13-5
コンコン、と窓ガラスを叩く音がして、亜莉香は中庭を振り返った。
ガラス窓を挟んだ中庭に、にっこりと笑ったルイが立っている。コンコン、ともう一度叩き、ルカが立ち上がってガラス窓を開ける。
「おい、ここは女部屋」
「分かっているよ。僕がいても、問題ないでしょう?」
「問題ありだろ」
「ちょっと、どうやって中庭に入ったの?それにトシヤやトウゴは?」
不思議そうな顔のユシアが訊ねれば、ルイはにんまりと笑った。履いていた靴を脱いで、遠慮なく部屋に上がって亜莉香の隣に腰を下ろす。
「女将が娘を僕に嫁がせたいのか、ぐいぐい近づけて来たから。僕だけ逃げて来ちゃった」
「え…では、トシヤさんとトウゴさんは?」
「まだ女将達と部屋にいると思うよ」
多分ね、とルイは舌を出した。
面倒事を押し付けて逃げて来たルイの頭を、ルカが軽く叩く。
「それでこっちに来るな。来たのがばれたら、面倒だろうが」
「えー、ばれなきゃいいでしょう?誰か来れば僕には分かるから、その前に部屋を出るよ。こっちはフミエがいたでしょう?何か話した?」
いや、と否定したルカが、空いていたユシアの傍に座った。ユシアの傍にルカが行くのが珍しくて、ルイは首を傾げた。
「あれ?ルカの方からユシアさんの隣に行くのは、珍しいね」
「別にいいだろ」
「そうよ…それより、ルイ!ルカから話は聞いたわよ。何なの、貴方の親族は!」
突然始まったユシアのお怒りに、ルイは訳が分からないまま正座を正した。
「え、何。この短時間でルカは何を話したの?」
「最初から、色々」
「最初から、て…えっと…どこから?」
全く理解出来ないルイの視線を見ないように、腕を組んでいたルカはさっと顔を背けた。ユシアは怒りが冷めないようで、低い声で話し出す。
「ルカを疫病神呼ばわりして、熊に襲われた事故やルイの婚約破棄をルカのせいにするなんて、正気!?信じられないわ!!」
熊、と言う単語でぽかんとしたルイに、黒い熊、とルカが小さく言った。
何の話をしているのか納得した顔になったルイは、わざとらしく肩を落として見せる。
「その件なら、僕にはどうしようもないよ。親族が勝手に言っていることを、僕だって何度も訂正しようとしたけど、聞く耳を持たないもん」
「それでも、そのせいでルカが故郷で嫌な思いをするのは許せないの。夕飯だって、皆で一緒に食べたかったのに、七時に用意する話で済まされちゃったのよ」
「そうなの?」
驚いたルイが、亜莉香とルカにも確認する。微かに頷けば、やられた、とルイが呟いた。
「通りで、女将が部屋から出て行こうとしないわけだ。僕に娘を押し付けたいだけじゃなくて、ルカに接触させない気だったのか」
「フミエが、そんな雰囲気だった」
「相変わらず母親には逆らわないよね」
ぼそりと言ったルカに、ルイは冷ややかな声で言った。
ユシアの怒りは治まって、亜莉香は空になった湯呑にお茶を足そうと、静かに立ち上がる。亜莉香が立ち上がっても気が付かず、ユシアが遠慮がちに問う。
「ルイ、貴方はルカの味方よね?」
「当たり前だよ。ユシアさんは僕を疑っているの?」
「違うわ。ルイはルカの味方だって信じているけど。本人の口から聞きたかったのよ」
ユシアの気持ちを汲み取って、ルイは優しく微笑んだ。
「ユシアさん、ルカのお母さんにそっくり。ルカのお母さんもよく、僕の気持ちを聞く人だったな。ルカのいない場所で、ひっそりとだったけど」
「そうなのか?」
「そうだよ。知らなかったでしょう?」
楽しそうに笑うルイに、ルカが初めて知ったと呟いた。
ちょっとした昔話を始めたルカとルイの様子に、ユシアが安心した顔になり、亜莉香はルイにお茶を注いだ湯呑を差し出した。
小さな声でお礼を言ったルイはお茶を口に含み、一息ついてルカに笑いかけた。
「ルカ、随分二人に心を許したね。ちょっと想定外」
「ユシアが話せと五月蠅いから」
「私が無理やり聞き出したみたいに言わないでよ。アリカちゃんだって、同じでしょう?」
ルカの湯呑にお茶を注いでいた亜莉香の話になり、顔を上げる。
「私は…ユシアさんみたいにしつこくはなかったけど?」
「アリカちゃん、そこで裏切らないで!」
ユシアは両手で顔を隠して、自分の行いを反省するように蹲った。しつこく話しかけた自覚はあるようで、ユシアの行動にルカとルイがからかうように笑う。
「ユシア、最初に会った時からしつこかったよな」
「それ分かる。本当に、しつこく僕達に絡んで家に連れ帰ったよね」
「人見知りとか言いながら、怪我人には遠慮なく話しかけて」
「掠り傷なのに、大袈裟に騒いで」
「文句あるなら言いなさいよ!」
ぐわっと顔を上げたユシアは恥ずかしさで顔が真っ赤だった。
「そもそも、私の帰り道にルカとルイがいたのよ!怪我人を放って置けるわけないじゃない!話しかけるのにも、物凄い勇気が必要だったのよ!」
「いや、別に文句はないよ。ユシアさんに感謝をしている、と言う話」
「右に同じ」
「絶対にそんなこと、思っていないでしょう!」
叫んだユシアが立ち上がって、座っていた座布団を頭の上に掲げた。ルカとルイが座っていた場所を目掛けて、力一杯に座布団を振り下ろそうとする動作に、やばい、と瞬時に悟ったルカとルイが立ち上がり、部屋の中を駆け回る。
逃げてもユシアは追いかけて、走りながら叫ぶ。
「止まりなさい!」
「あはは、ユシアさんは面白いね」
「笑っている場合か、これは」
笑いながらルイは言い、ルカは軽々と走りながらユシアの顔を振り返った。
座布団を持ちながら、追いかけるユシアの顔は怒りと恥ずかしさで赤い。頬を膨らませて追いかけるユシアと、追いかけられるルカとルイを気にせずに、亜莉香はテーブルの上にあった人数分の湯呑にお茶を継ぎ足した。
自分の湯呑と手を付けていなかった和菓子を持って、中庭の近くの部屋の隅に移動する。走り続ける三人を見守れば、ユシアが早々に息を切らしている。おそらくすぐに終わるのだろう。
亜莉香は和菓子を口に運び、美味しい、と言って微笑んだ。




