02-4
ユシアの休憩時間が終わるということで、トシヤと二人で診療所を出ることになった。
着物以外の服装で黒い髪は目立つ、とユシアに指摘され、ダッフルコートを着たまま帽子を被る。それでも目立つらしいが、人混みに紛れれば問題ないから、とも言われた。
嬉々とした笑顔を浮かべているユシアは、入口まで見送りに来た。
「じゃあ、アリカちゃん。また後でね。トシヤはちゃんと家まで案内しなさいよ」
「はいはい」
「はい、は一回」
まるで母親と子供のような会話。慣れてくると聞いていて楽しい。くすっと笑って、亜莉香は改まって、ユシアに向き直った。
「ユシアさん、これからよろしくお願いします。それから怪我を治してくれたり、お茶をくださったり、ありがとうございました」
深々と頭を下げた亜莉香に、ユシアは少し驚くが、すぐに嬉しそうな顔をする。
「顔を上げて。こちらこそ、よろしくお願いします」
「はい、お願いします」
顔を上げ、目が合ってお互い微笑む。あ、と思い出したように今度はトシヤの方を向き、勢いよく頭を下げる。
「トシヤさんにもお礼を。色々と助けてくれて、本当にありがとうございます。これから、よろしくお願いします」
「…いや、別に。大したことはしてない」
歯切れの悪い、素っ気ない言葉。亜莉香が顔を上げれば、言葉とは裏腹に、目を逸らしたトシヤの耳が少し赤い。照れているトシヤを見て、にやにやと笑うユシアは口元を隠すと、小さな声で言う。
「トシヤの照れている顔、面白いわ」
「趣味悪い」
「そんなことありません」
トシヤの言葉を否定して、それじゃあ今度こそ、とユシアが亜莉香とトシヤの背中を押す。
階段で転ばないように気を付けながら、トシヤを追いかけて下まで降りると、ユシアはまだ入口に立っていた。
「またね」
「はい」
「そろそろ行くぞ」
「あ、待ってください」
置いて行かれないように、亜莉香はトシヤの後を追いかける。
「トシヤさんもユシアさんも、優しい人ですよね」
「藪から棒に、何を言い出すわけ」
「見ず知らずの私を家に招くなんて、普通出来ませんよ」
一歩先を歩くトシヤに、亜莉香は言った。
診療所から出て歩く裏路地を、無言で歩くのは嫌で、口を開く。話したいことが特にあったわけではなく、何となく話し出す。
「迷惑を、かけている自覚はあるのです」
口にすると、その通りだな、と思った。
「私は一文無しで、何もない。魔法も使えません」
「だからって、帰る場所がないのに放って置けないだろ」
はっきりと、トシヤが言った。
トシヤもユシアも優しくて、誰にでも手を差し伸べてくれる人。だからこそ、そんな人達の傍にいてもいいのか不安で、芽生えた気持ちが増えていく。
いつか、嫌われるかもしれない。
迷惑をかけることしか、出来ないかもしれない。
その不安に耐え切れずに、それでも、と言いながら亜莉香は立ち止まる。
立ち止まった亜莉香に気が付き、トシヤも立ち止まって振り返った。トシヤの目を見て、亜莉香はぎこちなく笑い、冗談交じりに言う。
「私が邪魔になったら、はっきり言って下さい。お願いします」
「なんで、その考えになるわけ?」
「昔から、あまり人に好かれなくて。不愉快にさせてしまうことが多いみたいで…そうなったら、トシヤさんやユシアさんの傍にはいない方がいい――」
ですから、と言い終わる前に、トシヤが亜莉香の目の前にやって来て、その両頬を軽く引っ張る。驚く亜莉香の言葉は遮られ、諭すように話し出す。
「何を言っているんだよ」
「…え?」
「出会ったばかりで、アリカのことなんて何も知らないけど。それでもアリカが嘘をついて人を騙したり、訳もなく誰かを傷つけたりしない人間に見えるけど?だから俺は手を貸そうと思ったわけで、邪魔なんて思わない。分かったか?」
「ひゃ、ひゃい」
勢いに呑まれて、頷けば、トシヤが微笑んだ。
「分かればよし。とりあえず夕飯の買い物をして帰らないと、冷蔵庫に食べられる物がない。アリカ、食べたいものある?」
「特に、ないです」
「じゃあ、何にするかな」
トシヤがゆっくりと歩き出す。
少し熱くて、赤くなった頬は、引っ張られたせいなのか。トシヤに触れられたせいなのか。
分からない。分からないけど、心が温かくなった。
何故か五月蠅い心臓を抑えつつ、亜莉香は顔を隠すように帽子を深く被る。トシヤを追って踏み出した一歩は、不思議と軽くなった気がした。




