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Last Crown  作者: 香山 結月
第1章 月明かりと牡丹
71/507

16-2

 ユシアの待つ診療所に向かうため、人通りの少ない路地裏を歩く。

 亜莉香の隣にはルカがいて、その隣には機嫌の良いルイがいる。少しだけ眉間に皺を寄せていたルカが、ため息交じりに言う。


「いい加減に女装やめろよ」

「嫌だよ。まだやめるつもりはないし、そう言うならルカも男装やめて、言葉遣いも改めないと。アリカさんも、そう思うよね?」


 不意に話を振られて、言葉に詰まった。


「個人の自由で、いいのでは?」

「じゃあ僕は何も問題ないね!」

「問題はあり過ぎるけど」


 ルカがもっと何か言いたそうな顔で、ルイを睨む。ルイは全くルカの方を見ようとせず、笑顔で歩き続けた。

 険悪な雰囲気にはなって欲しくない。話題を変えようと、亜莉香は口を開く。


「あの、さっきの話ですが…簪一つは相手がいる人、と言うことはユシアさんには相手がいる、と言うことになりますよね?でも、相手の方はいらっしゃらないような気が?」


 疑問を口に出せば、ルイが困った顔になる。


「ユシアさんが何も言わないから、僕が言えるのは予測でしかないけど。時々、相手がいても簪一つの人はいるよ。その相手が他の女性と付き合うことになって、それでも諦めきれずに想い続けている場合。最悪の場合は――」


 続きを言おうとして、ルイは言うのをやめた。

 代わりにルカが、とても小さな声で言う。


「死別、だろ」

「そうなったら…会いたくても会えないよね。ユシアさんの簪は僕だって気になっていたけど、本人にはどうしても聞けなくてさ」


 ルイはそっと視線を下げた。


「前に、トシヤくんとトウゴくんに聞いたことあるけど。あの簪は、二人がユシアさんと出会う前からみたいだよ。二人もあの簪については何も知らないみたいで、僕達が口を出すことじゃない」

「でもユシアさん、恋人が欲しくないわけじゃないですよね?」


 ふと、温泉旅行の前にユシアと話をしたことを思い出した。どんな恋人が欲しいのか、ユシアと軽く話したはずだ。

 亜莉香の発言に、ルイが腕を組み唸る。


「うーん…てっきり、ユシアさんには昔から好きな人がいて、その人を諦めきれずに今も想い続けている、と思っていたのに?」

「それが事実なのかは分かりませんが。恋愛をしたくないわけじゃないと私は思いました。好きな男性についても、事細かく理想がありましたので」

「因みにどんな理想?」

「えっと…背が高くて、優しくて。料理が出来て、頭も良い。いつも笑顔の素敵な男性、だったかと」


 右手の指を折りながらユシアの理想の男性を思い浮かべるが、全く想像出来ない。

 それはルカとルイも同じようなもので、再び唸ったルイが話し出す。


「そんな人、この街にいるのかな?」

「前提として、ユシアがこの街の生まれとは限らないだろ」

「そっか。昔拾われた、とは聞いたことがあるけど、それはこの街とは限らないかもしれないね。ユシアさんだけじゃなくて、正直トシヤくんとトウゴくんも不思議だと思わない?あの二人、兄弟にしては似てないから」


 ルカとルイが悩み出し、亜莉香は黙って考える。

 確かに、トシヤとトウゴは似ていない。兄弟と言われなければ、赤の他人としか見えず、兄弟と言われても首を傾げたくなるほど似ていない。

 半年近く一緒に暮らしているのに、知らないことが多い。

 三人がどこで生まれたのか。

 どんな経緯で、ヤタに拾われることになったのか。

 聞いてはいけないような気がして、聞く機会はなかった。ルカとルイに関しても、温泉旅行に行かなければ、きっと今でも何も知らないままだったに違いない。


「話してくれないと、何も分からないですね」

「そうだね。まあ、それは、アリカさんにも当てはまるけどね」

「私ですか?」


 驚いてルイの言葉に言い返せば、ルカまで頷いた。


「アリカの場合は、存在が謎だよな」

「それ分かるな。封じられているとは言え、魔力を感じられない人がいるなんて僕は思わなかったよ。おかげでアリカさんだけはどんなに頑張っても、魔力を探知出来なくて困っちゃう」

「そう言われても…私にだって、何が何だか分かりませんよ」


 いじけたように言えば、ルカとルイが同時に小さく笑い出した。






 ユシアの働いている診療所の扉には、休診の札がかかっていた。診療所の医者であるヤタは午後から外診で、診療所の中にいるのはユシアだけ。

 診療所の扉を目指して階段を上りながら、後ろにいたルイが言う。


「僕、初めて診療所に来たよ」

「そうなのですか?」

「ユシアには何度も、ここの医者に挨拶するように言われていたけどな」

「まあね、改まって挨拶は面倒――と、待った」


 話の途中で、ルイが真剣な声で言った。

 階段を上っていたルイが足を止め、その後ろにいたルカも立ち止まる。一歩遅れて立ち止まった亜莉香が振り返れば、ルイは手摺に掴まりながら真面目な顔で扉を見ていた。


「ねえ、本当に中にはユシアさんしかいないのかな?」

「そのはずです。どうかしましたか?」

「なんか、複数の魔力を感じる。トシヤくんやトウゴくんではなくて、知らない人の」


 誰だろう、と呟いたルイに、ルカは呆れる。


「診療所だから、中にいるのは患者だろ?」

「う…ん。そう、だよね。ほんの少し、ルグトリスが混じっていた気がして、過敏になっていたかも」


 ルグトリス、と言う単語に、ルカの表情が変わった。

 ルカも瞳を閉じ、深呼吸をしてから、再び瞼を開く。


「ルグトリスは分からないけど、中から変な気配がするな」

「どうする?堂々と入ってもいいけど、僕の直感を信じてくれるなら、慎重になった方がいいと思う」

「慎重に中に入って様子を探る。アリカは前に出ない。いいな?」


 はい、と頷けば、ルカと目を合わせたルイが微かに首を縦に振った。

 亜莉香の前に出て、ルイは音を立てずに扉を開ける。

 静まり返った診療所の待合室に人の姿はない。奥の部屋から微かに声が聞こえるだけで、気付かれないように静かに診療所に入った。最後に入ったルカが静かに扉を閉めると、口元に人差し指を当て、亜莉香よりも先に歩き出す。


 声のする方に、ルイとルカは足音を立てずに歩き出した。二人は難なく歩くが、亜莉香にとってはゆっくりと進んで、音を立てないようにするのが精一杯。

 奥の部屋に近づくにつれ、微かな話し声が聞こえた。話の内容を聞こうと、気付かれないように近づいて、ルカとルイが聞き耳を立てる。

 部屋の外まで聞こえたのは、ユシアの悲痛な声と聞き慣れない女性の声だった。


「帰ってよ。もう二度と…会いたくなかったのに」

「そんなこと言わないで。私はただ形見が欲しくて来たのよ。そのために貴女と、貴女の前に必ず姿を現すキサギに会いにやって来た。まだ帰るつもりはないの」

「お願い、本当に帰って」

「嫌よ。キサギは必ず貴女の前に姿を現すもの。昔話でもして、キサギを待ちましょうか。例えば、唯一貴女と仲が良かった男が、貴女がいなくなった後にどうなったのか」


 きんきんと耳に響く高い声の女性が、嘲笑うように言った。

 やめて、とユシアの声が震えた。

 ユシアの声に胸が痛んで、亜莉香は奥歯を噛みしめる。ルイは表情を消してはいるが、ルカは眉間に皺を寄せ始めた。


 これ以上話を聞くのをやめたルカが、部屋の扉の前に立つ。

 ルイに無言で手招きされて、亜莉香はルイと共にルカの後ろに移動した。部屋の中ではまだ話が続いている。動かないで、とルイが囁き、ルカは深く息を吸う。

 何が起こるのか、亜莉香に考える暇はなかった。

 次の瞬間には、ルカが扉を蹴破り、派手な音と共に建物が揺れた。


「ちょっと邪魔する」


 淡々と言い、ルカは迷わずユシアの元へ歩く。

 予想外の出来事に女性は少し驚いた顔になり、すぐさま表情が面白いものを見つけたと言わんばかりの顔になった。ユシアと同じ濃い抹茶色の瞳をルカに向け、亜莉香とルイに気付きもしない。


 ユシアの前に仁王立ちで立っていた女性は、どことなくユシアに似ていた。ユシアよりも深い緑色の髪には、花の形の透明な宝石と雫の形の澄んだ青い宝石の付いた簪二つ。綺麗にまとめている髪は複雑な編み込みで、右手に持っていた扇で顔を少し隠す。

 派手な着物は、金の装飾が施された薄い桃色の花が散りばめられた薄い黄色。深い紺色の袴には、着物と同じ桃色の小花。ヒールの高い黒の靴を履いていた女性は綺麗だけれど、とても近寄りがたい雰囲気がある。


 亜莉香もユシアの元へ行きたかったが、ルイが左手で行く手を阻んだ。

 ほんの一瞬目が合えば、微かに首を横に振られ、ルイの視線が部屋の中に戻る。

 女性の存在を無視して、ルカは床に座りこんでいたユシアの傍に膝をついた。耳を塞いで、顔を隠すように視線を下げていたユシアの肩に、優しく触れる。

 びくっとしたユシアに、ルカは優しく問う。


「怪我はないよな?」

「…ルカ?」

「ルイとアリカもいる。迎えに来た」


 迎えに、と言われたユシアが顔を上げれば、その瞳に涙が浮かんでいた。今にも泣きだしそうで、唇を噛みしめたユシアに、ルカは優しく微笑む。

 黙っていた女性が興味ありげに言う。


「何?ユシアの恋人?貴女、キサギを捨てて別の男に乗り換えたの?」

「違う!私は――」

「小さい頃から、いつも男をたぶらかしていたわね。医学書ばかり読んで、部屋に閉じ籠ってばかりのくせに。男はいても友人の一人もいなくて、貴族としての教養もない。何も出来なくて、今でも周りに迷惑をかけているのではないの?」


 嫌な女ね、と女性は付け加えた。

 ユシアの顔は青ざめ、ルカは女性を睨みつけた。

 女性の話を聞いていると、心の中がとても冷たく、とても鋭い何かで突き刺された気分になる。話し方や態度が、鋭い氷のように冷たい。

 誰も何も言わないでいると、女性は微笑んだ。


「先に言っておくけど、私に歯向かおうとは思わないでね。あまり、暴力的なことは好きじゃないの。それでも歯向かいたいのなら」


 それなら、と言いながら女性が扇を持っていた右手を強く握った。

 爪がくい込んだ右手から、真っ赤な血が二滴床に落ちる。ユシアが小さな悲鳴を上げた。

 次の瞬間には真っ黒なルグトリスが二人、女性の前に現れた。ルカよりも身長が高く、年上で大きな男性の姿のルグトリスに、ルイが目を見開く。


「これは…穏便に済ませられる事態じゃなくなったね」


 亜莉香にしか聞こえないくらい、小さな声でルイは呟いた。

 一歩、亜莉香よりも前に出たルイの姿が、瞬く間に消える。

 驚くルカと恐怖で顔を引きつらせたユシアしか見ていなかったルグトリスの真横から現れたルイは、近くにいた方の腹ど真ん中に回し蹴りを決めた。よろけた一方を無視して懐から小刀を抜くと、ルイを振り返ったもう片方のルグトリスの首を躊躇うことなく刎ねる。

 首が宙を舞う間に、ルイは流れるような動きで振り返って、もう一人いたルグトリスの首も刎ねた。ルイが一度体勢を立て直すよりも早く、よろけたユシアを背中に隠していたルカの放ったクナイが二本、それぞれの心臓に突き刺さる。

 心臓を中心に焔が広がり、あっという間にルグトリスは消えた。

 あまりの速さに、亜莉香の瞳には驚きの色しか浮かばない。ルイは右手に小刀を持ったまま、冷ややかな笑みを浮かべて女性を振り返った。女性は平然とした様子で口を開く。


「あら、見かけによらず強いのね。意外だわ」

「意外でも何でもいいけど。貴女には色々と聞きたいことが出来た。良かったら色々と、話を聞かせてくれないかな?」

「嫌よ。私が話すことなんてないわ。私の目的は別にあるの。これ以上の戦いは止めて、ユシアをこっちに引き渡してくれない?私が話したいのはユシアだけよ」

「この状況で引き渡すと思う?」


 ルイの言葉に、口角を上げた女性は扇を口元から少し離す。

 女性の影がゆらりと動いたように見えた。

 女性が左手で扇を閉じると、手首に付けてあった真珠の腕飾りが白から黒に変わり、僅かに黒い光を放つ。その黒い光には見覚えがあって、亜莉香の背筋が凍った。


 何が起こるのか分からないが、怖い。

 怖くて、嫌な感じがする。


 温泉旅行の夜にもその光を見たが、その時は弱まっていく光だった。それとは正反対に、黒の輝きが増し、光が強くなっていく。ゆらゆらと揺れる影が起き上がって、現れたのは黒い人の姿。

 ルカとルイは武器を構え、亜莉香は現れたルグトリスの姿を見た。

 さっきとは醸し出す空気が違った。細身で、身長の高いルグトリスは立っていてもふらふらと揺れて、黒い着物と袴に、黒い帽子。顔には真っ黒の包帯を巻いていた。目を見ることは出来ないが、裂けた口があり、口を開けば漆黒の闇が広がっている。


 今まで見た中で、一番人に似ている。


 あり得ない、と思ったのは、これまでのルグトリスと違うと直感したせいだ。包帯で顔を隠しているせいなのか、あまりにも人に近くて、恐ろしい。

 恐怖と驚愕で、亜莉香は口元を隠した。

 ぐるりと一周して回った首が、ユシアを見て止まる。

 女性は何も驚きはせず、にっこりと笑っていた。まるでそれが当たり前のように、ルグトリスの隣に立ち、ユシアを指差す。


「あの子を捕まえて。間違っても殺しちゃ駄目よ。残りは殺しても構わないわ」


 行って、と呟いた途端に、ルグトリスはユシアに襲い掛かった。

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