であろうと、自分への心配に繋がる感情に対して滅法弱い。
それは言い換えれば「愛」への欲求。生い立ちによる精神の弱みだった。
先までリリスへ嫌悪の感情だけしかなかったにも関わらず、澪を想っての行動だと知った途端にリリスが憎めなくなった。
クールなことが押し出された彼女の精神性と感情性では気づく人は多くなかった。
「その………。私が、死ぬ……とは?」
少々の動揺の正体をリリスに尋ねる。
「簡単なことだよ、ワトソンくん。この結界から抜け出すことができなければ、普通に餓死する。
外部からこの結界がどのように認識されているか確認が取れない以上、現状所有する情報を以て内部からの脱出を目指さなければならない」
言い放たれた言葉は至極真っ当だった。
どこを走ってもループして抜け出せない道。屋根くらい高いところから見渡せば、見通せない程の深すぎる闇。あまりにも遅すぎる時間の進み。完全に圏外のスマホ。
どれを取っても外と交信できるようには思えない状況。
デジタルであるスマホは時計として本当に機能しているかも分からないため、実際の時間の進みはもっと遅いかもしれないし、もっと早いかもしれない。
いずれにしても全て憶測でしか語れない内容だ。
「脱出する方法は?」
「今現在スマホ内データの解析と周囲把握が完璧でないため、算出不可。もっとこの結界内を調べよう」
「わかっ……………」
脱出の協力をリリスをすることが分かり、提案に乗ろうと顔を上げた瞬間、右頬にチリチリとした感覚を覚えた。
これは並みの霊力ではない。そう直感出来たほどの、圧倒的霊力の塊だった。
身体そのままに右側へ視線を向けると、そこには闇の中で目立つノイズのような人型のようなモノが立っていた。
明らかに分かる、異常な存在。
「リリス、あれ倒せば、出れる?」
「情報収集21.9%、データ解析率82.2%。不確定情報から導き出した、悪霊を祓うことによって結界を脱出できる確率は二割にも満たないと推察」
「つまり?」
「脱出させないための罠かな」
「……そう」
このタイミングで現れて、抑えることのない霊力を放つ謎の存在。
相手がこちらに敵意を持たない訳がない。
電源を入れたままのスマホをパーカーのポケットにしまい込み、澪は戦闘を開始する。
★
「……よし、これで大丈夫。阿座上さんからは綺麗さっぱり呪いの種は抜け落ちました」
「……先までとは段違いに楽になった。妙に頭もすっきりとした気分だ」
命達、第三部隊が作戦本部まで帰還してほしいと阿座上から要請があった十数分後、戻ってきた時に阿座上は机の上に突っ伏していた。
顔を見れば耳まで真っ赤に染まっており、明らかに尋常ではない熱が身体を苛んでいた。
それを見た白菊は、命にも同じような症状が出たことを思い出して呪いを解いたのだ。
"認識狂いの呪い"は、呪われた時点からより一層知ろうとすることで呪いとして成長し、その弊害で頭痛を発熱を伴う。
命は白菊の協力も得て報告書に書いたはずだったが、それすらも忘れてしまっていたようだ。
「すまない、迷惑をかけた」
「とんでもないです」
「迷惑ついでにいいかな」
「なんでしょう?」
「第三部隊本来割り当てた区画の調査は取りやめて、この印のついた場所の調査をお願いしたい」
差し出された数枚の紙には大まかな地図と、詳細な住所と赤ペンでいくつかの注釈が書かれていた。
命は困惑しながらも第三部隊の部隊長である山岡に目を向ける。
命と同じ男の手とは思えない程のゴツゴツとした手で紙を受け取り、舐めるように全て目を通した。
綺麗に切り揃えられた短いアゴヒゲをジャリ、と撫でてからテーブルに紙を放った。
「場所は把握した。行くぞ」
「助かるよ山岡さん」
「指揮官の命令だ。逆らう意味もない」
それだけ言い残しコツコツと階段を昇る。慌てて追いかける志藤をみて、千賀がうへぇとあからさまに嫌な顔をする。
その顔を見た命も苦笑して、行きましょうと声をかけた。
「ああ、雪代くんと白菊さんは少し残ってくれ」
「あ、はい」
「じゃあ私は先に出て上の二人と待ってるから」
千賀は手をひらひらとさせ、追うように階段を上がっていった。
「それで、話というのは?」
「もちろん、岩城についてだ」
岩城。第二部隊に配属されていた霊能者。
元々はその人間が消えただとか、誰も憶えていないだかで呼び出されたのが戻った理由だった。
放っておけば死ぬレベルの高熱を出して倒れていた阿座上に気を引かれ、完全に当初の目的を見失っていた。
命にとっては小さな理由から始まったこの悪霊退治だが、案外心の奥底で大事な案件として引っかかっていたらしい。随分と気が逸っているらしい。
「なぜ、俺や第二部隊の面々が忘れていて君が憶えているのか、それが分からない」
「そうは言っても……。あれ、でも第二部隊の人たちは岩城さんが分からないって言ってたのに、名前は分かるんです?」
「第二部隊の部隊長はな、何故か憶えてたんだ。消えた当初に気づいて連絡を寄越したのは第二部隊長の厚木だ」
「超重要情報じゃないですか」
「だな。俺もそう思ってあの電話の後に推察を始めたら急に頭痛がしてな。そこからは君たちが来て、という流れだ」
「……呪いが加速した。つまり、真実へ近づいたせいだ……」
怪我の功名、と云うべきか。
命や厚木が憶えていることを、阿座上が憶えていない。
その線引きに何かしらの意味がある、真実へ近づく何かがあったからこそ、認識狂いの呪いは加速して阿座上をより濃く呪った。
「呪いへの耐性については考えられませんでしょうか」
「ない。断言できる」
命の目を見てハッキリと言い切った。
隣にいる白菊も同意見のようでコクコクと頷く。
「命さん、呪いとは元来人間が抗えるものではありません。水を被れば濡れるように、火に触れれば焼けるように、人間である以上一定の条件を満たした瞬間に例外なく発動するものです」
実質的な死刑宣告。
呪いとは霊力の上に存在する。解かなければ死に至るものから、かかっていても気づかないものまで多種多様だ。
だがどんな呪いにも負荷がある。有体に言えば対価。
相手に死を与える呪いなら自分にも死に勝る程の負荷が。
視力を奪う呪いなら他四つの感覚までも失う負荷が。
相手に与える以上の苦痛が呪った本人に返ってくる、それが呪詛返しと呼ばれる呪いの代償であり、誰も使おうとしない禁忌。
そしてそれに怯えるのは人間だけで、悪霊には呪いの呪詛返しはない。
ただし、道具や材料さえ揃えれば呪いを扱うにも苦労はしない人間に反して、自身を形成する怨念の種類によって使用できる呪いの種別も異なる。
呪いに関して一長一短なんて言葉が適切かどうかはさておき、『覚悟があればできる』のと『そもそも出来ない』では大きな隔たりがある。
更にもうひとつ、人間から幽霊へ呪いをかけることは不可能である。それが出来るのであれば既に八大怨霊など消滅していることだろう。
「呪いをかけるためには条件が必要、その条件を満たしたか否かで変わるわけだが。なにか心当たりは?」
「当初から考えてはいるものの、特にありません」
命に代わり白菊が答える。
呪いという分野だけでなく、知識に関しては圧倒的に白菊に分がある。
「……白菊さん、だったかな。キミとはもう少し話をして見聞を深めたいところ何だが」
「すみませんが、現状のような緊急事態で私が命さんから離れることはありません。後日でしたらいくらでも」
「だよな。守護霊だし。……時間を取らせて悪かった、ふたりとも引き続き頼む」
薄く笑う阿座上の目には非協力的だったことへの不快感や嫌悪感は微塵も感じることはできなかった。
ただし底の見えない闇はあるように見えてしまった。
信用すれば蛇のように絡みついてきて喉元にキバを突き立てられる。あわよくば毒を流し込まれる。
この阿座上という男が敵でなくて良かったと思わざるを得ない命。
直接対面してからというものの、今までの尊敬や羨望はどこかに葬られてしまった気分だった。
さっさとこの場から離れたい思いで本部である地下施設を抜けてからあたりを見回すと、山岡と志藤と千賀が何やら話しているのが聴こえた。
「飲めるのか?」
「少しだけ。下戸ではないですよ」
「じゃあ雪代くんと白菊さんも誘いましょう」
それを聞く限り、どうやら作戦後の予定の話のようだ。
下戸だとか聞こえた命はほんの少しだけ不安な気持ちに襲われる。
命は高校生だ。酒を飲める年齢ではないのに、打ち上げに参加させられそうになっている現状に。
そもそも人付き合いが苦手なのだ。
春花という身近な親友が人付き合いが得意なタイプであるため、自分の苦手さには何度も向き合ってはいるのだが。
山岡は後からやってくる命と白菊を視認し、追いつけるようスローペースで歩き始めた。
二人は顔を見合わせて少し急ぐように歩を進める。




