はなぶさ電気商会
炎天下に加え湯あたりした長風呂が祟って、本当に欲しいのは涼しげな暗がりだったのかもしれない。日差しで疲れていた目はやっと暗がりの明るさに慣 れてきた。
むかしのまちの家電屋よろしく品物は何も置かれていない。販促用のアクセサリーとポスター、それにメーカー別のカタログが商品別のラックに掛けられている。
テレビ、冷蔵庫、洗濯機、クーラー
日立、東芝、ナショナル、三菱
テレビを除けば、白物家電だから、ラックのカタログは広告チラシの裏のような、ハサミで切ってメモ紙に出来そうなほど白い。白物ばかりでなく、薄暗い蛍光灯に日焼けされたまま何年も放置されて印刷自体が薄くなっている。
ポスターだって、名前は明かせないが、いまじゃ結婚して子どもが二世タレントになってるアイドルの等身大の水着写真が大写しで写っている。
等身大のポスターって、男の子のアイドルが印刷物だけだった時代の最高の甘酸っぱさを曳きづってくる。
いまのグラビアアイドルと違って、歌手がアイドルだったころだから、Ⅾカップの胸はがんばってるけれど、パンツはビキニラインを隠している。清純派でならしてたから、パンツは下着でなくても白い。眩しいほど白い。薄暗い蛍光灯にやられて白くなったのでなくて、輝くようにホワイトを白く塗り込まれている。
それが、販促用に印刷する前か、それともここの主がそうした趣味の輩で、夜な夜な面相筆を使って白いペイントを重ねているのか。
いつまで待っても店番の店主が出てこないことをいいことに、わたしは妄想の足跡をそのポスターにつけていく。
商談用と食卓を兼ねたテーブルにはラジオが置かれていた。大きな土瓶と逆さまにして重なった湯吞みは端っこに追いやられている。
1台でなく、数えたら6台。等間隔に戸口に向かって、影が重ならないように並んでいる。吸い込まれるように店に入った時それら6台は目にしているのに、わざわざ商品の陳列のない家電屋といったのは、わざとではない。お客に売る商品っぽさがみじんも感じられず、あーこれは売り物でないなと、すぐに判別できたからだ。
どれも使い込んだ古いものだ。真空管を抱いた重そうなもののようだが、骨董までの逸品ではない。
ほかも、トランジスタ以降のポータブルの軽量化や多機能ラジカセで売っていた売り筋の大量生産物ではなく、ラジオだけがオンリーワンだった頃の音響設備だ。
丸いスイッチが二つだけのものはチューニングとボリュームだけのAM専用で、3つあるのはそれにFMがついていて、選局の切り替えボタンは丸いものと別に側面についている。イイ音って感じを、まずは目で知ってもらおうと、スピーカーのコーン紙の震えがわざと透けて見えるようなスタイリッシュなフォルムが目立つ。
AMだけのラジオは実用一点張り。電極に吸い寄せられたほこりのはたき掛けが楽なように、でっぱりは極力少なく、スピーカーも電話機に洋服を着せててようにネット制の網が掛かっているのこの筋の主流だ。
井戸端DJのお喋りを延々と流し続けいていけるフォルムだ。
ぱっと見は同じでも、比べてみれば各々の個性ある6台を、影を重ねないようテーブルに置いているのは、虫干ししているからだ。普段はどれもどこか仄暗い箱に仕舞われていて、年に一度この時期に虫干しをしている。
ー そういえば、今日は土用のお仕舞だ。夏は終わるのだ。夏だけのものは片付けられ、夏だけの生き物は死んでいくのだ。
6台の面影は、「おうおう」「そうそう」「それは確かなこと」だと囁く。
面影ばかりでなく、話しかけてくる。相手はラジオだから、話しかけるでなく鳴ってくるが正確なのだろうが、あまり気心もしれずお喋りが得意でない6人が一斉に一間に押し入れられ、うつむきで押し黙ったままが過ぎてから、フッと頭をあげたとき、急に横切ってきた美しいオオムラサキの羽根のゆらゆらに全員の視線が重なって、それをきっかけにお喋りが始まったような、そんな身なりで鳴りだした。
「8月6日木曜日8時になりました、おはようございます。土用の終わりというのに秋らしさはどこにも見つからないまま今朝も夏空に入道雲が元気に昇っていきます。現在の気温は25度。お昼には30度を超えるとのことです。では、リクエストにお応えいたしましょう。週の真ん中のアツさなんかフっとばせと、熱いメッセージが添えられております。一曲目は、先週よりぐんぐんウナギ昇りに駆け上がってきました、アズミマコトが唄うテラス席のマーメイド、どうぞ」
「・・・・・避暑地のテニスコート・・・・・賑やかな声に誘われて見上げた先の・・・・・・デッキチェアにくつろぐ君・・・・・たったいま白いスカートから生えたような・・・・・ひとりだけ日焼けのない白い脚・・・もう釘付けさぁ・・・・・・ああ・・・・ああああ・・・・・もうメロメロさぁ・・・・・もういちころだよぉ・・・・・・・テラス席のぉおおお、おーおー。。。。マーメイドぉ、おおお」
fm電波を通してメッシュ越しに震えるコーンスピーカーの声は、つくってはいるが先ほどのAM音で個性を出さないことが信条の公共放送アナウンサーに間違いなかった。雑音の少ないfmだと中身の詰まった音圧まで感じ取れる。隠してはいるがAMの語り口調でひずんで聞こえるそのひとの親指大の喉仏と一致していた。
どこから聞いても厚みのある男声を、鏡の中に写る白いファンデーションで固めた己れの顔を真っ正面に見据え、それでも吹き出さずに一心不乱に女声に徹して歌っている。マイクを替えスタジオを替え波乗りみたいにほかの電波に乗り移りながら、まるで遠い星の光が光年とういう単位でやっと届くような長い旅を続け、たったひとりのリスナーのためにいまラジオのスピーカーから出てきたと思うと、離れられなくなった。