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虚影⑲

「やっほ」

沖山(おきやま)さん……!?」


病院の受付で処理を済ませて病室に入り、最初に声をかけたのは沖山からだった。

五人部屋の病室らしいが、室内にいるのは美影(みかげ)と事故で脚をケガしているらしい女性一人だけだった。

距離も離れている上にカーテンで仕切られていることもあり、心置きなく声を出せそうである。


「僕もいるよ」

後ろから命も顔を出す。

三人分の飲み物を自動販売機で買いに行っていたため少し遅れた。


「雪代君……、なんで……」

その「なんで」には様々な思いがあっただろう。

「なんでここにいるの」だとか、「なんで来たの」だとか、「なんでここにいると知ったの」だとか。

それひとつひとつを答えていては時間が足りない。


「それより、はい」

包帯やガーゼに纏われて痛々しい姿の美影に飲み物とプリントを渡す。

「学校、今日で一学期終了だったから。先生に僕が持っていくって言ってもらってきたんだ」

それは夏休みに入るにあたって、必要な課題の一覧や夏休み明けに提出が必要なプリントだった。こんな建前でもなければ顔を合わせられなかった。


「あ、ありがとう……」

伏せる顔を見るとまるで女の子のようだ、と思えた。

少し長めの髪を隠すように包帯が巻かれていたし、男だと分かるようなちょっと太めの腕も病院服のゆったりとした袖で隠れていたからだ。

幸薄そう、なんて言葉はかわいそうだが、憂いを帯びた表情はとても男とは思えず命も沖山もびっくりした。

学校ではナヨナヨとした男子という印象しかなかったから。


「あの、えっとなんで……」

「んー。私たちってキチンと話すの初めてじゃない?こんな機会でもないとゆっくりお話しできないじゃん」

「ぼくとお話……?」

美影の額に困り眉が出来た。

異性の、それもカースト最上位に位置する人間がわざわざお見舞いに来て「話がしたい」だなんて訝しむだろう。


沖山は丸椅子に腰かけて、置物のように置いてあった果物籠からリンゴを取り出し、そのままナイフで皮を剝き始めた。

「何して……」

「手は洗ってあるから」

「そ、そういう問題じゃ……!」

シルシルと音を立てて綺麗に剥かれていく……と思いきや、5cmほどでポトリと皿の上に落ちた。

顔を見ると唇を嚙んでいた。


続きから再開して、また数センチで落ちて、落ちて……。その場に微妙な雰囲気が流れたとき、命が後ろからナイフとリンゴを沖山から優しく受け取った。

「ナイフは親指を設置したまま固定して、リンゴの方をゆっくり動かすんだよ」

そう言いそのまま全て剥き、八等分に切り分けてから皿に盛りつけた。

「「おおー……」」

二人のちょっとした歓声で、命は少し恥ずかしくなった。


普段料理……とまではいかなくとも、包丁の使い方などを人前で披露する機会などそうそう恵まれない。

もちろん料理は出来るが、大体は白菊が作ることが多い。

包丁の使い方はきっと霊刀・流星によって培われたものだろう。

無論悪霊を斬り裂くのと果物を切るのでは何もかもが違うが。


「ん、あまい」

美影のために切り分けたはずのリンゴの最初の一かけらは沖山の口の中に放り込まれた。

「それ美影君の……」

「いいじゃんいっぱいあるし。ほらっ」

「わっ!」

命の開いた口にリンゴを押し込められた。歯に当たって痛かったが、咀嚼して飲み込んだ。


「はい、美影君も」

「じ、自分で食べられるよ」

沖山からのあーんに耐えられなかったのか、急いで自分からリンゴを食べた。

そのまま気管支にでも入ったのかゴホゴホと咳き込んだ。

沖山は流れる様に命が買ってきたペットボトルのふたを開けて美影に差し出す。透明な液体を嚥下し、やっと落ち着いた頃、美影はチラリと沖山を流し見た。


可愛い子、だとはずっと思っていたが、初めてキチンと対面して改めてその顔の美しさに心を惹かれてしまった。

美影も男である。自身がなんで入院しているのか、それも考えずに純粋に嬉しく思ってしまった。


「美影君。これ、僕のラインのID。このあと暇が出来たらメッセージ送ってよ。()()()()()もあるし」

出来るだけニュアンスが伝わるように目を見て紙を渡す命を、美影ははっとした表情で返した。

「あれ、ライン知らなかったの?……おっかしいなぁ」

仲がいい、と勝手に誤認していた沖山からすれば疑念に思うのも仕方ないことだろう。


「じゃあ僕はこれで」

「もう帰るの!?」

「様子を見に来ただけだしね」


沖山を見る美影を想うと、命はこのまま帰る以外の選択肢を取ろうとは思えなかった。

元々の予定である虚影の怨霊について話す機会は沖山によって失われてしまったし、何より今晩はやることがあったからだ。

クラス会が無ければ病院に寄ったあとは余裕があったハズなのだが。


「沖山さん、後は頼んでもいい?」

「あ……うん。おっけわかった。まかせて」

その言葉に少し翳りを見せたが、気づいたのは命だけだった。沖山本人ですら気づくことのない、微かな表情の強張りだった。


命は一声かけて病室を後にする。

そのまま廊下を歩いて階段を下り、病院を出る頃には外は陽が沈んでいた。

バス停に足が差し掛かった頃、首筋辺りがピリっと静電気が走るように疼く。


これは『制約』が解かれた合図だ。


制約とは守護霊に課せられた一種の縛りのようなものである。

命の守護霊である白菊には"陽が落ちている間にしか神社の敷地外を出ることができない"という制約がある。

これは破る破らないというレベルの話ではなく"破れない"という表現が一番近い。

敷地の周りに不可視のバリアが張り巡らされているとかではなく、白菊にはそれが出来ない。


人が水中で大きく息を吸い込むことが出来ないように、手を大きく振っても空を舞うことが出来ないように、本能が敷地を抜け出すことを()()()()

だが日没を迎えると同時に思考に浮かぶのだ。自由だ、と。

白菊は日没を迎えた時、命が家に居ない場合は真っ先に命の元へ向かう。


首筋を走った静電気のような感覚は、(イコール)で白菊が来る、という合図でもある。

命は全くもって「主従関係にある」とは思っていないが、親子の関係が血によって離別することが絶対に不可能であることと同義レベルの関係だ。

故に制約の解除は命に伝わる。


後五分もすればバスが到着する。

鞄から本を取り出そうか、と手を伸ばしかけた時、二つの気配を感じた。

一つは上空から。


もう一つは……、

「おばんやで、命クン」

「…………煙霧(えんむ)さん」

病院のロータリーから下駄をカロカロと歩き鳴らして、作務衣(さむえ)をたなびかせる男の気配だった。


「約束の時間前に神社についたんやけど、見当たらんくてな。春花クンに聞いたら病院にいるっちゅーから来たんや」

「春花が?」

確かに二次会と称されたラーメン屋での食事の際に、中浦に聞こえないように春花にはこっそりとお見舞いに行く旨は伝えていたのだ。

急ぐ理由も出来るし、お見舞いに行く程度のことを伝える分には春花に何かしらの危害が及ぶとは考えなかったからだ。

しかし、こんな形で煙霧と合流するとは思わなかった。


「あっこにボクの車停めてある。バス代も浮くし乗ってき」

「……では、お言葉に甘えて」

見れば確かに煙霧の愛車であるレクサスが停まっていた。

ロータリーの方面から歩いてきたのはそういうことだったのだろう。作務衣からチャラリと車のキーが垂れた。


先導する煙霧の後ろから歩いてロータリーを抜け、駐車場へ着いた時、後方から風に乗って声が聞こえた。

「みことさーん!」

白菊の声だった。鈴のような声は辺りに吹く風鳴りにも負けないくらいよく響いた。

命を呼ぶ声に気づいた煙霧も振り返り、右手を軽く上げた。

「やあ守護霊サン」

「あら、煙霧さん……いえ、煙霧様。お久しゅうございます」


煙霧の姿を確認と同時に、銀色に鈍く輝く着物を身綺麗に整えて空中からやうやうしく頭を下げた。

「ええよ守護霊サン。今は正式な場やないし。同じ飯を食った相手に畏まられてもヘンな気分になるだけや」

それに叱られた相手でもあるしな、と小さく呟いた。


「ですが、本日の煙霧様のお立場におかれましては、我が主人のご指南役だとお伺いしております故」

「ええて。堅苦しいの嫌いやねん、ボク」

そう、今日のこのあとの命の予定とは煙霧から戦闘の手解きを受けることだった。

あの雪代神社での朝の一件、やっと話がまとまり今日の夜に行うことが決定していたのだ。

場所は雪代神社の裏山。命の父である雪代澄地(ゆきしろすむち)が半径五十メートルの範囲の木を切り(なぐり)倒し、その場だけ雑草のみ生えた天然の庭を作成したのだ。


よく命はそこで霊刀・流星の素振りや、白菊の金鎖(きんさ)相手に戦闘訓練を行っていた。

まだ明確に霊能者になろうと思ってもいなかった頃も、父親の影響で一緒に正拳突きの練習をしていた。

雑草が足首より上にまで伸びないように白菊がよく手入れをしている。

除草剤を撒かないのか父親に聞いた時には、

「自然を壊しちゃダメだ!……まあ、木は殴り倒してしまったけどな!」

と快活に笑っていた。


今、思い出の場所は血を吐いて自分という地金を鍛える場所と化している。

実際に中学の頃は吐血するほど厳しい訓練を行ったものだ。家族である白菊の涙の静止が無ければ、本当にあのまま命を落としていたであろうほどに過酷だった。


また、あの地獄のような日々に戻るのではないかと、白菊は内心ビクビクしていた。

しかし煙霧は死ぬほど辛いが、死なせはしないと誓って言った。ならそれを信じなければ主人の思いを裏切ることになるのではないか、と思い今回の修行を許可した。

本来であれば、許可などと言える立場ではないが。


「はあ、ではいつも通りに接しますが……。煙霧さん、後で命さん経由で嫌がらせしないで下さいね?」

「せんわ!ボクのことどない思ってんねん……。まあええわ、守護霊サンも乗りぃ。雪代家まで飛ばすで」

「安全運転で」

「……冗談通じん幽霊やなぁ」

二人は後部座席に乗り込み、シートベルトを締めた。


程なくて車は発進し、雪代神社方面へ走り出した。

そのまま洋楽が流れる車内過ごし、信号を何個か越えた頃右折と同時に煙霧が声をかけた。

「夏休み、楽しまんでええんか」


主語はなかったが、真意は理解できた。

「課題が出来るくらいには手加減してくださいね」

「命クン次第やな」

そう答える頃には見覚えのある道を走っていた。


頬杖をついて窓の外の景色を見ていると、命の肩に白菊の頭がコテンと置かれた。

言葉はなかったが、どうやら甘えているのだろうということは分かった。

今まで(いず)れも積極的なアプローチ(?)が多かっただけに、このような静かなアピールは何気に初であり、命は心臓を跳ねさせてどうすればよいか迷った。


そうするうちに白菊が声を発した。

「夏休みには、海に行きたいです」

「……うん」


中学三年生の頃は受験勉強があり、命は外出することはなかった。

中学二年生の頃は気性荒く、そこ等の悪霊をひっきりなしに除霊しては暴れていた。

中学一年生の頃は失意に沈み、海どころではなかった。

小学生の頃以来ではないだろうか、海というのは。


「お祭りも、行けたらいいですね。春花君と、澪さんと」

「そうだね」


これもやはり家族での思い出しか、命にはなかった。

少しの会話の後、再び車内は洋楽のメロディが支配する空間になった。

気付けはすぐそこに境内へ続く階段が見えるところまで来た。


「着いたで」

「ありがとうございます。白菊さん、お風呂の準備お願いしてもいい?」

「はい、承知しました」


ドアも開けずに透過してスイーっと階段の上に上がっていったことを確認し、命と煙霧は石段を登り始めた。

「命クン、今言うのもなんやけどな。討伐の日取り、決まったで」

「いつですか?」

「八月三日。二三〇〇(フタサンマルマル)や」


今日から約一週間。

編成は絶賛構築中ではあるのだが、命が編成に組み込まれて需要ポジションに収まるのは十中八九確定らしい。


「最悪僕と赤城さんだけで除霊しに行こうとしてたんですけど。直近の日時なら僕が早まる必要もなさそうですね」

「……キミたちだけでネームドに立ち向かおうとしてたのはまず置いといて、澪チャンも来るんか」

「ええ。協力してくれると言ってくれました」


ほう、と顎に手を当てて煙霧は考え始めた。

あの山での剣術を陰から見ていた煙霧は、赤城の異常な剣の腕には光るものを感じていた。残るのは緻密(ちみつ)な霊力のコントロール。それさえ習得できれば今以上に化けると確信していた。

だが、それを教えるには煙霧は少々不向きだった。


赤城澪の伸びしろは少ない方だ。

あともう少し伸びれば文字通り一線を画すことが出来るが、その残りの伸びしろ分を伸ばすことが余りにも難しい。

これが出来ていれば世の中には強い霊能者が溢れかえっているだろう。

それに加えて命は伸びしろが多い。


霊力が他人より多い、というところがネックだ。

明らかな長所であるため、短所が目立ちにくくなり誰もそれを指導し是正する人間もいなかった。

短所とはすなわち、単純なフィジカル。


慎重は165cmほどで、確かに低い方だが低すぎる訳ではない。

一般的な男子高校生の身体能力を考えれば十分すぎるほどの肉体だが、対悪霊となると話が変わる。


ある悪霊の強さの数値を『百』としよう。

本来のフィジカルを『二十』、強化のために使用できる霊力を『九十』とする。

合計値は『百十』となり、『百』より『十』上回るため余程下手を打たなければまず負けることはない。


だが相手が『百五十』となった場合はどうか。

どうあれ、勝てる道理は無くなる。


もちろん数値だけでは測ることの出来ない地形や環境の変化、機転の応用で切り抜けることも叶うかもしれないが、無理なものは無理である。


命の場合、この"強化のために使用できる霊力"というものが『二百』あると考えてよい。更に言えばそれを長時間補えてしまう程の霊力の総量も莫大だ。

一般的な霊能力者の二倍以上。

これはフィジカルが『二十』だと考えた場合、約十倍以上の強化が出来ていることになる。

これでは大抵の悪霊は問題なく除霊できてしまい、短所である本来のフィジカルの低さに気づけない。


ここで言うフィジカルには動体視力や反射神経の良さも含まれる。


煙霧が考えるのは赤城のステータス。

彼女のフィジカルは、あの瞬間だけは低く見積もっても『百』はあると見てもいい。霊力に至っては換算すらできない。

あの瞬間とは赤城が桎梏解放(しっこくかいほう)を宣言した時だ。

霊力解放は、周りに申告しない限り自身でしか代償が分からない。


確実に何かを失うことで莫大な力を得る霊力解放。その一種であろう桎梏解放(しっこくかいほう)は、未だに未知の存在だった。

だがしかし、様子を見る限り身体機能のどこも損傷していなかったように見えた。

だからこそ考えてしまう。限りなく極小の代償だけで済んでしまうのではないか、と。


この霊能総に激震を走らせるものだろう。

そんな赤城が"一線"を越えたらどうなるのか。

今はまだ煙霧の方が数段強いが、いつか一線を越えたら自分の何歩先を歩くのか、楽しみになってしまっていた。


「あの、煙霧さん……?」

煙霧は考え込んだ末に無心で階段を上がっていた。気づけば境内の中に足を踏み込んでいたのだ。


「ああ、すまん。……澪チャンが参加してくれるなら、編成も変わるかもなあ」

「それなんですが……。赤城さんは基本的にフリーで霊能総の総意には従いません。あくまでも協力者という立場は崩しません。

 強引ですが幹部の圧力で煙霧さんから作戦を立てる部隊に申し伝えてくれませんか。

 流石に飛び込みで来ると現場も混乱すると思いますので、できるだけ伝えない方向には舵を切りたくないのですが」


理由は煙霧も察しがついた。

霊能総そのものに悪印象を植え付けているのは確実に田上のせいであると。


「つくづく最悪なオッサンやなあいつは……。分かった、澪チャンが参加するうえで従わない旨、確かに伝えとくわ」

「協力者ではあるので悪い方向には進まないと思います。強いですし」

「せやな。今の命クンよりは頼りになるわ」


毒づく煙霧に命は何も言い返すことはできなかった。

だが「今の命よりは」と言った。

あと一週間で赤城と並ぶことが出来るのか、教えを乞う命には想像が出来なかった。





暗い森の開けた場所で、二人は向かい合った。

光源は月光のみ。

煙霧談では「夜間なんぞこんなもん」らしい。一応、この一帯を照らせるくらいのライトは用意できるのだが、毎度万全に視界を整えることはできない、と言い月明りだけを頼りにすることとなった。


「さて、まず……」

作務衣の男、煙霧が命へ真剣な眼差しで問いかけた。

「まず、虚影の怨霊とやり合うまでに澪チャンと同じレベルにまで鍛えることは無理や」

「あ、えっ」

呆けたように煙霧を見る命をカラっと笑い飛ばした。


「あったりまえやろ。一朝一夕で身に付いたらだーれも死なんわ」

それはそうである。

日々の積み重ねが人を強くしているのだから。


「せやけど、死なん程度の付け焼き刃は用意させたる。付け焼き刃でもなんでも(やいば)(やいば)や。武器であることには変わりない」

そういって作務衣の袖からスマホを取り出し、二十四時丁度でタイマーをセットした。

そしてそれを折れた切り株の上に置いた。


「これから約四時間弱の間に、霊力を使用しない状態で『三発』、ボクにイイヤツくれてみい。

 それが出来んかったら失格。後の数日は死なん為"だけ"の講義だけしたる。この程度出来んなら骨肉の怨霊なんぞ到底無理やからな」

本来のこの修行の意図は、骨肉の怨霊を祓うために力をつけること。

その大きな目標の過程にたまたま虚影の怨霊が居ただけであって、最終目標ではない。


煙霧は今後に関わる重要なことを、今夜決定しようとしている。


「霊刀、使ってええで。本来のキミを見たいからな。ボクは霊力強化はせん」

剣術、とは言わない。ナイフ術とも言えない。あくまで独学で、少しの父親の手解きもあったが、大部分は独学での包丁術。

ナイフほど取り回しが良いわけでもなく、刀ほどリーチがあるわけではない。偶然と奇跡の産物が命の得物である霊刀・流星なのだ。

霊力が常に供給され続ける特異性が無ければ、流星はただの筋引包丁(すじびきぼうちょう)に過ぎない。


だが、命はその切れ味と扱い方に自信があった。

故に躊躇う。

簡単に人を殺せてしまう程の代物だと判っているからだ。

更に煙霧は霊力による身体能力強化をしない、というところも躊躇いに拍車をかけた。


「心配せんでええ。簡単に致命傷は入れさせんし……そもそも入る()()()()

自信ありげに黒い笑みを浮かべた煙霧を見据え、浮遊していた白菊から流星を受け取った。

渡した白菊も不安げな表情を浮かべていたのをみて、煙霧は懐から出した霊符(れいふ)を白菊に向けて放った。

「もしボクが死にかけたらこれで治してくれへんか。ここに命を落としに来たわけじゃあらへんから」


絶対的な自信と、万が一に備えてある、という背面が後押しとなり命は完全に臨戦態勢に突入した。

実際は命に本気を出させるための建前のようなものだったのだが。

それでも命はやる気を出した。そうでなくては煙霧も戦闘に身が入らない。


「ふう……」

深呼吸を一回。目を三秒間だけ閉じて、流星を構えた。

半身の体勢で、持ち手は聞き手の右手。順手で握り、刃先は相手に向ける。

左手は軽く握り前面に押し出して牽制と防御に。

これが命の臨戦態勢である。

万全な状態での一対一(タイマン)は、ゲリラで始まる普段の戦闘時とは違い集中できていた。


「(……なるほどね)」

先までの気の抜けた気配が消え失せ、命からはピンと張り詰めた気力を感じた。

精神集中を行った結果の状態ではあるが、煙霧が身を引き締めるには十分なものだった。

そして重なるのは命の父、澄地(すむち)の威光。

かつて模擬戦と称して立ち会った時も、武器の有無は違えど同じ構えをしていた。


煙霧は拳を完全には固めずに、虎拉(とらひし)ぎのように型取りゴキゴキと鳴らした。

西のバケモノ、土井(どい)との対戦時に学んだ我流の対人迎撃術が瞬時に脳内に溢れる。


機を窺う命の前に何度も風が吹き、その度に目が乾燥して瞬きを繰り返す。

だがその行動も終わる。覚悟の決まった命が一歩を踏み出す。


「いきます」

「来ぃや」


大きく横薙ぎに振るわれた流星は元々煙霧の胸があった場所を通り過ぎる。あくまで牽制での一撃であると理解してはいるものの、速度は中々のものであり煙霧は期待値想像以上であったことに驚いた。

続けて顎に目掛けて繰り出される左ジャブを小刻みに避ける。


だがやはり人外との戦闘を積み重ねた相手には通用しない小手先の技に過ぎなかった。

「側面のケアがおろそかやで」

大きく空いた左脇腹へ煙霧の掌底が突き刺さる。

「カッ……!」


ボグッという大きな音を立てて命は吹っ飛んだ。飛んだ先で何とか上体を起こして頭部を守るように流星を掲げる。

「内臓に響いたやろ。フラフラでも意識保ってるんは凄いで」

煙霧の言う通り、大きすぎる衝撃は内臓を揺さぶり、手足のしびれる感覚と共に吐き気を催していた。

しかしここで吐いてしまえば隙が出来ると感じ、荒い息を吐き出すだけに留まっていた。


「まずアドバイス一つ目。攻めると決めたなら攻め切れ。守ると決めたら防御し切れ。中途半端に攻防一体なんて首を絞めるだけや」

息と共に口内から出た涎を拭い、脇腹の痛みを耐えながら再び構えを取る。触った感じだと骨は折れていないことは判ったが、次同様の一撃を喰らったらかくじつに気絶すると確信した。

これは耐久戦じゃない。自分から向かって言って相手に攻撃しなければならない。


煙霧が認める攻撃を『三回』叩き込まなければならないなら、有効な攻撃手段としてはやはり流星での斬撃が主になるだろう。

「これはキッツいな……」

煙霧はアスリートのような体形はしていない。むしろ細身の部類だろう。

なのに霊力強化を用いない一撃の掌底で命は気を失いかけた。力の使い方が上手いのか、それとも技術力の問題なのか。


「どっちにしろやるしかない」

再び流星を振るう。今度はコンパクトに、煙霧に認められるような『一撃』に見合わない"削り"のような乱撃。

赤城澪のような決まった型で振るうこともなく、相手の動きに合わせてただそこにある部位を狙って切る。

そんな荒くれ者が乱心した際の振り方を見てなお、冷静にすべてを避けるか捌くかしている。


「(隙はここだ!)」

乱撃の中に意識して混ぜた左胸への突き。吸い込まれるように伸びる霊刀・流星。しかし煙霧も甘くはない。見え見えの隙に魚の如く喰いつく命の右腕を弾いて裏拳を右脇腹に打ち込む。

内部破壊の掌底とは違い、外部破壊の拳。レンガや石すらも素の状態で破壊が可能な右の拳は確実に命の肋骨(あばらぼね)を砕くだろう。


「あっぶね!」

確かに拳は入ったが、それと同時に煙霧の顔には右足の上段蹴りが迫っており、間一髪でそれを避ける。

再度飛ばされた命を見ると既に膝立ちの状態で起き上がっており、右側を庇うように煙霧を見ていた。膝立ちでの警戒、案外隙が少ない。


「これは……ボクが釣られたってことか?」

一撃を取られることはなかったものの、寸前まで迫ったあのハイキックは左足含めて完全に浮かせていなければ成立しない。

なぜなら左足がキチンと接地した状態での蹴りだった場合、あのように構えを取ることはおろか立ち上がることも不可能なのだ。あえて接地しないことで衝撃を吸収した、ということになる。


「(存外、戦闘センスだけを見れば悪くない……。流石は神奈川のエースってとこか)」

悪霊との対戦が多すぎて骨と肉のある人間と戦い慣れていないというのもあるが、未だ攻めあぐねているという印象は強い。人体がどのような動きが出来て、どこまでの可動範囲があるのか自分の身体以上のことを知らないからだ。


先のアドバイスを早速実践しているのか、攻めの姿勢は崩さない方向らしい。ジリジリと煙霧に近づいてくる。

と、そこであることに気づく。

あの山での一戦や、その翌日早朝での模擬戦、そして今の攻防に命の得意とする『型』を見つけた。

その『型』を引き出して一、二発貰ってもいいか、と思い仕掛けてみることにした。


常人では目で追うことも難しいレベルでの掌底を三発撃ち込む。

命はいきなり煙霧から仕掛けられた攻撃に瞠目するも、三発目の引手に合わせて流星を振り抜いた。

「…………」

右肩と顔面に一撃ずつ貰ったものの、煙霧の左腕上部には大きな切り口が出来ていた。


流星での攻撃を避けるために初激は右肩を打ったはずが、まさか自身の左腕を斬られるとは思ってもおらず、少々呆けてしまう。

「まずは一撃、おめでとう」

左の袖は綺麗にスッパリと切られてもう使い物にならない。ビリビリと破いて患部に巻き付けた。あくまで止血だったが、霊力使用を禁じている以上自身も回復のための霊符を使う訳にはいかなかった。


そしてこの攻防で確信する。

命はカウンタータイプだ。


自身から仕掛けることは少なく、相手からの攻撃に合わせて致命的な一撃を確実に打ち込む。

誰に(なら)ったわけでもないだろう。その精神感から無意識に身に付いた生き残りの(すべ)

ならばそれに合った攻撃をしよう。

カウンターを行えないくらい、絶え間なく殴ってやる。


命の息が整うのを待たないまま、驚異的な脚力で迫った。左腕を負傷しているとは思えない程の攻撃に避けるのが精いっぱいの命は、一瞬で防御を崩されて後方に転ばされた。

「休む間はないで」

直後降ってくる靴の裏。転がって回避したものの、踏み抜かれた場所は雑草が剥げて土が剥き出しになった。

頭部であれば確実に頭蓋が割れていただろう。


未だ起き上がれずにいるのを踏み、蹴り、追いつめる。何度目か、足が上がった瞬間に突如両の腕で地を跳ねて半ばドロップキックのような奇襲が煙霧を襲う。

しかし命は肝心な煙霧の防御態勢が見えてなかった、命中箇所が守られていることに。


パンチよりはキックの方が威力が高い。

余程偏った鍛え方をしていない限りは筋力量的には脚の方が高いからだ。

総合格闘技の世界ではキックでのダウン率は非常に高く、それだけ一撃の威力は認められている。数値にして威力の差は約三倍もあるそうだ。

しかし大きな弱点も一つ抱えている。態勢が安定しない。

こちらが手練れでも、相手がそれ以上に手練れなら強力なカウンターとなって襲い掛かってくる。


「……!まじか!」

胸辺りを狙っての足蹴は左の手によって阻まれた。しかも弾かれるならまだしも片足をがっしり掴まれる。

「捕まえたで」

「らぁ!」

そのまま地面に叩きつけられるなら、ともう片方で蹴りを繰り出してみるが当然の如く避けられて、勢いよく背中を打ちつけた。

「……ッッ!」

声にならない程の苦痛が襲い掛かり、肺から空気が絞り出される。

真っ白になった脳内には回避も迎撃も、戦闘中だという思考すら浮かばなくなった。その後当然のように突き刺さる顔面への拳打(けんだ)によってさらに視界がフラッシュする。


「これが殺し合いなら死んでんで」

手足に酸素が供給されずビリビリと痺れ始めた。脳にも酸素が行ってないのか、酷い頭痛によって鼓膜がガンガンと打ち鳴らされる。

「(立ち上がれ立ち上がれ!)」

必死にそれだけを思考するも体はいうことを聞かない。


その様子をみて、煙霧は近くの切り株に腰を下ろした。懐から(いやし)の霊符を取り出して左腕の傷を治す。

様子を見ていた白菊から抗議の目線が向けられるが、これが本当の戦場なら悪霊にはとっくに修復されている。それを白菊も理解しているからこそ、命に対する攻撃のことも、霊符のことも黙って見ているのだ。

そうこうしている間にヨロヨロと四肢に力なくまま立ち上がる命。煙霧の傷の修復はほぼ終わっていた。


ちらりと立てかけたスマホの時間をみて、

「あと三時間と半分。早々にボロボロやけどやめとくか?」

「はぁ、はあ……!」

息をするだけで精一杯だが、なけなしの体力と酸素で言葉を吐き出す。

「まだ、お願い、します」

「よし。じゃあいくで」


ほぼからっけつの身体にボディブローが突き刺さった。更に側頭部への肘鉄、上半身への乱打に防御以外の選択肢は取れなかった。

煙霧はその防御を剥がすことなくただサンドバッグを殴るかのように各所に拳を打ち込んでいく。

腕でガードしていても、その腕は人体の一部だ。殴られれば痛いことには変わりない。着々とダメージが蓄積されていく。


「ぐっ……!」

遂に腕のガードが解かれ、胸部への前蹴りで大きく後方に飛ばされる……と思いきやその前蹴りの脚に命が組み付く。

横向きのポールダンスのようにぐるりと廻って顔中心へと爪先が吸い込まれた。


ボギュ、というなんとも言えない感触が靴の裏から足先に伝わった。

完璧に入った。

全身ぐしゃぐしゃになった命の必死の一撃が煙霧の鼻っ柱を折った。

ボタボタと垂れる鼻血。直ぐに垂れるどこか勢いよく流れ出る鼻血に様変わりした。

命は「やりすぎたか?」とはならない。それ以上にボコされているのに、知人の鼻血一つで警戒を怠ることはしなかった。


鼻辺りは人間の急所が詰まっている。

骨を折る程の一撃がクリーンヒットしたのだ。流星の乱撃はかすり傷程度では済まないだろう。

機を逃さず、攻める時は攻める。

ふらつく足を気合で(いさ)めて特攻。今の命に痛みはアドレナリンにしかならない。痛みは恐怖ではなく、興奮材料に変換された。

当然打たれれば痛むし体力は削られる。だが次の一撃が決まれば目標達成。


今の鼻へのクリーンヒットに関しては合格の言葉を貰っていないが、これが煙霧の言うところの『いいの』に入らなければ先の左腕を傷つけた斬撃も数に入らないだろう。


更なる一撃を加えるために振るわれる流星を涙の滲む視界で避ける。

本気で危機を感じたのだろうか。

抑える左手はそのままに、逆袈裟に振られた流星を持つ手首をまず弾かれ、流れで肩の関節を外されて最後に顎を揺らすように拳が唸った。

あまりにも早い流れ業についてゆけず、脳がシェイクされたような感覚と共に命は気を失う。


「マズった!」

遠のく意識の中でその言葉だけが耳に残った。





八月三日の二十時。

とある地下施設に総勢十八人の人間が各々その時を待っていた。

ある者は筋トレをし、ある者はイヤホンを耳にはめて読書をしていた。

二人組で組み手をしている者もいれば、スマホを眺めている者もいる。


地下施設は四方を白の壁に囲まれた空間で三十畳ほどの広さだ。

体格の差はあれど、皆齢十五を超えた大人の集団である。十八人が押し込められるには手狭と言えよう。

更に四人掛けのテーブルが二つ、三人掛けのソファが三つ並んでおりさらに狭く感じる。

基本知らない人間同士であり、よしんば知っていたとしても顔なじみ程度で仲良く同じ卓に付こうという者はおらず、立って壁に背を預けたりソファに寝ころんで独占したりしていた。


そんな中、命は一人隅の方で霊符の確認を行っていた。

家を出る時に確認したが、再度霊符の入ったホルダーから霊符を出して(あらた)める。


主に上半身全般の力を底上げする[(げき)]が三枚。

主に脚の筋力を上げて素早さを向上させる[(じん)]が三枚。

身体の防御力を上げる[(てん)]が五枚。

視力の向上と動体視力の拡張を行える[(こう)]が二枚。

切り傷や打撲程度なら治療が可能な[(いやし)]が十枚。

物凄い霊力を吸われるが、注入する霊力量によっては切断された四肢すら治すことが可能な[(かい)]が二枚。

ある程度の呪いを中和し、無効化できる[(じょう)]が十枚。


赤城と自分の分を補えるようにと多めに持ってきていた。

相手が虚影の怨霊であり、違和感の種を植え付ける認識狂(にんしきぐる)いの呪いに対して浄の霊符はさして効果はないだろうが、多種多様な呪いを持っていた場合には必須になる。

最悪白菊に浄化を行ってもらえば良い。


ホルダーを腿のホルスターに押し込み、開始の時を待つ。

しかし待ち望んだその時までの時間はかなり遠そうだ。

ふと思い立ち愛刀である霊刀・流星を眺める。調子が悪くなったことなどないが、これを見ておくことに越したことはない。


刃先や刃毀れ等ないか、眺めていたところ前方から影が差した。

部屋の隅にいる命に影がかぶさる程接近しているということは、命に何かしら用がある人間だろう。

そう思い顔を上げると知らない男が命を見下ろしていた。

しかして無言である。何も話さない男がただ自分を見下ろすというのは相応に怖いものがある。

仕方なく命は自分から話しかけることにした。


「あの、何か用でしょうか」

「名前は?」

問いかけに被せるように男は食い気味で命の名前を聞いた。

顔は一貫して無表情であり、身に覚えのない怒りを向けられるよりもより一層恐怖を感じた。


「……僕の名前が知りたいなら、あなたから名乗ったらどうでしょう」

心根の優しい命でも不躾に上からモノを言われればそれなりに腹が立つ。

普段であれば表面だけでも取り繕い、にこやかに対応できるのだが今の命には余裕も無ければ表情を作る気力もない。


男はそんな物言いにカチンときたのか、態度を改めないまま静かに命に詰めかかった。

「……本当は知ってんだ、お前が雪代だってな。神奈川支部の最高除霊者トップゴーストハンターらしいじゃないか」

「わざわざ称賛を届けに来てくれたってことですか?だとしたらお褒めの言葉にセンスは感じませんね」

「センス云々なら除霊を行う側に寄ってくれたみたいでね。ありがたい話だが、産まれ持っての才能(センス)には困っていないよ」


一々鼻につく、と思ったが吹っ掛けたのは命側だ。

因縁をつけてきたのは向こうでもそのような話し方をさせるような流れにした自身に非があると思い、毒にも薬にもならない口論には口を閉じた。

あくまで貴方の話には乗りません、というポーズだ。

それに対して、無表情男も煽りの体勢に入る。


「今回の作戦が当初より大きく時期を変更しての実行と相成ったのもキミの()()だとか。

 いやはや、正義の味方である雪代家の()()は相当なものだな。上層部まで動かすほどの権威があるとは。

 さてさてここでまさかだとは思うが、神奈川支部での実績については不正はないのだよね?真意をお聞かせ願いたい」

いきなり大きな声で、部屋中に聞こえる様に仰々しい素振りで命に詰めかかる男の顔は、無表情から笑みへと変わっていた。


皆、暇だったのだろう。残りの大半の興味は命と男に向けられた。

そして何人かの呟きは隣人への会話の火種となり、ザワザワとした小さな音の波となった。


男は先ほど、売り言葉に買い言葉とはいえ自分が才能(センス)に恵まれているという旨の発言をした。つまり自信があるということだ。

そして目の敵のように命に食って掛かり、挙句霊能者の集められた部屋で、神奈川支部での最高除霊数は「雪代家」の権威や権力による改ざんではないかと周りに言いふらす。

男は"上"でないと満足できないのだ。

この場でその権威とやらを失墜させて、この場での"上"となるのが男の目的。


真意に気づいてはいないものの悪意があっての行動であることは明々白々であり、命としてはむかっ腹が立つのも仕方がない。

いくら温厚でもこのようなことをされては鼻を明かしてやろう、という気持ちになるのも無理はないだろう。


「僕が時期を早めるように掛け合ったのは事実ですが、圧力とまで言われるのは不本意です。訂正を」

「いいや訂正はしないね。上のやつ等は()()()()の案件で即時対応を決定などしない。なにか特別な理由がない限りな」

「なら今回は特別な理由があったんじゃないですか?」

「お前が圧力をかけた以外に理由が見つからねえから言ってんだ」


雪代家には力がない。

今に至るまでの歴史の中で権力や様々な案件に対する決定権を雪代家が握ったことはない。

その歴史のみを覗き見た場合、この言いがかりは難癖のようなものだ。

しかし、前代の雪代澄地は英雄とまで呼ばれた男。一代で雪代の名を日本に示した男なのだ。

その息子である命は否応なく【英雄の息子】という色眼鏡で見られることになる。そうなると他の人間は不愉快に感じるのだ。

所詮は親の七光り。虎の威を借りる狐がなぜ我が物顔で権力を振りかざしているのか、と。


動機は違えど、そのような建前でイチャモンをつければその建前を本気と思う者も出てくる。

実際部屋にいる数人は命を恨みや妬みの篭った視線で見始めている。


ここでいくら自分はなにもしていない、と主張しても無駄であると察した命は打開策を考え始めた。

命としては、強い要望を出したのは間違いない。

しかしそれは自分の実績を鑑みての行動だった。決して父親である澄地の影響力を借りようなど、微塵も考えていなかった。

そして一つの誤認があった。澄地がいかに霊能総に影響を与えていたか、見誤っていた。


当初は自分の神奈川支部除霊数筆頭としての発言力、煙霧言ノ葉の幹部としての強い要望、次期神奈川支部長にして秀才である霧雨快晴の綿密なプランによって実現したものだと思っていた。

だが雪代に関わりの無かった人間まで疑いの目を向けてくることを実感した今、父の偉大さを身に染みて理解した。


どちらも動かない。何も言葉を発さない。

なにを思ったか、男が沸々と体から霊力を沸かし始めた。所謂威圧だろう。

それに呼応してか、命も霊力を放出する。反抗の意思の表れであり、戦闘の狼煙のようでもある。

周囲の者はそんな状況は判っていたとばかりに一か所に集まり観戦モードに入る。誰も止めには入らない。


隠す気がなくなったか、男は風が巻き起こる程に霊力を纏わせる。

正直舐めていた命は内心びっくりしていた。こんなイチャモンつけてくるような男は大したヤツじゃないと高を括っていたからだ。だがここで引くなら最初からのらりくらりと躱してた。

「なんですか?作戦開始前ですよ、無駄に霊力を消費してもメリットないんじゃないですか」

「メリットはある、お前に格の違いを叩き込むことが出来る」


どうあってもこの場で命を下したいようだ。

男は大きく拳を振り上げた。見せつける様に、ゆっくりと。

この場で命がとる選択肢は二つ。


一つは避けるか受け止めるか、とにかく身を守る選択肢。

もう一つはわざとパンチを受けて男の溜飲を下がらせる選択肢。


一つ目は戦闘開始の合図となる。ここに二人を止めることが出来る人間は他に十数名いるが、これからネームドとの戦闘が行われるというのに負傷するのはまずいだろう。

もう一つは命の心に傷を残すことになりかねないが、命は自分がそれを受け入れてしまえば丸く収まると考えた。

つまり取る選択肢は二つ目。


しかし禍根を残すとはいえ、ただで殴られて相手に憂さ晴らしさせるだけでは収まりがつかない。

せめてもの抵抗として屈していない態度を取ることにした。

それをみた男も抵抗されないと知ってか、拳に篭る霊力の量が増大していく。


「(ただじゃ済まないかもなぁ……)」

そう考えながら増大する霊力に比例して防御のために纏う霊力も増していく。

拳に溜まる霊力が臨界点に達しようとした時、どこからか声が上がる。

「あれ、ヤバくない?」

そんな見る前から分かるような単純な言葉は、皆の心の中に在った見ているだけの後ろめたさの感情を増幅させていく。


だがその感情は、一人の介入者によって困惑へと変貌することになった。


「…………ナニモンだ」

「友達」


介入者の刀は青い光で鈍く輝いていた。霊力が宿っている特に発する特有の光だ。

その刀はいざ拳を振り下ろさんとする男の喉元にピタリと当てられ、薄く引くだけでも致命傷を与えられそうな程に剣呑な圧があった。

男は当然と言えば当然だが動けない。自分の命は今この瞬間介入者によって握られているのだから。


「雪代の友達か」

「そう」

「名前は?」

「赤城」


名乗りと共に剣が振り抜かれる。

数秒も経たず、喉元からチロチロと鮮血が流れ始めた。薄皮より深い程度の傷だったが、周囲からは驚愕の声が上がった。

少しだけ付着した血を振り払い、男に突きつけて発する。


「霊力を収めて」

「出来ないと言ったら?」

「残念だけど、その言葉が遺言代わり」

ズブリ、と男の大腿部に刀の先端が刺さる。


「俺は雪代以外をやるつもりはない」

「なら、勝負」

「あ?」

「貴方の拳と、私の刀」

ブシュッ、という血が噴出する音と共に刀は肉の鞘から抜け、再度首筋に刀身が添えられた。


ここまで、少し切れただけとはいえ喉元に一筋、大腿部に刀を突き刺されてもなお、霊力に乱れはない。

赤城以上に命がそれに戦慄していた。とんでもない胆力と集中力だ、と。


「「……………」」

部屋に暫しの空白が生まれる。

揺らぐのは立ち昇る霊力のみ。

やがて観念した男は拳を降ろし、霊力も全て体内へ戻した。


「……やめておこう。俺もお前もやり合えば怪我無しでは終われんだろう」

その言葉を受けて澪は霊刀を掌から体内へ納める。

消えた霊刀へ少しの興味が出た男だったが、これ以上は不毛な争いが産まれると感じで離れたソファに腰を下ろした。


赤城も命も男を警戒し、注意を向けていると部屋の一面に掛けられた大きなモニターが、ブツンという破裂音のような音と共に点いた。


「みなさん、お揃いですか。会議を始めますよー」

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