16-1 月露灯穂
温泉旅行から帰って来てから、街の中でも精霊を見かけるようになった。
わざわざ声をかけてくる精霊はいないが、その存在をよく目にする。空を飛んでいたり、草木の周りで遊んでいたりする精霊は自由気まま。
ふわりと風に流された精霊を見かけ、亜莉香は市場の中で空を見上げた。
綺麗な薄い青の秋空に、鮮やかな緑色の小さな光がきらきらと光る。楽しい、と言いながら飛んでは消える。何度見かけても、その時々によって精霊の色は違った。同じ色もあれば、違う色もある。風で遊んでいる精霊は圧倒的に緑系統の色が多く、火や水の近くには赤や青の精霊が多い。
無言で微笑んでいると、アリカさん、と名前を呼ばれた。
「ねえ、イオにはどんなのが似合うと思う?」
「どっちでもいいから、さっさと決めろよ」
「えー、ルカは適当過ぎるよ」
露店で髪飾りを眺めていたルイが、楽しそうに迷う。隣で腕を組んでいたルカはうんざりした。
灯籠祭りが近づくにつれ、市場に並ぶ露店が増えた。
特に増えているのは簪などの髪飾り、帯留めなどの装飾品関係の露店で、日に日に増えている。女性客が多いのかと思えば、中には男性客もいて、男女共に賑わう市場は賑わい、騒がしい。
振り返ったルカが、一歩後ろに下がっていた亜莉香をじっと見る。
「また、見ていただろ」
「えっと…まあ、はい」
「程々にしておけよ。普通は見えないものだからな」
素っ気なくも心配してくれるルカの言葉に、亜莉香はもう一度頷く。
何が、と言わなくても、見えているのが精霊だと知っているのは、ルカとルイ、それからこの場にいないトシヤだけ。ぼんやりしていることが増えた、と周りに言われると、その通りで言い返せなかった。
注意を受けた亜莉香に、髪飾りから目を離さないルイが軽い口調で言う。
「まあ、慣れるまでは時間がかかるだろうから。それより、どれにしようか。素敵な髪飾りが多くて、僕一人じゃ決められる気がしないよ」
「お前、本当にぶれないよな」
呆れたルカに、亜莉香は小さく笑う。
イオに贈る髪飾りを探す、とルイが宣言したのは昨晩の夕食の時だ。
その買い物に朝から無理やり付き合わされているのはルカで、亜莉香は午前の仕事が終わり次第合流した。ルイの用事が早く終わっても終わらなくても一緒に買い物をしたい、とユシアが騒いでいたので、もう少ししたらユシアを診療所まで迎えに行く予定。
亜莉香も一緒に市場を回って髪飾りを探しているが、ルカは全く興味を示さない。
どれがいいだろう、と目の前の髪飾りを亜莉香は眺めた。
「この赤い花の髪飾りも素敵だと思いますけど、そっちの髪飾りも捨てがたいですね」
「これはどう?下に鈴が付いていて、花の中心には小さな宝石。やっぱり真っ赤な髪飾りがいいと思うけど。黄色の花もいいな」
並んでいるちりめん細工の髪飾りに、亜莉香とルイは同時に唸った。
露店の店主は年老いた男性で、店の前で立ち尽くしても、何も言わずににこにこと笑っている。どうしようと悩んでいると、男性が愛嬌のある笑みを零した。
「どんなのをお探しですか?」
「妹の髪飾りを探していて、おすすめはあります?」
そうですね、と言った男性が、端に置いてあった髪飾りの一つを手に取る。
その髪飾りは丸い椿の花だった。赤と桃色の二種類のちりめんで作られていて、渋い緑の葉が付いている。手のひらに収まる大きさで、豪華でも派手でもないが、温かな印象。
髪飾りを手のひらに乗せて、年老いた男性が言う。
「これはどうですか? 私のおすすめです」
「へえ、可愛いですね…アリカさんはどう思う?」
「素敵だと思います。イオちゃんに似合いそうですね」
「そっか。じゃあ、これにしようかな」
さんざん悩んでいたルイが、あっさりと決めた。男性から髪飾りを受け取り、笑みを浮かべてよく眺めると、さっさと支払いを済ませる。
ひょっこりとルカが後ろから顔を覗かせ、じっと見ていたのは色違いの髪飾り。
濃い黄色と薄い橙色の、丸い椿の花の髪飾りを、ルカが指差す。
「これもください」
「へえ、珍しいね。まさか自分用?」
「そんなわけあるか。フミエが何か欲しい、なんて手紙に書いて寄越した」
ルイの顔など見ず、ルカはお金を払った。ありがとうございます、と言った男性から髪飾りを受け取って、何故かそのままルイの髪に髪飾りを付けようとする。
一瞬だけぽかんとしたルイが即座に納得して、自分で買った髪飾りもルカに渡す。
「これもよろしく」
「んー」
「適当に付けないでよ」
嬉しそうにルイが笑い、亜莉香は遠慮がちに尋ねる。
「えっと…どっちも贈り物ですよね?どうして、ルイさんに?」
「「手に持つのが面倒」」
「あ…なるほど」
なるほど、と言ったが、心の中では僅かな疑問が残る。どうせ本人達の贈る相手にはルイが一度身に付けたものとは分からないが、それでもどうなのか。
亜莉香が何も言えないでいると、ルカはすでに別の髪飾りが付けているルイの髪に、丸い椿の髪飾りも付けようとする。上手くヘアピンが止まらなくて一生懸命なルカに、ルイは何も言わずに終わるのを待つ。
そんな二人を眺めながら、亜莉香はぽつりと問う。
「ルイさんは、簪を使わないのですか?」
「そりゃあ、ね。その言い方からして、知らなそうだから言うけど。簪は大抵、好意を持つ男性から女性に贈るものだよ」
「そうなのですか?」
知らなかった、と呟けば、黙っていた年老いた男性が口を挟んだ。
「昔から、そういう習慣がありますね。簪以外の髪飾りなら、男女共に贈ることもありますが、簪だけは女性が買うことはありませんよ」
「簪をいくつか付けている女性は、好意を寄せられた男性はいるけど、決まった相手がいない人。相手がいる女性は、簪一つ。夫婦になると同じ飾りを身に付けて、それを簪にして身に付けている人も多いよ。男性は簪を付けない人が多いから別の形で持ち歩くわけ」
ルイが説明を付け加えると、ルカがルイから離れた。色違い椿の花の髪飾りが二つ、綺麗に並んで付けてある。話を全く聞いていないようだったが、そう言えば、とルイに言った。
「ルイ、前に簪を貰ってなかったか?確か…道端で出会った変な男に」
「ないよ?僕が、受け取るはずがないでしょ」
僕が、と強調しながら、ルイは髪飾りの存在を右手で確認した。
傍から見れば美少女で、間違いなく女に見える。気分が良くなったルイは、亜莉香を振り返って微笑んだ。
「そろそろ、ユシアさんを迎えに行こうか。おじさん、店の前で邪魔してごめんね」
「いえいえ。可愛らしいお嬢さん達をいつでもお待ちしておりますので、またいつでも来てください」
男性が言った相手はルイで、女に間違われてもルイは指摘することなく、可愛らしく対応した。一歩下がっていたルカが何か言いたげだったが、結局言わない。
それは亜莉香も同じで、ルイだけが心底嬉しそうな顔をしていた。




