虚影⑩
桎梏解放。
赤城澪の獲得した、恐らく世界で誰も実現できない霊力解放の極致ともいえる禁忌。
赤城澪ですらその性質に振り回されて、未だに完全にモノにはできていない。
だが強力だ。この上なく。
霊力解放にはいくつか種類がある。
例えば、自身の体の一部を霊力に転換させて爆発的な霊力を生み出す尽弱解放や、自分ではなく他人の体を犠牲にして自身に取り込み解放させる修羅解放がある。
いずれにしても霊力解放には何かしらの犠牲を伴う。
積み重ねも無く、ただその瞬間のみ強くなるためには自身を、他人を傷つけなければならない。
無から何かを生み出す時に代償なくして在り得ない。
「命さん、赤城さんすごいです!どんないりゅーじょんか分かりませんが、爆発的に霊力が溢れてます!」
興奮して命とパスをつなげた瞬間にぴょんぴょん跳ねる白菊。
集中した左手は白菊の守護霊の力によって安定度が増した。
「うん、凄い……」
確かに目を見張るものがあるが、命は気が気でなかった。
あの状態は、白菊も分かっている上ではしゃいでいるが霊力解放の類である。
赤城の身体に欠損は見られないし、抜刀した際の動きにぎこちなさもなく内臓を犠牲にしたわけでもなさそうだ。白菊も無事生還したことで、白菊を糧にして霊力解放を行ったわけでもない。
「うわ、あれヤベェな」
邪魔にならないよう隠れていた春花が出てきて、考える命をよそに赤城の方を指差した。
そこには、異次元の攻防が為されていた。
悪霊は斬り飛ばされた左腕は再生し、更にいつの間にか両のわき腹から一本ずつ左右の手を生やしている。
それに対して刀一本で全て捌く赤城澪。
右三本腕で殴り掛かられればかいくぐり、巻き取り、斬り裂く。
脚を交えて多方向からの連撃は、致命傷になる場所以外はほとんど無視して悪霊を斬り刻む。
瞬く間に傷を量産され、悪霊は奇怪な声を出して後方へ飛び退った。
だが一度距離を取られれば傷は一瞬にして回復した。そして赤城を見据えるその目は、命を見る目よりもより警戒色を強めた形になった。
それでも霊力の回復を待つ赤城ではなかった。追撃のために振るった霊刀は切っ先が霞んで見える。
太刀筋が読まれ始めたのか、悪霊はそれを紙一重で回避する。二度、三度、それに追従するように攻撃をするも全て避けられたか掠った程度にとどまってしまう。
悪霊の実力は低く見積もってBランクであり、状況を見ればAランクに届きうる力を持っている。
Aランクともなれば、霊能総の幹部と認められた霊能力者が二人以上が居た上で戦闘を行うのが常識である。
それを歪ながらも確かに手傷を負わせる赤城澪の顔は鬼気迫るものがあった。
しかしその赤城を以てしても、戦闘中に全ての攻撃を回避、あえて攻撃を受けたとしても即座に回復とはいかないものである。
要するに実力が拮抗し、長期戦になれば有利なのは悪霊側である。
「『乱』ッ……」
全十二回斬るこの技も三段目以降は掠りもしなかった。
『乱』自体、殺傷能力が高いことはもとより、"体の中心から外側へ十二回斬る"という特異な技故に動きが体に染みついている。要は自動操縦と遜色ないと言っていい。
人間は慣れると無意識下において自動操縦が為されるものだ。
車の運転が良い例である。最初はおっかなびっくり、全ての動きに気を付けるが一年もすれば動きは半自動化される。
そんな動きに初見で対応して見せた悪霊は、いかに強力なのかが見て取れた。
だが逆に三段目までは確実に命中し、手傷を負わせているのだ。その好機は逃さなかった。
「『抄傾』!!」
対峙する悪霊へ最初に赤城が放った手瀞崩魂流。計三回とはいえ直前で胸から外へ深い傷は与えており、それを避けるためにバランスも崩れている。最初の様に命だけを警戒していただけの時とはまるで状況が違う。
低い体勢から繰り出される足削ぎの『抄傾』は、そのマネキンのような白い脚へ確かに吸い込まれていった。
ザンッ、という音共に赤城の掌にも斬った感覚が伝わった。しかし、その感触で安堵した赤城は残心を僅かに鈍らせた。
そこに入る右の拳。
「………くっ!」
顔面の中心を捉えたアッパーカットの拳打は人間には高すぎる位置まで赤城を吹っ飛ばした。
「赤城ッ!」
「「赤城さんッ!」」
三人の声が重なる。
落下の衝撃はいくら霊力で防御力が上がっていても耐えがたいものがある。
真っ先に飛び出したのは春花で、そのガタイを使って赤城を受け止めようと走り出した。
白菊も金鎖で何とか落ちる赤城を減速させて春花にキャッチさせようと腕を伸ばす。
しかし悪霊にとってはまたとないチャンスだ。
悪霊の斬り落とされた脚からは腕が生え、四つん這いとなった。決まった骨格の無い霊であるため、ゴキゴキと音を鳴らして首の位置や他の腕を調整し、より人間から離れた姿に変態していく。
一瞬の内に変化したその姿はまるで蜘蛛である。
飛ばされてなお死なずに高い霊力を保持する赤城を、本能に従い行動する悪霊が見逃すわけもない。
「キシシシャー!」
初めて浮かべた笑みと共に空中に居る赤城を喰らうために、全八本の腕で跳躍した。
誰も打開できない。
誰も止めることが出来ず、無残に赤城澪という少女の生涯はここで終わる。白菊の瞳には無意識に涙が溜まる。
だがここで止まるようなら、赤城澪は復讐など決意しない。
「手瀞流抜刀術・四ノ太刀」
夜空に響く鈴のような声。誰の耳にも届かず、自身を奮い立たせる為だけに口にするその技。
顔を殴られ脳が揺れ、指先ですら満足に動かせない今この瞬間。相手が勝ちを確信したその瞬間に勝機の光は差す。
赤城とて、このルートが予想できたはずもなかった。
殴られ飛ばされたその瞬間は、流石に意識は飛んでいた。だが、経験が、教えが、本能が、霊刀・零を体内に納刀させた。
そして眼下にいる三人の声で覚醒したのだ。
全身がくまなく痛むが、霊力解放によって敏感になった感覚器官は生きていた。背後から脅威がくるぞ、と。
「………彼岸徹甲」
全身から霊刀・零が突き出る。
手から、腕から、肘から、二の腕から、胴体から頭部から臀部から脚からつま先から。
とめどなくハリネズミの様に全身から絶え間なく突き出される霊刀に、空中で制御の効かなくなった悪霊が刺さる。
先まで拳で霊刀を弾いていたような硬さはなかった。
「キッシャァァッッ!!」
痛い、という感情はあるのだろうか。
人間を模倣しただけの、血液のように赤い液体を撒き散らして悪霊は自由落下を開始する。
全てのピースが揃った。
悪霊と命の間には空しかない。そして標的は傷を深く負い、更に体制を整えづらい空中。
「(狙いはここだ)」
刹那に思考は研ぎ澄まされた。
赤城は白菊と春花が何とかする。生きていることはさっきの攻撃で証明された。
ならすべきは自分が出来る精一杯。
ただ霊力が常人より多いだけで、悲願とされる八大怨霊の一角を狙う雪代命。
そんな復讐鬼の唯一と言ってもいい誰にも負けることのない、いわゆる"必殺技"。名などない、ただ霊力を放出するだけの自殺にも等しい単純な一撃。
「行け」
霊力が収束された左手から放出される一本の光。
通常の人間には観測することも不可能な霊力が、寄り集まることで可視化されるほどの、超高密度な霊力の砲撃が悪霊を襲った。
レーザービームの様に空に光の筋を作り出し、悪霊は断末魔を残さず消滅する。除霊後に出現する黒い煙のような残滓ですら圧倒的な霊力にかき消された。
直後、質量を持った攻撃故にその光を中心として木々の葉を根こそぎ吹き飛ばすほどの爆風が飛び交った。
「赤城ー!?」
放り出されっぱなしだった赤城も宙に舞う。既に意識は再び途絶えていた。
意識がなく風と重力にしか身を任せることの出来ないその体は風邪に煽られて、春花が到着していた位置を飛び越えた後方へ投げ出されていった。
「制御が……!」
豪風に白菊の鎖もジャラジャラと音を立てるだけで赤城の身体を捉えることは出来ずにいた。
高さ約二十メートル、マンション六階辺りから落下すればいくら鍛えていても人間の身体なら死ぬ。それは阻止しなければならない。
「くそっ!」
どれだけ急いでも間に合う気がしない。
「やっばっ……!」
今更、遅まきながら状況に気づく命。今から走り出しても春花と同様追いつくことも出来ない。赤城の覚醒は期待できない。
それでもやはり、諦めなければ光は差すものだ。生にしがみつく執着なら尚更である。
「よくやった」
足元に舞い散る木の葉を巻き上げながら、赤城を手の内に抱えた男が各人を一言で称賛する。
「まるで主人公みたいやったで雪代クン」




