20-2
しゃがんでいるルイと、その隣に立っているルカがいた。
両手で頬を包み、心底面倒くさそうな顔のルイが路地の面々を見下ろす。ルカは呆れ顔で腕を組み、全く興味なさそうに欠伸を零した。
ちらりと亜莉香を見たのはルカで、目が合うと小さく肩を竦めて見せる。
ルイの瞳にはヨルとシンヤが映り、視線を逸らすことなく口を開く。
「愚兄と顔を合わせるのさえ憂鬱なのに、なんで馬鹿領主の息子までいるのかな?ルカ、悪いけどクナイ貸してくれない?」
「誰に当てるつもりだよ」
「馬鹿の脳天。あ、馬鹿は二人いるから、クナイは二本必要かも」
あはは、と笑いながら、ルイは裾を払って立ち上がった。
冗談には思えないルイに、ルカはため息を零す。
「落ち着けよ」
「落ち着いているよ。愚兄を見ても、すぐに斬りかからない程度にね」
もう何を言っても無駄だと、ルカが悟った。そっと一歩下がったルカがクナイを手渡す気配はなくて、ルイは懐から小刀を取り出す。
右手に小刀を持って、左手に鞘を持ったまま言う。
「それで、馬鹿共の用事は何?その二人に用事なら、僕を通して言ってくれないかな?」
「話す気があるなら、さっさと下りて来い!!」
「嫌だよ。なんで僕が、愚兄の言うことを聞かないといけないのさ」
ヨルの顔が引きつるのとは反対に、ルイは余裕の笑みを浮かべる。
「大体、愚兄はなんで街にいるのさ。この時期はあっちも忙しいでしょう?祭りの準備もあるはずだし、ルグトリスの被害だって増えているはずなのに…あ、周りから邪魔者扱いされて、暇になったの?」
「そんなわけあるか!毎年祭りの準備は手伝わない。イオと遊んで、ルグトリスを俺のところまで連れて来て、邪魔ばかりするお前と一緒にするな!!!」
ルイを指差したヨルの声が、路地に響いた。
そんなことをしていたのか、とルイを見つめたのは亜莉香とトシヤで、ルカは何かを思い出した顔になった。ルイだけが腕を組んで瞳を閉じて、考える素振りをする。
「うーん…そんなことしてなかったと思うけどなー?」
「いや、していただろ」
即答したルカに、ルイは首を傾げる。
「そうだっけ?」
「そうだっけ?…じゃねーよ!忘れたふりが俺に通じると思うな!!」
ヨルの怒りに、ルイは不服した顔で頬を膨らませた。
「だって、皆が僕は何もしなくていい、なんて言ったもん。イオだって当日まで暇そうだったから遊んだだけで――愚兄の邪魔は面白かったけど」
後半は独り言のように、声を小さくした。ヨルから視線を外して、ルイは笑いを耐える。肩が僅かに震えているのは当時のことを思い出しているからで、ルカが口を挟む。
「いい加減、話を進めないか?」
「それもそうだよねー」
「まだ話は――」
「用件を聞こうか」
ヨルの言葉を遮って、ルイはふざけた雰囲気を消した。
数十秒続いた睨み合いで、舌打ちをしたヨルが視線を逸らす。身に付けていた短い方の、全長五十センチ程の長さの日本刀に手を伸ばして腰から外した。
漆黒の鞘に刻まれていた家紋は、牡丹の花。
目立った装飾はなく、ひっそりと刻まれた家紋は乾いた血よりも濃い赤色で、角度によって見え隠れした。目を凝らして見なければ、きっと見落としてしまう。家紋がなければ、普通のどこにでもありそうな日本刀の鞘ごと、ヨルは掴んでルイに見せつけた。
「イオからの届け物だ。受け取る気があるなら刀を収めろ」
「…分かった」
渋々ルイが承諾して、静かに小刀をしまう。
直後にヨルが勢いよく投げ飛ばした日本刀を、ルイは軽々と受け取った。受け取った刀をまじまじと見て、隣にいたルカも顔を近づける。
「新しい武器か?」
「そうだね。イオが僕に贈り物をするなんて嫌な予感しかないけど…イオからの贈り物だと無下に出来ないか」
ルイが日本刀を鞘から取り出せば、銀色の刃は真新しく、太陽の光を反射する。隅々まで観察し始めたルイが静かになり、タイミングを見計らっていたヨルが声を上げる。
「それから、ルカ!」
驚いて身体を一瞬びくつかせたルカは、目を見開いてヨルを見た。
「えっと…なんだ?」
「フミエからの届け物がある。お前も俺から受け取る気がないなら投げるが、中に割れ物も入っている。壊さず受け取りたいなら下りて来い」
胸元から取り出した手紙を見せながら、ヨルが言った。
命令形の言い方に、ルカは隣にいたルイを盗み見る。誰が見てもルイの機嫌が悪くて、眉間に皺が寄っていた。ルカとは目を合わせず、静かに日本刀を鞘に戻す。
ルカが屋根から飛び降りる前に、ルイは先に足を踏み出す。
亜莉香の目の前にふわりと地面に着地したルイに、ルカも続いた。
ルカがヨルの方に行こうとするが、それはルイが妨げる。無表情で、靴の音を立てながらヨルに近づき、手紙を奪おうとした手が宙を切る。咄嗟に頭の上に手紙を掲げ、ヨルがにやりと笑った。
「背の高さは相変わらずだな、ルイ」
「愚兄こそ心の狭い行動で、いつまで経っても成長しないね」
左手に持っていた手紙をひらひらと見せびらかすヨルと、ゆっくりと右手を下ろしたルイの間で、見えない火花が散っていた。お互い笑っていて、近寄れる雰囲気はない。
一部始終を傍観していた亜莉香は、一切口を挟めない。
それはトシヤと呆れ果てたルカも同じで、余計なことを言おうとはしなかった。シンヤだけが興味津々で目を輝かせて、足取り軽くヨルの隣に移動する。
「ほう、弟がいるとは聞いていたが…こう並ぶと、そっくりだな」
その場を収めるでもなく、何気なく話した一言でその場の空気が凍った。一瞬にして静まり返り、ヨルはゆっくりと振り返る。その表情に笑みはなく、とても冷ややかな眼差しを向ける。
「お前は少し黙っていろ」
「貴殿の弟なら、挨拶するのが礼儀であろう?」
「あはは、空気を読んで欲しいな。折角、君の存在は考えないようにしていたのに」
声を上げて笑ったルイが顔を上げた時に、笑みが消えた。
音もなく動いたルイが、受け取ったばかりの日本刀を抜き、その刃先をヨルの傍にいたシンヤの首に当てる。怒りが消えないヨルがルイの行動を止めることはなく、一歩離れてからルイとは反対の首筋に静かに抜いた日本刀を当てた。
地を這うような低い声で、ヨルが口を開く。
「俺は黙るように言ったよな?」
「人の話を聞いてなかっただけでしょ。腕を折られて黙るのと、足を斬りつけられて黙るのと、このまま首を落とされて黙るのと。どれがいい?」
「全部だろ?」
「奇遇だね。愚兄と意見が合うなんて」
先程まで仲が悪かったはずなのに、流れが変わった。弁明の機会を探るシンヤの声を無視して、同じ標的を見つけたルイとヨルが、意気揚々と物騒なことを話し出す。
やってしまったと言わんばかりに、ルカが額に手を当てた。
どうすることも出来なかった亜莉香の傍で、同じく傍観者になっていたトシヤが呟く。
「これ、いつまで続く?」
「いつまででしょう?」
「勘弁してくれよ」
ルカが小さくぼやいた。
「こうなったら、誰にも止められないからな…俺、先に帰っていいか?」
「フミエさんからの届け物はいいのですか?」
「この状況で受け取れるかよ」
半場諦めた声だったルカと視線を交わし、亜莉香は困った顔を浮かべた。
視線を戻せば、左手に持っている手紙をヨルが手渡す気配はない。手紙の存在すら、もう覚えていない様子。
「わざわざルイをヨルに近づけないようにしたのも…無意味だったな」
「そのために屋根の上にいたのですか?」
「アリカ達の会話を盗み聞くのに丁度良かったのもあるけど」
いつまでも続きそうで終わる気配がない光景を見ながら、ルカは話し出す。
「ルイはヨルが関わると、毎度敵意を剥き出しにするだろ。少し離れた距離なら、普通に会話ぐらい出来るかな、と」
「ルイが来るまでは、ヨルとは普通に会話出来ていたけどな」
「…俺、ルイなしでヨルと関わったことなかったな」
トシヤの相槌に、ルカがふと考え出す。
ルカが黙って、亜莉香はトシヤと目を合わせるが、お互いどうしようもない。帰るに帰れない状況で、立ち去ることも出来ずにいること数分。
観念しましたと言わんばかりに、シンヤが両手を上げた。
いつの間にか青白い顔になっていたシンヤは無言で、表情は硬い。
聞いているだけでも痛々しさを感じる拷問について話していたのは、どこか冗談交じりのルイと、本音を淡々と話していたヨル。二人が武器を引くことはなかった。
シンヤの降参の意思に、自然と会話が止まる。
相手の様子を伺うようにルイとヨルが目を合わせ、すぐには武器を収めずに、お互い首元から数センチだけ武器を離す。
にやりと、ルイは笑みを浮かべた。
「さて、そろそろ君の用件を聞こうか」
「元はと言えば、お前が俺に付いてこなければ、こんなことにはならなかったんだ。お前の本当の目的を、さっさと吐け」
「…貴殿に付き添うことになったのは、母上の配慮で――」
「「何だって?」」
重なったルイとヨルの声に、元々小さかったシンヤの声はかき消された。
口角を引きつらせつつも、シンヤはゆっくりと顔を上げる。
「…妹の、友人を探していた」
友人、の言葉に首を捻ったのはヨルだけで、ルイは呆れた顔になる。
「何でまた急に、探しちゃうのかな?今の時期、そっちだって忙しいでしょ?妹の友人を探して、どうするの?また一緒に人探しでもさせるわけ?」
「人探しをさせるつもりはないが、ただ会って話をして欲しい」
「話、ね」
「忙しいからこそ、誰かと話して休息する時間は必要ではないか?」
怯えていたはずの表情が消えて、シンヤが不思議そうに尋ねた。ルイは心当たりがあるようで、何も言い返さない。ヨルは肩の力を少し抜き、持っていた日本刀を鞘に戻した。
「それならそうと、さっさと言えよな」
「話す暇を与えては貰えなかったのでな」
「自業自得でしょ」
素っ気ないルイはシンヤから一歩離れると、静かに日本刀を鞘に納めた。袴の紐の間に日本刀を差し込み、ヨルが持っていた手紙を奪って一目散に逃げる。ヨルが声を上げるよりも早く、ルイは駆け出していた。
目の前にやって来た時にはいつもの笑みを浮かべ、勢いのままに亜莉香とルカの手を掴んで走り出す。
「二人とも、さっさと行くよ!」
「え…え!」
「ちょ、ルイ!」
「面倒事には、関わらないのが一番!」
驚く亜莉香とルカの手を引いて、ルイは楽しそうに笑った。
突然のことに驚いたのは亜莉香よりもルカの方で、少しだけ名残惜しそうに後ろを振り返って、ぽつりと呟く。
「お礼言ってない」
「お礼なんて、必要ないでしょう?」
だって、と呟いたルイが意地の悪い笑みを浮かべた。
数メートルしか離れてない距離で、ルイは亜莉香とルカの手を離す。追いかけず、主にトシヤと何やら話していたヨルを振り返った。口元に両手を運び、大きな声で叫ぶ。
「ヨルは好きな子からのお願いを断れなかっただけだよね!」
路地裏に響いた声に、ヨルの表情が固まった。みるみる真っ青から真っ赤に変わり、シンヤ以外はルイの言葉の意味を知る。
聞いてはいけないことを、知ってしまった。
亜莉香だけでなく、トシヤも同じことを思って気まずい顔になった。ルカだけがまだ理解出来ないで、首を傾げる。
「…つまり?」
「ヨルはフミエが好き、と言う話かな」
「そうだったのか?」
「ルカは鈍感だからなー」
色んな意味で、とルイは微かに笑った。
明るい雰囲気があるのはルカとルイの周りだけで、わなわなと震えているヨルの怒りが目に見えて分かる。何となく亜莉香がルイの傍から離れれば、ヨルは日本刀に手をかけた。
「…ルイ、その場から動くな」
「あはは、嫌だよ。あ、トシヤくん、愚兄を足止めしてくれない?」
「無茶苦茶なことを――」
言うな、と言い終わる前に、ヨルは駆け出した。
怒りが爆発したヨルの瞳には、最初から戦いを狙っていたような、真新しい日本刀を持って薄ら笑いをしているルイの姿しか映っていない。
ルイも駆け出して、ヨルが大きく日本刀を振り上げて斬りかかる。
人通りの少ない路地裏で、本日二度目の兄弟喧嘩が始まった。




