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Last Crown  作者: 香山 結月
第1章 月明かりと牡丹
63/507

14-3

 痛みは、なかった。

 紅色の光が瞳に溶け込んだ瞬間に、驚いて瞼を閉じただけ。


 瞳を開ければ、亜莉香は見知らぬ場所で立ち尽くしている。ぼんやりとした頭で辺りを見渡せば、先程までいた林のひらけた場所とよく似ている場所にいた。

 知らないうちに、元の場所に戻って来たわけではない。

 その証拠に、見知らぬ子供が三人。亜莉香の目の前にいた。

 亜莉香が立っていることなど気付かず、蹲っている三人のうちの一人が言う。


「いいか、夜の林は危険だ。誰にも気配を悟られないように、静かに行動するんだぞ」

「分かっているよ。イオも、約束を守れるよね?」

「うん!」


 三人の中で一番幼い少女、イオと呼ばれた少女が、嬉しそうに大きな声で頷いた。

 その声が大きくて、残りの二人が慌ててイオの口を塞ぐ。幼いイオは、五歳以下にしか見えず、大きな牡丹が咲き誇る橙色の着物を着ていた。緋色の髪はくせ毛で、背中まで伸びて長く、瞳はルイと同じ深い緑色。

 残りの二人の子供は十歳前後に見える、ルカとルイによく似ていた。

 似ている、と言うよりも、本人達の子供の頃に見えて仕方がない。

 紺色の無地の着物に、黒い袴を穿いていた子供が呆れながら言う。


「ルイ、やっぱりイオは置いて行こうぜ」

「ルカ、ここで置いて行ったら、もっと五月蠅くなるよ。ここは連れて行った方がいい」

「うん!」


 訳も分からず、イオは嬉しそうに言った。

 ルイ、と呼ばれた少女にしか見えない子供は、髪より濃い桃色の矢羽根柄の着物。イオの頭を優しく撫でて、声を潜める。


「イオ、静かにね」

「しー?」

「うん。しー、出来るよね?」

「しー、だぞ。しー」


 念を押す紅色の髪を一つにまとめていた少女、ルカも真剣な眼差しで人差し指を口元へ。イオはにっこり笑って、何度も首を縦に振る。


「うん、うん!イオ、しー、する!それでね、カッコウカ持ってかえるの!」

「ヤコウカ、な」


 舌足らずのイオの言葉を、ルカは即座に訂正した。ルイは肩を振るわせて笑いを耐えようとするが、耐え切れずに笑いが零れている。笑い出したルイに、ルカが冷ややかな視線を送る。

 ルイは口角を上げたまま、イオに尋ねる。


「イオ、誰にその名前を聞いたの?」

「フミエちゃん!」

「フミエかよ…間違った知識を教えやがって」


 頭を抱えるルカと違い、ルイは楽しそうに質問を重ねる。


「その花はどんな花?」

「あのね!夜になると、光るの!黄色でぴかぴかした花!たんぽぽみたいな花だって、フミエちゃんが言っていたの!」

「ルカ、本当にその花あるの?」

「前に父さんが母さんに渡していたのを見た。林の中だって、盗み聞きした」


 悪びれなくルカは言い、ルイは嬉しそうな顔になる。


「それじゃあ、そろそろ行こうよ」

「だな。早く行って花を摘んだら、抜け出したのがばれないうちに帰らないと」

「行くの!」


 一人張り切るイオが、誰よりも早く立ち上がった。

 ルカとルイが目を合わせ、ゆっくりと立ち上がってイオの両手を握る。イオを真ん中にして、ルカとルイは一緒に歩き出す。


 その先に行ってはいけない、と言いたかった。


 亜莉香は声を出そうとしたのに、声が出ない。動く事も出来ず、足も動かない。

 行かないで、と手を伸ばした瞬間に、景色が変わった。






 場所が変わって、木々が燃えていた。

 月明かりの下で、誰かが泣いている。声を上げて、泣いていたのはイオだ。気絶しているルカに抱きかかえられて、イオだけが声を上げて泣き叫んでいる。

 イオの近くの大きな樹は、無残に倒れていた。

 倒れた木の前で、ルイが力なく座りこんでいる。誰かの手を握り、震える声で言う。


「おばさん…ねえ、大丈夫だよね?」

「だいじょう、ぶ…よ。ルカは、無事?」


 ルイが手を握っていた女性は、ルカとよく似ていた。瞳の色こそ違うが、面影がよく似ている。頭から血を流して、身体の半分が樹の下敷きになっていた。

 うん、と涙声でルイが頷けば、血の気のない女性が微笑んだ。


「よかった…それなら、いいの」

「良くない!おばさん、まだ大丈夫だよね?待っていて、僕が今誰かを呼んで――」

「ルカとイオちゃんも…連れて、行って」


 ルイの言葉を遮って、女性は弱々しく言った。

 黙って首を横に振ったルイに、女性は困り果てた顔をする。


「私は、だいじょうぶ。あの人が、きっと助けてくれる…から」

「なら、おじさんが帰って来るまでここにいる!」

「我が儘言わないで……ルカをお願い」


 お願い、と繰り返した女性が、深く息を吐いた。握っていた手から力が抜けて、ルイが慌てて手を強く握る。ぽたりと、ルイの瞳から涙が零れた。


「嫌だよ…おばさんを置いて行けない。僕には無理だよ」

「男の子、でしょ?ルカを…守って」

「僕よりルカの方が強いもん。僕なんて、いつも守ってもらってばかりで…守れないよぉ」


 こみ上げてきた涙が、ルイの瞳から零れた。女性が、ルイの頬に手を伸ばして涙を拭う。


「ルカだって、強くないわ」


 それに、と女性は笑みを浮かべる。


「前に…ルカのこと、好きだって。おばさんに教えてくれたじゃない?」

「好きだよ。でも、ルカは僕の気持ちなんて、全然気付いてない」

「我が娘ながら、変なところが父親似なのよね」


 うふふ、と笑った女性が急にせき込んだ。苦しそうな顔を隠し、ルイに笑いかける。


「いい、ルイ。貴方になら、ルカを任せられる。だからお願い、ルカを守って。今すぐルカとイオちゃんを連れて、この場を離れる。それが、私の願い」

「おばさんの、願い?」


 そうよ、と女性ははっきりと言った。

 分かった、と言ったルイは泣くのをやめて、涙を着物の袖で拭った。そっと女性の手を離して、気絶していたルカと泣いていたイオに駆け寄る。ルカの肩にルイが腕を伸ばせば、イオはルイにしがみついて、ルイは空いていたもう片手で、その頭を優しく撫でた。

 一度だけ振り返ったルイに、女性は無言で微笑んで頷く。

 泣きそうな顔で、ルイは唇を噛みしめていた。ゆっくりと、三人の姿が見えなくなると、女性は息を吐いて、呟く。


「聡い子で、助かったわ。どうせ、私はもう――」


 助からない、と声が掠れた。

 何もかも諦め、死にかけている女性に駆け寄りたい。助けたい、と思いながらも、誰にも気付かれることない。


 まるで、存在していないかのように亜莉香は何も出来なかった。


 ただ見ているだけで、話しかけることも、助ける事も出来ない。

 悔しくて、悲しい。

 一粒の涙が地面に零れ落ちれば、女性が僅かに顔を上げた。


「精霊、様?」


 亜莉香の姿が見えていないはずの女性が、亜莉香の方を見た。目が合った、気がするだけで女性の視線は定まらない。

 精霊様、と繰り返した女性の瞳に、ほんの少しの生気が戻る。


「お願いします…ルカを、守ってください」


 お願いします、と女性が何度も同じ言葉を繰り返す。

 次第に声が小さくなって、女性は動かなくなった。

 どうしようもなくて、亜莉香は両手で顔を覆って涙を流す。涙が止まらなくて、悲しくて、蹲って泣いていた。






 いつの間にか、また景色が変わっていた。

 古びた小さな古民家の縁側に、一人の老婆が座っていた。

 精霊様、と声がして、泣いていた亜莉香は顔を上げた。とても優しそうで、真っ白な髪の皺くちゃの老婆が、亜莉香を見て笑いかける。


「精霊様、珍しいですね。今日はどうしましたか?」


 きっと声は届かない。何も言えないでいると、あの子は、と優しい女性の声がした。それは紅色の光から聞こえた声と同じで、老婆は微笑む。


「旅の支度をしております。精霊様の存在には気付きませんでしたが、立派な子に育ちました。あの日から、始終ルイがあの子の傍にいて守っていますよ。何も心配はいりません」


 老婆の言葉に、答える声はなかった。

 傍に置いてあった湯呑に手を伸ばして、老婆は静かにお茶を飲む。

 静かだった古民家の中に、誰かがやって来た。どたばたと走って、縁側までやって来た人物の姿に、亜莉香は少し驚く。

 今と年齢の変わらない、ルイの姿があった。

 亜莉香の存在に気付かず、ルイは楽しそうに老婆に話しかける。


「先代様、お邪魔します!ルカはいます?」

「ルイ、今は精霊様が近くにいる。静かになさい」

「そうなの?僕にはよく見えないからなー。今日の精霊は、何か言っていたの?」


 ルイの質問に、老婆は何も答えない。

 ルイは肩の力を抜いて、無言の老婆の隣に座った。ルイも何も話そうとしなかったが、老婆はお茶を飲み終えると、優しくルイの名前を呼んだ。


「ルカの話をしておくれ。精霊様が、話を待っている」

「ルカの話?」


 いいけど、と言って、ルイは青空を見上げながら言う。


「うーんと、相変わらず男みたいな恰好しています。ようやく、母親が探していた緋の護人を自分も探しに行ける、なんて言って張り切っていて、僕は少し心配です」

「そんなに張り切っているのかい?」

「もう見るからに。一緒に旅に出る僕としては、そんなに張り切っても仕方がないと思うし、おばさんとおじさんが何年も探していた人を、そう簡単に見つけられるとは思ってないかな。それに、ルカがまだ僕が一緒に行くことを納得していないみたい」

「ルイの両親の説得は、終わったのかい?」

「まさか」


 ルイが肩を竦めた。


「僕の両親が、ルカと一緒に旅に出ることを許すはずがないでしょう?旅に出たら、手紙の一通でも書きます。先代様には…心の中で報告します」

「それは助かる。ルカとルイは、私にとって可愛い孫だからね」


 笑みを浮かべている老婆に、ルイは少しだけ悲しそうな顔をする。


「先代様、本当に一緒にこの土地を離れないのですか?」

「ルカは納得しているのに、ルイの方が納得していないみたいだね。イオが力に目覚めないから、私の魔力を渡すんだ。そのために、ルイだって嫌々女の格好をしていたのだろう?」

「女の格好は嫌だったけど、でも…先代様がいなくなる方が嫌だ」


 膝を抱えたルイの背中を、老婆はぽんぽんと叩いた。


「昔から、泣き虫小僧は変わらないね」

「泣いてない」

「そうかい?それならルイ、ルカを頼むよ」


 ルカ、と言う単語に、ルイは老婆を見た。真剣な眼差しの老婆に力強く頷く。


「分かっているよ。僕の気持ちは、あの日からずっと変わらない。ルカを守る。これから先に何があっても、どんなことが起きても。僕にとって一番大切なのはルカだけだ」


 だから、と言ってルイは視線を下げた。


「フミエとの婚約は、僕の気持ちに終止符を打っただけ。ルカへの気持ちの意思表示で破棄したようなものに。ルカは気付かないし、両親も親族も納得してくれない」

「私だけは、ルイの気持ちを知っているさ」

「先代様だけ、だよ」


 ため息を零したルイを、老婆はそっと眺めた。

 嬉しそうに口角が上がって、老婆はルイの頭を優しく撫でる。そっと手を離せば、目が合ったルイに、静かに言う。


「いつの日か、この土地にルカと一緒に帰って来たら。今度こそ夜光花を見つけて、私とルカの両親の墓に供えてくれるかい?」

「…夜の林は、入っちゃ駄目だってさ」


 口を尖らせたルイが言い返した。老婆は気にせず、遠くを見つめる。


「ルイがうんと強くなったら、お供えしておくれ。あの花は林の奥の野原でひっそりと、あまり人には知られずに咲き誇る。夜にしか咲かない、光る花だから夜光花なんて呼ばれているけど、もう一つ別名がある」

「別名?」


 初めて聞く話に首を傾げたルイに、老婆は言う。


「普段は雑草のようにしか見えないけれど、誰かに気付いて欲しいと願った花。精霊達がその花の願いを叶えるために、月の綺麗な夜の間だけ光るようにした花」


 以前借りて読んだ花図鑑を、亜莉香は思い出した。

 小さな花が集まって、一つの花に見える淡く黄色の、たんぽぽに似ている花。

 夜光花、と書かれたページには、夜になると光る花として紹介されていたが、もう一つの読み方も載っていた。

 老婆の声が、亜莉香の耳によく響く。


「小さな奇跡で、光を見つけた花だから――」


 光跡花と言った、老婆の声と呟いた亜莉香の声が重なった。

 まるで亜莉香の声が聞こえたかのように、老婆は顔を上げて亜莉香に微笑む。ルイだけが、よく分からずに老婆の言った言葉を繰り返す。


「こうせき、か?」

「光る跡を残した花とも言われているね。夜光花の方が分かりやすくて、こっちの名前は忘れられてしまっているけど」


 頭の中に言葉が当てはまらなかったルイが、へえ、と面白そうな顔をした。

 段々と、景色が遠のき始める。すぐ傍にいた老婆やルイの姿がぼやけて、声が聞こえなくなって、辺りが黒く染まっていく。


 ありがとう、と声が聞こえて、亜莉香は振り返った。

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