16-5
ユシアを追いかけるルグトリスが、足が速いのは聞いていた。
足が速くて、倒しても生き返る感じで、火と風の魔法も使える。とも、聞いていた。
細くて身長の高い、黒い着物と袴に、黒い帽子の口が裂けたルグトリス。ふらふらと揺れていたルグトリスは、走り方が女の子のようだった。
腕を横に振って、内股気味な気もする。
それなのに、走りは凄く速い。
亜莉香が普通に走ると追いつかれるので、ユシアの着物と袴に着替え、頭に簪まで挿して、その上にルカが最初に選んだ着物を被っているルイが亜莉香を抱えていた。落とさないように、亜莉香の腰と膝の後ろに両腕を回し、しっかりと支えている。
向き合うような形とも言えるが、胸の位置より下にルイの頭があり、亜莉香の両手はルイの左肩に添えていた。ルイが前を見て走れば、必然的に亜莉香は後ろを見ることになり、追って来るルグトリスを見て、素直な感想が零れる。
「ルグトリスは…性別ありましたっけ?」
「あっはは!分かる!見た目が男なのに、何故か走り方だけ女の子だよね。傑作だよ!」
ルイは振り返りもせず、笑いながら走る。
路地裏でうろうろしていれば、ルグトリスはすぐに亜莉香とルイを見つけた。どこで判断しているのか分からないが、迷わず追いかけて来た。
普通に考えれば、ユシアが亜莉香を抱えて走って逃げることは出来ない。
その考えはないようで、追って来たので逃げ出した。
追いかけては来るがルイには追いつけず、あれ、と亜莉香は疑問を口に出す。
「魔法は使わないのですね」
「使わないじゃなくて、使えないみたい。使う時に動きが止まるみたいでね、走ることと魔法を使うこと、同時に行えないわけ」
「納得です」
「倒しても生き返らなければ、相手としては楽勝なのにね」
楽しそうに、ルイは言った。余裕の表情にしか見えない。
常々思っていたことを、ルカがいないので亜莉香は言う。
「ルイさんは相当強いですよね。見た目に反して」
「やっぱりばれている?ルカがいると、どうしても手加減しないといけない、と思っていてさ。ルカは僕に負けるのが嫌みたいで、必死に強くなろうとしているから。その気持ちを失くさない程度に、僕は実力を押さえないと」
「ルイさん、楽しんでいますよね?」
「人生何事も、楽しまないと損だよ」
うんうん、と頷くルイは、ルカに対して手加減して戦う事すら楽しみの一つに違いない。
ルカには絶対に言えないな、と口を閉ざしたかと思えば再び話し出す。
「アリカさん、このルグトリスを倒す方法、何かない?」
「私にそれを聞きますか?」
「だって精霊を見ることが出来る人だもの。僕が思い浮かばないことを思い付きそうで、今回はその意見を聞きたいな」
なんてね、と冗談のようにルイは言った。
倒す方法、と呟いて、亜莉香は診療所での出来事を思い出す。
あの時は、女性の真珠の腕飾りが黒く染まっていくのが見えた。その光は今、ルグトリスの傍にも時々見えるが、傍から離れては弱まって消えて行く。
光が亜莉香にしか見えないものなら、一応報告をすることにした。
「温泉旅行の時にルイさんが破壊した、あの時の櫛に見えた黒い光と同じものは、時々ですがルグトリスの身体から離れては消えて行きます」
「へえ、そんな光が見えるんだ」
「はい。同じ光は、診療所にいた女性が持っていた腕飾りにも見えました。白かった真珠の腕飾りが、黒に変わっていきましたよね?」
「僕には、真珠の腕飾りは白のままだったように見えたけど?」
あれ、と同時に疑問の声が出た。
「黒く変わっていたように見えましたよ。真っ黒で、とても嫌な感じがしました」
「うわ。もしかして、それがルグトリスを動かしている原因かも。それならまたあの女を見つけないと…あの女の魔力を覚えておけば良かった」
心底悔しそうにルイが言い、すみません、と亜莉香は申し訳なくなる。
「早く言うべきでしたね」
「いやいや、あの場で言えないでしょう?原因分かっただけでも、アリカさんには感謝しているよ?僕のミスとしては、あの女の魔力を覚えきれなかったことかな」
あーあ、とルイはため息を零した。
「ルイさんは、離れていても魔力が分かるのですよね?」
「覚えている人はね――話の途中だけど、トシヤくんの魔力が近づいているから、屋根の上に上がるよ」
「屋根ですか――っ!」
聞き返す前に、ルイは路地裏にあった木箱を足台にして、勢いよく屋根の上に駆け上った。驚いてルイの肩に添えていた両手に力が入り、着物をぎゅっと握った。
身軽に屋根を上ったルイは、そのまま走りながら屋根から屋根へと飛び移る。飛ぶたびに身体が揺れて、倒れそうにもなるが、そこはルイがしっかりと支えていた。落ちることもなく走り、声を少し大きくする。
「慣れたー?」
「慣れまっ、せん!」
「もう少しの辛抱だよ。トシヤくんを見つけたら、一緒に家に帰ってもらってねー!」
ルイが叫ぶように言ったのは、直後に屋根の高さが変わったせいだ。少し低くなった屋根に飛び移り、助走を付けては高さなど気にせず、別の屋根に飛び移る。
空を飛んでいる気分、を亜莉香は味わっていた。
雨が上がって、青く澄んだ綺麗な空をいつもより近くに感じる。ルイが飛ぶように走る度に、風が気持ちよく頬を撫でる。あまりにも速くて、近くにいた精霊達はその速さに吹き飛ばされる。それすら楽しそうに、精霊が寄って来ては、ルイに吹き飛ばされていた。
その楽しさが何となく分かりかけて、亜莉香は笑みを浮かべた。
笑った直後にまた上下の動きがあって、危うく掴んでいた手を離しそうになった。屋根に飛び移ったルイがそのまま止まり、ふう、と息を吐いた。
立ち止まったルイに、亜莉香は訊ねる。
「逃げないのですか?」
「いや、だって…気配が少しずつ離れていたから」
ほら、と言って、ルイが身体を横向きに変えた。
二人でルグトリスのいた方向を見れば、その姿は少し離れた路地裏の中に見えた。走る勢いが弱まって、息絶え絶えに追いかける姿は老婆のようにも見える。
ルイが呆れた声で言う。
「体力ないなー。待つか」
「え、待つのですか?」
「追いかけてもらわないと、僕達が囮をやっている意味がない――あ、トシヤくん見っけ!」
「え、どこですか?」
そこ、と指差したのは、ルグトリスよりも亜莉香達に近い路地の中だ。
真っ直ぐに歩いているトシヤが進めば、ルグトリスのいる通りぶつかる。何も知らないトシヤがルグトリスと出会えば、戦闘になるのは間違いない。
「さーて、トシヤくんと合流しましょうか!」
「それがいいですね」
「行くよ!」
軽く助走をつけたルイが、勢いよく駆け出した。
トシヤのいる路地の屋根に向かうのは、ルグトリスの近くに戻ることと同じだ。ルグトリスに対する恐怖が芽生えないのは、まだ距離があるせいか。トシヤの姿を見たせいか。
軽々と屋根を飛び越えたルイは、トシヤの近くにいる屋根に到着した。
ルイが路地裏を見下ろすと、亜莉香にはトシヤの顔が見えない。トシヤの呆れた声が、後ろから聞こえる。
「何をやっているんだ?」
「やっほー、伝言は聞いたみたいだね」
「聞いたけど。いや、お前ら本当に何をやっているんだよ」
呆れた顔で質問を繰り返しているのは、容易に想像出来た。
ルグトリスが追いかけて来ないと困るので、亜莉香はその姿を見失わないように目で追う。もうすぐ近くまでやって来る。
「ルイさん、ルグトリスが近づいてきましたよ?」
「本当?それなら、アリカさん。両手を上に上げてくれない?」
「上に、ですか?」
訳も分からずルイの着物を掴んでいた手を軽く上げれば、その直後に身体が宙に浮いていた。落とされた、と気が付いたのは、笑っているルイの姿が見えたせい。
亜莉香の悲鳴が、路地裏に響いた。




