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Last Crown  作者: 香山 結月
第1章 月明かりと牡丹
72/507

16-3

 診療所の窓ガラスが割れた。

 恐怖で怯えたユシアの足が階段の途中で止まり、振り返る。ユシアの右手を掴んでいた亜莉香の足も止まりかけたが、即座にユシアの名前を呼んだ。


「止まっちゃ駄目!」

「でも…ルカとルイが!」

「ルカさんもルイさんも強いから、きっと大丈夫。だから逃げなきゃ!」


 早く、と言って、立ち止まっていたユシアの手を亜莉香は強く引いた。

 診療所の中には、ルカとルイがまだ残っている。女性と、襲って来るルグトリスから目を離せず、亜莉香はユシアを連れて家に帰るように言われた。

 ルグトリスは、手強い。

 それは強くて倒せないではなく、倒してもすぐに元の状態に戻るから。ルカがクナイで首を刎ねても、ルイが小刀に心臓を一突きしても無意味だった。どれだけ攻撃しても埒が明かなくて、隙を見たルイが亜莉香にユシアを託した。

 真っ直ぐに家に向かうこと。

 出来るだけ人通りの多い道を通ること。

 追い出されるように診療所を出て、亜莉香はユシアを引っ張って走る。走りながら、なんで、と泣きそうな声が聞こえた。


「なんで、こんなことになってしまったの?なんで――?」


 もう嫌だ、とユシアは泣いていた。涙は頬を伝って、地面に落ちる。ユシアの事情も女性のことも何も分からないが、立ち止まって慰める暇はない。


「ユシアさん、早く家に帰ろう。家で待っていたら、きっとルカさんもルイさんも帰って来る。だから今は帰ることだけ考えて」


 無事に、と心の中で付け足した。

 まるで亜莉香の不安を表しているかのように、空は曇り空に変わっていく。辺りが薄暗くなって、風が出てきた。天気が悪くなると、ユシアを捕まえようとしていたルグトリスとは別のルグトリスまで現れる。

 逃げなくてはいけない。

 ユシアは気付いていなくても、路地裏には揺れている黒い影がある。

 目の片隅に映っても、亜莉香には倒すことが出来ない。影が人の形になって追いかけられるのに慣れ始めている亜莉香とは違って、ユシアにはこんなことに慣れて欲しくない。


 早く、家に帰りたい。


 路地裏を進むのが、家への一番の近道だと分かってはいる。

 でも、と走りながら、亜莉香は振り返った。

 ユシアを追いかけているルグトリスとは別の、小さな子供のようなルグトリスが、後ろの遠くに見えた。その手には大きな鋭い剣のようなものを持っていて、遠くにいるのに目が合った気がする。

 まずい、と思った。

 追いかけて来る、と頭の中で考えが過った瞬間に、亜莉香は真っ直ぐに帰るのを諦め、人通りの多い市場を目指して駆け出した。






 降り出した小雨に濡れても、立ち止まることはしなかった。

 亜莉香はユシアを連れて、ケイの店のガラス戸を開ける。


「すみません!雨宿りさせてください!」

「アリカちゃん?」

「おや…ユシアちゃんまで、二人で来るのは珍しいね」


 店の中に入ると、入口の近くにいたイトセとケイが不思議そうに言った。

 亜莉香は急いで扉を閉め、店の外を見る。市場に入ってから振り返らなかったが、追いかけてくるルグトリスの姿はない。ほっと一息ついて、ようやく肩の力を抜いた。

 ユシアは下を向いて、微かに震えている。

 その理由は、きっと雨に濡れたせいじゃない。

 黙って付いて来たユシアの手を引いて、亜莉香はケイの前まで進む。イトセは濡れている亜莉香達の姿を見て静かに立ち上がると、店の奥に消えた。

 普段とは違うユシアの姿に、ケイは怪訝そうな顔になる。


「只事ではない様子だね?何かあったかい?」

「少し…変な人に追われていて。長居しませんので、少しだけ匿って頂けると助かります」


 すみません、と頭を下げると、ケイが驚いた顔になり瞬きを繰り返した。

 驚いているケイが口を開く前に、亜莉香は店の中を見渡す。


 珍しく店の中は空いていた。

 店員であり孫でもあるイトセが、ケイとお茶を飲む時間があるくらい、客は少ない。顔見知りの数人と目が合うが、話をする余裕はない。

 店の中には地面より少し高い畳のスペースに、色鮮やかな着物や袴などが置いてある。

 着物が目に付いて、亜莉香はケイに微笑んだ。


「ケイさん、私とユシアさんに似合う着物ありますか?出来たら今すぐに着替えて、ここから離れたいのですが」

「追われている、と言っていたね」


 じっとケイに見つめられて、亜莉香は小さく頷いた。

 ケイの瞳は、亜莉香の後ろにいたユシアを映す。ユシアは店に入ってから何も言わない。黙って目も合わせようとしない様子に、ケイはゆっくりと立ち上がった。


「奥で着替えな。着物は私が用意するよ」

「すみません、ご迷惑をお掛けして」


 亜莉香は履いていた靴を脱いで畳に上がろうと、ユシアの手を離そうとした。けれどもユシアは強く握りしめ、震える声で言う。


「やっぱり…私が戻らないと、ルカとルイが本当に殺されるかもしれない」

「大丈夫ですよ。まずは落ち着いて、家に帰らないと」

「無理よ。こうしている間に、二人に何かあったら――」


 どうしすればいいの、とユシアが亜莉香の手を痛いくらい強く握っていた。大丈夫、と繰り返しても、今のユシアには届かない。

 ここまで来て途方に暮れそうになると、一部始終を見ていたケイがユシアに近づいた。

 ユシアの頬に手を伸ばして、その瞳に小さな子供が泣いているような、泣きじゃくるユシアの姿を映す。ケイは優しい笑みを浮かべて、ユシアの涙を拭った。


「ユシアちゃん、上がりなさい。困っているなら、私が力を貸してあげる」

「おばさま…?」

「ようやく、目を合わせたね。ほら、下を向いていないで、顔を上げなさい」


 頑張ったね、と続いた言葉で、ユシアの涙が溢れそうになる。

 左手を掴んでいたユシアの力が弱まって、亜莉香の手を離す。ケイがユシアの背中をさすっている間に、亜莉香は今度こそ靴を脱いで畳の上に上がった。

 ユシアはケイに促されて畳の上に上がり、そのまま奥の部屋に向かって歩き出す。置いて行かれないように亜莉香も後を追うと、奥の部屋、店に繋がっている和室を通り越し、廊下で繋がっていたケイの自宅の和室に案内された。


 少し待っていなさい、と言ったケイが、亜莉香とユシアを置いていなくなった。

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