13-4
フミエは亜莉香とユシアにもう一度深々と頭を下げると、そのまま部屋を出た。
フミエがいなくなって、ルカが深く息を吐く。
「やられた」
「何の話なのよ。私達にはさっぱり分からないわよ。ね、アリカちゃん」
ユシアに同意を求められて、亜莉香も頷く。
突然フミエの態度が変わったことも、ルカが怒った理由も分からない。唸りながらルカが真後ろに寝転がり、面倒くさそうな顔になる。
「説明しないと、駄目か?」
「当たり前でしょう?話してくれないと、何も分からないわよ」
「ルカさん、話してくれませんか?」
亜莉香とユシアに言われ、ルカは渋々起き上がる。どこから話すかな、とぬるくなったお茶に手を伸ばす。ユシアは頬を膨らまして、和菓子を食べながら言う。
「どこから、て。最初から話してよ」
「長くなるかもしれないけど、いいのか?」
出来るだけ平然を装って、質問をしたルカの手がほんの少しだけ震えているように、亜莉香の瞳には映った。ユシアは気が付かず、力強く頷く。
「いいわよ。どうせ今日はまだ長いわ。とことん話して頂戴」
最初から、とユシアが念を押せば、ルカが根負けした。
「俺の話の前に、ルイの話になるけど」
「ルイはリーヴル家の本家三男。それ以外の話かしら?」
「まあ、な。アリカには話したけど、ルイの家族もこの話には関わっているから、その話を先にしたい」
「いつも私だけ情報が遅れている気がするのだけど?」
「ユシアに話すと、五月蠅そうで」
面倒で、とルカは小さく付け加えた。頬を膨らませて両手で顔を包みながら話を聞いていたユシアから、ゆっくりと視線を外した。
「とりあえず、話を進めましょう」
ユシアが怒りだすと話が進まなくなりそうで、亜莉香は言った。
納得したユシアに、ルカは安心して肩の力を抜く。
「ルイには兄が二人と妹がいる。時期当主の生真面目長男、長男を支えている頭の悪い次男、この土地を守る巫女で、ノノが仕える妹であり長女のイオ」
「意外ね。あんなに自由気ままだから、一人っ子で両親に激愛されていたのかと」
「激愛は、おそらく合っていると思う。本家に生まれると、この土地の人間の皆に愛されるから。ルイは幼い頃から、自分勝手に温泉街で過ごしていた」
昔から、と一息ついて、ルカは続ける。
「本家には変な習わしがあって、生まれた子供が男なら、次の子供が生まれるまで女の格好をさせられる。女が生まれるまで何度でも、それは続いて、本来ならルイもイオが生まれるまでが、女の格好だった」
でも、とルカの視線が下がる。
「ルイの場合は、イオが生まれても女の格好が続いた」
「それは、どうして?」
「イオに巫女としての力がないと、先代の巫女が言ったんだ」
悲しそうに、ルカは言った。まだよく分からないのは亜莉香だけじゃなくて、ユシアも同じ。黙って話の続きを待てば、ルカがお茶を一口飲んだ。
「時々、巫女の力を持たない女の子が生まれる。本家の女だけが、この土地を守る巫女になれるのに、巫女の力がなければ意味がない。そういう時は、巫女が十歳になるまで、先に生まれていた子供が巫女の代わりをする」
「何よ…それ」
「本当に、変な習慣だよな。そのせいでルイはイオが生まれた後も女の格好を続けさせられて、巫女の代わりとして屋敷の奥で暮らすようになった。時々屋敷を抜け出しては、巫女に会いにやって来る男をからかうようになって、開き直って笑っていた」
表面上は、とルカがぼやいた。あまりにも小さかった声だけど、静かな部屋にルカの声は響いた。
「俺は十歳まで両親と旅に出ては帰って来る繰り返しで、一年の半分はこの土地を離れて、帰って来てはルイやフミエ、イオと遊んでいた。俺は俺で、女の格好をしていると連れ去られそうになったことがあって、小さい頃から男の格好で旅をしていたから、お互い性別とは逆の格好をしていたルイとは妙に気が合った。そうじゃなかったら、きっと関わりもしなかった」
遠い昔を懐かしむように、ルカは言った。それで、と間を置く。
「十歳の時に事故がなければ、今でも両親と一緒に旅をしていたと思う」
事故、と言ったルカの言葉が重い。もう平気だと言わんばかりに、ルカは振る舞う。
「十歳の時にさ、俺とルイ、それからどうしても一緒に行く、と言って聞かないイオの三人で、真夜中に林の奥に咲く珍しい花を探しに行った。その時、黒い――熊に襲われた」
黒い、で言葉を止めたルカが、亜莉香に目配せした。ほんの一瞬目が合い、微かに頷いたような仕草を見せた。
黒い熊、が亜莉香の頭の中で別の言葉に変換された。
ルグトリス。何度も襲われては、恐怖を感じた存在を思い出し、亜莉香は無意識に袴を握りしめ、軽く唇を噛みしめた。
仕方がないと言わんばかりに、ルカは天井を見上げる。
「黒い熊に襲われて、助けに来た母親は子供だった俺達を庇い、俺の父親は相討ち。林へ向かったルイとイオは怒られて、俺は両親を亡くして、その日から疫病神なんて呼ばれた。親族から嫌われて避けられるようになった」
「そんなの、おかしいでしょ。ルカのせいじゃ――」
「俺のせいで間違いない。俺が行く、なんて言わなければ誰も死ななかった。あの事故は起きなかった」
俺のせいだ、とユシアの言葉を遮って、ルカは繰り返した。自分を責め続けているルカは、見ているだけで痛々しい。
「事故が起こるまで、ルイはフミエの婚約者だった。事故の後に、その婚約が破棄されたから、それも俺のせいらしい。俺がルイをたぶらかした、とか親戚連中は言っていたな。俺がいると周りが不幸になるから、俺は先々代の巫女と一緒に、この土地の外れで過ごして、先々代の巫女が亡くなった直後、俺はルイとこの土地を離れた」
先々代の巫女が亡くなったのは、とルカは中庭に目を向ける。
「十歳になったイオに、命と同等の魔力を与えたからだ。今ではイオはその力を受け継いで、この土地を守っている。周りにとって俺は忌み嫌われる存在でも、本家のルイは違う。親戚連中はルイに戻って来て欲しくて、フミエは多分…母親である女将に、俺とルイを一緒に居させないように、命じられている」
そんなところ、とルカは残っていたお茶を飲み干した。
珍しく長く話して疲れた顔で、ぎこちなく笑う。大丈夫だと言いたげな笑みは亜莉香にも覚えがあって、知らず知らずのうちに涙が頬を伝って零れた。
泣き出した亜莉香に驚いて、ルカが慌てて声を上げる。
「おい、泣くな」
「す、すみません。何だか…止まらなくて」
あれ、と言いながら、亜莉香は袖で涙を拭う。止まらない涙に奥歯を噛みしめて視線を下げれば、ルカはテーブルを回って、持っていた手ぬぐいを差し出した。
「これ、使えよ」
「あり、がとうござい、ます…」
お礼を言って受け取って、それでも泣き続ける亜莉香の背中を、ルカが優しく撫でる。
「アリカが泣くような話じゃないだろ?」
「だって、ルカさんが泣かないから」
「十歳の時に、泣かないと誓った」
誓った、と決意の揺るがないルカの声に、ますます涙が滲む。
泣き止まない亜莉香にルカが困った顔を向け、助けを求めるようにユシアを見た。必死に涙を止めようとしながら、亜莉香もユシアに目を向ける。
ユシアの身体は、微かに震えていた。
亜莉香と同じように視線を下げて泣いているようには見えず、何かを耐えるように両手をぎゅっと握りしめていた。突然、冷めたお茶を一気に飲み干して立ち上がる。
「――信じられない!」
「お、おぉ…?」
「ユシアさん?」
「何もかも信じられないわよ!!」
部屋の中に声が響き、あまりに大きな声で叫んだユシアに亜莉香とルカは驚いた。勢いよくルカを見たユシアの表情は、怒っているように見えなくもない。
ユシアの勢いに押され、ルカが言う。
「いや…最初から話せと言われたから、話をしただけで」
「違うわよ!!!」
段々と小さくなったルカの言葉に、ユシアは即座に返した。
「ルカの親戚が信じられないの!何よ、熊が現れたのがルカのせい?ルイの婚約破棄もルカのせい?そんなわけないじゃない!!!」
ユシアの声で、部屋が揺れた気がする。叫んだユシアの息が上がり、すとんと腰を下ろしたユシアは戸惑うルカを見た。真っ直ぐに、目を逸らさずに話し出す。
「子供だったルカが熊を呼んだわけじゃない。ルイの婚約だって、婚約破棄は本人達の意思で行うものだから、ルカのせいじゃない。何でもかんでも責任を感じて、背負い込んで、自分のせいにするのはやめなさい」
まるで子供を叱る母親のように、ユシアは言いながら落ち着きを取り戻す。
「ルカのせいじゃないわ。絶対に違う。ルカは疫病神じゃない。これまで幾度となく言われてきたとしても、これからは何度だって私はそれを否定する。アリカちゃんだって、そうでしょう?」
同意を求められた亜莉香の涙はいつの間にか止まっていて、瞬きを繰り返してから、ルカの顔を盗み見た。亜莉香の方が泣いていたはずなのに、いつの間にか立場が変わって、ルカの方が泣きそうだ。
勿論、と亜莉香は微笑んだ。
「そんなこと、当たり前じゃないですか。ルカさんは意外と心配性で、普段は口数が少ないけど、優しい人だってこと。私は知っています」
「ほら、アリカちゃんもこう言っている。うちの疫病神なら、ルカよりトウゴよね。今頃、もう一つの部屋で厄災を振り撒いてはいないかしら?」
「どんな厄災を?」
質問を質問で返せば、ユシアは腕を組んで考える。
「もう一人いた付き添いの女性を口説く」
「それは…日常茶飯事だよね?」
「あの馬鹿、女だったら誰でも声をかけるわよね。見境がないから嫌になる。そのうち誰かに後ろから刺されても、文句言えないわ」
あり得そうで、何とも言えなくなる。亜莉香の隣で忍び笑いが聞こえた。振り向けば、ルカが口元を隠して呟く。
「阿保らしい」
「もう、本当のことでしょう?トウゴなら、女じゃなくて男に刺される可能性もあったわね。恋人の横取り、なんてこともあり得るわ」
「ユシアの想像力が、面白い」
面白い、と言ったルカに、ユシアは頬を膨らませた。
「何よ。笑わなくてもいいじゃない。言っておくけどね、ルイだって今日みたいに男をからかっていたら、そのうち痛い目に遭うわよ。ルカが止めなきゃ」
「俺には無理だ」
「無理じゃないわよ。ルカ以外に、誰がルイを止めるのよ」
分かってないわ、とユシアは一人で首を縦に振った。
ユシアの話は時々、急な方向転換をしてとんでもない話に着地する。訳の分からなくなった亜莉香とルカが目を合わせ、お互い自然と笑みが零れる。亜莉香は笑い出し、ルカが心底楽しそうな笑い声を上げた。
その笑い声に、ユシアの声も混ざったのはそれからすぐだった。




