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Last Crown  作者: 香山 結月
第1章 月明かりと牡丹
91/507

19-6

 卵粥と林檎を食べて、薬を飲んだ後に睡魔に襲われた。

 横になって眠りにつくまで、ルカとルイと話していたことは覚えている。段々と会話が耳に入らなくなって、何の話をしていたのか分からなくなって、いつの間にか亜莉香は眠ってしまったようだ。


 ぐっすりと寝て目を覚ますと、何故か布団の上に両手が出ていた。

 右手を握っているのはルカで、左手を握っているのはルイ。左手を枕にして横になっているルカは亜莉香の真横にいて、場所を移動したルイは胡坐をかいて座っていた。

 亜莉香の手をしっかり握って、二人ともすやすやと寝ている。

 いつ手を繋いだのか。

 起きる気配がない姿を確認して、亜莉香は天井を眺めた。意識ははっきりとしていて身体が軽くなった。熱は下がった気がするし、そろそろ起きたい。ルカとルイはいつまで寝ているのだろう、と考えていると、微かにルイの手に力が入って視線を向けた。

 ゆっくりと瞳を開けたルイが、何度か瞬きを繰り返す。

 意識を取り戻すのに数秒かかり、亜莉香に微笑んだ。


「…おはよう、アリカさん。具合良くなった?」

「おはようございます。良くなったと思いますよ」


 ルカを起こさないように小声で言えば、眠たそうに左手で目をこすった。そっと亜莉香を掴んでいた手を離し、そのまま両手を上げて固まっていた腕や肩を伸ばす。同時に首を回しながら、ルイは言う。


「よく寝たなー。アリカさんはいつ起きたの?随分前?」

「いえ、さっき起きたばかりです」

「それなら良かった。看病する側が寝ていたら、意味がないよね」


 ルイは立ち上がって小さな欠伸を零した。

 ルイが部屋の中を見渡して何かを探している間に、亜莉香はゆっくり起き上がった。動いたら起こすかもしれないと思っていたが、ルカが起きる様子はない。

 足音を立てないで移動して、ルイはベッドの上にあった毛布を手に取った。


「ルカなら、まだ起きないと思うよ。爆睡すると、なかなか目を覚まさないから。誰かの看病なんて久しぶりで、小さい頃は具合が悪くなったイオやフミエを挟んで手を繋いで寝ていたなんて話をしている途中で、ルカも僕も寝ちゃったみたい」


 ルイが声を潜めずに話して、毛布をそっとルカに被せた。

 愛おしそうに、ルカの傍にしゃがんで髪を撫でる。寝ているルカはいつもより幼く見えて、亜莉香は笑みを零した。


「ルカさんも、お疲れだったのですよね」

「昨日は皆、疲れていたと思うよ。トシヤくんはアリカさんを取り戻すのに必死だったし、ユシアさんとキサギくんは精神的に弱っていたし――」


 でも、と一呼吸置いたルイが顔を上げて、肩を竦めた。


「トウゴくんはいつも通りだったよ」

「それはそれで、安心しますね」

「戦い向きじゃない魔法を使うキサギくんでさえ、ユシアさんを守ろうと戦っていたのに。全く戦おうとしないからね」


 ルイがため息を零し、亜莉香は訊ねる。


「キサギさんの魔法は、どんな魔法ですか?」

「植物を操る魔法、かな。人相手なら植物を使って足止めとか、攻撃も出来る話だったけど。ルグトリス相手だと大きな戦力にならなかったね」


 予想出来たけど、とルイは独り言のように呟いて、視線をルカに戻す。

 詳しく話を聞く前に、勢いよく扉が開いた。


「アリカちゃん、元気になった!?」


 トウゴの大きな声が部屋に響き、左手に持っていた風呂敷を見せびらかすように掲げた。亜莉香が返事をする暇もなく、扉の前で立ち止まったトウゴの声が続く。


「いやー、お見舞いと言えば酒だよな。トシヤが帰ってくる前に、一杯飲まない?」

「えっと…お酒はちょっと…」

「トウゴくん五月蠅い」


 口角が上がっているのに、笑っていないルイが言った。

 ルイがその場に居たことを、トウゴは今更知ったような顔になる。


「あれ?ルイが看病していたの?ユシアは?てか、そこで寝ているのは――」

「ちょっと、外に出ようか?」


 素早く立ち上がったルイが、騒がしいトウゴを無理やり部屋の外に追い出す。

 扉が開けっぱなしになって、廊下の会話はよく聞こえた。トシヤが帰ってくる前に酒を飲むべきだ、とトウゴが主張して、ルイは苛立ちを隠さずに反論する。

 トウゴの声があまりにも響いて、ルカは目を覚ました。

 ゆっくりと起き上がって、ぼんやりとした顔で亜莉香を見つめる。


「おはよう?」

「おはようございます。よく寝られましたか?」

「トウゴの声が…五月蠅かった」


 寝ぼけているルカが囁くように言った。掴んでいた右手を離して、亜莉香の額に当てる。


「熱は下がったな」

「そのようですね」

「それにしても、廊下で何をやっているんだ?」


 騒がしいトウゴの声で目が覚めたようで、ルカが呆れた表情を浮かべた。廊下が気になって立ち上がり、顔を覗かせる。

 ルカが話しかけたのが合図になったのか、隙を見つけたのか。

 何故か、頭から滑り込むように部屋に乱入したトウゴが、布団から動けずにいた亜莉香を見て、大きめな声で叫ぶ。


「アリカちゃんも、お酒を飲みたいよね!」

「いや…その…」

「飲みたいと言って!!!」


 無理やりでも言わせたいトウゴが、うつ伏せのような格好で叫んだ。眉間に皺を寄せたルカが腕を組んで何かを言う前に、誰かが階段を駆け上がる音がした。

 トウゴが首だけ動かして、誰が来たのか確認する。

 今までの表情が、一瞬で消えた。


「…と、トシヤくん?」

「何をやっているんだ、トウゴ?」


 廊下から聞こえたのは帰って来たばかりのトシヤの静かな怒声で、トウゴが起き上がる暇はなかった。トシヤは部屋に入って、慌てふためくトウゴの腰の上に飛び乗った。


「――っお、重い!重いし、その場所は痛い!!!」

「そうか。それより何をしようとしていた?」

「謝るから!早く降りて!!!」


 右手で床を叩くトウゴは相当痛がっている。けれどもトシヤは退かず、トウゴの上にしゃがみこんで亜莉香を見た。

 怒っている顔ではなく、安心した顔のトシヤが微笑む。


「アリカ、具合良くなったみたいだな」

「すみません。ご迷惑をお掛けました」


 亜莉香が軽く頭を下げれば、トシヤが否定する。


「迷惑とは思っていない。早く治ってくれれば、それでいい。市場の連中もアリカのことを心配して、果物とか和菓子とか惣菜とか…パン屋の夫婦とコウタからもお見舞いの品を預かっているから、茶の間で確認出来るか?」

「ここまで持って来ればいいだろ」

「量が多いんだよ」


 ルカの質問に、トシヤが答えた。


「そんなことより、俺から降りて話してくれない?」

「そう言えば、ユシアは?」

「ユシアさんなら父親に会いに行ったよ」

「っぐえ!」


 トウゴを踏みつけながらルイが言い、トシヤは納得した。

 ルイは部屋の中に入って、亜莉香の傍までやって来た。目が合うとにっこりと笑い、後ろで両手を合わせてトシヤとトウゴを振り返る。


「父親とも再会出来て、キサギくんとも会えて。ユシアさん、本当に良かったよね」

「まあな」

「キサギくん的には、父親と一緒に住んで欲しいらしいけど。トシヤくんとトウゴくんは、それに関してどう思うの?」

「それはユシアが決めることだろ」

「でもさー。父親がわざわざこの街にやって来て、住む家があるわけだろ。家族なら一緒に住めば良くない?」


 痛みに慣れ始めたトウゴが、軽い口調で話し出す。


「ユシアがこの家を出ても全く問題はないし、ユシアも好きな男と過ごせるわけで。俺的には暴力女がいなくて、嬉しいと言うか――」

「嬉しいと言うか?」


 繰り返された言葉に、トウゴの言葉が止まった。

 足音立てずにやって来たユシアは、満面の笑みを浮かべていた。帰っていたことに気付いていたのはルイとルカだけで、楽しそうに言う。


「ユシアさん、おかえり」

「おかえり」

「ただいま。すごーく、面白そうな話が聞こえたから、ちょっと盗み聞きしちゃった」


 うふふ、と笑うユシアに、トシヤが静かに場所を渡す。

 逃げるようにトシヤが亜莉香の傍の、ベッドに腰を下ろして成り行きを見守る。ルイは楽しそうに、ルカは呆れ顔で亜莉香の傍に避難した。

 トシヤがいた場所、トウゴの上に立ったユシアは、くるぶしに力を入れて踏みつける。あまりの痛さにトウゴが悲鳴を上げるが、全く聞く耳を持たずに言う。


「それで、何が嬉しいのかしら?」

「――っい、たい!痛い!許して下さい!何も言ってないから!!」

「あらあら、私の聞き間違いだって言うの。違うでしょ?」


 ねえ、とトウゴに微笑むユシアの顔は怒っていた。

 トウゴを少し憐れに思った亜莉香は、とても小さく呟く。


「これ、どうしましょう?」

「自業自得だろ」

「何もしなくていいな」


 トシヤとルカが言い、亜莉香は目の前の光景を眺める。

 トウゴは謝罪を繰り返すが、ユシアの怒りが収まるまで暫くかかりそうだ。二人がいるのが扉の前なので、誰も部屋の外に出ることは出来ない。

 今にも鼻歌を歌いそうなくらい上機嫌になったルイが、ふと話し出す。


「ユシアさんが急にいなくなったら困るけど、キサギくんとは幸せになるといいね」

「何だよ、急に」

「いや、きっと幸せになるだろうね」


 確信した言い方に直したルイに、トシヤとルカは首を傾げた。

 ルイの言葉の意味を考えて、亜莉香はユシアをよく観察する。着物も袴も、帯や帯飾りも変わっていない。特に変わったところなさそうだと思っていたら、一つだけ違いがあった。


 髪をまとめていた真っ白い飾り紐がない。

 代わりにあるのは、まるで最初からそこにあったかのように存在している簪。繊細で可憐な、小さく白い花が連なり揺れる鈴蘭の簪が瞳に映り、亜莉香はルイの言葉の意図を理解した。


 簪を贈った相手と、その簪を身に付けている意味は容易に想像出来る。

 きらきらと揺れる簪に、亜莉香は心の底から嬉しくて堪らなかった。

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