21-2
後ろから光が差して、空気が変わる。
亜莉香が後ろを振り向くよりも早く、眩い光から逃げるように兎は後ろに下がった。武器を構えたままのシンヤの後ろ、亜莉香の背後にいる誰かを見て呟く。
「嫌いな奴が来た」
兎の声は、亜莉香の真横を駆け抜けたヨルの足音に掻き消された。
右手に日本刀を持って真っ直ぐに、迷わずに。ヨルは勢いよく掲げると、両手で持ち直して振り落とす。狙いは兎ではなく、狙われたシンヤは咄嗟に構えた日本刀で受け止めた。
日本刀がぶつかり合って、金属音が響く。
顔が引きつったシンヤが、おそるおそる声を出す。
「…ヨル殿?」
「おいおい、稽古さぼってこんな場所で何をしているんだよ」
兎を無視して、ヨルは眉間に皺を寄せた。
「午前中から稽古は始まっていたよな。具合が悪いならまだしも、他の奴に伝言を任せて、自分はこんな場所に女を連れ込むとはどういうことだ?」
「どう見てもそんな状況には見えないと思うのだが?」
「知るか!!」
怒っているヨルの力に押されて、シンヤが膝をついて必死に抵抗する。
五月蠅いくらい騒ぐ二人を兎は遠巻きに眺め、身動き一つしなくなった。ひっそりと息を殺している兎の瞳に、微かに光が宿る。
呆然としていた亜莉香の隣に誰かがしゃがみ、優しく肩を叩いた。
ゆっくりと顔を上げれば、涙で滲んでいた視界に見慣れた顔が映る。
「トシヤ、さん?」
「アリカ」
「トシヤさんっ――」
名前を呼んで、顔が歪んだ。
涙が止まらなくなった亜莉香を、トシヤは引き寄せて強く抱きしめる。大丈夫だと、言葉と行動で伝わる。頭を撫でるトシヤの手が温かくて、早く泣き止もうと、唇を閉じて奥歯を噛みしめた。
体勢は変わらず、トシヤが問う。
「何があった?」
「分かんない…です。いつの間にかここにいて、襲われて…でも――」
でも、の後に言葉が出てこない。
様々な感情がせめぎ合って、言いたいことが上手くまとめられない。ここまで連れてこられた時は、シンヤのことを疑った。兎が現れた時は怖くて、殺されると思った。零した涙や誰かの記憶のせいで、感情が不安定だ。
微かに震えていた亜莉香は、トシヤの着物に顔を埋めた。
「私…何が何だか、分かりません」
「それは俺も同じだな。路地裏を歩いていただけなのに、シンヤを追いかけていたヨルに巻き込まれて、こんな狭間に連れてこられた」
呆れた口調のトシヤの声に、亜莉香は顔を上げた。
「はざ、ま?」
「狭間。俺もさっきヨルに聞いた話だけど、精霊達の通り道とも言う場所だとさ。途中でアリカ達を見失ったから、別の入口から狭間に入ったけど――」
そっと伸びたトシヤの右手が、頬に触れて涙を拭った。申し訳なさそうな顔が、亜莉香の瞳に映る。
「怖い思いをしていたよな。もっと早く来られなくて、ごめん」
「そんなこと、ないです」
そんなことは、と言ってまた涙が溢れそうになった。
助けに来てくれた。それだけで十分で、それ以上は何も望まない。傍に居てくれるだけで安心して、顔を伏せた。
その直後に、地面が大きく揺れる。
言い合いをしていたヨルとシンヤの動きが止まった。お互い辺りを見渡して、舌打ちをしたヨルが亜莉香とトシヤを振り返って叫ぶ。
「お前らは先に戻れ!」
「来た道を戻ればいいのか?」
「それ以外に道があるのか!?」
トシヤの疑問に、怒声の混じった声でヨルが答えた。
亜莉香がトシヤに支えられて立ち上がっている間に、ヨルはシンヤに視線を戻して、しぶしぶ日本刀を引く。日本刀は鞘に戻さず、座り込んだシンヤを見下ろした。
「おい、馬鹿。後で説教をするから、首を洗って待っていろよ」
「それは是非とも遠慮したいが…貴殿は戻らないのか?」
「あれ、をあのままに出来るかよ」
あれ、と言って、ヨルは闇に紛れ始めた兎を見た。
「このままでも消えるかもしれないが…その前に暴走して外に出たら、大問題になる」
「それなら私が対応する。元々私が片付けなければいけない問題であり、貴殿に手を貸してもらうわけにはいかない」
埃を払いながら、シンヤは立ち上がった。
隣に並んだシンヤに、ヨルは冷ややかな視線を送る。
「足手まといだから、さっさと帰れよ」
「確かに貴殿には敵わないが、足手まといにはならない。貴殿こそ帰り道が分からなくなると困るから、先に戻った方がよいのではないか?」
「狭間なんて、俺にとっては慣れた道だ。適当に歩いていたら外に出られる」
「狭間はそんな簡単な道ではないのだが?」
腕を組んで首を傾げたシンヤが言い、ヨルは一歩も引かない。
灰色だった世界は、真っ黒な闇の広がる場所に変わった。亜莉香の後ろには白い光の道があるが、その道でさえ少しずつ細くなっていく。
戻りたいと思いながらも、亜莉香の瞳には兎の姿が映った。
毛並みは全て黒に染まり、真っ赤なルビーのように見えた瞳に影がある。今にも瞳の光が消えそうで、静かに座っている大きさは変わらない。
絶望して、諦めて、何もかも受け入れて。
その姿が、一瞬ぶれた。




