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Last Crown  作者: 香山 結月
第1章 月明かりと牡丹
77/507

17-3

 ユシア以外の人間が集まった茶の間を、気まずい沈黙が支配する。

 亜莉香は人数分の温かいお茶を用意しながら、台所から様子を伺った。

 ソファの上で足を伸ばしたように座り、腕を組んで眉間に皺を寄せているルカ。半分以上占領されているソファの片隅で、大人しく両手を合わせて座っているのが、ユシアが玄関から消えてからすぐに帰宅した、始終笑顔のルイ。

 そんな二人に背中を向ける形で正座して、注目を浴びている青年が一人。


 トウゴが連れて来た青年は、肩身が狭そうだった。

 青年の髪は腰まで真っ直ぐに伸びていて、ミルクココアのような茶色。長い髪を後ろで結んでいるのは、渋い緑色のリボン。無地に見えるが、着物と同じ色の縦縞の刺繍が施されている。高級な着物に、着物より深くて黒に近い緑色の袴。

 腰にぶら下げていた短い刀を右横に置いて、膝の上で拳を作って顔を上げない。

 整った顔立ちの容姿には優しい印象がある。


 テーブルを挟んで向かいに、疑うような眼差しで座っているトシヤがいた。その隣にはトシヤに黙るように命令されて、居心地悪そうな顔で口を閉ざしているトウゴがいる。

 亜莉香は全員分のお茶を用意して配ると、テーブルの隅っこに座った。

 そのタイミングを見計らって、ルイが沈黙を破る。


「それで、トウゴくんは改めて彼を紹介してよ」

「えっと…中央市場でユシアを探していた、キサギです」


 トシヤの顔色を伺って、トウゴは言った。

 名前を呼ばれ、キサギと呼ばれた青年が顔を上げる。深い茶色の瞳に、トシヤとトウゴの姿を映した。ぎゅっと奥歯を噛みしめ緊張した表情で、キサギはゆっくりと口を開く。


「キサギ、と言います」

「ユシアの知り合いだって?」


 小さな声でキサギは肯定するが、それ以上の説明はない。

 自分から話し出す様子がなく、ルイが青年の持っていた刀に目を向けた。

 三十センチ程度の長さしかない刀には、鞘に丸い梟の模様が小さく描かれていた。その模様を確認して、ルイはトシヤに視線を向けた。

 目が合ったトシヤが、無言でルイに質問をするように促される。


「キサギは…どこの貴族の関係者だ?」

「私はシュエット家に仕える者です」

「「シュエット家?」」


 聞いたことのない家名を繰り返したのは、ルカとルイ。誰一人としてその家名を聞いたことがない顔で、亜莉香は話の続きを待つ。

 キサギは少し視線を下げ、静かに話し出す。


「シノープルに土地を持つ、中流貴族がシュエット家です。昔は名の知れた、代々癒しの魔法を使う一族でしたが、今ではその魔法を受け継ぐ者がいなくなり、大きな商談のまとめ役をしています」

「うーん…聞いたことがあるような、ないような?」

「貴族の家名なんて多過ぎて、一々覚えていられるかよ」


 ルイとルカが話に加わるが、真面目に話を聞いていたトシヤが質問を続ける。


「そのシュエット家の人間が、どうしてユシアを探していた?」

「主人である旦那様のご命令で、ユシアの安否と最近のご様子を知りたかったのです。そこで人通りの多い場所で聞き込みをしていたところ、トウゴさんと出会いまして」


 トウゴさん、と呼ばれて視線を集めた本人は、こめかみ近くに左手を当て、決してトシヤを見ない。キサギはトウゴの様子に気付かずに言う。


「ただ安否と、最近の様子を知りたかっただけでした。それが話を伺っていたら家に来るように誘われて、流されるままこの家に来ていました」

「いや、だって…知り合いなら直接会えば済む話だろ?」

「ユシアが部屋に籠った原因を作ったのは、お前のせいか」


 じとっとトシヤに睨まれたトウゴが、口を閉ざす。

 誰も否定しないかと思ったが、キサギが即座に否定した。


「いえ、私が会いに来なければ。ユシアに嫌な思いをさせなかったのだと思います。皆さんにご迷惑をおかけして、申し訳ありません」


 深々と頭を下げたキサギに、トシヤとトウゴが驚いた。何か言う前に、ふーん、と相槌を打ったルイが、両手で持っていた湯呑を口元に運びながら問う。


「キサギくん、ユシアさんに会いに来るつもりはなかったの?」

「私は…ユシアに合わせる顔がありません。トウゴさんのお誘いがなければ、この家に足を踏み入れることもなかったでしょう」

「じゃあ、ユシアさんに似た女性に心当たりはある?」

「ユシアに似た女性ですか?」


 想定外の質問にキサギは姿勢を正して、ルイを振り返った。


「似ているとしたら、一人心当たりはあります。髪の色は深い緑ですが、瞳の色はユシアと同じで、雰囲気が似ています…何故、そのような質問を?」

「今日ね、色々あって。ユシアさんに似た女性が、ユシアさんを捕まえにやって来た。形見が欲しくてユシアさんと、ユシアさんの前に現れるはずのキサギくんを探していたよ」


 平然と事実を述べたルイとは違い、キサギの顔色が変わった。にっこりと微笑んだルイと、何かを探るような視線を送るキサギが黙り、トウゴが大きな声で騒ぎ出す。


「ちょっと、待って!ユシアを捕まえに来た女性がいた、なんてどういうこと?ユシアが玄関で泣いていたのは、それと関係があってのこと!?」

「トウゴ、五月蠅い」

「いや、だって――」

「「黙れ」」


 トシヤとルカに睨まれたトウゴが、肩を震わせて黙り込んだ。憐れなくらい一人だけ話を理解していないが、亜莉香が説明する状況でもなく、成り行きを見守る。

 おそるおそる口を開いたのは、キサギだった。


「その女性は…本当にユシアに似ていましたか?」

「似ていたと僕は思ったよ。だからさっきの質問だもん」

「典型的な貴族様だったけどな。アリカだって、そう思っただろ?」


 ルイとルカが即答して、亜莉香を見た。


「そう…ですね。とても高級そうな着物姿で、私は少し近寄りがたい雰囲気でしたが、何となくユシアさんに似ていた気がします」


 女性を思い浮かべながら、亜莉香は言った。

 トシヤとトウゴは会ったことがないので想像して考えているが、どんな女性なのかぼんやりとしか考えられない様子で、トシヤが唸る。


「そのユシアに似た女が、ユシアを捕まえようとしていたんだよな?」

「そうそう。ユシアさんに似た女性…言いにくいから、高飛車女が、ユシアさんを捕まえに診療所までやって来て、僕達は逃げて帰って来たけど」


 けど、と言いながら、ルイはキサギの顔色を盗み見した。

 痛いぐらい両手を握りしめていて、キサギは顔を下げてしまった。何かを耐えるような、何かを考え込むような表情で黙ったキサギを無視して、ルイは言う。


「その高飛車女が、ユシアさんのことを貴族だって言ってさ。トシヤくんとトウゴくんは、ユシアさんが貴族だって知っていたの?」

「「は…?」」


 お茶を飲もうとしていたトシヤとトウゴが同時に言い、ルイを見た。どちらの顔も到底信じられないものを見た顔。いやいや、と右手を顔の前で振りながら、トウゴが言う。


「それはないだろ。ユシアとはもう何年も一緒にいるけど、貴族の欠片もない奴だってことぐらいは、俺でも分かる」

「ユシアから、そんな話を一度も聞いたことがない」

「でも、その高飛車女は、ユシアさんを貴族だって言ったよ?小さい頃のユシアさんを知っている話し方だったわけで。その高飛車女のことも含め、詳しい事情はキサギくんが教えてくれるよね」


 有無を言わせない雰囲気で、ルイは言った。

 ゆっくりと顔を上げたキサギは、未だ信じようとしないトシヤとトウゴに向き直る。


「ユシアは…貴族です」

「うそーん」

「トウゴくん、その一言は気が抜けるね」

「余計な話はいいから、ユシアの話を続けさせろよ」


 肩の力を抜いたルイに、少し呆れたルカが言った。トシヤは余計な会話を気にせず、キサギに言う。


「俺とトウゴはユシアと幼い頃から一緒にいるけど、ユシアが貴族として過ごしていたのは、俺達と出会う前の話だよな?」

「そうだと…思います」


 ぎこちなく肯定したキサギに、ルイは軽く質問をする。


「使用人であるキサギくんが呼び捨てで呼ぶ仲なら、ユシアさんとは仲が良かったの?それとも、貴族なのに使用人と同じ扱いだったの?」

「容赦なく聞くなよ」


 ぼそりとルカが言えば、ルイは可愛く舌を出した。

 キサギは言葉を選びながら、慎重に話し出す。


「ユシアは、シュエット家の次女です。ただ母親が使用人だったため、家の中での立場が悪くて、家の中で唯一仲が良かったのが…私でした」


 事実を述べるキサギの声が、静まり返った茶の間に響く。


「ユシアの母親は、五歳の時に亡くなっています。それから旦那様が娘として大事に育てようとしたのですが、旦那様の奥様とその娘であり、ユシアと半分血が繋がった姉の、ユリア様に受け入れてもらえず、いつも一人で部屋に閉じこもって過ごしていました」

「そんなこと、高飛車女も言っていたね。医学書ばかり読んでいたんだって?」

「はい。家の書庫には医学書ばかりがありましたので。ユシアはいつも医学書を読んで、私以外とは話すことがありませんでした」

「それがどうして、家を出ることになった?」


 トシヤの質問に、キサギの視線は自然と下がった。


「私が…ユシアと喧嘩をしたのです。その数日後にユシアは家から消え、逃げた時に使用したと思われる馬車だけが、山の中の崖の下で見つかりました。近くには大量の血の痕が残っていて、山の中に住む獣に喰われたに違いない、と誰もが言いました」

「獣に喰われたから、誰も探さなかったの?」

「探しました。山の中、シノープルの街の中、色んな場所を…なのに、どれだけ探しても、ユシアが生きている証を見つけることは出来なかった」


 キサギの声は、段々と小さくなった。

 当時の光景を思い出していたキサギの身体が僅かに震えて、瞳に涙が浮かんでいるようにも見える。


「俺は、ユシアは死んだのだと思っていました。旦那様がこの街に引っ越すことを決め、この街でユシアが生きていることを知らされるまで、本当に…本当に死んだものだと思って、日々を過ごしていました」


 一人称が変わったのに、本人だけが気付かない。


「ユシアに会いに来るつもりはなかった。ただ、幸せに暮らしていると知ることが出来れば、それだけで良かった」


 良かったのです、とキサギは今にも消えそうな声で言った。

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