12-4
「――怒っているに決まっているでしょう!!!」
温泉街の入口で、ユシアの怒声が響いた。
近くの木々に止まっていた鳥達が羽ばたき、温泉街の入口にいた観光客や商人の視線を集めたのは、仁王立ちになったユシアと、その前で自主的に正座したルカとルイ。
荷台の後ろで始まった説教に、荷物を降ろす手伝いをしていた亜莉香は驚き後ろを振り返る。荷台の上にいたトシヤは呆れ顔になり、トウゴは笑いを堪えながら三人を見守る。
腕を組み、ユシアがルカとルイを見下ろす。
「いつも自分勝手に行動して。私を置いて行って。ちょっと忘れていた、じゃないわよ。こっちは心配もしたし、すぐ合流出来ると思ったのに!」
「その…ごめんね」
「悪かった…」
「心がこもってない!!!」
すみません、とルカとルイが頭を下げた。二人に対して、ユシアの怒りがおさまる気配はない。どうしよう、と亜莉香が呟くと、トシヤは肩を落とす。
「あれは暫く放って置け。どうせ、そのうち冷めるから」
「え…でも…」
「そうそう。ユシアが怒っているのはルカとルイに対してだから、アリカちゃんはもう謝ったわけだし。これ以上は気にしない方がいいよ。はい、これも降ろしてー」
「…はい」
トウゴに渡された風呂敷を受け取りつつ、亜莉香は先程までのユシアの様子を振り返る。
温泉街の手前の村で合流した時は、乗り物酔いのせいで具合が悪かった。そのまま温泉街の入口に到着して、荷台から降りて亜莉香が謝った時は、まだ怒っていなかった。
ユシアの怒りが増幅して頂点に達したのは、その後。
ルカとルイのどちらかが、もしくは二人とも余計な一言を言ったに違いない。
運が尽きたと言わんばかりの顔でルカとルイは顔を上げず、ユシアの小言が始まった。日常の不満を言い始めたユシアを眼中に入れず、トシヤが平然と言う。
「今日の宿、場所はどこだっけ?」
「温泉街の一番奥、と聞いていますが」
「荷物あるし、人力車にでも乗る?ここから一番奥の宿まで結構距離ある、と聞いたことがあるよ」
「トウゴがユシアと乗るなら、俺は別に構わないけどな」
「えー、俺はアリカちゃんと二人なら喜んで乗るけど。今の状態の暴力女の隣はなー」
聞こえていないだろうと高を括っていたトウゴの言葉で、ユシアの小言が止まった。地面に荷物を降ろす亜莉香は後ろの視線が気になって振り返られず、トシヤは目の片隅で、ユシアがゆっくりと振り返るのを見た。
トウゴだけがユシアの異変に気付かず、笑う。
「ほら、人力車は二人乗りでしょう?可愛い女の子と乗りたいわけで、アリカちゃん以外いないわけ。アリカちゃん一緒にどう?」
「いえ…私はちょっと…」
「トウゴ、お前死んだな」
「え、何で――?」
呑気に笑ったトウゴの瞳に、にっこりと笑ったユシアが映った。
ルカとルイは気付かれないように安堵の息を零し、瞳だけが笑っていないユシアがトウゴを見る。ユシアの怒りの矛先が変わり、冷ややかな声で名前を呼んだ。
「トウゴ、ちょっと来なさいよ」
「俺は何も言っていません」
「そう…でも私は聞こえたのよね」
来い、と言われたトウゴは、大人しく従いルイの隣に正座した。
トウゴまで加わり目立つ四人に、亜莉香とトシヤは同時にため息を零す。
「トウゴさん、自ら渦中に飛び込みましたね」
「馬鹿だな、あいつは」
トシヤは呟き、荷車に積んでいた最後の荷物を亜莉香に手渡す。
手渡されたのは、亜莉香のお泊り用の風呂敷。トシヤは荷車の中を確認してから降りると、わざとらしく荷台の方を向き、腕を組んだ。ユシア達に背を向けて、小さな声で言う。
「まだ、終わるまで時間掛かるよな?」
「おそらく」
「このままでいたら、いつ宿に着けるんだろうな」
遠くを見つめるトシヤが言い、亜莉香も考えた。
これからどうするべきなのか。考えるが、名案は思い浮かばない。立ち尽くしていると、一部始終を見ていたヨリトが遠慮がちに顔を覗かせた。
「あの。そろそろ、帰ってもいいですか?」
「あ、悪い。引き止めて。助かったよ」
「ありがとうございました」
お礼を言えば、亜莉香と目が合ったヨリトは少しだけ顔を赤くなった。亜莉香には目を向けようとはせず、ヨリトは訊ねる。
「あの、帰りは大丈夫と聞いていますが。本当に大丈夫ですか?」
「多分な。ルイが手配してあるはずだから、問題ない。問題なのは、別のこと」
別のこと、と言うのが何なのか、ヨリトはすぐさま悟り、亜莉香とトシヤの後ろに視線を向けた。ユシアの怒りに、ヨリトの顔が若干引きつる。
「いつもあんな感じですか?」
「いつもあんな感じだ」
「その…ご愁傷さまです」
軽く頭を下げて言ったヨリトに、亜莉香とトシヤは顔を合わせて苦笑した。
ヨリトはロバの元に戻り、すぐにその場を離れた。長々と引き止めてしまったことを心の中で謝り、亜莉香とトシヤは、向き合いたくない四人を振り返った。
さて、とトシヤが言う。
「どうする?」
「このままだと、夕方まで続きそうですよね」
埒があきませんね、と亜莉香は付け加えた。
ユシア達を見守っているのは亜莉香やトシヤだけじゃない。いつの間にか観衆を呼び、騒動の行方を見守る人々が増えて来た。これ以上増える前に、と周りを見渡すと、一人の少女が目に付いた。
とても冷たい瞳でルカとルイを見つめ、軽蔑するような視線を向ける少女。
鮮やかな赤みを帯びた黄色の、山吹色の髪を、漆黒の簪でまとめた少女は、地味な紅葉柄の赤い着物に、渋い黄色の袴。腰には日本刀を身に付け、容姿は綺麗で目を引く。唇を噛みしめて、今にも誰かに噛みつきそうな雰囲気があった。
少女が気になって、亜莉香はトシヤの着物の袖を引っ張った。
「トシヤさん、あの方がさっきから見ていますが…見覚えはありますか?」
「ん、どれ?」
あの人です、と亜莉香は少女を見た。トシヤも少女に気が付き、眉間に皺を寄せる。
「誰だ?ルカとルイを睨んでいるように見えるけど、それにしても敵意剥き出しの奴だな」
「どうします?こちらから声をかけてみましょうか?」
そうだな、とトシヤが言い終わる前に、少女は深く息を吐き、ユシア達に近づいた。
「大体貴方達はいつも、いっつも――」
「あの、大変申し訳ないのですが」
「――はい?」
突然話しかけられ、ユシアは怪訝そうな眼差しを向けた。
頭を下げていた三人が顔を上げる。ルカは心底嫌そうな顔で、ルイは意外そうな顔で、トウゴは興味津々な顔で、話に割って入った少女を見た。
誰だろう、と亜莉香は成り行きを見守る。
怒っていたユシアにひるむことなく、少女は表情を消して言う。
「一部始終を見ていましたが、確かに非はあちらにあります。ですが、そろそろ人目を気にして、怒りを鎮めていただけませんか?」
「…えっと、どちら様かしら?」
「そこにいる馬鹿二人組の、知り合いです」
馬鹿、と言って、冷ややかな視線がルカとルイに向けられた。
ルカとルイは気にせず、少女に話しかける。
「久しぶりに会ったのに、馬鹿呼ばわりは酷くない?」
「昔は俺ら以上に馬鹿やって、怒られていたのに」
はあ、と同時にため息をつかれて、少女の眉間に皺が寄った。背筋を伸ばし、凛とした少女が、腰に身に付けていた日本刀に手を伸ばし、左足を一歩下げる。
「こんな道端で正座をさせられている、一族の恥を晒す人間に言われたくありません。今この場で、貴方達を斬ってもいいのですよ」
「そんな実力がないくせに、よく言うよ」
「正座するのにも、疲れたな」
「ユシアさん、そろそろいいよね?」
話についていけなくなってユシアは、ルイの質問に曖昧に頷いた。
ユシアの承諾を得てからルカとルイは立ち上がり、大きく腕を伸ばしたり、膝を曲げたりする。その途中で、さりげなく立ち上がったトウゴは、状況の分からないユシアを引き連れて、亜莉香とトシヤの元にやって来た。
「トシヤ、あれ誰?」
「ルイとルカの、知り合いかしら?」
「俺が知るかよ。それより、さっきまでより一層物騒になっているぞ」
トシヤの言葉で、目を離していたユシアとトウゴが振り返る。
亜莉香が見ていると、少女はユシアとトウゴがいなくなるなり、すぐに日本刀を鞘から抜いた。剣先をルカとルイに向けるが、二人は立っているだけだ。
少女の存在を無視して、ルイは楽しそう。
「ルカ、誰かに帰ること言った?」
「誰に、だよ」
「そうだよね。彼女、僕達が帰って来ることを誰に聞いたのかな?」
「そんなの一人しかいないだろ」
「あ、そっか。そりゃあそうだよね。一族の恥を晒すな、なんて言うなら、さっさと止めれば良かったのに」
あはは、と笑ったルイに、少女が日本刀を握る力が強くなった。仕方がないだろ、と眉間に皺を寄せ、腕を組んで立つルカが淡々と言う。
「こいつの場合、行動がいつも遅い」
「考えてから行動しています、とか言って。遅すぎたら意味ないのにね」
「それだよな」
呆れた声で話すルカとルイに、少女の身体は怒りに震えていた。
「黙って話を聞いていれば…好き勝手に言って、今日こそ目に物みせてやります!!」
「そんなこと言って、毎回負けるのに」
「懲りないな。どっちが行く?」
「ルカ、どうぞ」
三分以内ね、と言ってルイが一歩下がれば、ルカは一歩前に出た。
怒られていたはずの少年少女が、いつの間にか一対一の戦いを始めようとしている。観衆は減ることなくむしろ増えて、収拾がつかない事態。
「これ、どうなるのでしょうか?」
「ルカが武器を出さないから、そのまま戦うんじゃないか?俺から見ても、あんまり強そうに見えないし」
弱そう、と言ったトシヤの言葉は、ルイと少女に聞こえていた。勢いよく振り返った少女はトシヤを睨みつけ、ルイは面白いことを思い付いたと言わんばかりの顔になる。
ルイがにっこりと笑い、ほんの一瞬の目配せをした。
その視線が気になって、亜莉香は言う。
「今、ルイさんがこちらを見ましたね」
「嫌な予感がした」
「それよりこれ、どうなるのよ。私達温泉旅行に来たはずなのに」
「終わるまで、何も出来ないでしょ。楽しもうぜ」
笑ったトウゴを、ユシアは睨んで黙らせる。
ユシアは心配そうにルカとルイを見守るが、止める勇気はない。亜莉香はあまりにもルカが余裕を醸し出しているので、じっと目の前の三人を見つめた。
始め、とルイが言う。
声と共に駆け出したのは少女で、勢いよく振りかざした日本刀でルカを狙う。
「覚悟!」
「遅い」
小さな声でルカが言い、急接近した少女の日本刀を難なく避けた。そのまま足を払えば、少女は体勢を崩して、頭から地面に激突する。大きな音を立てて無様に倒された少女に、一瞬辺りは静まり返る。
「相変わらず弱い」
「――っ五月蠅い!」
がばっと起き上がった少女が、涙目でルカを振り返った。地面に座りこみ、上目づかいでルカを睨みつける少女に、ルカは深く息を吐いた。
あからさまな力の差に、誰もかける言葉がない。
ルイはルカの後ろから顔を覗かせ、嘲笑いながら言う。
「相変わらず、猪突猛進だよね。変わっていなくて安心するよ。まだ続ける?」
「っそ、それは――」
「やめてやれよ。一回で暫く懲りるだろ」
呆れたルカの声で、うぐぐ、と少女は唸った。
あのね、とルイはルカの前に出て、少女の目の前にしゃがみ込む。
「そんなに僕達を倒したいのなら、まずは僕達の弟子を倒してよ」
「弟子、ですか?」
不思議そうな顔で少女が顔を上げ、ルイはにっこりと笑う。
「うん、弟子。あそこにいる黒髪の子が、僕達の一番弟子」
一番弟子、と言って、ルイは迷わず亜莉香を指差した。
何故かトシヤとユシア、トウゴまで驚いた顔になり、亜莉香を見る。ルイの言っている意味を考えるが、どう考えても弟子になった覚えはない。
じっと見つめる少女の瞳が力強くて、亜莉香は一歩引き下がる。
「私、弟子じゃないですよ?」
力なく言った言葉は、少女に届いた気がしない。少女の日本刀を握る力が強くなって、今にも走り出しそうな雰囲気を醸し出す。
誰が見ても、亜莉香が戦えるようには見えないはずだ。
どちらかと言えば、日本刀を常に身に付けているトシヤの方が戦えそうなのに、少女は真っ直ぐに亜莉香だけを見ていた。
少女が今にも襲いかかって来る気がして、怖い。
背を向けたら危険な気がして、もう一歩引き下がる。
亜莉香の嫌な予感は当たり、少女は突然駆け出して日本刀を振り上げた。
「――弟子、覚悟!」
「違いますから!」
叫びながら咄嗟にしゃがむことしか出来なかった亜莉香は、頭を抱えて目を閉じた。少女の日本刀が迫ったはずだけれど、誰かが亜莉香の前に立つ。
鳴り響いた金属音に、ゆっくりと瞳を開けた。
「…トシヤ、さん?」
「アリカ、大丈夫か?」
難なく日本刀を受け止めたのはトシヤで、亜莉香は安心して座りこんだ。
トシヤによって攻撃を塞がれた少女は悔しそうで、トシヤは少女の日本刀を弾くと、素早く少女の手首を捻り上げた。日本刀は地面に落ち、少女は地面に崩れ落ちる。
戦う気力を失くした少女を、トシヤはすぐに手放した。
ユシアは亜莉香に駆け寄り、背中を擦る。トウゴは日本刀を鞘に戻したトシヤの肩に手を回し、嬉しそうな顔をした。
「凄いな、トシヤ。お前強いな!」
「普通だろ。ルイ、お前は亜莉香を巻き込むな」
「えー、だって。アリカさんのことはトシヤくんが絶対に守るでしょう?ちゃんと、目配せしたよね」
悪気なく、ルイは亜莉香達の元へやって来て言った。ルカはユシア同様に、亜莉香の隣に腰を下ろす。無事を問われ、亜莉香はぎこちなくも微笑んだ。
「少し、寿命が縮みました」
「これくらいで寿命を縮めるなよ」
「ちょっと、アリカちゃんをルカと一緒にしないでよ」
ため息を零したユシアが言い、亜莉香は苦笑した。ルカは一瞬きょとんとした顔になり、不思議そうに言う。
「一緒だろ」
「一緒じゃないの。私やアリカちゃんは、貴女達みたいに神経図太くないの。日常生活で戦うことなんてないからね」
「まあ、まあ。二人ともそれぐらいで」
仲裁に入ったルイの言葉に、お前が言うな、と言う声が重なった。
ユシアとルカに睨まれて、ルイはお手上げだと言わんばかりに肩を竦める。トシヤは呆れ、トウゴは笑っていた。囲まれた亜莉香は騒がしくなった面々を見回し、後ろで呆然と立ち尽くす少女に目を向ける。
少女のことなど、誰も眼中になかった。




