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Last Crown  作者: 香山 結月
第1章 月明かりと牡丹
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20-3

 灯籠祭りの二日前、昼過ぎ。

 ケイの店はいつもより静かで、客は少なかった。いつもなら店の入口に座っている店主のケイが休憩中で、代わりに店番をしていた孫のイトセが、足を運んだ亜莉香とユシアを出迎えた。

 歓迎されたユシアはいそいそと店の畳に上がり、着物と帯を畳の上に広げる。

 袖に大きな赤い牡丹の花が特徴的な、明るく真っ赤な着物。金で縁取られた桜柄の帯。初めて亜莉香が買って貰った着物と帯の近くに帯留めや半襟、足袋など様々な小物を集めて、ユシアとイトセは楽しそうに合わせ始めた。


 亜莉香は一歩下がった位置に正座して、二人を眺める。

 あれでもない、これでもないと盛り上がっている。話に入り込める余地はなく、笑みを浮かべていた亜莉香の隣に誰かがやって来た。

 膝をついて、いつもより大きめの湯呑に、透き通る熱い煎茶。真っ白な小皿に盛られた、可愛らしくて小さな、色とりどりの金平糖を差し出した男性が言う。


「どうぞ、アリカさん」

「ありがとうございます、スバルさん」


 名前を呼ばれたスバルは微笑み、そのまま亜莉香の隣に腰を下ろした。

 佇まいから静かで、いつでも礼儀正しさを忘れない。店員の中でも人望の高い、イトセの恋人。スバルは声を落として、視線をユシアとイトセに向けた。


「今日は、アリカさんの着物の小物合わせですか?」

「はい。私はいつも通りでいいと言ったのですが、ユシアさんがどうしても、と」


 目を輝かせてイトセと話しているユシアを見つめて、亜莉香は言った。


「本当は新しい着物と帯を買うように言われたのですが、流石にそこまではしなくていい、と必死に説得しました」

「年に一度の祭りですからね」


 納得したスバルが言って、亜莉香に金平糖を勧める。

 ほんのり色付けられた金平糖の一つを口に運ぶと、上品な黒豆の味がした。ゆっくりと味わう亜莉香に、スバルは問う。


「そう言えば、アリカさんは祭り初めてでしたよね?」

「はい、初めでです」

「それなら神社で行われる舞をご覧になるのも、面白いと思いますよ」


 優しい笑みを浮かべたスバルの言葉に、亜莉香は疑問を覚えた。


「舞、ですか?」

「興味があれば、の話ですが。領主もご覧になられる、この街の伝統的な舞です。僕は好きで観に行くと面白いのですが――」

「この街の人達は、灯籠の明かりの下で飲んで騒ぐ方が好きなのよ」


 スバルの説明の途中で、口を挟んだイトセが振り返った。帯留めを両手に持って、それに、と呆れ顔になる。


「舞に興味を示すのはスバルくらいよ。毎年観に行きたい、なんて付き合わされる私の身にもなって欲しいわ」

「僕は一人で観ていてもいいけど」

「馬鹿なこと言わないで。スバル、暇なら私とユシアちゃんのお茶もお願い」


 右手を払うイトセの仕草に、スバルは頭を掻いて、ひっそりとその場からいなくなった。亜莉香は飲みやすくなった煎茶を口に運び、イトセはスバルの背を見送ってから深いため息を零す。


「スバルは祭りの舞が大好きなのよ。幼い頃に観た舞が忘れられなくて、年々酷くなっても観に行くの」

「イトセさんも、毎年観に行っているのですよね?」


 深く頷いたイトセが、半襟を両手に持って話を聞いていたユシアを見る。


「因みにユシアちゃん、舞を観たことある?と言うより、舞の話は聞いたことあった?」

「えっと…」


 視線を泳がせたユシアは、亜莉香と目が合ってぎこちなく笑う。


「聞いたことはあったけど、私もトシヤもトウゴも興味なくて」

「私だって、スバルが興味なければ毎年わざわざ観に行かない。神社の上までの階段は長くて、疲れるだけだもん」

「どんな舞なのですか?」


 興味本位で、亜莉香は訊ねた。

 イトセが困った顔を浮かべる。


「どんな、と言われると…私も上手く説明出来ないの。舞自体は行列の姫巫女が舞う数分程度のもので、スバルの言った通り、領主様も観に来る伝統的な舞。私には舞の良し悪しは分からないから、観る価値がないとは言い切れないところ」

「領主様もご覧になる、と言うことは…その息子さんと娘さんも?」

「来るわよ」


 即答したイトセに、亜莉香は質問を重ねる。


「領主の息子さんは、どんな方なのでしょうか?」

「アリカちゃん、そっちに興味あるの?」


 少し意外そうな顔のユシアに質問を返されて、亜莉香は昨日の話をするか迷った。

 シンヤ・フラム・ミロワールは、アンリの兄。領主の息子。

 結局昨日の出会いでは、まともに話をしていない。ルイとヨルの兄弟喧嘩を途中で放置して、ルカに手を引かれながら夕食の買い物をして家に帰った。

 トシヤはシンヤと話をしていたが、もっぱら質問攻めだったらしい。どこに住んでいるのか、普段どんなことをしているのか。一方的な質問の途中で兄弟喧嘩が終わって、ルイに無理やり話を中断されたらしい。

 関わらない方がいい、とルイには釘を刺されている。

 それでもシンヤのことは気になるのだから、人の噂を聞くくらいは許してもらおう。


「少し…他の人に話を聞いたことがあって。どんな人かな、と」


 直接会ったことは言わなかった。

 遠慮がちな答えを気にせず、確か、とユシアが言う。


「よく庶民の市場に足を運ぶ好青年だった、と前に患者さんから聞いたことがあるわね」

「妹のアンリ様と領主であるカリン様をとても大切にしていて、市場に運んでは二人にお土産を買っているそうよ。庶民の信頼も高く、評判も悪くない。見た目も素敵で、私は祭りの舞の時に遠目でしか拝見したことがないけど、年齢の割に落ち着いた方。次期領主にはならないけど、警備隊長を噂されていて、将来有望な――」


 指を折りながら長々と説明をしていたイトセが、はっとした顔になった。亜莉香とユシアの顔を交互に確認して、少し顔が赤くなる。


「…まあ、そんなところ?」

「イトセさん、やけに詳しいですね」

「仕方ないじゃない!だって、着物の似合う格好いい人の情報は個人的に集めたくなっちゃうのよ」


 真っ赤になった顔を隠すように、イトセは頭を抱えて段々と声が小さくなった。突然のイトセの行動に一瞬だけ店の中で注目を集めて、亜莉香とユシアは慌てて何でもないと首を横に振った。

 静かに喚くイトセが落ち着くまで、ユシアは優しく背中をさする。


「その…大丈夫ですか?」

「うぅ、このことはお婆ちゃんには言わないで」

「言いませんから、安心してください」


 亜莉香の言葉で、イトセはゆっくりと顔を上げた。


「あと、私の秘密を知ったからには、情報集めに協力してくれない?ユシアちゃんなら患者さんから情報を集められるし、アリカちゃんなら私より色んな話を集められそう」

「真面目な顔で言わないで下さいよ」


 ぽかんとした顔で瞬きを繰り返したユシアの代わりに、亜莉香は少し呆れて言った。

 姿勢を正して、イトセは口角の上がった口元を隠した。店の外に視線を向けると、行き交う人達を眺めてしみじみと話す。


「格好いい人の情報は、嫌でも耳に入るのよね」

「それはちょっと同意出来ません」

「私も」


 はっきりと言った亜莉香にユシアも付け足せば、イトセはリスのように頬を膨らませた。


「二人とも格好いい人に全然興味ないの?それはすでに相手がいるからかしら?」

「そんなことは――」

「ユシアさんはそうでも、私は違いますよ」


 淡々とした亜莉香の言葉が、遠慮がちに否定しようとしたユシアの声に被った。すぐさま頬を赤く染めたユシアに、イトセが微笑ましい眼差しを向ける。しどろもどろに小さく違うと言っても、イトセはにまにまと笑うだけだ。

 ユシアは顔を伏せて黙り込んだ。

 これ以上はユシアをいじるのはやめて、亜莉香は首を傾げる。


「それこそ、イトセさんはスバルさんがいるのでは?」

「それはそれ、これはこれ。目の保養になるのよね」


 ころころ表情が変わるイトセは、両手を頬で包んで照れた顔になる。秘密がばれても開き直って、見ていると清々しい。

 笑みを零した亜莉香が何となく窓の外を眺めると、イトセも倣った。


「さっきは言い忘れたけど。領主の息子のシンヤ様が庶民と関わるようになったのは、領主様の父親、つまり領主様の旦那様の方が街を出てからなの」


 静かに話し出したイトセを、亜莉香は盗み見る。ふざけた雰囲気はなくなって、顔を上げたユシアと言葉の続きを待つ。


「もう随分前に街を出て、帰っていないの。領主は元々奥様のカリン様だったから、旦那様がいなくなっても大きな問題は起こらなかったけど…本来なら領主の息子として馬車で移動するところを私達みたいに歩いているのは、どこかにいるはずの父親の姿を探しているから、なんて噂もあるの」


 話しているイトセの瞳に、市場を行き交う人混みに紛れていた馬車が映った。


「それこそ、あんな風な馬車に乗るのが――」


 当たり前、と言う声は掠れた。

 イトセが見つけた馬車が、人目を集めてケイの店の前で止まる。

 真っ黒な二頭の馬が引き、天蓋付きの高級な馬車。木製の扉には牡丹の模様が施されていて、所々に赤い宝石の装飾。

 馬を止めた従者が、優雅に扉を開けた。

 馬車から現れた男性に、呆然としたイトセが口を開けたまま動かなくなる。ユシアは怪訝そうな眼差しを浮かべて、亜莉香の背中には嫌な汗が流れた。


 昨日出会ったばかりの顔は、まだ忘れていない。

 どんな人なのかは気になっていたが、会いたいとは思っていない。その美貌から周囲の女性の視線を集めるシンヤは気にせず、ガラス越しに亜莉香と目が合って笑みを零した。

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