13-6
露天風呂と夕食を満喫してから、亜莉香達は宿を出た。
夜十時頃までは店が開いている、とルカに聞いていた通り。夜八時を過ぎた温泉街は明るくて、亜莉香とルカ、ユシアの三人で温泉街の中にあった輪投げをしていた。
亜莉香は何も取れないと悟って、輪投げをやめた。
隣にいるユシアは熊のぬいぐるみを狙って、当たらないのに諦める気配がない。
「当たらないわ」
「そうだな」
「もう、ルカが取ってよ。私だと何も取れないわ」
「自分で取る、とか言っていただろ」
ため息交じりに言いながら、ユシアは残っていた三つの輪をルカに手渡した。
ルカが手首を何度か動かし、輪を投げる。軽く投げた輪は宙を回転しながら、狙い通りの熊のぬいぐるみに引っかかり、ユシアは両手を上げて喜んだ。
「やった!ルカ、ありがとう!!」
「アリカも何かいるか?」
「特には…」
ないです、と小さく言えば、ユシアがルカの腕を引っ張って、別のぬいぐるみを指差した。今度は狐のぬいぐるみが欲しいらしくて、ユシアがはしゃぎ、ルカは輪を構える。
亜莉香とユシアは露天風呂に入った後に浴衣に着替えたので、色違いの浴衣と羽織。
大きな兎が跳ねて、裾の部分にススキが描かれた紺の浴衣がユシアで、亜莉香は茜色。やや赤みを帯びた濃い黄色の帯と深い緑色の羽織はお揃いで、ルカに至ってはいつもの袴姿。
部屋の中で騒いだ後に、露天風呂には嫌々一緒に入ったルカだったが、浴衣だけは断固拒否された。長い露天風呂から出れば、いつの間にか部屋には夕飯が用意されていて、窓際に移動されていたテーブルで、月と紅葉を見ながら夕食を食べた。
夕食後に温泉街で合流しよう、と騒ぎの後に逃げるように部屋を出たルイは言った。
合流するために宿を出たはずだけれど、温泉街に着くとユシアは合流することを忘れて遊び出した。輪投げをするルカを応援するユシアの姿は、傍から見ると恋人を応援する姿にも見えるのだけれど、それは亜莉香の感覚。
ルカもルカで楽しんでいるので、亜莉香は笑みを零して二人に話しかける。
「取れそうですか?」
「一回外した。次で取る」
「ルカ、頑張って!」
くるりと宙を舞った輪が、見事に狐のぬいぐるみを捕らえた。
誰よりも早く歓声を上げたのはユシアで、亜莉香も感心してしまう。
「流石ルカさん。お見事ですね」
「投げるのは得意だからな。それにしても、ルイ達はまだ捕まっているのかよ」
ユシアがぬいぐるみを受け取っている間に、ルカは独り言のように言って、宿の方を振り向いた。じっと宿を見つめる姿が寂しそうに見える。
「ルイさん、早く来るといいですね」
「別に待ってない。どうせ、女将とかに捕まっているんだろ」
「そうだとしても、早く来て欲しいわね。荷物持ちが来ないと困るじゃない」
そうでしょう、と言ったユシアを見れば、両手で大きな熊のぬいぐるみと、熊より一回り小さな狐のぬいぐるみを抱えていた。近くで見ると、熊のぬいぐるみが大きい。
「それ持って、歩くの?」
「そのつもりだったけど、意外と邪魔よね。トシヤかトウゴが来たら、どっちかに持たせるのに。それより見て、やっぱり近くで見ると、この狐くんはトウゴに似ていない?」
ぐいっと突き出した狐のぬいぐるみの瞳が、言われてみればトウゴに似ている。
にこにこと笑っているユシアに、ルカが穏やかな笑みを浮かべる。
「熊の方は俺が持とうか?」
「大丈夫よ。でも、一度宿に置きに行ってもいいかしら?ついでにトシヤ達の部屋も覗いてみたいの」
駄目かしら、とユシアが首を傾げた。
亜莉香がルカの顔を横目で見れば、少し迷った顔をしている。ルイのことは気になっているのは明白で、ユシアの意見に亜莉香も同意した。
「それがいいな。私もトシヤさん達の部屋は気になっていたから」
「なら、一度宿に戻りましょう。そして、やっぱりルカには熊を持ってもらって、アリカちゃんには狐を持ってもらって――」
ユシアはぬいぐるみを亜莉香とルカに押し付けた。
両手が空いて、亜莉香とルカの真ん中に移動する。何だろう、と考えていた亜莉香の右腕にユシアは腕を回し、もう片方はルカの腕を掴んでいた。
「よし、これで帰りましょう」
「歩きにくい」
「楽しいでしょう?」
うふふ、と笑いながらユシアが歩き出したので、両脇の亜莉香とルカも歩き出すしかなかった。ルカは嫌がる素振りを見せるが、ユシアには敵わない。何だかんだ言って、ルカはユシアに弱いのだ。
最後には抵抗するのをやめて、諦めた。
「宿に着くまでだからな」
「えー、部屋までこのままでしょう?あ、部屋はトシヤ達のいる部屋ね」
「トシヤさん達、何をしているのでしょうか?」
不意に思ったことを言えば、うーん、とユシアが唸って言う。
「私には全く想像も出来ないわ。ルカは?」
「女将と娘二人のおもてなし」
「そう言えば、付き添いは二人いたのよね。ルカの友達のフミエさんの…姉?」
疑問形で、ユシアは言った。
はっきりとは顔を見なかったもう一人を思い出そうとするが、亜莉香の頭にもう一人の顔が出て来ない。ユシアの疑問に、ルカが答える。
「フミエの姉で、俺より一つ上。昔からあの家は、娘のどっちかを本家に嫁がせたがっていて。ルイ、もしくは長男か次男の嫁に、だとさ」
「ルイも大変ね。本家なんて、面倒な立場で」
「だろうな。女将的には一度破談になった次女より、長女と婚約をさせたい、とかルイに話しているのは見たことあるな」
うわー、と若干引いた亜莉香とユシアの声が重なった。
ルカは気にせず、あとは、と言葉を続ける。
「長男や次男より、ルイと年が近いから。婚約させたい、だったかな」
「長男と次男は何歳なのよ」
「ルイより五歳は離れていた気がする。興味がなくて覚えていないけど」
あっさりと言い、因みに、興味津々の笑みを浮かべてユシアは問う。
「ルカは、ルイとフミエさんの婚約について、何か思うところあったの」
「何か…?まあ、婚約破棄の原因が俺にあったら、やっぱり申し訳ないぐらいかな。あとは、あの姉よりフミエの方がいい」
それが聞きたかったわけじゃない、ととても小さくユシアが呟いた。
話を聞いていても、どうしても姉の方の顔が思い出せなくて、亜莉香は訊ねる。
「フミエさんのお姉さんは、どんな人ですか?」
「見た目は綺麗とか騒がれているけど、性格は最悪。頭は悪くて、仕事を人に押し付ける。いつも母様の傍で顔色伺っていて、女将のお気に入り」
馬鹿にするように言い、ルカは言葉を続ける。
「俺を毛嫌いするのはどうでもいいけど、フミエに対しても妹だと思っていない。それが、どうしても許せないんだよ」
俺の偏見かもしれないけれど、とルカは付け加えた。そこまでルカが嫌う人とは、仲良くなれる気がしない。それはユシアも同じようだったようで、きっぱりと言う。
「つまり、敵ね」
「ユシアさん、そんなにはっきり言わなくても」
だって、とユシアは不貞腐れた顔になる。
「私の家族を嫌う人を好きになれる?無理よ。私の家族の敵は、私の敵。それにアリカちゃんとルカは、私の大事な――友達だもの」
友達だもの、と呟いて顔を伏せたユシアの顔が、微かに赤い。
友達として大切に想ってくれる気持ちが、亜莉香には嬉しくて堪らない。嬉しさはルカにもあるようで、遠くを見つめたルカの顔の口角が僅かに上がっていた。
宿に着くまでは、三人ともぽつりぽつりと他愛のない話をした。
宿の門の到着した時、ルカが宿ではなく道の奥の林を見て立ち止まる。
「――母さん?」
「え…?」
「ルカ、何か言った――」
ユシアが言い終わる前に、ルカは持っていた熊のぬいぐるみを落として、一目散に林の中に駆け出した。驚く亜莉香とユシアが呼び止める暇はなく、ルカはまるで誰かを追うように走って林の中に消えた。
呆然としたユシアが、熊のぬいぐるみを拾う。
「何、どうしたの?」
「母さん、と言っていましたよね?」
「私は聞いていなかったけど…あれ、でもおかしいわよね。ルカの両親は亡くなったはずだし、こんな夜に林に向かって走るなんて」
話していて林を見たユシアが、違和感を覚えた。
違和感は亜莉香も同じで、昼間にルカとルイと話していたことを思い出す。
『時々なら、夜になると黒い奴ら現れるけどな』
『言い伝えはないけど、やっぱり注意はした方がいいよ』
『つまり、夜は林に近づかなければいいのですね』
そういうこと、とルカは言った。
夜に林に行かないように言っていたのに、林に向かうのはおかしい。駆け出した時のルカの瞳は驚きで、追いかけた誰かしか映っていなかった。
もうルカの姿が見えなくて、心の中に芽生えたのは不安と嫌な予感。
ユシアが心配そうな顔で、亜莉香を見た。
「ルカ、変だったわよね。普通じゃなかったわよね?」
「そう…だね」
頷いて、亜莉香はどうするべきか考えた。
考えるが、選択は一つしかない。
「私、ちょっと追いかけてみる」
「え…ちょっと、待って――」
「これ、お願い。ユシアさんは、トシヤさん達にこのことを伝えて!見つからなかったら、すぐに戻るから!」
ユシアの言葉を遮って狐のぬいぐるみを押し付け、亜莉香は引き止める声を無視して駆け出す。ルカがどっちに向かっていたのか分からないのに、無我夢中で足が動く。
ルグトリスが出るかもしれない。
本物の熊に襲われるかもしれない。
それ以上に、ルカを追いかけないといけない気持ちが大きかった。




