12-3
温泉街まで、三時間。
その予定だったのに、何故か温泉街の手前の小さな村に亜莉香はいた。
テーブルを挟んで目の前のルカは甘い黄身餡の饅頭を頬張り、ルイは湯のみに入った抹茶を飲んで深く息を吐く。亜莉香は二人を見比べ、遠慮がちに口を開く。
「あの、私達どれくらい予定より早く進みました?」
「うーん、一時間くらい?」
「そんなに心配しなくても、待っていれば来るだろ」
「そう、ですよね」
言いつつも、両手で持った湯呑の中、抹茶に映っている自分の顔を見ながら考える。
ルイの挑発に乗り、ルカが馬を走らせて始まったはずの追いかけっこは、途中から目的が変わっていた。どこまで早く走れるか、と走り出せば、温泉街まで道のりなどあっという間。亜莉香は楽しくなって、ルカの応援までしていたぐらいだ。
気が付けば、三人とも荷台に乗ってやって来るトシヤ達の存在など忘れていたのだ。
亜莉香がそのことに気が付かなければ、そのまま温泉街に到着していただろう。
引き返すのは面倒だ、と小さな村に立ち寄ることになり、その村に一件しかないお食事処で、亜莉香達は休憩をしている現状。店の中には、客が一人もいない。店員も奥にいて、出てくる気配はない。
置いて来た三人が心配で、亜莉香はため息を零した。
「ユシアさん、絶対に怒っていますよ」
「あー、それはあり得るね。なんて言い訳しよう」
「馬が勝手に走った」
「いや、最初を見られているから、その言い訳は通用しないよ。僕達…僕とルカが馬を走らせたのは、トシヤくんがしっかり見ていたもん」
どうしようねえ、とルイは抹茶を飲む。
ルカは饅頭を食べる手を止め、首を傾げる。
「馬で走るのが楽しかったから?」
「うん、それはルカの気持ちね。言い訳にはならないからね」
「馬って、あんなに早く走れるのですね。驚きました」
素直な感想を述べ、抹茶が冷めないうちに口に含むと、亜莉香は少し苦い味に顔をしかめた。ルカが黙って残っていた饅頭を差し出す。
饅頭を受け取り食べると、苦さは中和され、今度は甘くて優しい味が口の中に広がった。もぐもぐと食べ始めた亜莉香に残っていた饅頭二つを渡したルカは、抹茶を一気に飲んで肩の力を抜いた。
「美味かった」
「そうだね。ルカ、何個お饅頭食べたの?僕の分がない」
「ルイは甘いものそこまで好きじゃないだろ」
「そうだけど、食べるかどうか聞いてくれてもいいんじゃない?」
饅頭の話を目の前でされて、亜莉香は残っていた一つを、ルイに差し出した。そっと差し出された饅頭を、ルイは亜莉香に戻す。
「僕はいいよ。甘いもの、あまり食べないんだ」
「知っている」
「なんで、ルカが答えるの?」
亜莉香が黙っていると、ルイの言葉にルカが答えることの繰り返し。家にいる時よりよく話すルカとルイに、何だか嬉しくなった。
「三人でこんな風に過ごすなんて、思いもしませんでしたね」
「誰かさんが走り出すから」
「僕のせい?僕はすぐに止まるつもりだったよ。そりゃあ、久しぶりの里帰りで、気持ちは高ぶっていたかもしれないけど」
「里帰り?」
「そうだよ。温泉街に着いてから話そうと思っていたけど、どうせ時間があるから、この場で説明するね」
お願いします、と言って亜莉香は持っていた湯呑をテーブルの上に置いた。
姿勢を正した亜莉香に、ルイは軽く笑って言う。
「たいした話じゃないよ。言いふらすような話じゃなかったから、言わなかった話」
どこから話そうか、とルイがルカを見る。
「好きなところから話せよ」
「そう言われると、困るけど」
そうだなあ、と言って、ルイは亜莉香に微笑んだ。
「温泉街にはね、ある一族がいる。フラム・リーヴル家。温泉街の土地を治める長にして、精霊と関わり、土地を護り、遠い昔の領主の血を引く一族」
「領主の、血?」
「遠い昔の話だからな」
ルカは呆れるように言った。ルイは話を続ける。
「遠い昔だけど、それがすごく大切なこと。領主の血を持つ人は、魔力が強くて、精霊と話すことが出来た。それがフラム・リーヴル家にも言える。精霊と話せて土地を護ってくれる巫女が生まれる、ということで、温泉街の人々はその一族を敬う。その敬われる一族が、僕とルカの一族ね」
驚く亜莉香が口を挟む隙はなく、ルイは声を潜めた。
「アリカさんには言うけど。僕達の一族の役目の一つに、秘密裏に温泉街の近くの林に現れる黒い存在を倒すことがある。アリカさんも夜遅くは、注意してね」
「…分かりました」
「脅かすなよ、ルイ。宿に泊まれば林に行くことはないだろ」
ルカに言われて、それもそうか、とルイは笑った。
「でもさ、アリカさんとトシヤくんはよく遭遇するから。注意をしておかないと、あいつらがうじゃうじゃやって来そうで」
「うじゃうじゃですか?」
言いながら、想像してみる。
今までは裏路地で襲われても、一人が襲って来るだけだった。それが何人もいて襲われたら、きっと足が竦んで動けなくなってしまう。
怖がり視線を下げた亜莉香に、ルイが言う。
「夜な夜な林の中には黒い影が行き交い、人を襲うと言うのが代々伝わる言い伝えで――」
「そんな言い伝え、聞いたことない」
「ルカ、正直に言わないでよ」
ルイが頬を膨らませ、ルカは訳が分からず首を傾げた。有り得そうな冗談を信じそうになって、亜莉香は安堵の息を零す。
「冗談でしたか」
「時々なら、夜になると現れるけどな」
「うん、それは本当。言い伝えはないけど、やっぱり注意はした方がいいよ」
どこからが冗談だったのか、亜莉香は頭の中で整理する。
「つまり、夜は林に近づかなければいいのですね」
「そういうこと。自分から林に向かう馬鹿は酔っ払いぐらいだけどな」
「いたね、そういう人。酔っぱらって林の中で転んで、襲われていたっけ?熊だと思って、全速力で逃げる様は見ていて素晴らしかったね」
そうだな、とルカが腕を組んで頷く。
どこが素晴らしいのか分からないが、ルカとルイからしたら素晴らしかったに違いない。ルイの話を聞いて、亜莉香は疑問をぶつける。
「ルカさんとルイさんが、その一族でルグトリスのことを知っていて。温泉街を守っていたのなら、何故家を出たのですか?」
それは、とルイは言葉に詰まり、ルカを見た。
目が合ったルカは少し考えて、素っ気なく言う。
「探し物」
「探し物?」
繰り返した言葉に、ルカは真っ直ぐに亜莉香の瞳を見た。
「俺が、どうしても見つけたいものがあった。それを探しに家を出る時、ルイが無理やりついてきたんだ」
「だって、ルカ一人じゃ不安でしょう?人付き合い苦手で」
図星を言われて、ルカがルイを睨んだ。探し物、と言った時点で、ルカがそれ以上の情報を教える気はない。亜莉香は確認を込めて尋ねる。
「その探し物は、まだ見つかっていないのですか?」
「まあな」
ルイを睨んでいたルカは、亜莉香に視線を戻した。
「でも、絶対に見つける。そのために俺はあの場所を出た」
「街に行ったのは、情報集めのためだもんね。まだ何も、見つかってないけど」
軽く事実を言ったルイに、五月蠅い、と言ったルカはむくれた顔になった。
亜莉香は微笑みつつ、以前ルカとルイの話を盗み聞きした時のことを思い出す。
緋の護人の手がかりはない、と言っていた。
おそらく探しているのは、その緋の護人のこと。その時の話で気になった瑠璃唐草の紋章や、亜莉香の封じられている魔力。護人自身のことはこの場で聞けない。聞けば盗み聞きしたことがばれるので、口を閉ざして、残っていた抹茶を飲んだ。
何を探しているのか分かりませんが、と一言断って、亜莉香は顔を上げる。
「手伝えることがあったら、言って下さい。微力ながら、お手伝いしますので」
亜莉香の言葉に、ルカとルイは顔を見合わせる。ありがとう、と照れ臭そうに二人が言ったのは、同じタイミングだった。




