19-4
泣き疲れて、亜莉香はそのまま眠ってしまった。
目を覚ました時には、ベッドの上に置いてあった簪もトシヤの姿もなかった。窓の外は明るくて、初めて寝過ごしてしまったのだと、ぼんやりとした頭で考える。
いつもならベッドで寝ているユシアの姿がない。
何故だか頭が回らなくて、身体が重い。
いつの間にか寝る時の着物姿で、着替えた記憶が無い。
起き上がると、額に置いてあった濡れた手ぬぐいが落ちた。
「なんで…手ぬぐい?」
訳が分からず、手ぬぐいを手に持って立ち上がる。
立ち上がっただけなのに、だるさが全身を襲った。着替えようと一歩踏み出しただけで、ぐらりと身体が崩れて倒れそうになる。
「…あれ?」
おかしい、と思った。
それでも壁に手をつきながら、ふらふらと鏡台の前まで進む。
いつも通り髪飾りを手に取ると、黒い花のちりめん細工の髪飾りの花びらが一枚、黒ではなく鮮やかな赤のように見えた。目が覚めた時からいつもとは違うから、それは見間違いかもしれない。
鏡台の前の丸椅子に座ろうとする前に、部屋の扉が開いた。
お盆に何かを乗せて、部屋に入って来たユシアと目が合う。
「おはよう、ございます」
「おはよう…じゃなくて、なんで起きているの!」
「なんで?」
弱々しく答えた亜莉香の頭に、ユシアの驚きの声がよく響いた。起きた理由を考えて、いくつかの理由が思い浮かんだが、答えるのをやめた。そもそもなんでそんな質問をされたのか。考え始めた亜莉香を、ユシアは信じられないと言いたげな表情で見つめる。
黙っていたのは数秒で、ユシアが耐え切れなくなってため息を零す。
「アリカちゃん、とりあえず布団に戻って」
「でも、寝坊したので。掃除や洗濯、夕飯の買い出しも行かないと」
「風邪を引いているのに?」
「風邪?」
ユシアの言葉の意味を、よく考える。
風邪。咳やくしゃみは出ていない。鼻水や鼻づまりもないが、発熱はある気がして、頭が痛くて、身体は重くてだるい。
現状をようやく理解して、窓の外に視線を向けた。
「私、風邪だったのか」
「…なんで気付かないの?」
呆れた口調でユシアが言って、少し顔の赤い亜莉香はユシアを振り返った。笑みを浮かべながら布団に戻ろうとして、足が滑る。
大きな音がして、亜莉香は頭から勢いよく転んだ。
ユシアが慌てて亜莉香を起き上がらせて、半場無理やり布団の中に戻す。布団の傍に腰を下ろしたユシアが濡れた手ぬぐいではなく、右手を亜莉香の額に当てた。
「アリカちゃん、気を付けて行動して」
「…はい」
頷いた亜莉香の額の傷を、ユシアが魔法で治す。
白い光に温かさを感じながら、亜莉香はユシアに話さなければならないことを思い出した。頭がぼんやりしているが、簪の件は早く謝らないといけない。
あの、と遠慮がちに話し出す。
「私…ユシアさんに謝らないといけないことがあって」
「簪のこと?」
「はい。簪を壊したのは私で…て、あれ?」
言い当てられて、亜莉香はユシアを見つめた。もう何もかも知っている顔のユシアが、亜莉香から右手を話して、優しい笑みを浮かべて訊ねる。
「アリカちゃん、今朝のこと覚えてないでしょう?」
「今朝のこと?」
天井を見ながら、亜莉香は思い出そうとする。
今朝の記憶が一切ない。昨日は泣き疲れて寝て、気が付いた時には部屋で寝ていた。何の話が分かっていない亜莉香の額に、ユシアは冷たい手ぬぐいを置いた。
「アリカちゃん、今朝もいつも通り起きたのよ。朝食の準備をしている時に倒れて、気を失う直前まで簪のことで私とキサギに謝っていたの」
「嘘…?」
「嘘のはずがないでしょう。昨日は言いそびれたけどね。私は簪より、アリカちゃんが無事でいてくれたことが何より嬉しいの」
「でも、本当に大切な簪だったのに」
段々と小さくなった亜莉香の声に、ユシアが微笑む。
よく見れば、ユシアの髪型は変わっていない。簪で髪を一纏めにしていたが、今は簪ではなく真っ白い飾り紐で結んでいた。
なくなってしまった、と実感するほど悲しくなる。
ユシアは気にせずに言う。
「簪は確かに大切なものだったけど、簪が壊れても私がキサギに抱いている気持ちは変わらないわ。昔から大好きで、今でもやっぱり好きで、簪がなくてもそれは関係ないのよ」
「それでも…」
「いいのよ。アリカちゃんが無事でいてくれたから、それだけでいいの。ごめんね、私のせいで辛かったでしょう?」
ごめんね、と言ったユシアの瞳が潤んでいるように見えた。横になったまま、亜莉香は首を横に振った。両手を布団から出して、隅を握りしめる。
「私の方こそ、簪を壊してごめんなさい」
「それはもういいって言ったのに」
「そう言うなら、ユシアさんも私が捕まったことは気にしないで」
お互い謝って、笑みが零れた。
簪のことを謝ることが出来たおかげなのか、少しだけ気持ちが楽になった。眠気が押し寄せてきて、瞼が閉じていく。
もっといろんな話がしたいのに、眠くて仕方がない。
意識が遠のく前に、おやすみ、と言う優しい声が聞こえた。




