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Last Crown  作者: 香山 結月
第1章 月明かりと牡丹
85/507

18-6

 身体が宙を舞い、瞳を閉じる。

 痛いのは、あまり好きじゃない。死んだとしても、仕方がないと言えば仕方がない。それを覚悟で飛び出して、少女の思惑を阻止したかった。


 襲って来るはずの痛みは、なかなかやって来ない。地面に叩きつけられることもなく、誰かに抱きしめられたような気がして、亜莉香はそっと瞳を開ける。

 見慣れた赤に目を奪われて、掠れた声が出た。


「…なんで?」

「なんではこっちの台詞だ。どうしてアリカは何度も上から落ちて来る」


 深いため息を零したトシヤが、亜莉香を受け止めていた。

 横抱きの状態は昨日も同じなのに、あの時とは状況が違う。トシヤが助けてくれるなんて想像もしていなくて、驚きで言葉を失った。

 何も言えない亜莉香を見て、トシヤが傷ついた顔になる。


「遅くなって、ごめん」

「そんなこと――」


 ありません、と小さな声で言えば、トシヤの両手の力が少しだけ強まった。

 亜莉香を抱きしめたまま、トシヤは視線を上に向けた。亜莉香が飛び降りた窓に目を向けたので、同じ方向を見る。

 窓から顔を覗かせていた少女が、信じられない、と言いたげな表情をしていた。

 扇で口元を隠すことを忘れ、窓枠をぎゅっと握っていた少女は、さっと踵を返して部屋の中に消えた。姿が見えなくなると、亜莉香はもう一度トシヤの横顔を見た。

 少女を睨みつけていたトシヤの表情は怖いくらい怒っていて、声をかけづらい。

 あの、と遠慮がちに亜莉香は問う。


「どうして、ここに?」

「ユシア宛てに手紙が届いた。それを読んで急いで駆けつけてみれば」


 トシヤが亜莉香を地面に降ろした。地面に足が着き、トシヤは亜莉香の後ろに回って、縛られていた紐に手を伸ばす。


「アリカとあの女の話し声が聞こえて、助けに向かう前にアリカが窓から落ちて来た。一回窓から外を見ていたけど、俺の存在に気付いてなかっただろ?」

「えっと…はい…」

「それなのに、窓から飛び降りたのか?」


 責めるような口調に、素直に答えることが出来なかった。

 両手を縛っていた紐が解けて、自由になった手首をさする。


「それしか方法がなかったので」

「俺がいなければ大怪我をしていたかもしれない。最悪死んでいたかもしれない」

「…分かっています」


 消えそうな声で答えて、亜莉香はトシヤを振り返った。

 何か言いたそうなトシヤと目が合い、無理やり笑みを作る。縛られていた手首の痕を隠すために両手は後ろに回すと、何となく距離を置いた。

 冗談交じりに、亜莉香は話し出す。


「それでも二階の高さなら、死なない確率もありますよ。上手くいけば、軽い怪我で済むじゃないですか」

「そうじゃ――」

「それに、私が人質のままではユシアさんが危険です。狙われているのがユシアさんだと分かっているのに、あのまま私なんかと人質交換させるわけにはいきません」


 無理やり話を続けた亜莉香に、トシヤは何か言い返そうとした。口を開く前に、草をかき分けてやって来る足音がして、亜莉香の視線はトシヤから外れた。

 トシヤが後ろを振り返った先に、疲れた表情で駆け寄って来るトウゴの姿がある。


「いた!トシヤ、走るのが早い!」

「トウゴさん」

「えっと…俺、タイミング悪かった?」


 表面上は笑みを浮かべている亜莉香と機嫌の悪いトシヤを見比べて、トウゴが言った。

 亜莉香が軽く否定して、トシヤは腕を組みながら問う。


「ユシア達はもう着いたのか?」

「一応…トシヤが一人で先走るから、俺は隠れてトシヤを探しに来たんだよ。まさか、すでにアリカちゃんを救出しているとは思ってなかったけど」


 トウゴが亜莉香の姿を確認して、安堵した表情を浮かべた。


「心配をおかけして、申し訳ありませんでした」

「いやいや、無事ならいいよ。怪我はしてない?」

「はい、大した怪我はしていません」


 安心させようと亜莉香が言えば、トシヤが眉を潜めていた。目を合わせたのは一瞬で、お互い視線を下げる。いつものように接することは出来なくて黙り込めば、トシヤがトウゴを見た。


「トウゴ、お前はアリカを連れて先に家に帰れ」

「あれ?アリカちゃんを奪還したら、ユシア達と合流するんじゃ――」

「いいから、帰れ」


 有無を言わせぬ雰囲気に、トウゴが亜莉香に助けを求めるような視線を送った。

 戦いに参加しても足手まといになるのは分かっている。ユシアのことは皆で守っていて、無力な亜莉香まで守ってもらうわけにはいかない。


 一緒に行きたい、なんて言えない。


 行ったところで何も出来ないことは知っている。

 亜莉香が何も言わなければ、トウゴが承諾する暇も与えず、トシヤはその場からいなくなった。呼びかける資格はなくて、亜莉香はその背中を見送った。

 唇を噛みしめ、視線が下がって、袴を強く握りしめる。

 屋敷の反対側の中庭にユシア達がいて、戦いは始まっている。いつだって助けられてばかりで、悔しくて、悲しい。

 とても気まずそうなトウゴが、亜莉香を振り返った。


「その…じゃあ、先に家に帰る?家まで少し距離があるけど、大丈夫?」

「…大丈夫です」


 何とか顔を上げて、笑みを作った。

 トウゴが亜莉香の傍にやって来て、その手が背中に軽く触れる。歩くように促されて、小さく頷いた亜莉香はゆっくりと踏み出した。


「トウゴさん、皆さんは中庭にいるのですよね?」

「いると思う。ユシアのことはルカとルイ、それからキサギが守っているはず」

「キサギさんも…ユシアさんの、傍に?」

「うん。ユシアとキサギ、二人が来ることがアリカちゃんを解放する条件だって、手紙に書いてあって――」

「私…大事なことをトシヤさんに伝えていません」


 トウゴの話を遮って、青ざめた亜莉香の足が止まった。

 精霊が教えてくれたことを、何一つ伝えていない。


「あの人が手に入れたかった形見は、ユシアさんです」

「…え?」

「手に入れて殺す、とそう言っていたのです」


 口にするのさえ恐ろしかった事実に、トウゴが呆気に取られた顔になった。

 少女の目的が、父親とキサギの目の前でユシアを殺すことだと。少女が求めた形見がユシアで、ユリアに見えていた少女がユリア本人ではないのだと。


 伝えなくてはいけないことが、沢山あった。

 戦いには参加せずに家に帰るべきだと頭では分かっている。それなのに、身体は帰ることを拒否して、嫌な予感が心を占めた。






 家に帰れ、とトシヤに言われたのに、亜莉香はトウゴと共に中庭に向かった。

 帰る前にどうしても少女の目的を伝えたくて、伝えなくてはいけない気がして、トウゴには無理を言った。戦いには参加しない。無茶もしない。亜莉香が伝えて欲しいことは、トウゴが伝言する。

 それが亜莉香に提示された条件。


 亜莉香が飛び降りた窓の反対側、屋敷を囲む、様々な木々の影に隠れて、亜莉香とトウゴは誰にも気付かれないように移動した。夜なのに中庭の一部が明るいのは、ルイとトシヤの武器が焔を纏っているせいだ。戦っている付近は明るくても、それ以外の場所は暗い。


 敷地の広さは、それなりに大きかった。

 屋敷自体はこぢんまりと存在しているが、その建物の三倍もの庭には真ん中に噴水があり、薔薇などの草花が植えてあった。庭の中に数人の黒い影が動き、草木を踏みつけてルイやトシヤ、キサギを襲う。

 襲って来るルグトリスは次から次ヘと溢れ出て、きりがない。

 ユシアはルカの結界の中で守られていて、ルカの手を握りしめたまま、決して目を背けずに戦いを見守っていた。ユシアを狙うルグトリスの姿、細身で背が高く、口が裂けたルグトリスの姿はない。

 中庭の様子を伺っていたトウゴが、真面目な顔で亜莉香を振り返る。


「アリカちゃんはここにいて。俺がユシアの所に行って伝えて来るから」

「分かりました」


 しっかりと亜莉香が頷いたのを確認して、トウゴはその場からいなくなった。

 一人になってから、亜莉香はもう一度辺りを見渡した。

 屋敷と中庭を囲むように、薄い膜が包んでいる。精霊達が外に出ようとして、外に出られなくて困っていた。困っていた精霊の、紫色の小さな光が亜莉香の元にやって来る。

 出して、と小さな女の子の声がした。


「どうして出られないの?」


 あの子の魔法、と答えが返って来た。


「緑色の女の子?」


 違う、と微かに上に浮いた精霊は、白い髪、と続けた。

 白い髪、と聞いて、思い浮かんだのは、ユリアと話していた女性だ。ルグトリスを従え、姿の見えない女性の話に、亜莉香は質問を重ねる。


「その人は、今どこにいるの?」


 あそこ、と言った精霊が、ふわふわと飛んだ方角を見る。

 数十メートル先の玄関の階段に、少女の影が見えた。

 座り込んで、両手を頬に当てて、無表情で成り行きを見守っているユリアに見える少女の存在は、夜に溶け込んで誰も気付かない。


 ユリアの姿に見えていたはずなのに、瞬きをした瞬間に別の姿に変わった。

 真っ白な髪の、悲しい瞳の女性。黒にも見える無地の深い紺の着物を頭に被り、後ろの髪は着物に隠れて見えなくて、見たことのある夜に溶け込む深い色の着物を身に纏っていた。


 トウゴが戻って来て、また伝言を頼む時間はない。

 目を離した隙に姿を見失うかもしれないと思えば、目が離せない。

 どうすればいい、と無意識に奥歯を噛みしめれば、また別の声が聞こえた。手伝おうか、と聞いたことのある小さな男の声がした。驚いて隣を見れば、紫色の精霊の隣に、深い緑の精霊がいた。


「手伝ってくれるのですか?」


 仕方がない、と呆れた声が返って来た。


「ありがとうございます」


 お礼に返事はなかった。簪を、と言葉が続いて、亜莉香は首を傾げる。


「簪?」


 簪、と繰り返されると、思い浮かんだのは帯に隠してあった、ユシアの簪。

 訳も分からず簪を取り出して両手の上に乗せれば、精霊は簪の上に舞い降りた。精霊が触れると淡い緑の光に包まれた簪が浮いて、手首の傷にそっと触れた。

 傷に触れられると、少し痛い。

 緑色の光が、淡い赤に変わる。簪が再び亜莉香の元に戻った時には、光が消えた。


「これを…どうすればいいのですか?」


 これを使って壊せばいい、と言われたが、それ以上の説明がない。

 困っていると、他にも精霊が集まって来た。

 色とりどりの精霊に囲まれて、沢山の声が聞こえる。どうやって腕飾りを奪えばいいのか、どうやって壊せばいいのか。


 亜莉香は黙って、精霊達の声に耳を傾けた。

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