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Last Crown  作者: 香山 結月
第1章 月明かりと牡丹
66/507

15-2

 石段を下りて、長い廊下を歩き、また石段を上った。至るところにある灯籠が、地下の空間を明るく照らす。一本道ではなく、分かれ道や行き止まりもあったが、先頭を歩く長男のキヨが迷わず進み、辿り着いたのは庭園の中。

 宿の庭園とはまた違う、日本庭園。月明かりで微かに明るい庭園でキヨと、始終ルイに敵意を向けていた次男のヨルと別れて、辿り着いたのはひっそりと佇む、大きな池の真ん中に存在する建物だった。


 池に架かった真っ赤な橋を越え、建物の入口にノノがいる。

 ルイの姿を見るなり、一礼して扉を開けた。


 十畳の畳の奥に、背を向けた少女が一人座っている。

 様々な花が咲き乱れて、金の装飾が施された、真っ赤で煌びやかな着物を重ね着。腰よりも長い髪は、くせ毛のせいでぼさぼさに見える。必死に髪を押さえようとしている少女は、ルイに名前を呼ばれて振り返った。

 振り返った深い緑の瞳が輝いて、満面の笑みを浮かべた少女が立ち上がる。


「ルイっ!」

「久しぶり」

「――より、ルカ!!」


 片手を上げたルイに飛びつく勢いで駆け出した少女は、ルイの斜め後ろにいたルカに抱きついた。予想外の出来事にルカが転びそうになり、ルイは呆れた顔になる。


「イオは僕より、ルカが好きだよね。相変わらず」

「うわぁ、ルカ。久しぶり、元気だった?ねえ、街での暮らしは楽しい?」


 ねえ、ねえ、と繰り返す少女を、ルイが着物の首根っこを掴んでルカから引き離す。

 話を聞かない少女は、亜莉香が知っているイオの姿。精霊に見せられた過去の幼い少女ではなく、成長して背が伸びている。緋色の髪は長くなって、顔つきはルイに似ていた。

 首根っこを引っ張られたイオの姿に、ノノが青ざめた顔で叫ぶ。


「イオ様!」

「あは、楽しいわ」

「このまま一旦、元の場所に戻ろうか?」

「戻る!」


 楽しそうに騒ぐイオに、ノノが言葉を失った。

 ルイは履いていた靴を脱いで畳の上に上がり、イオは楽しそうに笑う。イオが離れてほっと安心したルカが同じようにしたので、後ろにいた亜莉香とトシヤは顔を合わせてから、畳の上に上がることにした。


 イオと少し距離を置いて、亜莉香は正座した。亜莉香の隣にトシヤとルカも座り、畳の上に戻されたイオは、ルイを真後ろに座らせた。

 抱きかかえられている格好で嬉しそうに、ノノに言う。


「ノノ、大至急お茶をお願いね」

「いや、ですが」

「早く!」


 イオに急かされて、心配した顔で部屋を見渡してから、ノノは静かに扉を閉めていなくなった。ノノがいなくなると、イオの表情から無邪気さが消えた。

 子供らしさが消えたイオは少し悲しそうな笑みを浮かべ、ルイを振り返る。


「最初に、林の中にあったものを頂戴。精霊達が探していた物」

「これのこと?」


 ルイが袖の中から取り出した真っ黒な櫛を、イオは優しく受け取る。


「そう、これのこと。良かった。ルイが見つけてくれて。これで精霊達も落ち着くと思う。ルグトリスには、もう遭った?」

「残念ながら」

「そうよね…これのせいなのかな。魔法まで使うようになって厄介だったの。ルイが見つけてくれて本当に良かった。他の人ではこう簡単にいかないもの」


 ため息を零し、イオは櫛をよく見ようと目の高さまで持ち上げた。

 櫛の端を右手で持ち、真っ黒に焦げた櫛をじっと見つめ、イオは眉をひそめた。ぎゅっと唇を結び、櫛を持っていた手に力が加わる。

 微かに、僅かな赤い光が櫛を包んだ。

 光はすぐに消え、パキッと音がして、櫛は二つに割れる。

 その割れ方は不自然で、櫛は真ん中で二つに綺麗に割れていた。床に落ちた片方の櫛をイオは拾い、持っていたもう片方と一緒に帯の中に隠す。

 深く息を吐き、イオは膝を抱えるように座り直した。


「このこと、あまり口外しないでね。最近はルグトリスの出現が多くて、皆神経質になっているから」

「そんなに多いの?」

「ここ一年で、急激に増えているみたい。何者かが結界を破ろうとすることもあって、精霊達は怯えている」


 出来るだけ淡々と話すイオは、話しながら腕に力が入っていた。

 ルイは少し考え、イオの顔を後ろから眺めながら口を開く。


「兄さん達は、相変わらず?」

「うん。相変わらず、時期当主のキヨは、父上とよく密談している。ヨルは若い人達とルグトリスを倒すことに精を出している感じかな」


 呆れた様子の言葉が続く。


「最近だと、母上経由でキヨの縁談が進んだ。ヨルの婚約者候補も現れ始めているみたいだけど、本人がルイを倒してからだ、なんて戯言を言って周りの話を聞かないから」

「まだ、僕に勝てると思っているのか」

「本人はそのつもり。早く目を覚ました方がいいのに」


 あからさまに見下した言い方をして、イオは顔を上げた。

 イオの瞳に、黙って話を聞いていたルカの姿が映る。ルカを見て、イオは笑みを浮かべた。


「ルカ、ルイは相変わらず?変わったところとかない?」

「ない」

「それ、本人には聞かないの?」


 不思議そうにルイが言った。イオは何も言わない。じゃあ、と質問を重ねる。


「ルイ、街でも人気者?」

「人気者と言うより、女装で男をたぶらかしている」

「ルイ、可愛いものね」


 納得した顔で即答したイオに、ルカは曖昧に頷いた。

 そっか、と繰り返して、満足した顔になる。嬉しそうな、楽しそうな表情の、イオの瞳に亜莉香とトシヤが映った。

 イオの雰囲気が、少しずつ出会ったばかりのような、年相応な雰囲気に戻っていく。成り行きを見守っていた亜莉香とトシヤを、交互に眺めて口を開く。


「精霊達が教えてくれたの。ルイとルカが、不思議な友達を連れて来た、と。話を聞いた時から会うのが楽しみで、どんな人だろう、とわくわくしていた」


 貴女が、と言って、イオは亜莉香を指差す。


「アリカさん、そして貴方がトシヤさん」


 亜莉香と同じように、イオはトシヤを指差し、にっこりと笑った。名前を言い当てられるとは思っていなかった。驚く亜莉香とトシヤを気にせず、イオはルイを振り返る。


「合っていた?」

「合っているよ。でも、二人はイオのことを知らないから自己紹介しようか」

「あ、そうだった。私はイオです。えっと…この土地の巫女で、精霊と話が出来て、土地を護るのが役目。あと、巫女として悩み事を聞いたり、力も貸したりすることもあるの」


 指を折りながらイオは言い、あ、と声を上げた。


「私は結界を張るのが一番の仕事だから、ルグトリスを倒すのは兄様達の役目ね」

「ご丁寧な説明を、どうもありがとう」

「どういたしまして」


 褒めていいよ、と付け加えたイオの頭を、ルイが黙って撫でた。満足したイオから視線を逸らし、戸惑う亜莉香とトシヤの様子には困った顔を浮かべる。


「話、理解している?」

「一応、ですけど」

「その…ルイの妹、なんだよな?」


 自信のないトシヤの質問に、イオが元気よく右手を上げる。


「はい、ルイの妹です!普段は巫女様と呼ばれ、きちんと髪を結って人前に出て崇拝もされるけど。それも私で、こうして皆さんの前で笑っているのも私なの」

「その時々で態度を変えないと、この家では息が詰まるからね」

「そうそう。態度を変えるのは日常茶飯事で、ルイとルカの友達だから、気を遣わないで話せるのは助かるな」


 本当に、イオが肩の力を抜けば、不意にルカが立ち上がって扉を開けた。

 扉を開ければ、人数分の湯呑をお盆に乗せて、両手が塞がっていたノノがいた。少し驚いた顔のノノを部屋の中に通して扉を閉め、ルカは元の場所に戻る。

 最初にお茶を配られたイオが、声を上げて礼を述べる。


「ノノ、ありがとー!何のお茶?」

「林檎の香りづけをした緑茶です」

「林檎好き!」


 嬉しいな、と言って、両手で受け取った淡い黄色の湯呑を、イオは口元に運んで冷ます。熱くて飲めないようで、そのまま何度も息を吹きかけている間に、ノノは静かに残りのお茶を運んだ。一口飲んだイオに、ルイが問う。


「それで、他に用事はある?」

「あるよ。以前貸した魔道具で、私は二人の魔力を見てみたいと思ったの。今日呼んだのはそのためで、精霊達が騒ぐほどの魔力を私の目で確認したくて」

「結果が知りたいなら、僕が話すのに」

「私の方がルイより分かるもん!」


 自信満々に、イオは言った。

 話を聞いていたノノが静かに準備を始めようとすると、ルイの眉間に皺が寄る。


「ノノに任せるなら、僕が準備するよ。何か間違えそうで怖い」

「間違えません!」


 突っかかったノノを無視して、ルイが立ち上がる。

 部屋の隅にあった魔道具をノノが運んで、ルイのその周りに文字のような、記号のような何かを描いていく。畳の上で気にせず、墨で描く様子に、以前魔力を探ると言って、ユシアを怒らせる一件を思い出して、亜莉香は恐る恐る右手を上げる。


「あの、血が出るのは、ちょっと…」

「え、駄目?」


 しょんぼりとした、悲しそうな顔をされると断りにくい。

 よくよく考えれば、すでに掠り傷がある状態で、宿に帰ったらユシアに治療してもらうことになるに違いない。徐々に右手は下がり、胸の辺りで拳を握ると、亜莉香は深く息を吐いて、少し考える。


「うーん…少し、なら?」

「良かった!無理やり血を奪わなくて済むなら、それに越したことはないよね!」


 嬉しいな、とイオが言った。

 イオのあまりにも嬉しそうな姿に、亜莉香は両手を膝の上に揃え、肩の力を抜く。隣にいたルカはお茶を一口飲み、呆れていた。


「無理やりはないよな」

「えー、だって。私は二人の魔力を見たいの。それなら無理やりでも、血は貰わないと」

「…やっぱりルイの妹だな」


 トシヤの言葉に、亜莉香も心の中で同意する。

 準備が出来るまでお茶を飲んでいると、イオは話し出す。


「楽しみだな。二人はどんな宝石なのかな?ルビー、ガーネット、スピネル、珊瑚なんてこともある…種類も楽しみだけど、形も楽しみ」

「前の時は、トシヤくんはビー玉みたいに真ん丸で、透明度の高いルビーだったよ」

「ルビーは素敵ね。薄い桃色から濃い赤まで色々あって、燃えるような赤はこの国にとって、なくてはならない存在だもの」

「あと、サファイアとペリドットもね」


 作業をしていたルイが口を挟み、出来た、と言った。

 ノノと二人で準備をしたせいなのか、前回よりも早く支度が整った。

 イオの目の前にあるのは、魔道具と呼ばれた薄くて丸い、手のひらがすっぽりと収まる、金の平らな容器。縁に描かれた記号と同じような羅列が、畳の上にも描いてある。

 並々と注がれた水が、僅かに揺れていた。

 お茶を飲んでいたトシヤの傍に、ルイがやって来て跪く。


「はい、トシヤくん右手貸して。針を刺すから」

「前の時も、この針ならアリカが怪我しなくて済んだよな?」

「だってこれは借りてなかったもん」


 悪気なくルイは言って、トシヤを急かして右手を掴む。問答無用で針を小指に刺すと、一瞬だけ顔を歪めたとしても気にせず、血の付いた針を持ってイオの隣に行く。


 一滴の血が、水の中に落ちた。


 水中で淡く赤い光が生まれ、イオはそっと魔道具の中に両手を入れた。両手で取り出したのは、前と同じビー玉みたいな赤い宝石。

 宝石を見ながらイオは微笑む。


「素敵な魔力。鮮やかで赤い、綺麗なルビーの力――」

「あ、やっぱりルビーだったのか」


 イオの隣で宝石を覗きこんだルイに、イオは視線を逸らさず頷く。


「うん…でも、少し他の色が混ざっているみたい」


 よく見ようと、イオが宝石を右手で持って、右目の高さに上げた。左目を閉じてじっと眺め、一度唸って話し出す。


「多分…同じルビーだと思うけど。ほんの少し、色が違って見えるの。そのせいじゃないかな、精霊達が騒ぐのは」


 言い終わると、イオはトシヤに向かって、宝石を転がした。

 転がった宝石が途中で淡く赤い光を放って消え、疑問を抱いたルカが訊ねる。


「混じっている魔力は誰のだ?」

「誰の魔力かまでは分からないけど、トシヤさんが生まれる前に関わった人の魔力が少しだけ、受け継がれている感じだと思う。トシヤさん自身の魔力と見分けがつきにくい程、綺麗に混じっているところを見る限りはね」

「それって、おかしなことなのか?」


 黙って話を聞いていたトシヤが、そっと尋ねた。

 ルカとルイが眉間を寄せて、なんて説明しようか考え始める。亜莉香は口を挟めず、イオは困った顔で、言葉を選ぶ。


「普通はね、宝石の色は一つなの。現れる宝石は、その人自身を示すもの。トシヤさんの場合は、その色に少し別の色が混ざっていて、それが綺麗に加工して付け加えられた状態、と言えばいいと思う」


 あとは、と少し間を置き、イオは続ける。


「他人の魔力に影響を及ぼす、なんてことは相当な魔力を持つ人しか出来ない芸当で。混ざっているけど、危険なことはない。ただ、その混ざった魔力がほんの少し強くて、その影響で精霊達がざわついたり、ルグトリスを呼び寄せる原因になっていたりする可能性はあるかな」

「混じること自体は珍しいことだよ。僕とルカみたいに一緒に魔法を使ったり、相当魔力の相性が良くて混じり合ったりする事例はあるけど、そもそも誰かと魔法を使うことって少なくて、使ってもそう簡単に混じることはない」

「他人と魔力を共有することは、不可能ではないものね」

「まあね。トシヤくん自身は、魔力のことを特に気にしなくていいと思うよ。どうせルグトリスに関わってしまっている以上、結ばれた縁は切っても切れなさそうだもん」


 分かったかな、とルイに問われて、トシヤは納得できないまま頷く。

 話を聞いていた亜莉香もよく分からなくなりそうで、頭の中で軽く整理する。

その隙に立ち上がったルイが亜莉香の目の前にやって来て、トシヤの時と同じように右手を差し出した。


「アリカさんも、少し血を貰っていい?」

「あ…はい」


 どうぞ、と言って右手を出せば、小さな痛みが小指に走った。

 ほんの一瞬の痛みで、小さな傷から赤い血が出ていた。血が流れ出ることはないが、着物に付かないように右手を左手で包み、膝の上に戻す。


 亜莉香の血が、水の中に落ちる。


 イオが真剣な眼差しで見つめ、変化のない魔道具の上に右手をかざした。

 右手の指先が魔道具の中の水に触れた瞬間に、イオの指先が淡く青い光に包まれて凍ったように見えたが、瞬きをした瞬間に光は赤に変わり、氷が解けていた。


 ほんの数秒の出来事。

 何が起こったのか、亜莉香の位置から読み取れない。

 イオの隣にいるルイも何も言わないので、しびれを切らしたルカが静かに立ち上がって、水を覗き込んだ。


「…何もないな」

「今はね」

「瑠璃唐草の紋章に、拒絶されたわ」


 ぼそりと呟き、イオは両手を膝の上に置くと、魔道具から目を逸らさない。

 ルカとルイもじっと動かなくなり考え込めば、部屋の中は自然と静かになった。宝石が出なくて、訳の分からない紋章の話を聞いて、無意識に亜莉香の肩身が狭くなった。

 無意識に両手を強く握って、亜莉香は訊ねる。


「その…瑠璃唐草の紋章とは何ですか?」


 ちらりと、ルイがイオを見た。


「瑠璃唐草の紋章、と言うのはね。瑞の護人の証なの」

「瑞の護人とは?」

「聞いたことはない?」


 顔を上げたイオに質問を質問で返され、首を縦に振って肯定する。

 冷めた湯呑に手を伸ばし、イオはお茶を一口飲んだ。


「遠い昔に存在していた三兄妹を、そう呼んでいたの。この国を護ると誓い合い、姿形を変え、今もどこかで護り続けていると言われている人達」

「一説では逆賊とも呼ばれていてね。最初の王が持っていた、金の王冠に埋め込まれていた宝石を盗んだ犯人、とも言われている」


 どこか悲しそうな顔で、ルイは言った。

 イオが微かに頷き、視線が下がる。


「それが事実なのかは分からないけど、護人に対してはいい印象がないの。その単語自体受け継がれなくなって、今では一部の人間しか護人のことを覚えていない」


 アリカさんは、とイオが亜莉香をじっと見つめた。


「瑞の護人に魔力を封印されている状態。そのせいで宝石が現れないと思う。その封印は何重にもなっていて、私じゃそれを解けない」


 ごめんなさい、とイオは付け加えた。


「先々代なら封印を解けたかもしれないけど…私には、これ以上何も出来ないわ」

「そんなことはありません。話を聞けただけで十分ですので」


 落ち込むイオを励まそうと思って言ったが、ますます落ち込んでしまう。

 ルイが頭を撫でて慰め始めたので、イオは黙りこくった。ルイがノノに目配せすれば、部屋の隅にいたノノが立ち上がって、ルイと場所を交換する。

 ルイが立ち上がり、亜莉香達を振り返った。


「さて、今日はそろそろ帰ろうか。イオはもう寝た方がいいよ。僕達は明日にはここを出るけど、何かあったら手紙を書いてね」

「…うん」

「元気出せよ」


 壁に背中を付けて、腕を組んで立っていたルカが言い、イオは深く息を吐いた。顔を上げて、ぎこちなく笑う。


「ルイもルカも、来てくれてありがとう。また、いつでも帰って来てね」

「うーん、気が向いたらね」

「同じく」

「それでいいよ。元気でいてくれれば、それだけで」


 十分、と呟いて、イオが亜莉香とトシヤを見る。何かを探るような瞳を向け、一度開こうとした口を閉じる。少し考えてから、イオは深々と頭を下げた。


「もし困ったことがあったら…何かあったら、いつでも私に相談してください。私はいつでもお待ちしております」

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