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Last Crown  作者: 香山 結月
第1章 月明かりと牡丹
61/507

14-1

 見つからなかったらすぐ戻ると言った。

 それなのに、亜莉香は蛍のような淡く、温かくて小さい紅色の光を追って、薄暗い林の中を走っていた。ルカがそっちにいるのかは分からない。


 一瞬だけ迷った亜莉香の目の前に不思議な光が現れたのは、林の前に到着した時だ。

 夢の中で、亜莉香を親友の透の元に導いた光と似ていた。似ていたから、迷うことなく光を追った。走り出せば浴衣は走りにくくて、すぐに走りやすいように裾を広げて着崩してしまった。小さな枝にも引っ掛かったし、何度か転びそうにもなった。ユシアが見れば心配する掠り傷を気にせず、亜莉香は走り続ける。


 紅色の光は、間違いなく亜莉香をどこかに導いていた。

 ルカの元へ、と言うのは根拠のない確信。


 急いで、と時々聞こえる優しそうな女性の声は、きっと幻じゃない。

 息が切れても、走ることをやめれば紅色の光を見失いそうだった。必死に足を動かした。どれだけ林の奥に進んだのか、どっちに宿があったのか。もう何もかも分からなくなってしまった。

 一刻も早く、ルカを見つけたい。

 母さん、と言ったルカの言葉が聞き間違いではないのなら、突然走り出したルカの瞳には母親の姿が映っていたのかもしれない。


「お母さんのはずがない――」


 走りながら、泣きそうになった。

 ルカの母親なら、こんな夜に林に誘いはしない。危険だと分かっている林に、ルカを連れては行かない。それは亜莉香の勝手な祈りかもしれないけれど、そうであって欲しい。


 一定の距離を離れなかった紅色の光が、速度を上げた。

 視界がひらけて、木々が茂っていた林を抜けた。林の中の、半径十メートル程しかない、月に照らされた空間の中心に、ルカの背中が見えた。

 立ち尽くすルカの目の前に、大きな鎌を頭の上に振りかざした黒い影がいる。

 大きな鎌はルカの頭を狙い、今にも振り切られてしまいそう。全く動かないルカはルグトリスに気が付いていない様子で、紅色の光がルカとルグトリスの間に入った。

 紅色の光も、ルカにはきっと見えていない。

 無我夢中で亜莉香は息を吸い、大きな声で叫んだ。


「ルカさん!!!」


 亜莉香の声と同時に、紅色の光が眩しいくらい光を放った。

 ルグトリスが光に怯えて、手に持っていた大きな鎌を真後ろに落ちた。

 光は辺りを明るく照らし、眩しくても勢いのままに亜莉香はルカに手を伸ばす。何も考えずにルカの左手を掴んで、そのままルグトリスの横を抜けた。


「ルカさん、しっかりしてください!」

「…アリ、カ?」

「そうです!早く逃げましょう!」


 ルグトリスに背を向け、亜莉香はルカの手を引いて走る。

 後ろでは光が徐々に弱まっているが、まだ明るい。ルグトリスは目がないはずなのに、片手で目を隠すような素振りをして、もう片手で浮いていた紅色を遠ざけようとする。

 ルカがどんな状態なのか分からないが、いつものようにルグトリスと戦う雰囲気がない。

 まだ頭がぼんやりしているようで、亜莉香に引っ張られるまま力なく問う。


「俺、今何していた?」

「それは私が聞きたいです。ルカさんには何が見えていたのですか?」

「母さんが、俺を呼んでいたんだ。だから、追いかけて――」


 それで、と言ってルカはゆっくりと立ち止まった。

 ルカが止まったので、亜莉香も立ち止まる。揺れていたルカの瞳に、いつもの意思が戻る。亜莉香の手を握ったまま、ルカは後ろを振り返った。

 月明かりの下で、暴れるルグトリスの姿を見て、ルカは悲しそうな顔になる。


「母さんはいないよな」

「…はい」

「俺が見ていたのは幻だよな」


 断定した言い方で、ルカは亜莉香の手を離した。


「もう大丈夫。あいつを倒さないと。アリカは先に帰れ――」

「嫌です」


 即答した亜莉香を、ルカは驚いた顔で振り返った。

 ルカが無事でいてくれたことには安堵したが、先程まで危険にさらされていたルカを一人置き去りにすることなど出来ない。亜莉香は浴衣の裾を握りしめ、決意を固める。


「私は、ルカさんを見つけるために無我夢中でここまで来ました。見つけて一緒に帰るために追いかけたのに、私一人では帰れません」

「いや、でも…危ないだろうから――」

「それでも!」


 意外と大きな声が出た。亜莉香自身も驚いて、深呼吸をしてから視線を下げる。


「私をここまで連れて来たのはルカさんです。責任を取って私を宿まで案内してもらわないと、私は帰れる自信がありません」

「後半の方が本音かよ」

「どっちも本音です!」


 勢いよく顔を上げて言えば、少し困った顔をしていたルカと目が合った。

 視線はすぐに逸らされ、ルカは小さな声で言う。


「ったく、自分の身は自分で守れよ」

「…努力はします」


 自信が皆無の亜莉香に、ルカは袖に隠していたクナイを手渡した。

 まじまじと、両手で受け取ったクナイを亜莉香は見つめる。


「初めてクナイに触りました」

「俺は、渡しても不安が増えただけだった」


 正直なルカの気持ちに、亜莉香はその通りで笑みを零す。肩を震わせて笑う亜莉香を、ルカが優しく見ていた。ルカが踏み出して、亜莉香は顔を上げて一歩後ろを行く。


 紅色の光は、まるでルカがやって来るのを待っていたかのように弱まった。

 光が完全に消える前に、ルカはルグトリスの前に立ち、両手に持ったクナイを握りしめた。亜莉香はルカの一歩後ろを歩き、ルグトリスの様子を観察する。

 大きな黒い鎌を右手に持ち、身長はルカよりも高い。光を浴びたせいなのか、最初に見た時より細く身になって、男性のように見えなくもない。大きな鎌の大きさも、心なしか一回り小さくなった気がする。

 ルカは背を向けたまま、亜莉香の名前を呼んだ。


「知っていると思うけど、こいつらは首や手足が離れても死なないが、心臓一突きで即死だ」

「私に何か出来ます?」

「気を引くなら、俺よりアリカだろうな」


 期待はしていないけど、と独り言のように言った。

 耳元で何度も聞いたことのある雑音のような音が聞こえる。


【ミツ、ケタ…ミツケタ】


 耳を塞いでも聞こえる、不思議な声。

 この声を聞くと、いつも恐怖が蘇る。

 最初の頃は身体が震えだし、呼吸が乱れたり、頭が痛くなったりして、動けなくなることもあった。それは少しずつ直りつつあるが、恐怖はなかなか消えてくれない。


 怖くても、逃げ出すことは出来ない。


 ルカの持っていたクナイが真っ赤な光を放ち、光が焔に変わった。焔を見ていると落ち着いて、亜莉香は両手で持っていたクナイを、胸の前でぎゅっと握る。

 大きな鎌を持ったルグトリスが、亜莉香を見つめた。


【ミツケタ――】

「それは、こっちの台詞だ!」


 ルグトリスより先に駆け出したルカが、迷うことなく心臓を狙う。

 鋭い金属音が響き、大きな鎌は難なくクナイを防いだ。力はルグトリスの方が強いようで、ルカは無理には攻めずに、素早く距離を置く。

 距離を置かれたルグトリスが、ルカの頭の高さで鎌を横に振りかざす素振りをした。

 鎌が緑の光を放ったように見え、亜莉香は咄嗟に叫ぶ。


「しゃがんで!」

「――っ!」


 亜莉香の指示に従ってしゃがんだルカの頭の上を鋭い風が通り抜けて、亜莉香も頭を下げた。振り返れば、ルカと亜莉香に向かって放たれた風は、かまいたちのような、鋭い風で後ろにあった木を斬りつけていた。

 振り返ったルカが、げ、と声を漏らす。


「こっちのやつらは、魔法も使うのかよ」

「こんなこと、今までありませんでしたよね」


 舌打ちしたルカが、魔法を使わせないようにするために、ルグトリスに攻撃を仕掛けた。鎌を警戒して、クナイで攻撃していると、また緑の光が集まって見える。


「ルカさん、また鎌に緑の光が集まって!魔法が来ます!」

「光!?」


 驚きながらルカは叫んで、ルグトリスから身を引いた。

 鎌を振りかざしていないのに、ルグトリスの鎌から鋭い風が放たれた。クナイで防御しようにも見えない風が、ルカの頬を傷つける。

 ルカがルグトリスから目を逸らさず、亜莉香の傍に戻って来た。

 頬の血を袖で拭いながら、亜莉香の前に立つ。


「さっき、光って言ったか?」

「あ、はい。緑に光が集まって見えて」

「その光を見ただけで、風の魔法だって分かったのか?」


 ルカの質問の意味を考え、亜莉香は言葉に詰まった。

 どうして、魔法だと分かったのか。

 どうして、その魔法が風魔法だと知っているのか。

 咄嗟に口から出た言葉を、説明出来ない。そうだと知っていたから、自然と発した言葉に、何も言えなくなって口を閉ざした。

 左手で喉を押さえるような素振りを見せた亜莉香を、ルカは一瞬だけ見た。


「まあ、いい。なら亜莉香には俺らの武器にも、光が集まって見えているのか?」


 素直に頷けば、ルカは何かを悟った。


「分かった。次にその光が集まったら報告しろ」

「ルカさんには見えて――」

「ない!」


 否定したルカが、ルグトリスに向かって駆け出した。

 ルカに頼まれたから、亜莉香は目を離さずにルグトリスを見つめる。ルカの攻撃をかわしながら、緑の光が集まりそうになるのは、鎌の先端。集まりそうになって、ルカの攻撃を受け止めると、光は集まる前に弾けてしまう。

 クナイと鎌の、激しくぶつかり合う音が響く。

 一瞬の隙を見逃さないように、じっと見つめて戦いの行方を見守る。

 ルカのクナイが弾かれた時に、頭上に振り上げた鎌に緑の光が集まった。


「頭上に光!」


 腹の底から叫んだ亜莉香の声に反応して、ルグトリスの動きが一瞬止まった。

 ルグトリスの標的が、亜莉香に変わる。

 視線を感じた亜莉香に向かって攻撃が放たれる隙を、ルカは見逃さなかった。鎌が振り落とされるよりも早く、素早く後ろに回り込む。


 鎌から風の魔法が放たれる、その前に。


 数秒の差で、ルカが流れるような動きで心臓にクナイを突き刺す。

 心臓から焔が全身を包み、ルグトリスが燃えて消えた。

 感じていた恐怖が消える。ほっと安心した亜莉香が座りこめば、ルカは弾かれたクナイを回収して、亜莉香に手を差し伸べた。


「大丈夫か?」

「はい…何もしていませんので」


 答えながら、亜莉香は差し出された手に右手を重ねる。

 ルカが立ち上がらせてくれて、しがみつきそうになった。ルカは嫌がるだろうと思って離れようとしたが、亜莉香の右手を離さない。


「助かった」

「…え?」

「ありがとう」


 小さな声。素っ気なくも素直なお礼を言い、ルカは手を離して微笑んだ。


「こちらこそ、ルカさんがいないと死んでいましたよ」

「アリカが来なかったら、俺はその前に死んでいたけどな」

「お互い、命を助けてもらいましたね」


 ありがとうございました、と軽く亜莉香は頭を下げて、すぐに上げた。

 笑おうとしたのに、ルカの後ろにゆらゆらと揺れる影が見えて、亜莉香の表情は固まった。ルカも勢いよく振り返り、亜莉香を背に隠す。


 なんで、と同時に呟いた。

 ゆらゆらと揺れる黒い影が、亜莉香とルカを囲んでいる。

 一人や二人じゃない。十人以上に囲まれていては、逃げ場はない。


「おかしいだろ。こんなこと、あり得ない」

「ルカさん…」


 ルカの後ろに居ることしか出来ず、亜莉香は黒い影から目が離せない。

 黒い影の、黒が徐々に深くなっていく。立体的な人の形に代わって、子供の大人も、男も女も混ざっていて、怖い。

 今まで出会ったルグトリスより、何倍も怖くて足が震えて動けない。


 ルグトリスが一斉に亜莉香とルカを見た。小さな悲鳴を上げてルカにしがみつき、亜莉香は目をつぶった。

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