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虚影⑨

「まるで爆風を切ったかのように思えるのですが」

「斬った」


命と春花は身体についた砂ぼこりを払いながら立ち上がり、思わず敬語になり今起こった現象の確認をする。

「で、それは霊刀であり銘は『(ゼロ)』、と」

「うん」

「……どこに隠し持ってたの」

「ここ」

胸辺りを指で小突く赤城を命は困ったように見る。明らかに胸のあたりを指しているように見えたからだ。

その疑問を解消するように赤城は自分の胸に刀を刺した。一瞬ぎょっとした命と春花だったが、いくら刀身が胸に沈んでも血が垂れてきたり、吐血したり、胸から背中まで貫通したりだとかはしなかった。そのまま柄まで全て沈んだ後、未だに開いた口の塞がらない様子を見て手を広げて「いりゅーじょん」と呟いた。


命の父親が霊能者だったこともあり、命自身は小さい頃からこの世界に浸かっていた。

故に、近年からこの世界に入った人間よりは十分に内情を理解しているつもりだったが、()()()()は初めて見るものだった。


例えば、命が持つ霊刀・流星は、超特別性である。

幼い頃に父親の教えでモノに霊力を流す、という訓練を行っていた命が、ある日武器として有用な刃物に挑戦した際に出来た偶然の産物だった。刃物型の武器は霊力を通しやすい故に、戦闘時に霊力のロスが少なくなり、結果武器として成立するため、好まれる訓練方法でもあったからだ。

幼子故だろうか。繊細なコントロールをする以前の、ただ物に霊力を流すという単純作業に小さい命は全力を注いだ。父に褒められたかった一心だった。


注いで、注いで、注いで、注いで。父親は、胡坐をかいたその上に座っていた命をにこやかに見下ろしていたが、途中から異変に気付いて真顔になった。明らかに齢四歳となる息子が放出する霊力量が多すぎる。その時点で既に実力者として名の知れた命の父の霊力量を上回っていた。

父は気づいていた。気づいた上で、その霊力の放出を止めることはしなかった。「命はまだ出し切っていない」と背中から伝わる熱がそう感じさせた。


通常、霊力を注ぎ込み過ぎれば耐えきれずにボロボロと崩れ落ちる。だが、それを超えても未だに原型を留めている筋引包丁に目を奪われた。シャボン玉の表面のように青を基調とした波が包丁の側面に現れていたからだ。ただ霊力を流しただけなら青く淡いオーラがうすぼんやりと見えるだけなのに。


「命……。今、何を感じてる?」

膝の上で、必死に目の前の包丁に力を注ぐ命には、その言葉が耳に入らない。

やがて掌から発せられたエネルギーは衰えて、およそ三十分の時間をかけて包丁へ霊力を注ぎ終わった。

父親の膝の上でこてん、と体を横に倒した。疲れて眠ってしまったのだ。

父親はそれを両手で支えながらも目は包丁だけを見ていた。


後に信頼できる者だけを集めてその筋引包丁を調査した結果、霊力を流さずともそのまま機能する特別な霊刀と成ったことが判明した。

このような性質を持つのは、霊能総が封印指定している『新聖剣』と呼ばれるもののみであった。それをたった四歳の子供が一人で作り出してしまったことで、霊能力界には革命が起こると思われたが、それ以降どれだけやっても同様の性質を持つ武器は誕生しなかった。


この性質の素晴らしいところは、それのみで自己完結している。というところだ。

どんな武器であっても、必ず「霊力を流して、その武器に霊力性を帯びさせる」という過程が必要だ。だが、流星や『新聖剣』であれば、霊力を流さずに済む。過程が一つ不要になるのだ。

そして極論、霊力を微塵も持たない一般人が適当に振り回して霊に当たれば、そのまま祓えてしまうのだ。

それがこの霊刀・流星が超特別性である所以だ。

このことは今となっては命しか知ることのない事実だ。親友である春花にも話したことはなかった。


そんな特別な霊刀を持つ命も、体に沈み込む霊刀など見たことがなかった。そして何故かそれを隠そうともしていないのだ。

「(それが通りで師匠さんが赤城さんを霊能総に近づけていなかったのか……)」

命の父が流星についてひた隠しにしていたように、きっと赤城の師匠も零の特性性を霊能総に嗅ぎつかれないように遠ざけていたのだろう。

『新聖剣』という前例がある命はともかく、体内に収容できる武器を持つ赤城は、最悪の場合人体解剖の餌食にされかねない。


末恐ろしいことを考える命をよそに、赤城は小さな溜息と共に木々の間から除く夜空を見上げた。

痛む傷をかばいながら二人はその場で寝ころび、同じように上を見上げる。

快晴と云う程ではないが、晴れた空にはいくつもの明るく光る星が輝いていた。

「……春花、どれくらいやられた?」

「右の大腿骨と左足の指何本か、それと多分右の前腕も」

「僕も左足と右の小指」


自分の怪我の報告をして、痛みをこらえながらも自然と笑みが漏れた二人を、赤城は感情の読めない目で見た。

何で霊符で回復しないの?とでも言いたげな目だった。

だが命は奇妙なことに、この痛みは勲章であり友情の証でもあると考えてしまっていたのだ。一緒に笑えた春花もそう思ったのだろう。

雪代命と薄雲春花は小学生来の付き合いではあるが、その実今の今まで一緒に戦ったことはなかった。

常に命のサポートが春花、という構図だったのだ、そうせざるを得ない。何度も云う様だが、春花に悪霊を祓う力はないのだから必然そうなる。


今日が初めてだった。二人で肩を並べて戦ったのは。

それを嚙みしめて、やっと命は[(いやし)]の霊符を取り出して春花にあてがった。

「……サンキュ」

「……ん」

じわじわと時間をかけて修復されていく春花の右腕には、既に金鎖は消えていた。その下にはたった今作られた青痣が目立っているが、霊符によって徐々に色味が引いていく。

顔色もだいぶ良くなった。


荒れた息も静まった頃に、白菊が寄ってきて三人に恐る恐る問いかけた。

「私が見たのは六体なのですが……。まだ五体しか祓えてないですよね……?」

命が計二体、赤城が計三体祓ったとすれば計算は合わない。

白菊は、確かにあの場所へ六体の悪霊が寄ってきていたことを知得していた。自身や春花へかかる視線ならまだしも、命へ投げかけられた殺意や悪意を白菊が見逃すはずがない。それは愛などではなく守護霊としての役割であり、能力として白菊に与えられたものだ。


だが今の白菊には、守護霊として感じる命へ向けられる負の感情も、純粋に周りに感じる霊力からもあの時感じた六体の気配は感じ取れなかった。

これ以上深入りする必要もないため、相手から襲われることも無ければ今夜は解散となるだろうが、だからこそ不穏に感じてしまうのだ。数百年、守護霊として雪代家を守ってきた存在としての感がそう告げている。

「……周辺には霊力的に何も感じない、けど」

一度区切って赤城は戦闘態勢を取るように、ハッとして霊力を立ち昇らせた。身体強化をした証である。

「けど、森のなかのどこかがおかしい。……ううん、おかしくはないけど、それがどうおかしくておかしくないのかがわからない」


形容することが難しい表現だった。

赤城が感じている違和感は、そこにいるのに存在が希薄になったモノを見ているような感覚だった。

やがてその違和感は実感へと変化する。それにようやく気付くことが出来た命も早急に治療を終えて立ち上がる。

「おかしくないのが、おかしい……。そこの、闇が」

森の木々の間に存在する暗闇。その場所には何か得体の知れないモノを感じた。

命が指を差したその瞬間、全員の脳内へ電撃が走った。ハンマーで一撃頭を殴られたような衝撃と供に、三十メートル先の闇が存在を示しだした。

いや、最初からそこにずっとそれは居たのだ。

闇に紛れた闇。黒いキャンバスに黒い絵の具で絵を描けば何を描いたのかわからないように、闇の中に闇が潜んでいた。


違和感の正体は、闇に慣れた目でも見通すことのできなかった暗闇。

懐中電灯を当てても、それより先には光は届かない。まるで光が吸い込まれているようだった。

「……まるでベンタブラックだな」

闇色のそれはただそこに居るだけで、何も居ない。

「だが、あいつじゃなくその周りを見てみろ」

春花は既に闇のそれを認識することに成功していた。……認識に成功した、というのは語弊があるかもしれない。実際は輪郭の外側を見ているからだ。切り絵の様に。

何もない、ということは世界にとってはあってはならないことだ。その空間には知覚できなくとも埃やチリ、極端な話空気や光だってある。

春花はその周りを注視してみたのだ。絵画ではなく、その額縁を見る。額縁があるなら、真ん中に絵はあって然るべきだ。

その枠組みを見ようとすれば、おのずと異質な物のみが浮かび上がって、それを見るフリは出来る。


他三人もそれに倣って視点を変えてみた。

するとどうだろうか。その暗闇のみがどうも目立つ。明らかな異質感。

風にはためく、闇夜に映る黒すぎる外套に思えた。そこから漏れ出るのは薄い瘴気とザラつくような霊力。

気づけなかった霊力にもやっと感覚が追いついた。


馴化(じゅんか)、と呼ばれる概念がある。

ある刺激を何度も何度も繰り返し受けることで、その刺激に慣れていく。と云うものである。簡単に言えば"慣れ"だ。

例として、酷い臭いのするゴミ屋敷に住んでいたとしても、そこの住人はその臭いに慣れてどうも思わなくなる。このような現象のことだ。


命達もある意味馴化していたと言ってもいい。ただ、馴化する前にも必ず踏まなくてはならない段階はある。

それは、刺激を受けたと感じることである。

ゴミ屋敷の例で言えば、まず慣れる以前の自分がいるハズなのだ。「ひどいにおいだ」だとか「クサイ」だとか。

今回はそれがなかった。刺激のない馴化だと言っても過言ではない。無意識の内に、文字通り意識の無い内側に存在していたあの黒き霊。


あまりにも正体が不明過ぎる故に、戦闘態勢を取ってみてもその後どうすれば良いのか分からない。霊であることは疑いようもないが、悪霊かどうかの判断もつかない。

まだ善霊と悪霊の違いをそこまで区別しておらず、その上で悪霊に恐怖感を抱いていない赤城ですら動けなかった。未知なるものは、知性に寄っていても本能はある人間にとっては動物以上に警戒してしまう。その証拠に未だ霊刀を引き抜けていない。「引き抜いた瞬間には動き出すかもしれない」という先読みする本能故の警戒。


膠着状態がいつまで続くか分からず、四人はまるで真夏の昼間のような汗と息遣いになっていた。

いつの間にか霊符による強化も無くなり、命と赤城は自身の霊力による強化のみで、春花は完全に生身の状態になってしまった。

春花を守るべき思いが一番強い命は、頬を伝って顎から地面に滴り落ちる汗で足元に大きなシミを作っていた。

イチかバチか、全員の囮となることを考えたその瞬間、黒き霊からドス黒い霊力と共に『言葉』が放たれた。

「…………………ぃ」

「……は?」

第一線で活躍する霊能者には及ばずとも、命は優秀と言える霊能者だ。

一般的な霊能力者よりも遥かに多い霊力と、悪霊祓いに対する心構えが段違いに違う。


はっきり言えば、命は復讐のために生きている。


追っている『骨肉(こつにく)の怨霊』は、両親の仇だ。

赤城と同じく目の前で殺され、その復讐を果たすために生きている。赤城が入学式の時に感じた目の奥の復讐心はコレだ。

だから強い。だから、ただ霊力の多いだけの量産的な大成しない霊能力者にも関わらず強い。

霊力量が多い分、身体強化に回せるだけの霊力も多いのだ。

今回は出し惜しみもなく、防御力と攻撃量を高めるだけでなく頭部周辺にも多めに霊力を集中させて、視力と聴力を向上させていた。今だけは、霊力をものすごく食うが、霊符によるフルでの強化に近い状態である。


その、命の耳が捉えた発言はしっかりと鼓膜に響いた。

確かに黒き霊は言ったのだ。「いらない」と。

ゾクリと冷汗が背筋へ伝う。

目の前の闇が怖かった。「いらない」と共に纏う雰囲気が興味から殺意に変わった気がした。だが、命以外それに気づいていなかった。

いや、この極限の状態すらも馴化してしまったのだ。命も「いらない」と言われて聴覚への刺激がなければこの雰囲気の変化には気づけなかった。


その瞬間には、命は覚悟を決めた。死んでも三人は助けると。

「ッッッ」

逆手に構えた流星での、命の人生において最速の一撃を目の前の闇に放つ。恐らく、初動でこのレベルの速度を出せればBランクの悪霊を葬ることも出来ただろう。

だがその一撃は無情にも闇と云う空を斬った。懐中電灯の光が吸い込まれたように、振り抜く際に刃先だけ消えた。



「「「っ!?」」」

三人のはっとした、息を飲むような声と音が命の背中を打ち付けた。

「僕が抑えるから逃げて!きっと一分も持たないから……!」

一分、というのはあくまで希望的観測時間だった。命は正直自分が一分も時間を稼げると思いもしなかった。思えなかった。

だが、本気で一分稼げば三人は逃げられると信じたのだ、死ぬ気で、死んでも魂でこの霊をここに留める覚悟と決意があった"一分"だ。


しかしその覚悟は直ぐに瓦解した。赤城澪という、一人の少女によって。

「『銀』っ……!」

キン、という鍔鳴りがしたかと思えば、銀閃が瞬いた。赤城十八番と言っても過言ではないその抜刀術は、闇の中を照らす事なく消えた。

「……まるで豆腐。斬ってるのに、斬った感触がほぼない」

「赤城さん!死ぬのは僕だけでいい、早く白菊さんと春花を連れて逃げて!キミなら出来るでしょ!?」

「コレに勝てないようじゃ、()()悪霊は()れない……」


正眼に構えた赤城の頬にも汗は伝っている。

当たり前だ。この悪霊も目の前にして恐怖するな、緊張するなという方がどうかしている。

こうして二人が前に出てしまった以上、後の二人も引くという選択肢はとうに消えてしまった。

「俺は何をすればいい」

「命さん、私にも命令を」

これは消去法なんかではない。そんな言葉で表せる覚悟ではない。この二人の力にならなければ、という己の意思だ。そうでなければ"死"そのものを体現するようなこんなバケモノと対峙しようだなんて到底思えない。


「なんで逃げてくれないの……」

「……雪代君だけ置いていく選択肢を取るほど、私の心は死んでない」

「命さんの守護霊ですよ?私。それに案外私って強いですしね!」

「死ぬのが怖くて命と付き合えるかよ」

各々答えるが、しかし全員足の震えを気合で止めている状況だ。高台からロープもついていない状態でつま先だけで立たされているのと同じだ。文字通り、あと一歩で死ぬ。


「………………ぁ」

再び黒き悪霊が呟く。誰に向けてもものではない、ただの呟き。

命にはそれがかえって不気味で泣きたい気持ちにさせた。先の「いらない」は、比率はどうあれ少なくとも命達に向けて呟かれたものではあった。

だが今回命の耳に届いた声は「………………あ」。ひらがなの一番初め、母音になるアルファベットAの発音。「あ」のみだ。


人間が不意に発せば、何か思いついたか、何かを思い出したか、何かに気づいたか。そこら辺に絞られるだろう。

「いらない」も「あ」も、意図のある発言だ。

どれくらいかわからないが、この霊には知性が存在すると確信した。それがどれほど恐ろしいことか。

知性を持ち、悪性を持った人間をいとも容易く殺せるほどの霊力を持った霊の、思いつきも思い出しも気づきも、何もかもが命達にとっての"生"とは反する。


再び膠着状態へ戻るかと思われたその時、ドクドクと波打つように黒き霊から白いマネキンのような霊が這い出てきた。

先ほど現れた悪霊の内の一体、命が交戦した枝の突き刺さった霊とよく似ている様相だったが、右腕は肘を中心に二の腕より先に二本生えていた。肩を見れば一本の右腕、右手を見れば同じ手が肘から生えている気持ちの悪い状態だった。

マネキンのような見た目でもマネキンそのものではないため、当然合わせ目やつなぎ目などない。


それが完全に(うつつ)に這い出た時、黒き霊はなにも言わずに消えた。消えたと言っても、違和感のない暗闇に戻っただけだ。

依然脅威は去っていない。なぜならこの右手が二本あるマネキンのような霊は、明らかに命達を殺すために出てきた悪霊以外の何物でもないからだ。

三本ある腕を使い、地面から上体を起こす。前面は地に伏していたためか、地面の色が変わっていた。


霊としての霊力の高さを測る際、分かり易いのはその霊が起こす現象や無機物、物質への干渉度合いの強度だ。

大きく三つに分けた場合、物質に触れることの出来ない霊。物質に触れることの出来る霊。そして、触れた物質に対して変化をもたらす霊がいる。

当然、弱ければ触れることの出来ない方に傾き、強ければ変化を及ぼす方へ傾く。

今回の三本腕の霊は、変化をもたらす方である。しかもかなり強く、ただ触れていただけの土が腐食し、死んで変色した。

「逆に、漏れ出てる霊力を制御できていないってことだよね」


それがこちらを殺すための動きをする前に、命は既に行動に出ていた。もっと言えば、這い出てくる瞬間には行動を始めていたと言ってもいい。

右手で流星を持ち、左手には尋常ではない程の霊力が集中していた。

霊力というエネルギーの流れまでは視認できない春花が、明らかに霊力として認識できている程に。


不意に、命は一人の少女へ目を向ける。その意図を理解した少女はコクリと頷いた。

今この瞬間、命達にある選択肢は二つ。

一つは祓って切り抜ける。もう一つはダメージを与え、その隙に逃げる。

どっちにしろ交戦は避けられなかった。


命の左手に霊力が収束しているのを見た赤城は悟っていた。「アレをぶつければ確実に祓える」ことを。

それと同時に「ぶつける」行為そのものが難しいことも察したのだ。

霊は肉眼での目視よりも、霊力の流れによってモノを判別することに長けている。故に、バカでかい霊力を固めた命は、例えるならダンプカーのようなものだ。

強力な悪霊であるならそれを避けるのも容易い。

「足止めするのが私の仕事」

なら、その避ける足を止めてしまえばいい。それが赤城の答え。


「手瀞崩魂流・四ノ太刀『抄傾(しょうけい)』」

霊符による強化が無いのにも関わらず、先までのスピードで右手二本の悪霊へ近づく赤城は急にカクンと膝を落とし悪霊の視界から消えた。

そして地に着いた左手を軸として回転し膝から下を斬り取った。

「膝抜きかよ…!」

身体を鍛える過程で武術を学んだ春花はその技量の高さに再三目を見張る。


闇から出て十秒も立たずに速攻を仕掛けたお陰か、抵抗させることなくノーダメージで脚を損傷させることに成功したものの、その悪霊は一向に倒れる様子がない。

既に足元から去った赤城もそれを見て眉を寄せた。


脚は確実に斬ったハズなのに、倒れない。

幽霊は基本浮いてはいるイメージはあるが、地に足のついた霊に限ってはそうとも限らない。意図的に浮遊しようと思えばできるのだが、その際には少しの動きはある。

しかし未だ赤城に反撃したり、命に攻撃を加えたりとする動きはない。逆にそれも不気味だ。

それでも、目は口程に物を言うと良く言ったものである。

その無機質な感情を持たせない目は、明らかに命を警戒し見ている。まるで「絶対に攻撃はさせないぞ」とでもいうように。


見つめられている命は汗が干上がるほどの恐怖に震えた。

目的の分からなかった闇に紛れた悪霊より、明確に「殺意」のある敵に見つめられているからだ。しかも、肌で感じる目の前の悪霊は先ほど辛勝した枝の悪霊よりも強い。

悪霊は敵対すれば野生の獣のように殺意を以て敵対してくるが、今ぶつけられているその殺意は今までと段違いである。


そして白菊は見ていた。脚を斬っても倒れなかったそのワケを。

「再生能力が恐ろしく高い……!」

確かに斬った。脚は斬られた。しかし切断面より上が落ちる前には再生を始めたのだ。

悪霊は斬られることを前提に、命の攻撃を確実に「受けない」ためにあえてそれを見逃した。それほどの知能を有すると推察でき、赤城も無謀に突っ込むことが出来なくなった。


「それなら…。三ノ太刀『天火(てんか)』!」

間合い外から振られた霊刀は、当然悪霊に当たるはずもなかったが、悪霊はそれに対して動きを見せた。まるでその軌道を避ける様に。

直後、背後にあった木の幹に刀傷が走る。

手瀞崩魂流・三ノ太刀『天火』、赤城澪が有する剣技唯一の遠距離攻撃だ。


避けた先で一瞬赤城の方を見たが、隙を与える間もなく直ぐに命へ意識を戻した。

完全にタイミングを失った。このまま現状維持では確実に命達がやられる。人間には活動限界が存在するからだ。

霊力による強化は、その状態を維持するだけで霊力を失う。一方悪霊は再生に使用した霊力以外にリソースは未だ割いていない。

加えて命が左手に溜める霊力は現状維持をしているだけで、大量の霊力を消費する。一般的な霊能力者ならもう既に気絶しているだろう。


RoGを使って隙を作ろうにも、先と同様に砂埃で視界が塞がれば、手傷を追うことをリスクと考えない悪霊が状況としては一歩勝ってしまうため使えない。

唯一の打開点は、赤城が単騎で悪霊を消耗させる事。

白菊は命を守るために警戒するので精一杯だし、春花も動けばその時点で死が確定する。


身動きが完全に取れなくなったこの時、悪霊が動いた。命へではなく、赤城へ。

「キキキキキキキキッキキ」

歯ぎしりを極限まで早めたような音を立てて二本の右腕による拳が赤城を襲った。

「くっ……!」

霊刀・零を握る掌を砕かれるような衝撃が伝うが、何とかいなして後方へと下がる。

守りのために正眼に構えた霊刀・零の切っ先を向けたのがまずかった。回り込まれて、悪霊は赤城を挟んで命を見る形になった。攻めの型であれば回り込ませる前に斬り込むことも可能だったのかもしれないが、掌を襲ったあの衝撃が赤城を守りに回らせた。


命はギリッと奥歯を噛みしめた。間に赤城が居るとなると、容易に左手の霊力を放てない。巻き込む可能性が高すぎるからだ。

二度、三度撃てるならここまで慎重にはならない。万全な状態ならともかく、命は戦闘後であり、その上要求される霊力量の高い[癒]の霊符を二人分使用しているため、いつもの三分の一程霊力を消費しているのだ。

そして命の切り札として使用する霊力の単純な放出は、確かに目の前の悪霊を消し炭にするほどの威力はあるが消費量が半端ではない。常人の何倍も霊力の多い命の、総量の約半分を使用するほどに。


「キキキキキキキキッキキ」

悪霊には特殊な能力は無いらしく、霊力で補修された拳でひたすら赤城を追いつめ始めた。

八割避けて、二割受ける。その割合で何とかしのぐ赤城は既に霊力が枯れ始めていた。霊符による強化も無いため自前の霊力でなんとかするしかない。

自身で霊符を使用しようにも隙がなく、白菊も離れすぎている。


命も移動し射角を確保しようにもどうしても間に赤城を挟んでしまう。悪霊の技量が凄まじかった。

その攻防も長くは続かなかった。緩んだガードに差し込まれた左拳の一撃。鍔で受けたものの、衝撃は人体へ響く。

「ゴフッ……!」

受けた傷は深く、より一層不利な状況を加速させた。


「……っ!!命さん、すみません。私……ッ!」

「僕は大丈夫。お願い、赤城さんを助けてあげて」

白菊は命と繋がれたパスを切ろうとした。だが、赤城は地面に霊刀・零を突き立て、息も絶え絶えに援護を否定した。

「……ハァ、ハァ。問題、ない」

「ないわけないでしょう!」

口から零れた鮮血を拭いながら、悪霊に向ける敵意は一切消していなかった。油断したら殺られることは痛感していたからだ。


赤城の元まで飛び、[癒]の霊符を背中に当てた。淡く緑の光が舞う時、悪霊は容赦なく拳を振るう。

「やらなきゃ……ッ」

「近づくな下郎」

赤城が再び前線へ飛ぼうとした時に、白菊から伸びる金鎖がその行く手を阻んだ。

二本の右腕による二回の衝撃は幾重にも重ねられた鎖によってその衝撃を打ち消した。


視界を確保するために直ぐに解かれた鎖の束は、その警戒を緩めることなく赤城の周りを囲う。

「醜悪な闇から産まれ落ちただけの、理性の無い幽鬼(ゆうき)如きが私の友を害そうなどとッ……!」

柔和で美しい顔は怒りに満ちて、青筋が走っている。ここまでの顔は命ですら過去に二度しか見ていない。


再度仕掛けられた攻撃は、たった二本の鎖ですべてを弾いた。その度に白菊は苦痛に顔を歪める。

『束従の鎖』は、霊力で生成されて防御力が格段に高いが、あくまで白菊の一部なのだ。あまりにも強い力では高い防御力を貫通して白菊にもフィードバックがある。

「……ありがとう。だいぶ回復した」

つけられた[癒]の霊符を自ら剥がして、ポケットに押し込んだ。[癒]の霊符は使用時に消滅するわけではないのだ。


「全力で行く」

放たれたその言葉に白菊は少しゾっとした。

「ま、まだ回復しきってな」

「これ以上は雪代君が持たない」

背後で未だ機会を伺う命には、大量の汗が滴っていた。都合三分は左手に尋常ではない量の霊力を溜め込んでいるのだ。量だけで言えば一般的な霊能力者十人分ほどである。今すぐに爆散してもおかしくはない。

悪霊は、まともに当たれば一撃で命を破壊できるほどの力量を以てしても、その左手の攻撃を受ければひとたまりもないことを理解しているから近づけないのだ。


命からなぜあり得ない程の霊力量が出力されているかは、今考えるのは愚策である。全て切り抜けてからゆっくり聞けばいい。赤城はそう疑問を振り切った。

「全力って……赤城さんにはもうアレの攻撃を受けられる霊力は残ってないはずです」

「四肢を完全に落とせば、隙は作れる」

「それが無理だって言ってるんですよ!」

そんな言葉の攻防を繰り返す内にも悪霊は容赦なく攻撃を仕掛けてくる。

相手は絶対的な守りの態勢で、その上霊力が枯渇し始めているなら、条件の整っている自分から仕掛けない意味はないだろう。


攻撃は全てが重く、鉄球をぶつけられている気分であった。

衝撃の少ない鎖からのフィードバックですらこの痛みである。赤城がどれだけ捌くのに神経を要したか、白菊は肝が冷える思いだった。直撃すれば、[纏]の霊符が切れている今なら骨折は必至、最悪肉がはじけ飛ぶ。


そんな鎖の防御の中赤城はズズズ、と自身の腕に霊刀・零を納刀した。

「白菊さん、下がって雪代君の援護を。貴女が居ないときっとこれ以上あの状態は維持できない」

赤城の予想は概ねその通りであった。

白菊という守護霊の存在は、外敵から守る外骨格である反面内側からの霊力暴走を抑える役目も持っている。

そして全力で破裂寸前のところで最高火力を維持し続けている命は、狙われればそれだけで精神が乱れてその場で暴走し、爆散するかもしれない。暴走を抑えたとしても維持に精一杯な今では霊力による身体強化すらままならない。


そんな暴走寸前のところに防波堤を立てられるのが白菊なのだ。

それでもどちらが状況的に危機であるかなど明白だった。最悪、命はその状態を解除してしまえば自衛自体は出来るが、赤城は霊力が枯渇状態。狙われればどちらが先に死ぬか、火を見るよりも明らかだ。

それでも赤城は前に出た。白菊の心配を振り切るように。


「赤城さ………」

「『桎梏解放(しっこくかいほう)』」

呟かれた『桎梏解放』の言葉と共に突き出された右手から霊刀・零が飛び出した。だが、今までと違い鞘ごと出現している。

鞘を左手に携えて悪霊の眼前にて抜刀した。

「キシッ」

振り抜かれる霊刀、舞う悪霊の左手、先まで考えられなかった赤城澪の爆発的強さ。その全てを白菊は目撃し、迷いは消えて命の元へ舞い戻った。

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