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Last Crown  作者: 香山 結月
第1章 月明かりと牡丹
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21-3

「やっと見つけました」


 嬉しそうな声が零れた。

 手を伸ばせば届く距離に、真っ黒で大きな兎が座った格好で眠っていた。黒い毛並みには真っ赤な血が付いていて、見えていた兎の姿よりも大きく感じる。

 深い森の中で、兎の周りには枯れた草木しかない。

 少し血生臭い匂いがして、近くに生物はいなかった。


 ゆっくりと、兎が瞳を開ける。

 深く赤い、宝石のルビーのような瞳に幼い少女の姿が映った。

 亜莉香とそっくりの顔をした少女の年齢は十歳前後。あまり綺麗とは言えない質素な着物を身に付けていた。裸足で草履を履いて、髪飾りは付けていない。

 くせがなくて真っ直ぐな真っ赤な髪が、柔らかい風でさらさらと揺れた。

 興味津々の大きな黒い瞳で兎を見つめて、少女が再び口を開く。


「もしかして、起こしてしまいましたか?」

「新しい贄か?」

「違います。私は貴方を探しに来たのです」


 自信満々に言い、少女が右手で自分の胸を叩いた。


「この近くにそれはもうお強い精霊がいると伺い、私に協力してもらおうと思ったのです」

「…さっさと家に帰れ」

「帰る家なんてありませんよ?」


 何を今更、と言わんばかりに軽く少女は言った。

 少しだけ興味を示した兎が、目を細めて少女をまじまじと見た。


「帰る家がないから、儂に喰われに来たのか?」

「それも違います。さっき、協力してもらいたい、と言ったじゃないですか」

「協力?意味が分からない。儂に会いに来るのは、儂を殺しにやって来る人間か、贄としてやって来る人間のどちらかだ」


 大きく欠伸を零して、兎は眠そうに瞳を閉じる。


「儂の気が変わる前に、さっさとどこかへ行け。細くて骨ばかりの小娘なんてまずそうだ」

「気高き貴方は自ら人を襲わない」


 少女が断言して、兎の耳が僅かに動いた。

 それでも目を向けることはない兎に、少女は真面目な声で話し出す。


「貴方が最初に人を襲ったわけじゃない。先に貴方を襲ったのは人だった。この土地を守りたいと願う貴方を襲い、そのうちに悪名を付けて、死にかけた贄を送っては機嫌を取ろうとした」

「…それを誰に聞いた」

「貴方は何度も人に襲われた。襲って来て逆に怪我をした人や、贄とされた人を助けようしたこともあった。なのに、誰も貴方を信用しなかった。傷つけられて、自らも傷ついて――心の底ではそろそろ死ぬことを願っている」

「やめろ!!」


 兎の怒声に風が生じて、少女の髪が揺れた。目を見開いて少女を見下ろし、身体を震わせる兎。少女は怯えもせず、怒り狂う兎の瞳を見返した。

 お互いじっと見つめて、兎が感情を押さえる。


「小娘、誰から何を聞いた」

「誰から、なんて一人じゃありません。皆、そう言っています」

「…皆?」

「貴方を慕っている精霊達が、貴方を心配しているのですよ」


 精霊、と聞いて、兎の身体から力が抜けた。


「小娘…お前、精霊が見えるのか」

「見えます。見えて聞こえるのに無視するなんて、私には出来ないのです」


 肩を竦めて見せた少女に、兎は初めて悲しい顔を見せた。


「それで、その精霊達に頼まれて儂を殺しに来てくれたのか。自分では死ねない儂がそう望んでいる、と聞いて。儂の願いを叶えに来てくれたのか?」

「そうですね。そのつもりで来ましたが、貴方の瞳を見たら気が変わりました」


 にっこりと笑った少女に、兎は瞬きを繰り返す。


「気が、変わった?」

「はい」

「何故?」

「何故、なんて聞かないで下さい。貴方はまだこの土地を守りたいと思っている。どれだけ人を殺しても、血で汚れても、その瞳に宿った意志だけは揺るがない。だから今日まで暴走することもなく、この土地で生きている。それならこれからは私と協力して、一緒にこの土地を守りませんか?」


 どうですか、と少女は兎に手を伸ばす。

 少女の小さくて真っ白な手を見て、兎はゆっくりと首を横に振った。


「儂にはもう無理だ。守りたくても、もう身体は黒く染まってしまった。今にも暴走しそうで、そのうち儂の意思関係なく人を襲う。もう…戻れない」


 何もかも諦めている兎に、少女は首を傾げた。


「そんなこと、誰が決めたのですか?」

「誰がって――」


 呆れたように話していた兎の言葉は、微笑んでいる少女を見て止まった。微かに身体が淡く、赤い光を放つ少女に目を奪われる。

 一歩踏み出した少女が、優しく兎の毛並に触れた。


「一つ約束をしましょうか」

「約束?」

「はい。私には力があるから、貴方が望めばいつでも貴方を殺してあげます。もしこの土地に守る価値がなくて死にたいと望むなら、その時も私が殺してあげます」


 だから、と少女はもう一歩踏み出して、兎を優しく抱きしめる。


「私が貴方の名前を呼んだら、私と一緒にこの土地を守ってくれませんか?」

「儂の名前なんて…もう誰も覚えてない」

「私は知っています」

「ならお主が死んだら、また儂は一人になる。それなら今ここで死んでもいい」

「貴方が死んだら、私は悲しいです。それに私は何度だって生まれ変わって、この土地に帰って来て、貴方の名前を呼びます。だから貴方は――」


 少女はぎゅっと兎を抱きしめる。


「まだ死を選ばないで」


 優しい声に、兎の涙が一粒零れて、少女の着物を濡らす。温かな少女の光が真っ黒だった兎を包み込んで、辺り仄かに明るくなる。


 とても小さく、少女が兎の名前を呼んだ。

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