表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Last Crown  作者: 香山 結月
第1章 月明かりと牡丹
76/507

17-2

 家に着いた頃には、空は橙色が混じり始めていた。

 結局、ルイは飽きるまでルグトリスと戦った。

 心臓を突き刺しても、首を刎ねても消えないルグトリスは、徐々に体力を失くしたように弱くなっていたが、どうしても倒せなかった。仕方がないのでルイは小刀を鞘に戻し、亜莉香とトシヤの手を引いて、その場を逃げ出したのが、数十分前の出来事。

 いつ、ルグトリスを巻いたのかは分からない。

 亜莉香だけが全速力で走っていて、振り返る余裕はなかった。


 住宅街に辿り着いた頃には、ルグトリスの姿はなくなっていて、ルイはユシアに似ている女性を探しにどこかに行った。走っている途中から、疲労困憊の亜莉香はトシヤに手を引かれて、ようやく玄関に辿り着く。


「…疲れました」

「だろうな。茶の間で休憩しながら、ユシアから話を聞こうぜ。ルカと一緒に家の中にいるんだろ?」

「多分、そうだと思います」


 深く息を吐いて、弱々しい声で言った。

 空いていた左手を心臓に当てれば、とても五月蠅い。息が上がって、深呼吸を繰り返す亜莉香が落ち着くのを見計らって、トシヤは玄関を開けた。


 扉を開けた途端に、茶の間の扉が開く。

 今にも泣き出しそうなユシアが、顔を出した。

 いつもは結んでいる髪は解けて乱れ、髪飾りを一つも付けていない。ケイの店で着替えたので、真四角の赤と薄い橙色の模様の上に、白い小花が散りばめられている着物と、茶色を帯びた鼠色の袴姿。

 涙を浮かべたユシアの瞳に、疲れ切った顔の亜莉香といつも通りのトシヤが映った。


「アリカちゃん…トシヤ…」


 ただいま、と言った亜莉香とトシヤの声が重なった。

 返事をせずにユシアは飛び出して、玄関に立っていた亜莉香に抱きついた。勢いに押されて後ろに倒れそうになるが、何とか持ちこたえて、ユシアは亜莉香の肩に顔を埋めた。


「ごめんなさい…私のせいで。本当にごめんなさい」

「ユシアさんのせいじゃないよ?」


 ユシアの背中を撫でながら、亜莉香は言った。

 無言で首を横に振ったユシアが、亜莉香から離れる気配はない。困って顔を上げると、茶の間から顔を出したルカと目が合った。


「おかえり。ルイは?」

「人探しに行きました。すぐに帰って来る、とは言っていましたが」

「あの様子だと、すぐ戻って来るのか分からないな」


 先に靴を脱いで家に上がったトシヤが言い、ルカは茶の間の扉の近くに腕を組んで立つ。ユシアが全く動こうとしないので、トシヤはルカに問う。


「それで、ルカとユシアは真っ直ぐ家に帰れたのか?」

「まあな。トシヤは途中で合流したのか?」

「神社近くの路地裏で合流した。ルイが亜莉香を屋根の上から落としたから、ルカからも後で説教しろよ。あいつ、全然反省してない」


 呆れ返っているトシヤの言葉に、ルカが瞬きを繰り返す。


「屋根から落とした?」


 なんで、と首を傾げたルカの視線を受け、少し困った亜莉香は言う。


「逃げる途中で屋根に上がって…落ちただけです。トシヤさんが受け止めてくれましたので、怪我もしていません。大したことではなかったですよ?」


 段々と声が小さくなったのは、ルカの眉間に皺が寄り始めたせいだ。それはトシヤも同じで、視線を集めて亜莉香は黙る。

 あのな、とまだ根に持っているトシヤは諭すように話し出した。


「あれは怒るべきところだろ。落とされたことを許したら、またルイが調子に乗って、色んなことに巻き込むぞ」

「でも…トシヤさんがいたからこそ、落とされたわけですので」

「人を平気で落とす事態が、常識外れだろ。あの馬鹿」


 ぼそっと独り言のように最後に言ったルカの呟きには、怒りが混じっていた。

 亜莉香にとっては常識外れのことが多過ぎて、トシヤやルカのように考えられない。これ以上は何を言っても無駄だろうとは考えていると、ルカが何かを諦めた様子で息を吐いた。


「とりあえず、部屋に入って話すか」

「そうだな。俺は簡単な説明しか聞いてないから、一から説明して欲しい。腹も減ったし、何か食べながら話すか」


 頷いたルカが茶の間に戻ろうとして、トシヤも歩き出す。さっきから黙っているユシアには何も言わず、亜莉香とユシアを玄関に置いて行く雰囲気があった。

 まさか、と思いつつ、亜莉香は急いで言う。


「え…あの…私達は?」

「ユシアはアリカに任せる。俺はトシヤと情報交換するから」


 さも当たり前のように振り返ったルカが言い、亜莉香は言葉を失った。

 慣れた様子のトシヤは、背を向けているユシアを見てから、肩を竦めて見せる。


「その状態になると暫く動かない。いつもは爺さんの役目だけど、背中でも撫でて落ち着けば動き出すから、あとは頼んだ」

「頼む、て…」


 嘘でしょう、と言いたかったのに、トシヤは茶の間の扉を閉めた。

 頼むと言われても、これからどうすればいいのか。見当も付かなくて途方に暮れた。靴を脱いで家に上がる事も出来ず、ユシアは抱きついて離れない。背中を優しく撫でることしか思い浮かばなくて、亜莉香は話しかけようとしてやめた。

 声を押し殺して、ユシアは泣いていた。

 暫くとはどれくらい必要なのか。

 余計なことは言いたくなくて、早く泣き止むように祈りながら、黙ってユシアの背中を撫でる。茶の間の中の会話は聞こえず、静かな家の中に静かな泣き声が響いた。






 ユシアの泣き声が小さくなり始めた頃、後ろで鍵が開く音がした。

 亜莉香が振り返るよりも早く、玄関の扉を開けた人物が言う。


「ただいま――て、驚いた。どうしてアリカちゃんとユシアが玄関にいるの?」

「えっと…その…」


 何も知らないトウゴが家に帰って来て、泣いていたユシアがますます顔を隠すように亜莉香の肩に顔を埋めた。亜莉香が振り返るよりも早く、トウゴは近くにやって来て、ユシアの様子を確認する。


「ユシア、どうした?」

「ちょっと…嫌なことがありまして?」

「泣いている?」


 違う、と小さく否定したのはユシアだったが、その声は涙声だった。トウゴは亜莉香を見て、訳が分からず首を傾げる。

 亜莉香が困って何も言えないでいると、弱々しくユシアが口を開く。


「放って置いてよ…もう少ししたら、アリカちゃんと一緒に茶の間に行くわよ」

「そうしたいのは山々だけど、今日はお客様を連れて来ちゃったんだよなー、と」

「お客様ですか?」

「そう、ユシアを探していた男」


 男、と言う言葉に、亜莉香の頭を一瞬過ぎったユシアと顔の似ていた女性はかき消される。肩の力が抜けた亜莉香とは反対に、ユシアは肩を震わせて、怯えたように亜莉香の着物を強く握った。

 トウゴは警戒心の欠片もなく言う。


「中央通りの近くで会った男でさ。ユシアの知り合いらしくて、最近の様子を聞かれたから、それなら直接会えばいい、と俺が家に誘ったわけ」

「その人は…どんな人ですか?」

「俺に似て、なかなかのいいおと――ってぇええ!」


 話をしている途中で、ユシアが思いっきりトウゴの足を踏んでいた。そっと亜莉香から離れたユシアの頬には、泣いた跡が残っている。ユシアは蹲ったトウゴを見下ろした。


「ふざけたことを言わないで。私に会いに来る男なんていないわよ。どんな男か知らないけど、会いたくもないから連れて来ないで」

「いやいや、絶対知り合いだって。名前は確か――キサギ」


 キサギ、と言いながら、トウゴが顔を上げた。

 その一言で、ユシアの表情が変わった。信じられないと言わんばかりに驚愕したユシアは、とても小さな声で呟く。


「…キサ、ギ?」

「そうそう、キサギ。ユシアの知り合いだろ?そいつ、お前の安否の心配をしていて、俺が言うのも何だけど、悪い奴じゃないと思う。心の底からお前を心配している感じで――」

「なんで?」


 零れたユシアの声に、トウゴの声が止まった。

 なんで、と震えた声で繰り返して、ユシアは一歩下がる。


「なんで、そんなことを言うの?キサギが私の心配をするはずない。私に会いに来るはずがない。私はキサギに…会いたくない」

「挨拶ぐらい――」

「会いたくないって言っているの!!!」


 言葉を遮り、ユシアは叫んだ。

 あまりに大きな声に、亜莉香もトウゴも驚いた。

 叫んだ本人のユシアは言ってから口元を隠し、一瞬だけ苦しそうな顔をした。顔を伏せたかと思うと、そのまま背を向けて、逃げるように階段を駆け上がる。


 亜莉香には、追いかけることも引き止めることも出来なかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ