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Last Crown  作者: 香山 結月
第1章 月明かりと牡丹
73/507

16-4

 襖の閉まった和室の隅で、ユシアは膝を抱えて蹲る。

 なんて、声を掛ければいいのだろう。

 ユシアを助けたいのに、ルカやルイのように戦う力はない。何も言えないまま、ユシアの前に腰を下ろした。亜莉香はユシアから視線を外し、顔を下げる。静寂が続くと、襖を隔てて遠慮がちなイトセの声がした。


「あの…タオルと温かいゆず茶を持って来たの。お菓子も用意したかったけど、お婆ちゃんに止められたわ。入ってもいいかな?」

「どうぞ」


 亜莉香が返事をすると、襖が開いて、ぎこちなく微笑んだイトセと目が合った。

 イトセは部屋の中に入るなり、髪が濡れていた亜莉香にタオルを差し出した。亜莉香が髪を軽く拭く間に、両手で包み込める大きさの、丸くて月のような湯呑を亜莉香と、身動き一つしないユシアの前に置く。

 ユシアにもタオルを手渡そうとするが、ユシアは顔を上げる気配がない。少し迷った後、イトセはユシアの頭にふわりとタオルを被せた。


「良かったら、使ってね」

「…ありがとう、ございます」


 顔を上げないまま、とても小さな声でユシアは言った。

 困った顔のイトセが振り返り、亜莉香に言う。


「それじゃあ、私はお婆ちゃんの着物探しを手伝って来るわ。少し待っていて」

「はい」


 イトセは何か言いたそうな顔で振り返ってから、顔を伏せて和室から出て行った。

 亜莉香とユシアだけになると、部屋の中が一層静かになる。今度こそ何か言おう、と亜莉香は口を開く。


「あのっ――」

「ユシアさんとアリカさん、無事ぃー?」

「おい、ルイ。もうちょっと、緊張感を持てよ」


 中庭のある襖のから、明るいルイと呆れたルカの声がして、亜莉香は振り返った。

 慌てて立ち上がって襖を開ければ、縁側の奥、中庭に、雨で濡れたルカとルイが立っていた。ルイは驚く亜莉香の顔を見ると笑みを浮かべて、嬉しそうに話し出す。


「良かった、無事で。僕達も上がっていい?」

「え…はい。多分?」

「緊急事態だろ。ここで作戦会議だな」


 お邪魔します、と同時に言ったルカとルイが、縁側に上がる前に靴を脱ぐ。

 亜莉香が手に持っていたタオルをルカに手渡せば、ルカは軽く髪を拭いた。そのタオルをルカはルイに手渡して、同じく髪を拭きながらルイが言う。


「いやー、あのルグトリス。足が速くて驚いた。アリカさんとユシアさんがいなくなって、暫くは時間稼ぎをしたけど。隙を見て二人を追いかけたから、僕達も慌てて後を追ったわけ」

「でもあいつ、魔力を探知出来る能力はないから。今頃路地裏のどこかにいるだろ」

「しつこいよね。何度倒しても、すぐに生き返る感じ。魔法も使えるみたいで、火と風の魔法の二種類を使うの。厄介な敵を見つけちゃったなー」


 あはは、と笑うルイは、どこか楽しそうに見えた。

 楽しそうなのはルイだけで、ルカは疲れた表情だ。ルカの手足や、ルイの首筋に掠り傷があって、亜莉香の表情が曇る。

 気にするな、とルカは亜莉香にしか聞こえないように言った。

 軽く亜莉香の肩を叩いたルカが、ユシアの元に向かう。

 ルカが名前を呼べば、ユシアはようやく顔を上げた。ルカと、亜莉香の傍で髪を拭くルイの姿を見て、安堵した途端に声を押し殺して泣き始める。

 ルカは慰めるわけではなく、目の前に座って頭を撫でた。

 ルイはユシアの元へは行かず、声を潜めて亜莉香に問う。


「大丈夫だった?」

「私は…ユシアさんを連れて、ここまで来るのが精一杯でした。路地裏でいつものルグトリスが現れて、真っ直ぐに家に帰るのが困難だったので。ここで雨宿りと着物を調達して、印象を変えようかと思っていたところです。効果があるかは分かりませんが」

「着物の調達か。やってみる価値はあるかも。確かめたいこともあるし」

「…え?」


 何のことか、と質問する前に、ルイが亜莉香を通し越して、廊下の奥に目を向けた。

 亜莉香が振り返れば、足音が聞こえて、驚いた顔のケイとイトセがいた。ケイが疑わしそうな視線で、ルイを見る。


「アリカちゃん、その人は…?」

「まさか、アリカちゃんたちを追っている仲間じゃないでしょうね!それなら私が相手をするわよ!」


 ケイの前に出て、イトセは敵意を剥き出してルイを睨んだ。相手をする、と言いながら、イトセの手には着物と袴しかない。それはケイも同じで、ルイはおかしそうに、亜莉香の後ろで笑いを耐える。


「初めて会ったけど、面白そうな人だね」

「笑い事ではないですが…あの、ケイさん、イトセさん。こちら、私と同じく居候仲間のルイさんです。部屋の中にもう一人いて、そちらはルカさんと言います」

「居候仲間?」

「追う側じゃなくて、助けに来た仲間です」


 亜莉香の前に出て、ルイはぺこりと頭を下げた。

 にっこりと笑い、見た目は可憐な少女にしか見えないルイに、ケイとイトセが安堵の息を吐く。部屋の前まで進み、ルカの姿を確認すれば、二人はルイとルカを見比べた。


「えっと…兄妹なの?」

「いや、いとこです。血の繋がりはあるから、よく似ていると言われるけど、正確には僕の父親とルカの父親が兄弟で――」

「おい、ルイ。その話は長くなるからやめろ」


 ルカが話を中断させると、ルイはあっさりと引き下がった。

 分かった、と言って、ルイが目に付けたのは、ケイとイトセの持って来た着物と袴。亜莉香が頼んだのは着物二つのはずだが、それにしては量が多い。

 不思議に思いながら、亜莉香は訊ねる。


「沢山の着物と袴ですよね?」

「色々あった方がいいと思って。出来る限り用意したの。私のお古もあって、アリカちゃんやユシアちゃんなら着られると思う」

「それ以外は、店の売れなかった着物だよ。どれでも好きなものに着替えればいい」


 イトセとケイの説明を聞いて、亜莉香は納得した。

 それじゃあ、とルイが言う。


「追われているのはユシアさんだから、僕がユシアさんの代わりの囮役をやるよ。アリカさんはこのまま、僕と一緒に逃げるふりでもいい?」

「いいですよ」

「ルカはユシアさんの姿を完全に隠して、別ルートで家に帰る。どう?」

「勝手に決めるなよ…別にいいけど。姿を完全に隠すなら、台車に荷物を積んで、その中にユシアを隠すか?」

「台車を引くのは重くない?馬車を呼んで、家の近くまで帰れば?歩かなくて済むし、ルカも楽でしょう?」


 馬車、と聞いて、泣いていたユシアが顔を上げた。


「馬車以外で帰れない?私、馬は苦手なの」

「そうなの?」


 知らなかった、と言わんばかりにルイが驚くが、亜莉香はユシアが馬を見て怖がっている姿を見たことがある。それなら、とルカが口を開く。


「荷車にでも乗せて、家まで帰るか。この辺で、荷車を捕まえられますか?」

「知り合いが荷車をロバに引かせているよ。近くにいるか、探して来ようか?」

「お婆ちゃん、私が探しに行くわ。あとこれ、好きなのを着ていいから」


 イトセが即座に言い、持っていた着物と袴を亜莉香に手渡した。


「あとで色々聞かせてね」


 よろしく、と付け加えたイトセは、踵を返して颯爽といなくなった。あまりにも行動力があって、いなくなったイトセを見送ったケイが呆れた声で言う。


「すまないね、落ち着きがない子で」

「僕達は助かるけどね。着物と袴、持ちます」


 遠慮するケイから、ルイは軽々と着物と袴を奪い取ってしまった。ケイを和室の中に入るように勧め、亜莉香も和室に入るように促す。

 ルイは襖を閉めると、それで、と座った面々を見渡した。


「僕の作戦に、意見がある人いる?」

「俺はない」

「私もないですね」


 ルカが言い、亜莉香も続けた。

 私は、と言いかけたユシアが座り直し、正座をして顔を上げないまま話し出す。


「私のために、もう誰も傷ついて欲しくない」

「ユシアさん、囮役のこと心配している?それなら心配ないよ?僕とアリカさんは逃げることしかしなくて、戦わないから」


 そうでしょ、と同意を求められて、亜莉香は頷いた。

 そもそも戦えるわけがないのだが、今はそのことは言わない。ユシアの隣に座り、話を聞いていたケイが、それで、と口を挟む。


「着替えは、必要がなくなったのかい?」

「いえ…ユシアさんを荷車に隠すとしても、一度は姿を見られているから、念のために着替えて欲しい。あと、僕が囮になるから、着替えたら今着ているのは僕に貸して」

「本当に、ルイは囮になるの?」


 不安そうなユシアに、ルイはにっこりと笑った。


「囮役、と言ってもユシアさんの着物で街を走って、逃げるだけ。可能ならいつも身に付けているその簪、多少なりともユシアさんの魔力を帯びているから貸して欲しいな。駄目かな?」


 簪、と言う単語で、ユシアの顔が一瞬固まった。

 ルイの要求を拒否するかもしれない、と思ったが、唇を噛みしめたユシアは、簪でまとめていた髪を解いた。簪をルイに差し出して、自嘲気味に言う。


「こんな簪、もっと早く捨てれば良かったのかもしれないわね」

「大切なものじゃないの?」


 ユシアの行動に驚いた亜莉香が言えば、ユシアは悲しそうな顔になる。


「大切なものだった、のよ。今は持っていたくないわ。だから、ルイが必要なら持って行って欲しい」

「分かった。遠慮なく借りるね」


 言いながら受け取り、ルイは代わりに自分の髪に付けていた髪飾りを全て外した。髪を解いた状態でケイに向き直る。


「初対面の人にお願い出来る立場ではないですが、トシヤくんに伝言を頼めますか?」

「私がかい?」


 はい、とルイは真面目な顔で言った。


「人づてで、出来るだけ早く伝言をお願いしたいです。神社の方に向かうように、と」

「分かったよ。他に、手伝えることはあるかい?」

「いえ、十分です」


 ありがとうございます、と頭を下げたルイとほぼ同時に、ルカも頭を下げた。

 慌てて亜莉香とユシアも頭を下げれば、ケイが困った顔になる。顔を上げた亜莉香が申し訳なくも微笑めば、ケイは少し笑みを零した。


「それじゃあ…どの着物に着替えるんだい?」

「地味なのがいいだろ」

「えー、派手に行こうよ。もう、どこかのお貴族様ぐらいの、派手な着物!」


 目を輝かせたルイが、真っ白に金銀の花や鶴の描かれた着物を手に取る。違う、と言ったルカが、一番地味で縦の紅と紺、白のストライプ柄の着物を掴んだ。

 座って話していたはずなのに、いつの間にかルカとルイは立ち上がっている。

 二人の間に挟まれていた亜莉香は、目の前で始まった言い合いに口を閉ざす。


「印象変えるなら、こっちがいいでしょう!」

「荷車に乗るのに、派手はいらないんだよ!」

「少しくらいいいじゃん!ついでにルカも女の子らしい格好に着替えなよ!」

「何でだよ!」


 話が脱線して、ルイがルカに似合う着物を選び始めた。

 それを全て否定するルカと、諦めずに着物を薦めるルイは、おそらく二人だけの世界。声をかけたところで、届かないのは目に見えていた。

 ケイがとても驚いた顔をしていたので、亜莉香は首を傾げる。


「ケイさん、どうかしましたか?」

「あ、いや…女の子、なのかい?」


 誰が、とは言わないが、ケイの視線はルカに向いていた。

 はい、と頷く。


「ルカさんは、女性です。そしてルイさんは男性です」

「冗談、じゃないのかい?」

「おばさま。信じられないかもしれないけど、事実です。男みたいに地味な格好しかしないルカと、美少女にしか見えない女装しているルイです」


 あまりにも騒がしいルカとルイに、呆れ返ったユシアが言った。

 ケイが言葉を失って、それから思い出したように立ち上がる。


「私はトシヤへの伝言を頼んで来るよ。ついでにあと二人分のゆず茶も持って来るから、二人は冷めないうちに飲んでしまいなさい。身体が冷えて風邪を引いたら困るだろう?」

「ありがとうございます、ケイさん」

「気にしなくていい。着物と袴はどれでも好きなものを着て、いらなかった物は部屋の隅に置いて行きなさい」


 亜莉香が頷けば、ケイはユシアに笑いかける。


「ユシアちゃん、困っているなら、いつでも力を貸すから言っておくれ。ユシアちゃんを小さい頃から知っていて、孫みたいに思っているんだ」

「おばさま…」

「アリカちゃんも、同じだからね」

「私は十分、力を貸してもらっています」

「そんなことはないさ。そうだ、この件が片付いたら、また仕事を頼むね」

「お仕事の件でしたら、いつでもお引き受けします」


 よろしく頼む、と言ったケイが笑みを浮かべて部屋からいなくなった。

 残された亜莉香がユシアを見れば、ユシアはほっと安心した顔になり、ゆず茶の入った湯呑に手を伸ばして、ゆっくりと一口飲んだ。

 美味しい、と独り言のように呟いて、泣き出しそうな顔で笑みを零す。

 亜莉香も冷めないうちに湯呑に手を伸ばして、ゆず茶を飲む。

 柚の酸味と優しい苦み、蜂蜜の混ざった程よい甘みがして、ぽかぽかと身体が温まる。柚の香りで心が落ち着いて、亜莉香はほっと一息ついた。

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