表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Last Crown  作者: 香山 結月
第1章 月明かりと牡丹
86/507

19-1

 中庭で戦いが続いている。

 ルイは少し楽しそうな表情で小刀を振り回し、トシヤは無駄ない動きで日本刀を振り回す。結界の近く、祈るような表情のユシアに背を向けて、キサギが腰にぶら下げていた短い刀で必死に戦い、結界の中の怒るルカと合流したトウゴが何かを話していた。


 その戦いを見向きもせずに、亜莉香は音を立てずに屋敷の玄関の近く、木の影に隠れた。女性は亜莉香の存在に気付かずに、戦いを見守っている。

 近くまで来ると、心臓は五月蠅いくらい脈打った。

 これからすることに緊張して、簪を握りしめている両手が微かに震える。

 亜莉香の心情を察したかのように、大丈夫、と声が聞こえた。肩に止まっていた深い緑色の精霊の、何度も繰り返される優しい何度で、呼吸が落ち着く。

 深く息を吐き、亜莉香は周りの精霊を見渡した。ふわふわと、赤と青、緑や黄色、紫の精霊達が浮いている。精霊達はまだ何もせずに、宙に浮いているだけだ。

 女性から腕飾りを奪うタイミングは、精霊達が教えてくれる。

 腕飾りを奪い、決して手放さずに簪で破壊する。

 それが為すべきこと。


 精霊達は何かを待っていた。その待っている一分一秒が長くて、感じる時間が長い。実際は数分の時間を、亜莉香は息を殺して待ち続けた。

 じっと階段に座っていた女性が、とても小さな声で呟く。


「――」


 何を呟いたのか、分からなかった。

 ただただ悲しそうに揺れる瞳は、まるで決断を迷っているようにも見えた。瞳の奥が揺れて、女性は瞳を伏せる。それはほんの数秒で、次に瞳を開くと同時に、重たい腰を持ち上げるように立ち上がった。

 左手首に身に付けていた真珠の腕飾りに目を落として、右手でそっと触れる。

 何の意思も感じられない瞳に変わっていて、腕飾りが手首から外れた。


 今だ、と声がした。

 傍に居た精霊達の声に導かれて、物陰に隠れていた亜莉香は勢いよく飛び出す。同時に傍にいた精霊達が眩い光を放ち、辺りは一瞬で真っ白に染まった。

 亜莉香の存在に気が付いて、女性が振り返る。

 女性に気付かれても、もう引き返せない。亜莉香は光の中を突き進み、勢いよく腕飾りに右手を伸ばして、力一杯握りしめた。


「――っ!」


 腕飾りに触れた瞬間に、燃えるような熱さと凍るような冷たさを感じた。腕飾りを握る右手が痛くても、絶対に手を離さない。

 それは、咄嗟に腕飾りを掴んだ女性も同じ。

 お互いに引っ張り合う形になって、女性が叫ぶ。


「離しなさい!」

「離しません!」


 言い返して、亜莉香は簪を持っていた左手を右手の上に添えた。

 腕飾りの色が、白から黒に変わり始める。僅かに黒い光を放ち、その輝きが増した。その光に反応して、周りにいた精霊達が亜莉香の傍に集まった。

 精霊達の声援が聞こえて、痛みが和らぐ。

 簪から淡く赤い光が溢れて、温かい熱を帯びる。

 白い光が徐々に消えて行く中、簪の赤い光が輝き、腕飾りの黒い光が闇に解けていく。お互い力を緩めず、腕飾りの奪い合いが続いた。

 無我夢中で、女性が声を荒げる。


「いい加減にしなさい!貴女も道連れになるわよ!」

「それでも離しません!」

「言うことを聞きなさい!!」


 どんなことを言われても引きつもりはない。

 亜莉香が腕飾りを奪えば、簪で壊すことが出来る。女性が腕飾りを取り戻せば、ルグトリスが現れてユシアを殺す。

 亜莉香に目を向けた女性が、唇を噛みしめた。

 頭の上に青い光が集まって、また水の魔法を仕掛けられる。その前に女性から腕飾りを奪わなければ、きっと勝ち目はない。


 たった一言でも、女性の動きを止める言葉が欲しかった。


 気を逸らせるような、一瞬でも動きを止められるような言葉が心に浮かぶと同時に、亜莉香の声が零れる。

 貴女は、と声が掠れた。


「本当の貴女は、何がしたいのですか!!」


 目の前にいた女性が息を呑んだ。

 驚いて、僅かに力が緩んだ瞬間に、亜莉香は腕飾りを強く引っ張る。女性の力がなくなった反動で尻餅をついて、右手には腕飾りを握りしめていた。

 女性が奪い返そうとする、その前に。

 迷うことなく腕飾りを地面に押し付け、持っていた簪を両手で突き刺した。






 壊れてしまえ、と願った。


 腕飾りを簪で突き刺す瞬間に、強く願った。

 簪を突き刺すと、真珠の一つが欠けた。黒い光は赤い光に飲み込まれて、白と赤の光が粒となって弾けた。亜莉香の身体は真後ろに吹き飛ばされて、玄関の前にあった薔薇に突っ込む手前で止まった。地面を滑る羽目になり、着物も袴も土だらけ。

 驚きの連続で、ゆっくりと起き上がった亜莉香は深く息を吐く。


「…びっくりした」


 まさか吹き飛ばされるとは思っておらず、硬く握りしめていた簪を見下ろす。

 ありったけの力で握りしめていた簪の、淡く赤い光は消えていた。腕飾りは、と顔を上げれば、数歩先に立ち尽くす女性との間に落ちている。

 真珠の一つが欠けて半分の大きさとなった、壊れた真っ白な腕飾り。

 腕飾りには目もくれず、女性は驚愕と焦燥の混ざった表情で、亜莉香を見つめていた。あからさまに動揺して、震えた声で話し出す。


「貴女こそ…誰なの?」

「…え?」

「それだけの力を持っているなんて、貴女は何者?」


 繰り返された質問に、亜莉香は答えられなかった。

 それだけの力の意味が理解出来なくて、何者かと問われても分からない。じっと見つめる女性を見つめ返して、唾を呑み込んでから言う。


「それは…私の方が知りたいです」


 正直に答えた声は掠れて、段々と小さくなった。

 返事はなかったが女性の視線が下がり、それ以上の追求はない。女性は片足を引くと、さっと身を翻して、被っていた紺の着物を深く被り直した。


「忠告をあげる」

「忠告…?」

「戦う意志がないのなら、余計なことはしないで。今回は引き下がっても、次も見逃すとは限らないから」


 亜莉香に背を向けて、素っ気ない口調で女性は言った。

 ゆっくりと歩き出した女性の姿は闇に溶けて、そのまま消える。

 追いかける気は起きず、女性がいなくなると亜莉香の肩の力が抜けた。危ない橋を渡っていたような気持ちが、今更ながら湧く。


「終わったのかな?」


 自分自身に問いかければ、精霊達が傍にやって来た。

 終わった。もう大丈夫、と喜ぶ精霊が傍を飛び回る。ありがとう、と別の声も聞こえて、精霊達はふわふわと、どこかに行ってしまった。

 屋敷の外へと自由に出入りする精霊の姿を見上げて、宙に浮く焔が瞳に映る。

 焔のおかげで辺りが明るい。いつから亜莉香を照らしていたのか、不思議に思って焔を眺めていると、座りこんでいた亜莉香の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 全身の力が抜けていて、立ち上がるのが辛い。


 身体の向きを変えるよりも早く、目の前に駆けつけたトシヤが現れた。

 物凄く怒った表情で膝をつき、両手が伸びたと思ったら頬を引っ張られる。


「俺は先にトウゴと帰れって、言ったよな?」

「い、いひゃいれす」

「ちゃんと、言ったよな?」


 ぎゅーっと頬を引っ張られたまま、亜莉香は何度も頷いた。トシヤの怒りが収まる気配がなく、引っ張る力が緩む気配もない。加減をして引っ張られても、痛くないわけじゃない。

 いつまで続くのだろう、と少し涙目になると、後からやって来たルイと目が合った。

 少し安心した顔をして、ルイがトシヤの肩を叩く。


「トシヤくん、それくらいにしてあげなよ」

「俺はまだ怒っている」

「それは誰が見ても分かるから」


 ルイに宥められ、トシヤが引っ張るのをやめた。

 手に持っていた簪を襟元に隠してから、亜莉香は引っ張られた頬を両手で伸ばす。何度か頬を伸ばすと、さっさと立ち上がっていたトシヤが右手を差し伸べた。

 躊躇ったのは一瞬で、亜莉香は手を重ねる。

 トシヤの隣に立つと、勢いよく駆け寄ったユシアがしがみついた。


「ごめんなさい!私のせいで、本当にごめんなさい!」

「え…別に、ユシアさんのせいでは?」

「私のせいよ。私のせいで酷い目に遭って、辛い目に遭わせて――」

「そこまで酷いことはされてないから。本当に大丈夫」


 今にも泣き出しそうなユシアに、亜莉香は優しく言った。

 鼻をすすったユシアは少し離れて、亜莉香を下から上まで見た。

 両手を下げていれば、手首の傷は着物の袖で上手く隠れる。顔に大きな傷はなく、着物はまだ湿っているし、全身汚れているが、大きな怪我はない。

 余計な心配をさせまいと、亜莉香は微笑む。


「ほら、怪我してないよ?」

「手首に紐で縛られた痕があるけどな」


 トシヤの一言で、亜莉香の笑みがぎこちなくなった。


「ごめんなさい。かすり傷は、ちょっとあります」

「なんでそんな嘘をつくのよぉ」


 肩を震わせて泣くのを我慢するユシアが、怪我をしていた両手首に触れた。

 怪我を治してもらっている間に、亜莉香は集まった面々の顔をよく見る。少し離れた場所に移動したルイの隣には眉をひそめたルカがいて、二人で内緒話をしている。

 腕を組んで黙り込むトシヤの肩に、トウゴが腕を回した。


「まあ、トシヤはそんなに怒るなよ。何が起こったかよく分からないけど、問題が片付いて全部終わったんだろ?」

「あ?」


 それ以上話すな、と言いたげな瞳で睨まれて、トウゴは笑みを浮かべながら一歩離れた。

 トシヤの怒りが暫くは続きそうで、亜莉香は距離を置いて居心地悪そうに立っていたキサギを見た。目が合うとお互い何も言わずに頭を下げ、キサギの視線がユシアに移る。

 ユシアは亜莉香の怪我を治していて、キサギを見向きもしない。

 亜莉香が捕まっている間に何かあったのではないか、と思っていたが、何も解決していない様子。どうすればいいのか考えながら、今度は中庭に目を向けた。


 中庭にいたはずのルグトリスの姿はどこにもない。

 まるで最初から誰もいなかったかのように、静まり返った中庭は荒れ果てていた。

 少し目を離した隙に、ルカとルイがもう中庭の中を歩いていた。何かを探して、探し物を見つけたルカがそれを拾い、ルイに見せる。遠くて話し声も聞こえず、頷いたルイが何かを受け取って、袖の中に入れた。

 何を拾ったのか、聞くタイミングはなかった。

 亜莉香の元へ戻って来たルイは、笑みを浮かべて話し出す。


「治療終わったら、さっさと家に帰らない?」

「アリカを捕まえた女はいいのか?」

「この屋敷に僕達以外の気配はないから、もう近くにはいないでしょう?それともトシヤくん、今から一人で探しに行く?」


 質問を質問で返され、眉間に皺を寄せたトシヤが口を閉ざした。

 亜莉香の怪我を治し終えたユシアが、とても小さな声で口を挟む。


「私は…本当に家に帰っていいの?私のせいでアリカちゃんをこんな目に遭わせて、皆にまた迷惑をかけるかもしれない。狙われる理由だって、いつまでこの状況が続くかだって分からないのに」

「でも、今回は見逃すと言っていましたよ」


 誰もがユシアにかける言葉に迷っていた状況で、亜莉香は即答していた。

 手首の怪我が治っていることを確認していると、視線を感じて顔を上げる。何も考えずに答えたせいで、誰もが全く理解していない表情を浮かべていた。

 ユリアの姿に見えていた女性との一部始終を、どこから話せばいいのか。

 すっかり忘れていた事実に気が付き、亜莉香の顔は青ざめた。


「えっと…その、とりあえず帰りませんか?お腹が減ったなー、なんて」


 冗談交じりに話を逸らして、亜莉香はぎこちなく笑った。

 一から説明すると、少女に捕まってからの経緯を話さないといけない。精霊が見えることも、精霊に過去を見せてもらったことも、ユシアやトウゴ、キサギには話していない。

 困った亜莉香の意図を察してくれたのはルカで、深くため息を零した。


「そうだな、さっさと帰ろうぜ」

「そうだねー。僕も疲れたし、アリカさんなんて酷い格好だもんね」

「…そんな酷いですか?」


 訊ねた疑問に否定する声はなかった。これ以上余計なことを言わないように、亜莉香は口を閉ざすことにした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ