再び現地にて
「もう分かってる」と分かっていても犯人が現場に戻る気持ちはよぅく分かる。
それが終わったあとから今までとは違う日常が始まるのに、まだ、それまで以前の日常の中に包まれている気がして、そんなことはあってはならないのだそんなことは自分一人だけが描いた妄想なのだと信じたくて、そこを見つめに戻ってくる。
そして、毎夜繰り返していた穏やかな日常にちゃぶ台返しの不始末をやらかしたのが己れであることをしる。あるいは、分かる、気づく、納得する、はらに納めるなどの結語に置き換え、繰り返し、やっと自分の中と一体化させるのだ。
それは、はなぶさ電気商会からだと思ったが、先に入った銭湯からすでに始まっていたのだ。
路地の左右は、しもた屋と閉めっぱなしのシャッターが3軒ずつ並ぶ屋波だ。
はなぶさ電気商会の薄暗がりのあった屋波は、そこだけが綺麗になくなり、左右それぞれが詰まって、向かいと同じ3軒が同じ2間幅で割られている。
そしてどん詰まりに間口を張った銭湯は、廃業したが造作を壊せずにいる同業者のお決まりのように半紙に手書きで「休業中」が貼られている。隣のコインランドリーは先ほどと同様に開けっ放しだが、営業はしてるらしい。それでも、ここを使っている人は今日はまだいないようだ。
ー 何ひとつ前向きにならない暑い一日だけど、洗濯をするのだけはうってつけの午なのに。
ひとはいない。洗濯機の動く音もない。ただ、シーンの音よりほか聞こえるものはない。
虫干しの済んだラジオたちは元の暗くてかび臭い棚の中へ仕舞われたらしい。それでもチューニングするように耳をすませば、電波を直接拾う鉱石ラジオのように平たい水面の上を爪が引っ搔き、波を立てる。
「・・・・・お札を剝がして、っ・・・・・・・・・海に濡れ・・・・一枚一枚乾かしてやらないと、・・・・・・・印刷が溶けて・・・・・ただの紙切れにされてしまう・・・・・・・おとうさんの全てが、あたしの全てが・・・・ただの紙切れにされてしまう・・・・・・・・・・・」
若い娘だが古めかしい女の声だ。穏やかだがけっして止めない震える声。波の隙間よりももっと深い海中深くの海のしじまから聞こえてくる。
「・・・・つきのした・・かぐわしい・・その・・・・・いえらいしゃん、・・・・・・・タララララ、らッらッ・・・・・・ゆめのふなうーたぁ・・・・あすの・・・しらねども・・・・・寒山寺|」
ほかの調度品にも負けないオークで拵えた立派なラジオが広い洋間に鎮座している。
歌っているスター歌手当人を招いたときの80年前の華やかさが思い出される。
とおいむかし、いづこかで遭った記憶がからだの中から風を吹かすように吹いてくる。
広東語が母国の言葉か、或いは母国は日本であったのかか。山に閉ざされないどこまでも続く平原に、澄み切った歌声はこの先に何が待っていようとも未来のみを見つめ、伸びていく。
「・・・・・・この夏も・・・・・税関の職員による戦後の引き上げでお預かりしたままの紙幣の虫干しが始まりました。ここは門司。門司のほか、同じことをした各地の税関でもやっていることでしょう。戦後も77年を迎え、当事者の皆さんも鬼籍に入られ、急なインフレ防止の名の下にされたそのような没収同然の酷い仕打ちがあったことも、今日のこの何ひとつ揺るがない土用日和のもと、微塵も感じさせずに作業は行わています。
普段ならアジや何かの天日干しに使う横広がりの大きな金網に職員たちは横に並んで春の田植えのように慣れた手付きで金網の隙間を埋めて行きます。壱圓拾圓が多い中で、百圓札も並んでいきます。そして、その中にあって百圓札だけは何故か、たった今どしゃぶりにあたったひとの髪のように、濡れて染み込んだ水の半透明の匂いが立っているのです。雨ではなく潮で洗われしばらく漬けられた塩辛い臭いが立っているのです。
百圓札を一枚一枚丁寧に並べている職員のひとりが、そっと打ち明けてくれました。
持ち主だといって壱圓や拾圓の札束を取りに来る方はもういません。貨幣価値のなくなったお札が減っていくことはないのです。毎年毎年、この時期になるとわたしたちは蔵に置き去りにされたまま顔のしらぬ先祖の日記を毎年の夏にするように、札束の紐をほどき一枚一枚虫干ししていくのです。これからも、ずっと、永遠に繰り返されていくことでしょう。
ここで、小さな溜息をひとつ置いてから、急に辺りに目配せするようにして、この職員はわたしの腕を引っ張るように近づき小声で打ち明けるのです。
・・・・・減っていかないどころか、まいとし紙幣は増えているのです。間違いありません。役所ですから、書類の管理、引継ぎは万全です。前年に結った紐と違う、わたしたちの使用しているものではない紐で結わえた紙幣の束が、それぞれ段ボール箱の中から、ひとつ余計に出てくるのです。
段ボールは全部で六つ。余計に入ってくる紐の違う束が六つ。すべて満洲国が発行した百圓紙幣が100枚ちょうどで束にされています。当時の価値でいったらどれくらいなのでしょうか。敗戦後の引き揚げで、内地に持ってはいけないものをすべて昨日までの輪転機で刷ったこのお札に交換して船に乗り込み、そのあとすぐに沈んでしまった船の海中深く永らく仕舞われていたものでしょうか。戦争中であれば、敵の爆弾や魚雷で沈むことはあっても、戦後の引き揚げなら打たれて沈む心配はないですよね。よっぽど古くて危ない船だったのでしょうか。・・・・・・戦争が終わり、爆弾や砲弾に脅えることだけはなくなったのに、それに撃たれて死ぬことだけはなくなったのに、ほんとうに運が悪い。最後の最後につまづいた。いいや、つまずいたから最後の最後になったのでしょうね」
ほんとうに運の悪いひと・・・たち。
でも、運が悪いだけで、悪いひとたちではなかった。
もしも、少しだけ運が残っていて、やっと辿り着いたとしても本土で待ってたのは、思い描いていたとおりの母国ばかりではなかったはずだから。
そんな気休めが囁かれる。
目指す相手や景色はすっかり様子が変わり、これなら思い描くばかりでいた方がどれだけ気休めになったろうと嘆く夜も一晩や二晩ではなかったはず。そんな晩は同じ夢を見る。今なお海中深く眠る同朋が光の入らぬ中で延々と見続ける同じ夢を。
・・・・・日は落ちて・・・おくにを何百里ぃ・・・・・とおぉーくぅ満州の・・・・赤い夕陽に・・・・・・幼なじみの・・あの顔・・・・ああああぁー・・・・・おもわぁーざぁーるぅ・・・・
哀愁よりも哀切の、擦り切れた布地を引き裂く声で謳われる歌たちは好き勝手に吹き上がるが、そのどれもが相手を邪魔せずに背中合わせでいる。
湯船に浸かっていたあの二人はいまでは親子ほど離れてしまった幼なじみ
扇風機ひとり占めのヨークシャーに似た白くて四角い背中は、芋ばかりで栄養失調になった末の弟
ラジオも中華のお客も6の符丁が一緒なのは、用意した椅子が6つだったから。
円卓を囲むには6席はちょうどいい。
椅子の背もたれの細い笠木は衣紋掛けのように少し肩をあげ、各々が手をつなぎ丸く頑丈にこの小さな偲んで食べる円卓を、美しい六角形に仕上げて呉れる。
すでに、わたしは、壁も天井も朱色に染められた派手なお茶室のような四畳半で、その天井に張り付きながら各々の出入りが続く6人の会食を眺めるだけになっている。真夜中の森のテントで、ランプに吸い寄せられる無数の虫の一匹になり、解夏解夏解夏と、どん尻の蝉のように泣いているのだ。