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Last Crown  作者: 香山 結月
第1章 月明かりと牡丹
84/507

18-5

 どきりとした途端に、目が覚めた。

 心臓が五月蠅くて、亜莉香は深く息を吐く。ずっと付き添ってくれていた緑の精霊の姿はあるが、深い緑の精霊の姿はない。

 何度か深呼吸を繰り返して、今までのことを考える。


 形見、と言うのは、ユシアのことだった。

 ユシアの母親が、父親に残した大切な忘れ形見。物ではなく、それは人。ユシアを狙っているのはユリアの姿をした、別の少女。


 この土地にいるユリアは、ユリアではない。

 ユリアの姿と記憶を借りた少女が、ルグトリスを使ってユシアを狙っている。捕まえるのが目的だったのは、ユシアを父親とキサギの目の前で殺すため。

 そのために亜莉香を人質にして、まずはユシアとキサギの二人を呼び出している。

 ユシアの父親が、いつガランスにやって来るのかは分からない。父親が来る前でも、少女はユシアを殺すつもりなのかもしれない。

 見聞きした話が頭の中で繋がって、亜莉香は呟く。


「そんなの嫌だ」


 納得できるはずがない。このまま何もせずに、捕まっているわけにはいかない。

 水に濡れて、冷たくて重たい身体を起こした。縛られている両手の紐を解こうと試みるが、しっかりと結ばれている紐はそう簡単に解けなかった。

 落ち着こう、と自分自身に言い聞かせて部屋の中を見渡す。

 部屋の中に役立ちそうなものがないか。立ち上がった瞬間に、袖の中に隠していた簪が床に落ちていたことに気が付いた。それはユシアが始終離さず身に付けていた、キサギから贈られた、失くしてはいけない大切なもの。


 しゃがんで、何とか両手で簪を拾う。

 簪を両手で持ったまま、亜莉香は窓の近くまで移動した。窓から上半身を覗かせて、外を見下ろす。地面まで数メートルの高さがあって、飛び降りられるかもしれない。

 窓から顔を覗かせていると、廊下から足音が聞こえた。

 勢いよく振り返ったタイミングで、扉が開く。


「あら、起きたの?まだ寝ていると思ったのに」

「…まだ、私に用がありましたか?」


 少女、ユリアの姿に見える少女を睨んで、亜莉香は言った。

 声だって雰囲気だって、本来の姿とは程遠い。ユリアのように振る舞って、ユシアを殺そうとルグトリスを従えた目の前の少女のことは、精霊に教えてもらわなければ一生分からなかった。

 真実を知っても、今は何も言わない。亜莉香は窓に背を向け、簪の存在に気付かれる前に、そっと帯の中に忍ばせた。

 手に持っていた緑色の扇で口元を隠した少女に、亜莉香は真っ直ぐに向き合う。

 強気な態度を取った亜莉香に、少女はふっと笑ってみせた。


「寝たら元気になったのかしら。それなら自分の足で歩いて中庭まで行けるわね」

「…中庭?」

「そろそろユシア達が来るのよ。貴女は餌で、ユシアと交換するために必要だったの。人質がいれば、ユシアは大人しくするでしょう?」


 同意を求めた少女に、亜莉香は静かな怒りを覚えた。

 目の前で余裕の笑みを浮かべている少女の思い通りになるつもりは、毛頭ない。


「私はどこにも行きません」

「従わないと、貴女をこの場で殺すわよ」

「本当に、そんなことが出来ますか?」


 問いかけた亜莉香の言葉に、少女はほんの一瞬だけ驚いた顔をした。

 僅かに動揺して、瞳が揺れている。感情を隠そうと平然を装っているが、扇を握っていた手に少し力が入った。余裕の笑みが消えて、亜莉香は一歩前に出る。


「貴女は私を殺すと脅しても、本当に殺そうとしない。口だけで脅して、手を下すことはしない。ユシアさんを殺すことだって…貴方はルグトリスに命令するだけでしょう?」

「ふざけたことを――」

「いいえ、ふざけていません」 


 少女の言葉を遮った。自分らしくないと分かっていても、感情が制御出来ない。


「殺すなら殺せばいい。私を殺して困るのは、貴女だけでしょ。私が死ねば人質がいなくなって、ユシアさんのことは皆が守ってくれる。ユシアさんを狙っているルグトリスだって、きっと倒してくれる。私は――」


 段々と早口になった言葉が、止まった。

 少女が亜莉香を見つめ、この先の言葉を待っている。どんなことを言うのか、考えを巡らせている少女に、亜莉香は笑いかけた。


「私は…貴方の思い通りにはならない」


 言い終えると同時に窓を振り返って、足に力を入れて窓の外へ飛び出した。

 窓の外に出た途端に身体が傾いて、少女が引き止める声が聞こえた。その声を聞き流した亜莉香の目の片隅に、必死な顔の少女の姿が映る。

 あまりにも必死な、余裕の笑みが消えた顔に、亜莉香は微笑む。

 窓から飛び降りたことに後悔はなく、他に最善策など思い浮かばなかった。

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