3.あの世までの道
僅かに黄色く白い空。
そこに浮かぶビル、緑色の湖、白い雲。
水色の葉が揺れている。心地の良い風が吹いているのだろう。
額から流れた汗に目は閉じた。
銅色の砂の雪原、マグマの川、逆立ちしている火山。
肌にぶつかる小石、纏わりつく熱気。
疲れた首を回して見えた、辺りの景色である。
このような場所は来ようとしても来られる場所ではなく、自然と行きつくところだろう。
というのも、気づいたらここに寝ていた記憶があるからである。
「おーい、こっちこいよー!」
公園によくある、屋根の付きのベンチに座り、こちらに手を振る人がいる。
空を眺めてばかりでも暇なので、私はそこへ足を引きずっていく。
ベンチには四人の人が座っている。
「そんな空ばっか見て、羨ましいのか?」
さきほど手を振った元気な人。
「あなたは何飲みますか?」
礼儀正しく気さくな人。
「溶岩酒は譲らんぞ!」
ガブガブと真っ赤な水を飲む人。
「眠い」
姿勢の悪く、顔色も悪い人。
暇になると集まって適当にしゃべるのが我々の日課である。
彼らはどいつも未練たらしい、非透明人間。されど奇想天外な奴ら、自由人なのだ。
そんな人たちをシンパシーが合ってしまうことは不思議であり、気味が悪くもある。しかし暇つぶしには丁度よい。
元気な人はいつも体力溢れていて、つねに動き回っていたらしい。それで人々に貢献して、充実した日々を送っていた。それなのになぜ、こんなところにいるのか。
「そういうことを聞くのは、ここではナンセンスだって」
「そうでしたね」
「……さて、今日は僕から話すよ。あれは確か19歳の冬、僕は……」
私たちは昔話をする。
今までも元気な人の話をいくつか聞いてきた。
付き合った人がヤクザだったり、友達に恋人を奪われたり、二股してバレたりなど。
恋に関するものがやけに多く、そのどれもが失恋であった。
今日は、幼馴染とばったり会い同棲まで進んだが、なんか違うなと思って別れた、なんていう内容だった。
八茶けている様子であるが、いつもに増して、どこか辛さを含んだ口調であった。
礼儀正しく気さくな人は、周りに困っている人がいればすぐに助けに向かい、それによって自分が傷ついても構わないという感じである。
具体的には、階段を渡るのが辛そうな爺さんをおんぶして遅刻したり、子供が泣いていて交番まで連れて行ってたら恋人との待ち合わせに遅れたり、酔っぱらっている人を慰めていたら終電を逃したりなど。
こんなに人のことを想っているのに、なぜこんなところにいるのか。
そんな疑問はこれらの話を聞いてすぐにわかった。
「やっぱり僕って、優しすぎましたね」
「ほんとだぜ! もはや生粋の馬鹿だな」
「そうですよね。でももっと馬鹿みたいな話もありますよ。僕がいつものように……」
この人は恐ろしい。
ニヤつき、目を輝かしながら話すところに私は怖気ついてしまう。
それすらも刺激的ではあるが。
ガブガブと溶岩酒を飲む人。
いつもここに座っては酒ばかり飲んで寝ている、どうしようもない人だ。
この人が話すのは予想通り奇想天外であり、悲惨である。
「それでな、アサルトライフルで……」
今回もとても明るいものではなく、吐き気がするくらいの内容なのだ。それでも聞いていられるのは、また聞きたいとどこか感じるのは、こんな話題を鼻歌交じりに自信満々で話しているからである。
中身関係なく、この雰囲気がもっとも面白い。
姿勢と顔色が悪い人。
なんでも真面目過ぎたからこうなったのだと。いつも嘆いている。
「ああ、つまんないか。僕の話は……」
正直僕はこの人の話が一番好きである。
非情にリアルであり、悲劇であり、綺麗で美しい。
ここにいる人らはほぼ葛藤しない。しかしこの人は未だに悩んでいて、苦しんでいる。
空を見上げては溜息をつく様は実に滑稽であり、腹が満たされる。
この類の、真面目で平坦な話は我々が嫌うものであるが、この人の顔色がどんどん悪くなっていく笑いどころがあり、好感なのだ。
さて、最後は私の番だ。
四人がじろりと私を見ている。
正直、私には皆を笑わせる話などない。非常に臆病者で、頑固で、常軌を逸しているアホだからだ。
この特徴は珍しいもではなく、失笑されるようなことだ。
酷い人なら風船で空へバイバイされるほど。
それでいいのなら、いいのだが、私はここが好きだからそれは困る。
ゆえに私は無いものを話す。嘘をつくのだ。
彼らはこれに興奮してくれる。でもそれは流れるように虚実を言い放つ様が可笑しいからだろう。
始点も終点も同じ。
違うのが過程だけであるのなら、私は彼らを驚かせられる物語をできればいいのだ。
死んだ後に話すことがありきたりだとつまらないであろう。
私はそこに価値があると感じた。