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Last Crown  作者: 香山 結月
第1章 月明かりと牡丹
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19-5

 金木犀の甘い匂いがした。

 目を開けて、傍に座っている人物に目を向ける。まだ身体は熱いが、頭の痛さは引いていた。ゆっくりと焦点が合って、亜莉香の視線に気が付いたルカが本から顔を上げる。


「起きたか?」

「ルカ、さん?」

「起きたら昼飯と薬。食べさせるようにユシアに頼まれた」

「ユシアさんはどこに?」


 読んでいた本にしおりを挟み、ルカが手ぬぐいに手を伸ばした。手ぬぐいの代わりに、ルカの冷たい手が触れる。


「ユシアなら、ルイとキサギと一緒に出掛けた。何でもユシアの父親が、午後にはこの街に到着するらしい」

「そう、でしたか」


 小さく呟いた亜莉香から離れ、ルカは正座を正す。


「全く、無茶ばかりするから倒れるんだ。起き上がれるか?」

「はい…多分」


 ルカに支えられて、亜莉香はゆっくりと起き上がった。

 起き上がると、ルカの隣にある一輪挿しの花瓶に目を奪われた。両手の中にすっぽりと収まりそうな、綺麗な桃色のガラスの花瓶に、挿してあるのは小さくて可憐な金木犀。


「それ…は?」

「これか?ルイがお見舞いに、金木犀の枝だとさ」


 亜莉香の視線の先に気が付いて、ルカが花瓶を差し出す。

 花瓶を受け取って、ぼんやりと金木犀の花を眺めている間に、ルカは持って来ていた一人分の土鍋を膝の上に置いた。土鍋の上に両手を置くと、淡く赤い光が土鍋を包む。

 魔法で温まった土鍋を一度脇に置き、ルカが蓋を開けた。

 土鍋の中には美味しそうな匂いの、出来立てのような卵粥。湯気が出て、卵に包まれた柔らかそうなお粥の上に、鮮やかで細かい緑の葱が散らばっていた。

 土鍋と一緒に持って来ていたお椀に卵粥を盛り、スプーンで一口すくう。

 熱い卵粥をルカが冷まして、そのままスプーンが亜莉香の口の近くまで運ばれた。


「ほら、口を開けろ」

「…自分で食べられますよ?」

「こんな時ぐらい大人しく甘えろ」


 命令形で言われて、断っても無理やり食べさせられそうだ。

 気恥ずかしくなったが、元々顔が赤くなっていたので、亜莉香の心情をルカは察してくれない。じっと見つめられて、おそるおそる口を開けた。

 ゆっくりと一口ずつ、ルカは慣れた様子で食べさせる。

 よく噛みしめながら卵粥を味わいつつ、亜莉香は少し首を傾げた。


「ルカさん…なんか慣れていませんか?」

「まあ。ルイやイオが具合悪くなると、よく看病していたから」


 卵粥を冷ましながら、ルカの言葉が続く。


「そういう時は俺が卵粥を作って、目が覚めた時に食べさせていたんだよ。自分で食べられない、なんて言って駄々を捏ねるから。ルイとイオなんて、ちょっとでも具合が悪くなる度に、俺を呼び出していた」


 昔を思い出して、ルカが呆れた口調で言った。

 ぼんやりと話を聞いて、どうしても気になったことを亜莉香は訊ねる。


「この卵粥、ルカさんが作ったのですか?」

「そう言っただろ」

「だって、普段は料理をしないのに」


 亜莉香を黙らせるかのように、少しだけ眉間に皺を寄せたルカがスプーンを差し出した。


「人様に食べさせる腕前じゃないから、料理は作りたくないんだよ。今日だって卵粥を作るつもりはなかったのに…ルイの馬鹿が勝手に作り始めて、途中で投げ出すから」


 ぶつくさと文句になって声が小さくなると、よく聞こえなくなった。

 口の中にあった卵粥を呑み込んでから、亜莉香は言う。


「美味しいですよ?」

「お世辞はいらない」

「お世辞じゃないのですが…」


 きっぱりと言い返されて、これ以上の話をやめた。

 黙々と卵粥を食べ終え、グラスに注がれた水を手渡される。持っていた花瓶と交換して、ぬるくなっていた水を飲んで水分補給をする。亜莉香がほっと一息ついていると、ルカは持って来ていた林檎を左手に持ち、慣れた手つきで皮を剥き始めた。

 皮を剥きながら、ルカが面倒くさそうに話し出す。


「皮剥くの、だるいな」

「私が剥きましょうか?」

「病人にそんなことさせられるかよ」


 ため息交じりに言い、ルカは林檎から視線を逸らさない。

 病人、と言われても、朝よりは幾分かましになった。食欲もあって、土鍋の卵粥も綺麗に平らげた。まだ全快とは言えないが、動くことは苦ではない。


「これくらいなら、もう大丈夫だと思うのですが」

「アリカ、自分の顔を見てから言えよ」


 ルカが手を止めて顔を上げた。

 顔を見てから言え、と言われても、鏡がないので確認出来ない。困った表情を浮かべた亜莉香を見て、ルカは肩を落とす。


「誰が見ても、具合の悪そうな顔している」

「…そうなのですか?」

「自覚がないのが恐ろしい」


 ため息交じりに言って、ルカはまた視線を林檎に戻した。

 お互い口を閉ざして部屋の中が静かになるが、敢えて話すことがない。手際よくルカが林檎を一口サイズに切り、亜莉香は何も考えずに眺めていた。

 ある程度切り終えると、ルカは手づかみで林檎を亜莉香の口に運んだ。

 蜜が入って甘くて、歯ごたえがあって噛むたびにシャリシャリと音がした。


「…美味しい」

「それ、医者からの見舞いの品」

「お医者さん?」


 それ、が林檎なのは分かったが、医者と言われて誰のことなのか、亜莉香には分からなかった。ルカは小さく頷き、林檎を亜莉香の口に押し込む。


「ユシアのとこの医者。昼前に一度診察兼ユシアの様子を見に来たらしい」

「らしい?」

「午前中はユシアがアリカの世話をしていたから、俺は会ってない。聞かれる前に言うけど、トシヤは夕飯の買い出しで、トウゴは仕事だからな」


 もう一口、とルカが言ったが、まだ口の中に林檎が残っていた。少し待ってもらう間に、誰かが扉を叩いて、亜莉香とルカは音のした方を見た。


「ルイだけど、入っていい?」

「どうぞ」


 林檎を呑み込んだ亜莉香が返事をすれば、扉が開いてルイが顔を覗かせた。起き上がっていた亜莉香と、何故か心底嫌そうな顔をしたルカを見比べ笑みを零す。


「お邪魔します。いやー、アリカさんが起きていてくれて良かった。起きてなかったら、絶対にルカは部屋に入れてくれないもん」

「お前が来ると五月蠅いんだよ」

「トウゴくんよりは静かでしょう?」


 同意を求めたルイが、ルカの隣に腰を下ろす。ルカと同じように正座して、物珍しく部屋の中を見渡した。


「なんか、女の子の部屋って感じだね」

「感じじゃなくて、ユシアとアリカの部屋だからな」

「分かっているけどさ。ほら、ルカの部屋って本ばっかりで全然女の子らしい部屋じゃないからさ。ぬいぐるみとか色合いとかが、いかにも女の子の部屋だな、と」


 女らしくなくて悪かったな、と物語っている表情のルカが、悪気もなく言ったルイを睨む。ルイは敢えてルカの視線を無視して、窓の外を見た。

 亜莉香は以前入ったことのあるルカの部屋を思い出した。

 元々は応接室、と言われていたルカの部屋には、淡い緑色のカーテンの付いた出窓がある。応接室用の木製の大きなテーブルは窓際に追いやられ、その上には様々な本が山積みになっていた。テーブルとセットになっていたと思われる漆黒のソファは、テーブルとは反対側の壁に並べてある。毎日布団を畳み、床には物を置かないようにしている部屋には、可愛らしい小物はないに等しい。

 綺麗に整理整頓されていた部屋を思い浮かべ、亜莉香はゆっくりと口を開く。


「ルカさんの部屋は、本が沢山あって素敵ですよね。無造作と言うわけでもなく、きちんと分類されていて、倒れないように配慮されていて」

「えー、もっと可愛い部屋にして欲しいよ」

「それならお前はちゃんと片付けろ」


 ルイは笑って、ルカの冷ややかな声に耳を塞いだ。ルカとは逆の方に顔を向け、部屋の中を観察するルイに、亜莉香は笑みを零す。

 ルイの部屋は綺麗とは言い難い。元々が同じ造りの応接室であり、配置換えを行っていない部屋の中心に真っ白なテーブルがある。二人が悠々と座れる、テーブルと同じ真っ白な色のソファの一つが寝るためのベッドの代わりになっていて、もう一つは着物や袴、帯や髪飾りなどが無造作に置いてあった。

 時々、ルカが怒りながらルイの部屋を掃除していたのは目撃済み。


「ルイさんの部屋は…物が多いですよね」

「だって、色んな人が色んなものをくれるんだもん」


 ルイが可愛く振り返ったところで、ルカには通じない。


「そのうち全部捨ててやる」

「えー、中には高価な物も混ざっているのに?」

「高価な物ならちゃんと管理しろ」


 ごもっともな意見に、ルイは笑っただけで終わらせた。

 そう言えば、と話を変える。


「部屋と言えば、僕まだトウゴくんの部屋を見たことないな。トシヤくんの面白みもない部屋は何度も拝見しているし、アリカさんとユシアさんの部屋は今回入れたわけだけど。トウゴくんの部屋はいつも入れなくてさ。何か入る方法ない?」

「結界のせい、でしたよね?」

「そうそう。部屋の主の許可がないと、個人の部屋には入れないからね。無理やり結界を破るのは忍びないし、トウゴくんに強引にお願いしても断固拒否されたからなー」

「諦めろよ」


 どこか楽しそうな顔のルイに、呟くようにルカが言った。

 いつの日か、無理やりでも部屋を開けそうな雰囲気をルイは醸し出す。にこにこ笑っているルイから視線を外し、ルカは残っていた林檎を剥くことにした。

 亜莉香だけじゃなく、ルイの口にも林檎を運ぶ。

 林檎を食べながら、結界では入れない部屋を亜莉香は考えた。


「一階の書庫も、結界のせいで入れませんよね?」

「まあね、トシヤくんもトウゴくんも、ユシアさんでさえ入れない部屋に、僕達が入れるはずはないわけで――林檎美味しい」


 話している途中で林檎が口の中に入って、ルイが柔らかい笑顔を浮かべた。嬉しそうに林檎を食べているルイに、そんなことより、とルカが口を開く。


「ユシアとキサギはどうした?」

「え、分かんない」

「分かんない…て、おい」

「やっぱり感動の再会の邪魔をしちゃ駄目だと思って。屋敷に着いたらユシアさんのことはキサギくんに家まで送るように頼んで、僕は先に帰って来たから。その後のことは分からないよ」


 肩を竦めてみせたルイは、それに、と続ける。


「そろそろユシアさんとキサギくんはじっくり話すべきでしょう?いつまでも相手の様子を伺っていても埒が明かないし…キサギくんなら、責任を持ってユシアさんを家まで送り届けてくれるよ」

「随分信頼してないか?」

「昨日一緒に出掛けた時に、色々話して仲良くなったからね」


 色々、とルイは強調した。意味ありげな笑み浮かべたルイの意図が分からず、亜莉香とルカは顔を合わせると、ほぼ同時に首を傾げた。

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