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Last Crown  作者: 香山 結月
第1章 月明かりと牡丹
83/507

18-4

 ガクッと地面が抜ける感覚で、亜莉香の目が覚めた。

 ゆっくりと目を開ければ、部屋の中は静まり返って誰もいない。部屋の中は暗くて、開けられた窓の外から冷たい風が入っていた。

 ユリアの姿がなくて、肩の力を抜いた。

 窓の外の暗さは相変わらずで、身体を縛っている紐はそのまま。

 水で濡れていたので全身が冷たくて、寒い。

 ぼんやりしていると、目の前で淡い緑の光が揺れていた。


「…あなたが、私に見せていたの?」


 何を、を言わなくても、目の前の精霊に言いたいことは伝わった。頷くように僅かに動き、精霊は亜莉香を心配してふわふわと浮いている。

 困っている精霊に、亜莉香は微笑む。


「まだ、大丈夫。それよりも、形見について知っている精霊はいる?さっきまでこの部屋にいた女性が狙っている、形見について」


 亜莉香の言葉に、精霊は何も言わなかった。

 何も言わなかったが、目の前にいた精霊は開いていた窓から外に飛び出した。いなくなってしまったと思ったのは杞憂で、すぐさま戻って来た精霊が別の精霊を連れて来た。

 その精霊は、深い森の緑色。

 本当に知りたいの、と小さな男の子の声が聞こえた。その質問に亜莉香は頷く。


「知りたいです。どうしても…私は知りたいのです」


 答えながら、亜莉香は数時間前のヤタとの会話を思い出した。

 ヤタの知人は、形見は物ではない、と言った。

 数日後にはガランスに引っ越してくる、ヤタの知人。変な薬を送る知人とは、きっとユシアの父親だ。記憶が繋がって、事実まで近づいている。

 深い緑色の精霊は、亜莉香の願いを聞き入れた。

 その証拠に傍にやって来ると、左目に溶け込み視界を奪った。






「ガランスで生きている。そう、知人が言っていた」


 聞いたことのある言葉を、亜莉香は廊下でもう一度聞いた。

 廊下にいたのは亜莉香だけじゃない。扉に耳を当て、内容を盗み聞きしていた少女がいた。廊下の部屋の前からでは中の様子は見えないが、声は聞こえる。

 亜莉香の隣にいるのは、間違いないユリアだ。

 部屋の中で会話が続く。


「冗談、ですよね?だって、ユシアは死んだと。だから俺はずっと、そう思って生きてきて。それなのに今更生きているなんて言われても」

「驚かせてすまない。私が知ったのも、最近のことだ。話していた知人が、どうやらユシアを育ててくれたらしい」

「そんなことあるわけが…」

「信じられない気持ちも分かる。だから君は先にガランスに行って、ユシアの安否を確かめてくれないか。そして本当に生きているなら様子を探って欲しい」


 頼む、と必死な声がした。

 キサギが息を呑んで、少しの間だけ会話が止まる。


「いつ、この家を発ってよろしいですか?」

「君の準備ができ次第で構わない。すぐにでも馬を用意させよう」


 分かりました、とキサギは静かに承諾した。

 扉が開けられる気配を感じて、ユリアは咄嗟に物陰に隠れた。キサギが落ち着いていたように見えたのは、部屋から出るまでだ。扉を閉めた途端に、何かを決意した顔になり、早々と廊下の奥に姿を消した。

 キサギがいなくなってから、ユリアが部屋の扉を叩いた。

 男性の返事も聞かず、ユリアは扉を開ける。


「さっきの話、事実ですか?お父様」

「…ユリア」

「酷い話を二人でしていましたね。死んだ人間が生きている、なんて」


 話をしながら、ユリアは部屋の中に入った。

 立っていた男性の目の前まで進み、男性を見上げて微笑む。


「このことをお母様が知ったら、きっと喜ぶわ。そしてユシアを歓迎するでしょう。だってあの子は、私の妹ですもの」

「その妹に、お前達は何をした!」


 男性の怒声に、亜莉香だけが驚いて肩が震えた。

 ユリアから表情が消える。


「どのことかしら?ユシアに食事を運ばせないようにしたこと?部屋に閉じ込めたこと?それともキサギを私が奪おうとしたこと?でもそれは、お父様も悪いのです。お父様がユシアの母親の、その忘れ形見であるユシアばかりを愛したから」


 うふふ、とユリアが意地悪く笑った。


「後先短いお父様には、もう何も期待しません。家を出るなら勝手にすればいいわ。でも、ユシアのことは別。きっと会いに行くわ、大事な妹に」


 大事な、とユリアは強調した。

 心の底から正反対のことを願うユリアに、男性は何も言わない。憎悪を抱いた表情で、ユリアを睨んで部屋を出て行った。

 部屋の主がいなくなって、ユリアは腕を組んで窓の外を眺める。


「さて、何をしようかしら。あの子が生きているなら会いに行かなくちゃ。早くユシアに会って、そして今度こそ――」


 殺してあげる、とユリアが呟いた。


 その瞬間に、部屋の中に風が吹く。

 ユリアの隣に、大きな薔薇が描かれた派手な着物を頭から被った人物が現れた。突然の登場にユリアは驚きもせず、にっこりと笑う。


「今日は早いわね」

「いつも通りです」


 素っ気なく答えた声は、少し声の低い女性の声。ユリアの隣に佇む姿は、廊下にいる亜莉香の方に身体を向けているが、着物で顔を隠していた。

 亜莉香よりも少し背が高く、落ち着いた雰囲気を醸し出す大人の女性が感情無く言う。


「それで今度は、商売敵ではなく妹さんを殺したいわけですか。父親はまだ利用価値があるから殺すには惜しいとは思って脅すだけにしていたが、一度殺しかけた相手なら躊躇なく、息の根を止めたい、と」

「どこから話を聞いていたの?」

「黙秘します」


 女性が黙れば、ユリアは深く息を吐いて、窓の近くまで進んだ。


「そうよ。貴女に頼めば、すぐに殺してくれるでしょう?いつもより金額を上乗せするから、あの父親とキサギの目の前で、ユシアを殺してくれないかしら?」

「誰の目の前で殺すのは構いませんが」


 女性はユリアを振り返って、言葉を続ける。


「今回は、お金以外の物を頂いても構いませんか?」

「何が欲しいの?着物?宝石?それとも――」

「貴女の魔力」


 言葉を遮って女性が言い、ユリアから表情が消えた。思惑を探る目つきに変わって、女性は面倒くさそうに言う。


「別に、貴女の命が欲しいわけではないです。私が欲しいのは、魔力に刻まれた貴女の記憶と姿。あの土地には顔見知りがいて、どうしても顔を見られたくありません」

「今までそんなこと言わなかったじゃない」

「それは今日までの貴女の依頼が、この土地の中で済ませられたからです。わざわざガランスまで出向く費用の上乗せ、程度に軽く考えて下さい」


 女性の言葉に、ユリアは少し考える。


「…どうやって、私の魔力を貴女に渡すの?」

「私の扇に血を垂らして、貴女の名前を囁くだけです」

「それだけ?」


 女性は肯定すると、襟元から扇を取り出し、勢いよく開いた。真っ白な扇には模様もなければ、文字もない。差し出された扇をユリアは受け取り、疑いを抱いたまま問う。


「魔力を渡したら、私はどうなるのかしら?」

「特に何も変わりません。私が勝手に、貴女の姿を借りるだけです」

「ふーん」


 扇を何度もよく見るユリアが迷っている様子に、女性は口を開く。


「今回は魔力が頂けないのなら、私は依頼をお断りします」

「意地悪なことを言うのね」

「あと、それと。いつものようにルグトリスを作る分の血も頂きます。それはいつものことなので、構わないでしょう?」


 軽く笑ったような言い方に、ユリアの口角が上がった。


「ええ、それは構わないわ」

「貴女の魔力も?」

「いいわ。貴女に与えることにする。その代わりに、確実にユシアを殺して頂戴ね」

「仰せのままに」


 恭しく女性が頭を下げた。ユリアは気にもせずに、襟元に隠していた小さな小刀を取り出して、慣れた手つきで小指を切る。

 血が数滴、真っ白な扇に染みこんだ。

 ユリアが自分の名前を囁くと、ぐらりと身体が傾いて床に崩れ落ちる。


「愚かな子」


 意識を失ったユリアを見下ろして、女性が呟いた。

 傍にしゃがみ込み、ユリアが持っていた扇を拾う。扇をじっと見つめていると、色が白からユリアの髪と同じ緑色に変わった。

 色の変化を確認した女性が、もう一度ユリアに視線を戻す。


「魔力は命と同等なものなのに、その価値を全く分かっていない」


 少し眉間に皺を寄せて苦しそうなユリアを見て、扇を閉じる。

 ユリアの髪を優しく撫でながら、女性は言う。


「確かに頂きました。貴女の魔力と、それから貴女の持つ先程の記憶、それにまつわる感情も全て。ついでに私の記憶も貰いましたけど…それすら目が覚めた時には覚えていないでしょう」


 ゆっくりと立ち上がった時に、頭から被っていた着物がずれて女性の横顔が見えた。

 亜麻色の瞳に、真っ白な雪のような髪。派手な着物の下には、夜に溶け込む深い漆黒の着物を身に纏った、二十代の雪のような儚さを持つ綺麗な人。


 ふと振り返った女性が、亜莉香を見た。

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