四天王最弱(ほぼ村娘)なので、四天王最強がお世話してくれるようです
「フッ……こやつは四天王の中でも最弱」
どこかで聞いたことあるような台詞だな? と思うような言葉が聞こえた。
(うーん、テンプレ)
そう言って、鼻で笑ってやりたいところだけれど、問題は、それを言われている「四天王中最弱」が私だということだ。しかも、それを否定するような材料を私は持たない。なんとか否定したいところだけど。
それなりに元気とやる気があれば、今すぐ目を開けて、「人が眠っている間に何を好き勝手に言ってくれてるんじゃああ」とか言って食ってかかれるのかもしれない。けれど今、私は本当に眠っているわけでもなかったりする……これは眠りではなく気絶です。
なんで気絶しているのか? それは勿論、勇者様御一行にやられたからですが?
「……」
どこかで、ぴちゃりと水が跳ねるような音が聴こえた。
ここは暖かい。周りの空気は冷え切っているのに、何か温かくて柔らかいものにすっぽりくるまれているから暖かい、そんな感じだ。ふわふわした熱に甘やかされて、だらけきった身体に少しも力が入らない。
(起きたくない……起きられない)
しかし、目覚めなければまた、好き勝手に言われてしまう。
「弱いから、護らねば死んでしまう……護らねば」
(ほら、また言われてる……!)
護らねば?
ちょっとテンプレとは違う気がするけれど、敢えて流れを読むとするならば。
四天王に護られる四天王……それはもう本当に、滅茶苦茶弱いってことだよね? ただ馬鹿にされるだけではなくて、「そんなにも弱いのだ」という屈辱を刻み付けるパターンなのか……それは恐ろしいわ……
「ほら、飲みなさい」
唇に何か冷たいものが触れた、と思う間もなく、硝子壜の口? らしきものが私の口に突っ込まれた。虚脱しきった私の喉は逆らうこともなく、圧力に負けて喉がこくりと鳴って、液体を飲み込み……ん?
(甘っっ!! 滅茶苦茶、甘い!)
「回復ポーション、限定:桃味」
説明書を読むような無機質な声が告げる。
限定味なのか……ポーションといえば薬そのもの、野草を口に突っ込まれるような味がするものだと思っていたので、わざわざ女子が好みそうな味のものを選んで突っ込んでくれたことは正直、高評価です。ありがとう。
──というか。
「えっ?」
ただの回復ポーションではなかったらしい。気絶するほど削り取られていたHPがぎゅるん! と音を立てそうなほど瞬く間に回復し、私はぱちりと目を開いた。
暗いダンジョンの壁が見え……いや、ここはダンジョンじゃないな。向こうに光の出口が見える。すぐ近くに開口部がある洞窟で、自然に削られて出来たような土壁が広がる。光を背にして、後光に塗れて輪郭がぼやけている男、それもやたら長身の男が手足を折り畳むように座って、私を覗き込むように見下ろしていた。
その顔を見た途端、私の意識が一気に覚醒した。
「よ……依田さん!! 依田さんじゃないですか!」
「依田?」
男の顔が歪む。
驚かせてしまったらしい。訳が分からないことを口走ってしまったので、当たり前だ。しかし私だって驚いた。
(なんで依田さんが、こんなところにいるの)
依田さんは……勿論、依田さんではない。私たち、ゲームプレイヤーたちにそう呼ばれているだけだ。本当の名は、グレシエル・ヨダンジール・イスファード、畏れ多くも古典的RPG「アトメキアの戒律Ⅲ」における悪の帝国の第一皇子にして皇太子、そして帝国四天王の席次第一位というお方である。
またの名を、「グレた依田さん」という。※本人の承認は得ていません
(依田さん……)
イケメンキャラである。日本人顔ではないけれど、和製RPGだけあって西欧人ほど顔の彫りが深いわけでもなく、どちらかというとすっきりした顔立ちの、アクのない美男だ。黒髪黒目、ちょっと肌の色は浅黒い。手足は長い、それはもうやたら長い。
細身なのに筋肉はあって190cm。現実世界にいたらちょっと怖い気もするがここはもう半現実なので許されるだろう。しかし、いくら美形でも、依田さんの場合、「依田さん、よく見ればイケメンなのに……」「イケメン枠を無駄に使い潰し過ぎ」「なまじ顔がいいから余計に無残」と、「依田さん可哀想」観を盛り上げるネタにしかならない。
そう、依田さんはとても気の毒なキャラなのである。
悪の帝国の皇太子なのに、完全に中間職。そもそも皇太子が何故四天王の一翼を担っているのかというと、他に人材がいないからである。まともな人材が。
どうしようもない失策ばかり繰り出す帝国皇帝(勇者に対して戦力を逐次投入しては、その度に撃破されている)、頭の中身が緩いスライムで出来てそうな部下たち(勇者の経験値稼ぎ用雑魚)、完全にバラバラに行動している他の四天王(こちらも逐次撃破される)の中で、あれこれ板挟みになりつつ、一人だけ真面目に帝国の未来を考え、戦局を憂え、被害を最小限に抑えて行動しようとする。勇者に対して、停戦のための話し合いを提案したこともあったな……
しかし、いかに依田さんが真面目に行動しようと、他の連中が何にも考えてない奴らばかりなので(あるいはそれが悪役の宿命なので?)、どうにもならないのである。
それでも懸命に戦い抜いて、依田さんは終盤になって死んでしまう。それも、何一つ彼の話を聞いてくれない、ネグレクト疑惑もある父親である帝国皇帝を庇って。
「もう、何もかもうんざりだ……!」
死の間際に、血と共に吐き出した叫びがこれだ。
「依田さんがグレた……!」と、ネット界が震撼したものだ。こうして依田さんは亡くなってしまったのだが、創作界には闇落ちした依田さんのファンアートが溢れた。半分は愛、半分は同情。依田さんはそういう不憫なものとして愛したくなるキャラなのである。
(そのご本人が、ここに……)
ごくりと唾を飲む。
すみません、私、貴方の闇落ちファンアートの投稿者の一人でした。
ここまで語ってしまえば隠しようもない、というか、隠す気があるのかという感じだけれど、私は転生者だ。
前世の記憶はあるけれど、何一つ変えられていない、世界の強制力に流されまくりの転生者。この世界での名前はリシカ・アーモンド。運命を変えようとして、戦わず、争わず、目立たずやってきた結果、ゲーム版よりも更に村娘ぽくなってしまった弱々キャラである。
ド庶民の私と、悪の帝国の皇子様である依田さん。雑魚敵に色がついたような序盤小ボスの私と、終盤戦指揮官格の依田さん。もちろん、ろくに関わりがあるはずもなく……
「あの……依田さん、じゃなかったグレシエル様は、どうしてここに?」
緊張にくぐもった、小さな掠れ声が出た。
皇子様相手に、どう喋ればいいのか。まともに話したことなんてないので、相応しい言葉なんて知らないし分からない。
依田さんの目が僅かに細められた。私は「ひゃっ」となったのだけれど、予期していた叱責の声が降ってくることはなく、
「声が掠れているな? 全回復用のポーションを飲ませたはずだが、まだ足りなかったのか」
「え? いえ、とんでもない、大丈夫です……!」
「ざっと99本ばかり持ってきたが。必要ならまた言いなさい」
「えっ」
私の心臓が跳ねた。
(どういうことなの)
依田さんが妙に過保護だ。もともと面倒見のいい人ではあるけれど(だからこその悲劇だ)、本当にいつもこの調子なの? ゲーム画面に表れない部分で、部下たちが倒れるたびにこうやってフォローしたりしてたんだろうか?
だとしたら、やっぱり彼に掛かる負担が大きすぎるのでは。
「あの……」
もぞ、もぞり。
恐る恐る問い掛けようとした私の背後で、何かがごそごそと動いた。生き物の熱が擦れ合う感覚に、私は驚いて飛び上がった。
「ふんす」
柔らかくて温かいものが、妙な呼吸音を立てた。
鼻をすぴすぴ言わせながら空気を吸い込むと、長い満足げな寝息として吐き出して静かになる。これは私を包み込んでいた毛布……ではなくて、ふかふかした純白の毛。丸みを帯びた背中、豊かな腹肉。これは……この生き物は……
「シ、シロクマ?!」
とても立派で大きい。私の身体をすっぽり覆い込んでもなお余裕がある、寝台のような大きさのシロクマだ。実際、寝心地は凄く良かったし。
(……丸い)
福々しく肥えた巨体だ。そして、頭と耳が妙に大きい。なんというか、戯画的にデフォルメされているというか、ぬいぐるみぽいというか……
「あの、依田さん、これは、このクマは」
動揺しすぎて、本人相手に通用しない通称で呼び掛けてしまった。
だって、流石に理解が追い付かない。なぜこんなところにシロクマが? なんで私は、その背中と、半ば見えている腹毛にすっぽり埋もれて「あったかい……」とかやっていたのか。どういう状況なの? 教えて依田さん!!
依田さんは私が口走った呼び名に突っ込むこともなく、軽く肩を竦めて説明してくれた。
「それは私が新たに任命した四天王だ。席次は第三位」
「シロクマが?!」
「こう見えて極北精霊王のご子息だ。まだ幼獣だが、その潜在能力は帝国魔将軍を遥かに超える。いずれは我々四天王の名を世に鳴り響かせてくれることだろう」
「鳴り響かせたかったんですか?」
依田さんは生粋の苦労性で、もともと育ちがいいこともあってガツガツした権勢欲もない人だと思っていたのだけれど。
何が起きているのだろう。
茫然としたままの頭で、私は尋ねた。
「四天王第三位って、ごつい男の人でしたよね? あの人はどうしたんですか」
「クビにした」
「えっ」
「ちなみに、第二位にもクビを言い渡した。今はあそこにいるのが四天王第二位だ」
「えっ」
不吉な予感しかしなかった。
依田さんが指し示す方角に向かって、グギギ、と首を動かす。洞窟の入り口から差し込む薄い光が、地面に座ってせっせと顔を洗っている白猫を照らし出していた。ほっそり、つやつやした美猫だ。私の視線に気付くと、「何よ?」とでもいうようにちらりとこちらを窺い見て、ふんっとヒゲを動かし……そして、関心を失ったかのように再び毛づくろいに戻った。
「……猫ですね?」
猫だ。それ以外の感想が出て来ない。
確か、四天王第二位は妖艶な大人の色香を漂わす魔女だったはず。いや、この猫も十分、色香という点では得点高いのかもしれないけれど……
「戦闘力ならば、私とシロクマ……いや、精霊王のご子息で十分に補える。新たな四天王は、癒し力を最大に重視して採用した」
「な、なるほど?」
いつも疲れてますもんね依田さん。癒しが欲しかったんですね。と、納得しかけたのも束の間、
「その高度な癒しの力で、四天王最弱のお前を力付け癒してくれることだろう。存分にその恩恵を享受するといい」
「私? ──グレシエル様は?」
「私はどうでもいい。帝国内での階位は、継承権含め全て手放してきたことだしな」
「え? えええ?!」
私の出した大声が、洞窟の中いっぱいにこだました。
四天王第二位(白猫)が、耳をピクピクッと揺らして伏せる。第三位の寝息も一瞬止まった。まずい、音に敏感な動物の前で大声を……うるさくしてごめんなさい、と私は身を竦めたのだけれど、シロクマは何事もなかったかのように眠り続けているし、白猫は冷ややかな軽蔑の目をこちらに向けた後、悠然と毛づくろいを再開した。依田さんの表情は変わりない。
なるほど、誰も動じていない。帝国四天王ってすごいな(?)
私は物凄く動揺してるのだけども。
「あの、本当に……?」
「本当だ」
依田さんが帝国を捨てるはずがない。
それだけは確実だと思っていた。
捨てないで欲しい、と思っていたわけではなくて、その逆だ。色んなしがらみとか、足枷とか、そういうものを捨て去ることができれば依田さんにも幸せになる道があるのに、とずっと思っていた。でも、どんなに心が壊れても、最期までその場に留まって戦ったのが依田さんだ。そういう人なのだと、ずっと思っていた。
……それが、あっさりと全部捨てた、ですと?
「驚くか。無責任だと詰るか?」
私の沈黙をどう捉えたのか、依田さんが訊ねてきた。
「え、いや、その」
顔を上げると、黒い目がじっとこちらを見ていた。私の裁定を待っているわけでもない、落ち着いて冷静な眼差しだ。
依田さんの心の中でどんなに驚天動地なことが起きて、その進む道を大きく変えてしまったのだとしても、それはもう起きてしまったことで、もはや誰もひっくり返せない。依田さんは引き返すつもりがないのだと悟った。
私は深く息を吸い込み、
「……いえ、私はそれは良いことだと思うんですけど」
「そうか?」
依田さんが片眉を上げた。私は頷いた。
「ええ。依田さ……グレシエル様はもっと幸せになれる道を選ぶべきだと。犠牲になってばかりいるのはおかしい、といつも思っていました」
「幸せ……そうだな。お前ならば、そう言ってくれると思った」
「……グレシエル様?」
含みのある言い方だ。まるで、依田さんがすでに私のことを知っていたみたいな? ……しかし、私と依田さんの間には、本当に何の接点も無かったはず。
(いままで、まともに話したことあったっけ?)
私がぐるぐると考えを巡らせていると、依田さんが神妙な口調で言った。
「実は、私も気付いてしまったんだ。ずっと無意識に目を瞑っていた事実だが」
「?」
「私が居ようが居まいが、戦況には全く変わりないということに」
「……!!」
私は息を呑んだ。
「何度も、私が自ら出ると言ったんだ。勇者のレベルが低いうちに、最高レベルの幹部を以って全力で叩き潰すべきだと。それが最も犠牲が少ない。戦略以前の、幼児にも分かる道理だ。だが、皇帝陛下は絶対に是と仰らない。私が戦場に出ようとすれば必ず妨害が入る。それならばと部下共に任せ、『最初から全員でかかれ』『手を抜くな』『味方がやられているときに高みの見物をするな』『トドメをささずに帰るな』と、何度口を酸っぱくして言い聞かせても無駄だ。レベルの低い者から順繰りに攻めていって撃破されてくる。その間、高レベルの者は戦いもせず眺めているだけだ、信じられるか?! しかも、命じてもいないのに勇者の村を焼き討ちしてくる……そんな微々たる田舎の村を焼いて何になる? 暇か?! 帝国の評判を貶めるだけの愚行だろう。あいつらは何がしたいんだ? ……だが、私が何を言おうと話が通じることはない。皇子であり四天王であり司令塔であるはずの私の命令が一切通らない、つまり私は他より多少良い服を着ているだけの道化というわけだ。道化は最後まで帝の側にあって悲劇と喜劇を担うのみ、それが最初から私の役割だと言われていれば従っただろうが、帝国の未来を担う者としてあらゆるコストをかけて教育された結果がこれだ、むしろ帝国に損害を与えただけではないか」
怒涛のような愚痴だった。
依田さんが喋り続けて止まらない。
止まらないながら、片手に湯気の立つお玉、片手に木製の器を持って、丁寧に注ぎ込んでいく。色々と突っ込み甲斐のある光景だけれど、そんな時でも常と変わらぬすっきりとした美男に見えるとか、流石は皇太子様です。これが雲上人の気品というやつか。揺らがない。
(エプロンもね……!)
依田さんが雲上人なら、依田さんのエプロンも雲上人のエプロンだ。今の依田さんは簡便な旅装姿なのだけれど、それでも深い黒に染め抜かれた長衣、随所に鈍く光る飾りボタン、皇子の正装よりは地味だとしても、違う……やっぱり庶民じゃない……と思わせる何者かである。この人、お忍びとかきっと一生無理だよね?
その上に羽織っているのは、シンプルで真っ白なエプロンだ。新雪のごとく白く、天使の羽のように穢れなく、パリッとした美しいエプロン──
依田さんのエプロンが美しいのは、依田さんが毎晩寝る前に洗濯して糊付けして念入りにアイロンを掛けているせいだとは知っているのだけれど。
「ほら」
「有難うございます」
私がぼーっと依田さん、というか依田さんのエプロンに見惚れていると、目の前に器が差し出された。ふんわりと立ち昇る、味噌と出汁の香りが鼻腔をくすぐる。芳醇な豚肉と、甘い紅色の人参、味の染みていそうな大根、それにこれは、牛蒡と蒟蒻?
(おお……)
豚汁である。
(そういえばこれ、和製RPGの世界だったわ)
きらきらした金色の脂がさざ波を作る、とりどりの具材が頭を覗かせた豚汁を一口含んで、私は口の中に広がる滋味にうっとりした。まだ熱々のそれをはふはふと貪る。
「美味しい……美味しいですぅ……ここは天国かな」
「ふ」
依田さんは鼻で笑い、
「どちらかというと地獄の端っこだな」
言いながら、白猫の前にコトリと平たいお皿を置いた。
そこに盛られているのは、魚の身をほぐしてゼリー状にまとめ、魚の形の型で固めた猫用特別食だ。なお、その魚は依田さんが川で獲ってきた。依田さんは「騎竜を召喚して麻痺ブレスを吐かせ、浮いてきた魚を掬い取ってきただけだ、何一つ苦労はしていない」と言うのだけれど、普通の人はそこで竜を召喚したりしないのだ……
「依田さん、万能すぎる……出来ないことってあるんですか」
「当然あるが、料理、裁縫、掃除、大工仕事、いずれも昔から好きで少しずつ嗜んでいたんだ。むしろ私の趣味と言っていいぐらいだな。今まであまり実践する機会は無かったが」
言いながら、依田さんが流れるような動作で、調理台を拭いた布巾を魔法で消毒しながら干している。
貴方は理想の嫁か。
その調理台だって、依田さんがどこから調達したのか分からない材料を組み合わせてささっと作ったものだ。お湯どころか氷混じりの冷水と熱湯が出る。生ゴミは異次元(?)に吸い込まれて消える。
(便利すぎる)
この洞窟生活が始まって二週間。
私は四天王最強の恐ろしさを身を以って味わっていた。
「ご飯は小盛りでいいんだったな」
目の前に、ほかほかしたご飯が置かれる。さっと炒った胡麻が混ぜ込んであるやつだ。ついでに野菜の素揚げとハーブ塩(そのハーブは依田さんが水耕栽培したものだ)、漬物、肉じゃが。ちょっとハイソなお母さんですか?
私たちが座っているこのテーブルと椅子にしたところで、依田さんのお手製だ。敷いてあるランチョンマットには一枚ずつ異なる刺繍が入っている。
足元には毛糸を縫い込んだ分厚いカーペット。毎日洞窟が削られて、いつの間にか増えていく新たな部屋。今では水路と魔導具を完備した立派なお風呂とシャワールームまであるのだ。
「恐ろしい……最強って恐ろしい」
「何がだ。とにかくお前は、余計なことを考えていないで、療養と体力作りに努めなさい。少食なのは仕方がないが、少しずつ食べられる量を増やさないとな」
「依田さん、私、全然運動してないんで太りそうなんですが……」
「むしろ太るべきだろう。シロクマぐらい大きく育て」
「それは無理なんじゃないですかね?」
依田さんはとにかく私に食べさせようとするのだ。そして、私に働かせようとしない。その結果、私は一日中シロクマの腹に埋もれてダラダラと過ごし、依田さんが作るご飯をひたすら食べ、たまに白猫と遊んでいる。
(人をダメにする四天王だ……)
「いいか、四天王最弱のお前は、弱いのだから私に世話を焼かれろ。それがお前の役割だ」
「そういうものでしたっけ……?」
頼りない声で疑問をのぼせかけて、私はハッとした。
なんで依田さんがこんなに変わってしまったのか、定められた道から堂々とドロップアウトしてしまったのか。私と何か関係がありそうなことを仄めかしていたから、ずっと不思議に思っていたのだけれど。
(ひょっとして、私が「四天王最弱」だから?)
私が弱すぎて、世話を焼く甲斐がありすぎたから。依田さんの「尽くしたい欲」のスイッチを入れてしまったのでは。その結果、依田さんが大きく道を踏み外すことになってしまった?
(依田さんが幸せになるなら、それでいいんだけども)
依田さんが「四天王最弱」に食い付き過ぎなのは薄々感じている。ひょっとして私、「最強ホイホイ」なのでは?
それから更に一ヶ月が経過して。
私はもう、このままこの楽しい我が家(洞窟)に住んでいればいいんじゃと思い始めていた。そのぐらい快適で平和な日々だったのだけれど。
やっぱり、そういうわけにはいかなかったらしい。
「……依田さん?」
ある朝私が目覚めると、依田さんが洞窟の開口部に立って、じっと外を眺めていた。
私の呼び掛けに振り返る。帝国からの逃亡生活が長くなっても、きちんと整えられた顔には無精髭の一本もなく、衣服にはシミ一つ存在しない。
むしろ、私たちがこの洞窟で会った当初より顔の色艶が良くなっているみたいだ。
依田さんにとっても、ここにいる方が帝国に在るよりも数倍幸せなのだと思う。つい最近も言っていた。「帝国にいた頃は、朝から晩まで努力して、その全てが水の泡となる経験を毎日のように繰り返していた。あの頃に比べれば、今は微塵も疲労を感じない」「自分が必要とされる場で、相応の見返りがあるというのは良いものだな」と。
けれども今、空を仰ぎ見る依田さんは、かつてのように鋭く張り詰めた面差しだ。
「どうしたんですか? 何かあったんですか」
「……煙の匂いがしてな」
外から差し込む白っぽい光を受けて、依田さんの黒い目が光る。
薄く両眼を細めながら、
「あのままでは、帝国が滅ぶのは時間の問題だと思っていた。この煙が流れてくる方角は……帝都の方だと思う」
「依田さん」
「結局、いつまでものんびりしてはいられないようだ。恐らく、帝都の民は戦場と化した都から、東の大森林を通って隣国へ流れるだろう。手助けをせねばなるまい。出かけてくる」
「私も行きます!」
咄嗟に叫んだけれど、すげなく首を振られた。
「いや、お前はここにいろ。お前には危険だ」
「うーん、私じゃ駄目ですか……でも、ちょっと待ってて下さい」
私は洞窟の奥に戻った。依田さんに作ってもらった私の部屋の箪笥の引き出しから、小さな魔石の連なりを取り出す。
依田さんの元に戻ってそれを差し出すと、彼は首を傾げつつ受け取った。
「何だ、これは?」
「魔力増幅器です。まあ、依田さんにとっては必要ないものだと思うんですけど、お守りみたいなものですね」
ゲーム内での私の設定は、「発明オタク一家の発明オタク娘」だったのだ。初期の勇者に倒されるぐらいの弱小だから、大した才能も持ち合わせていないのだけれど、怠惰な洞窟生活の傍ら、簡単な魔導具を組み上げることぐらいは出来る。
「依田さんはすぐ人のために尽くしちゃうので。自分が誰より幸せになるべき人だというのを忘れないで下さいね」
むしろ刺々しい口調で告げると、依田さんが目を丸くした。掌の中の魔導具を見下ろし、それから少し表情を緩める。
「……そうか。あの時を思い出すな。有難く受け取っておく」
「あの時?」
「お前が勇者との初戦を控えた夜、女神像に祈りを捧げていたときのことだ。戦を前に、自身の加護を乞うているのかと思ったんだが……」
「えっ」
女神像というのは、各地に設置された勇者用「セーブポイント」のことだ。勇者の出身地である王国にも悪の帝国にもあり、草原の中にも砂漠のど真ん中にもあって、なんならラスボス前にもある。ラスボスというのは帝国皇帝のことなので、つまり皇城のど真ん中に女神像が聳え立っているという……謎すぎる。
勇者専用なので、勇者以外にとっては何ら意味のない像だ。あまりに不自然な存在なので、勇者と私以外には見えていないのかと思っていたけれど、依田さんの口振りからすると、「存在は知っているが普段は意識に上らないもの」程度の認識らしい。
私にとっても意味はないんだけれど、あの時、私は自分の心の慰めのために女神像の前に膝をついていたのだ。他に頼るものも無かったのだから仕方がない。世界の強制力に逆らえない、力のない私。勇者御一行にボコられる予定の私。依田さんを助けられない私。そうした全てがどうにもやるせなくて、辛くて、どこかで吐き出したかったのだ。
「どうしてですか女神様……いや、この世に女神様がいるならですけど。私はともかく、依田さんは帝国の皇子様として頑張ってるじゃないですか……何一つ報われてないとかどういうことですか。あんなに周りを大事にしてるのに誰にも大事にされないとかおかしいです。依田さんだけでも幸せにしてあげて下さい」
そこから切々と、というよりグチグチと、いかに依田さんが帝国の皇子として頑張ってるかを訴えた。
それが全部、当の依田さんに聞かれていたなんて思わなかった。
(……なるほど)
道理で、私が面と向かって「依田さん」と呼んでも、不思議なほどすんなり受け入れられたわけだ。私が普段、彼を何と呼んでいるか、彼はもともと知っていたのだ。
「……ええと、その」
どうしよう、滅茶苦茶恥ずかしい。羞恥に身悶えしたいけれど、それすら出来なくて身体を硬直させる私の前で、依田さんはふっと柔らかい笑みを浮かべた。
「生まれて初めて誰かに気遣われた、と思った。あのように幸せを祈られることなど無かったからな。どんなに言葉と心を尽くしても認められない、それが普通のことだと思っていたのに、それを見ていてくれる人がいた。私は自分を少しは大事にせねばならない、と思ったのは……初めてのことだ」
「依田さん……」
帝国の皇子なのに、今まで誰にもちやほやされず、褒められず、認められずに来たなんて……その辺の小娘の言葉が「初めてだった」なんて……
不憫! 不憫すぎる!
だがその不憫さが好きだ……!
可哀想なものにきゅんとしてしまう本能と憐れみ、元々の彼に抱いていた尊敬、一緒に過ごすうちに培った親愛がごっちゃになって渦巻いて、私は気付くと「好き……!」と口走っていた。
「す、すき?」
「あ、すみません、つい……これは親しみというか何というか、ええと」
説明が出来ない。かつて「グレた依田さん」ファンアートを投稿していた身として、私の愛には後ろ暗いところが多すぎる。それでも好きは好きなんだけれど。
「……」
依田さんの眉間にくっきりと縦皺が刻まれた。
黙ったまま懐に手を入れて、冊子のような何かを抜き出す。私に押し付けるように渡してきたので、受け取ってパラパラとめくってみた。
白紙だ。ノートかな?
「依田さん? 何ですか、これは」
「交換日記だ」
唸るような返事が返ってくる。
「え?」
「男女交際を志す者は、まず交換日記から始めるものだと聞いた。我々が交際に至るかはともかく……段階を踏むのは必要だろう」
「……」
「……何だ、さっき、『好きだ』と言わなかったか? 違うのか? 私だけなのか?」
目を見開いて沈黙している私に向かって、依田さんは言い難そうに、自信なさげな口調で言う。その不安げな表情を見て、私は慌てて言った。
「いや、好きですよ、勿論!」
何といっても前世からの推しである。推しを不安にさせてはならない。
(あれ、今、依田さん、「私だけなのか」とか言った?)
「……そうか。では、行ってくる」
ウロウロと視線を彷徨わせたのち、依田さんは足早に私の脇を通り過ぎて洞窟から出て行った。その耳が真っ赤に染まっているのを見て、私の中で何かがパアン! と弾けた。
(私の推し……純情過ぎ……!)
好意を抱かれるのも初めてとか。男女交際は交換日記から始まると信じてるとか。
護りたい、この初心さ。
(私が護る……! いや、戦闘力とかでは敵わないけど心は護る! 全力で!)
ぎゅっと日記を抱き締める私の耳に、遠ざかる依田さんの声が届いた。
「私が帰るまで、それを書いて待っていてくれ」
「はい!!」
私は元気よく返事をして、何を書こうかと考え始めた。