12-1
温泉旅行の話が出て、早一週間。
当日は街の東。裏門から温泉街に行くことになり、正午に各自裏門集合、という話でまとまったのは昨日のこと。当日まで、ユシアとトウゴは温泉が楽しみすぎて盛り上がっていた。
何を買おう、何をしよう、どこに行こう、と騒ぎ出せば、温泉街に詳しいルイが話に加わる。最初は温泉旅行に乗り気じゃなかったのはトシヤとルカ。トシヤは途中から半場呆れて話に加わるようになり、ルカに至ってはルイに何か言われ、嫌々参加することとなった。
何を言われたのかは、言われた本人と言った本人しか知らない。
ルイ曰く、温泉街と言うだけあって、湯畑があり、温泉まんじゅうなどのお土産を売る店がある。温泉以外に、近くの山で乗馬や登山も出来るらしいが、一泊二日、それも正午に街を出て温泉街に行くので、あまり時間がない。温泉街の中だけで満喫する計画になった。
実質丸一日の旅行のために、亜莉香は仕事を休んだユシアと共に裏門に向かった。
トシヤとトウゴは午前中に仕事をしてから合流で、ルカとルイは温泉街までの移動の準備と言って、朝早く家を出た。亜莉香は泊まるために必要な荷物を風呂敷一つにまとめ、楽しそうに隣を歩くユシアを見た。ユシアが亜莉香の視線に気付く。
「どうかした?」
「何でもないけど…なんか、実感がなくて」
「そう?私は凄く楽しみよ」
うふふ、とユシアは笑った。
亜莉香より大きな風呂敷を軽々と持ち、振り回しながら歩く。裏路地には人が少ないから邪魔にはならないが、全身で楽しみを表現している。
楽しみか、と呟いて、亜莉香は両手でぎゅっと風呂敷を握った。
とんとん拍子に話が進み過ぎて、やっぱり実感が湧かない。誰かと旅行に行く、なんて慣れていないことで緊張しているのかもしれない。
大人しい亜莉香が気になって、ユシアは亜莉香の顔を覗き込んだ。
「アリカちゃん、大丈夫?気分が乗らない?」
「そんなことない、けど。なんて言えばいいのかな。友達と旅行に行くのは初めてだし、知らない土地に行くから緊張して」
ゆっくりと、亜莉香は言った。
ユシアの前では敬語で話さないように努力を始めて、ようやく慣れてきた。他の人がいると敬語を使ってしまう時もあるが、少しの敬語ならユシアは気にしない。
そっか、とユシアは優しい笑みを浮かべた。
「私も友達と旅行は初めてよ。いつも診療所で先生といる時間が長くて、遊ぶ時間なんてないもの。私達…私とトシヤとトウゴは、先生に拾われてから一度も街を出ていないの」
「そうなの?」
「うん。何故かしらね。誰も街を出て行かない。いつも減らず口叩いて、喧嘩して。先生に怒られても、家の中にいると安心するのよね。多分、トシヤもトウゴも同じ気持ち」
変な話、とユシアは晴れ渡る空を見上げる。
「誰一人血が繋がっていないのに、あの家で私達は育てられて、知らず知らずのうちに家族になっていたの。あいつらには言わないけど、先生は私のとって偉大な父であり、トシヤとトウゴは私の大事な兄なのよ」
嘘偽りのない言葉を言い、ユシアは微笑んだ。まあでも、と口調が変わる。
「家にあの二人を置いておくのは、本当に心配なのよね。トシヤの苦労が増えるだけだし、トウゴは私がいない間に女を連れ込まないか心配で」
「トウゴさんは、毎回違う女性と歩いているよね?」
市場で時々見かけるトウゴの姿を思い出した。
一人でいる時は少なく、いつも女性と歩いている。亜莉香一人の時は軽い挨拶だけで済むが、トシヤがいるとトウゴが女性を置いて、無視しようとするトシヤに駆け寄る。
傍から見ると、トシヤと一緒にいる時が一番嬉しそうな顔。
そうなのよね、とユシアが呆れるように言った。
「トシヤとトウゴのどちらが先に結婚して、さっさと家を出て行くかと思っていたのに。どっちもその気配がないの。そろそろいなくなってくれてもいいのに」
「いなくなったら、それはそれで寂しいと思うけど?」
「前はそうだったかもしれないけど、今はアリカちゃんがいるもの。ルカとルイもいるし、寂しくないわ」
楽しそうにユシアが一歩先を歩いたかと思うと、振り返って笑った。
「まあ、当分先の話よね。トシヤとトウゴに恋人が出来た時点で、私がしっかり見定めるつもりだから」
「そんなこと言って、ユシアさんの方が先に恋人が出来たりして」
冗談交じりに亜莉香が言えば、ユシアは頭を横に振った。
「そんなことあるわけないじゃない。私の恋人になる人は、身長高くて、優しくて。美味しい料理が作れて、頭も良くて。いつも笑顔を浮かべているような、とっても素敵な人じゃないと。アリカちゃんは、どんな人がいい?」
「特には理想ないけど、私を好きになってくれた人なら。嬉しいかな?」
段々と話していて恥ずかしくなり、亜莉香の顔は少し赤くなった。ぱたぱたと右手で顔を仰ぎながら歩く亜莉香に、ユシアはにやにやと笑う。
「アリカちゃん、好きな人いないの?」
「いない、よ?」
「その間が怪しい!旅行の間に聞き出してやる!」
やめて、と真っ赤になって叫ぶ亜莉香に、ユシアは声を上げて笑った。
恋愛話は暫く続いた。裏門に辿り着いた時には、亜莉香の顔は真っ赤に染まった。ユシアが笑いながら謝っていたが、他の四人が揃うまで頬を膨らませ続けた。
裏門は、市場とは違う賑わいがあった。
大きな門の真下を通って行き交うのは、たくさんの荷車。大きな荷物、野菜や果物、工芸品や藁などを乗せた荷車が街に入ったり、出て行ったりする場所。
最初に裏門に到着したのが、亜莉香とユシアだった。
門の近くの道の端にいると、その次にやって来たのがトシヤと、トシヤに引っ張られるようにして現れたトウゴ。最後にやって来たのが、ルカとルイ。
馬を引き連れてやって来たルカとルイに、ユシアは叫び声を上げた。
「なんで馬!?」
「僕とルカは馬で行こうと思って。別にいいでしょう?アリカさんには話してあるよね?」
なんてことなく言ったルイに、亜莉香は頷いた。
温泉街に着くまでは、三時間程度。
最初の予定では、温泉に行くのは亜莉香とユシアの二人で、モモエとワタルの知り合いの荷車に乗せてもらうことになっていた。けれども人数が増え、全員は乗れないので、ルカとルイは別の方法で行く、と。
別の方法、について亜莉香以外は話を聞いてなかったに違いない。
トシヤとトウゴは少し驚いただけで、ルイが連れて来た馬に近づいた。
「貴族の馬車以外で、馬を見かけること少ないよな」
「運動神経がいいトシヤなら、すぐ乗馬出来るでしょ。そうしたら俺を後ろに乗せてくれよ。移動手段に使うから」
「なんでだよ」
「二人とも、そんな風に近づかない方が――」
いいよ、と言い終わる前に、じっとトシヤとトウゴを見ていた馬が、荒い息を吐き出した。
おお、と一歩下がったトシヤとトウゴの姿を離れて眺めていたユシアは亜莉香の背中に隠れ、亜莉香はまじまじと馬を見た。
ルイが連れて来た馬は、亜莉香と同じくらいの高さがあり、長い顔に、たてがみのある長い首。全体的に焦げ茶色で、足だけが薄い茶色の毛並。
ルイの後ろでルカが頭を撫でている馬は、ルイより大きい。毛並みが白く、大きな瞳を輝かせ、嬉しそうに頭を下げていた。大人しい馬に対して、ルカの表情も心なしか嬉しそうに見える。
亜莉香の視線に気が付いて、ルカが顔を上げた。
「アリカ達は、知り合いの荷車だっけ?」
「はい。温泉街まで行く荷車で、モモエさんとワタルさんの知り合いなので、裏門まで連れて来ると仰っていたのですが…」
言いながら周りを見渡しても、その姿はない。
肩を落とした亜莉香は、どうしようもなくて言葉を続ける。
「まだ、来てないみたいですね」
「なら、その荷車の後ろでも付いて行けばいいか」
分かったか、とルカが馬に話しかけた。まるでルカの言葉が分かるかのように、馬は一回だけ鳴く。初めての馬に驚きつつ、亜莉香は尋ねる。
「ルカさん、馬に乗れるのですよね?」
「まあな。小さい頃からよく乗っていたから、どんな馬でも乗りこなせるよ。こいつは街で借りた奴だけど、一目見てお互い気に入った」
気に入った、と言う単語に反応して、馬がルカに寄り添った。仲の良さを見せつけられ、亜莉香は微笑む。
「羨ましいくらい仲良しですね」
「そうか?試しにアリカも撫でてみろよ。仲良くなれるから」
ルカの提案に、亜莉香は何事も経験だと馬に近づいた。
手を伸ばせば触れられる距離で、馬をじっと見つめる。近くで見ると、大きくて綺麗な馬。漆黒の瞳に緊張している亜莉香の姿が映り、肩の力を抜いて、深く息を吐いてから、ぎこちなく笑いかけた。
じっと見つめていたのは馬も同じで、亜莉香が手を出さないので軽く頭を下げた。
頭を下げられ、亜莉香はルカに視線を向ける。
「撫でていいのですかね?」
「いいんじゃないか」
ルカに言われて、そっと手を伸ばした。
温かくて、柔らかい毛並み。亜莉香に撫でられても嫌がる素振りはなく、大人しく撫でられて嬉しそうな様子に、亜莉香の顔は綻んだ。
「いい子ですね。大人しくて、優しい子みたい」
「ルイには駄目だったけどな。こいつは性格の悪い奴のことは、すぐ分かるんだよ」
ルカも一緒になって頭を撫で始め、亜莉香はそっと手を離した。撫でさせてくれてありがとう、と小さな声で言えば、ルカにしたように馬の方から寄り添った。
仲良くなれたのが嬉しくて、亜莉香はユシアを振り返る。
「ユシアさんも――」
「無理」
最後まで言う前に、青白いユシアははっきりと言った。
いつの間にか亜莉香の背中から離れて、数歩後ろにいる。微かに震えているユシアに、それ以上は言えない。ユシアの傍にルイと話していたはずのトシヤとトウゴもやって来て、亜莉香を見ると、感心したように話し出す。
「アリカ、よくその距離にいられるな」
「俺なんて、さっき馬に蹴られそうになったぜ!」
「それ、トウゴくん自身の自業自得だからね」
ルイが馬を引き連れて現れれば、ユシアは急いでトシヤの背中に隠れた。馬に挟まれる状況に耐え切れなさそうで、黙って口を押さえて下を向く。
あまりにも具合が悪そうで声をかける前に、誰かが亜莉香の名前を呼んだ。
中央通りの方から、二匹のロバに荷台の引かせた少年がいた。真っ赤な布を頭に巻いてはいるが、目が合うと少年はすぐに顔を隠した。
その少年の後ろ、荷台の後ろから顔を出し、手を振っているモモエが亜莉香の名前を呼ぶ。
「アリカちゃん!ごめんね、少し遅くなっちゃって」
「いいえ、大丈夫ですよ」
亜莉香が少し大きめの声で返せば、ちょっと待っていて、とモモエが叫んだ。
少年のロバは、目の前を通り過ぎ、荷台の後ろが亜莉香の目の前で止まった。荷台に乗っていたのはモモエだけじゃなくて、ワタルとアリシアも一緒。ワタルに抱かれているアリシアは楽しそうに笑い、ワタルは安堵した表情でアリシアを見ていた。
よっこらしょ、と最初に荷台から降りたのはモモエだった。
「これ、私の甥の荷車。温泉街の手前の村に住んでいるから、乗せて行ってもらって」
「わざわざすみません」
「いいの、いいの。今挨拶させるわ」
ここにいて、と言って、モモエは荷台の前に向かう。
その間にワタルも荷台から降りて、亜莉香の隣にやって来たトシヤと、その後ろに引っ付くようにやって来たユシアに笑いかける。
「久しぶりの顔ぶれだな。アリカちゃんとトシヤはよく見かけるが」
「おっさん、乗り物に弱いんじゃなかったっけ?」
「モモエが行くのに、一人で行かせるわけにはいかないだろう。乗り物には弱いから、今は気持ち悪くて仕方ないが」
具合が悪くなったワタルは、片手でアリシアを抱いて、もう片手で口元を押さえた。トシヤの後ろにいたユシアは、持っていた風呂敷から何かを取り出し、トシヤの隣に並んだ。
「あの…よかったら。これを飲んでください。酔った時のお薬です」
「いや、これから旅行に行くとき用の薬だろう?貰うわけには…」
「予備はたくさんあるので」
どうぞ、とユシアがワタルに差し出したのは、小さくて、四角い紙。
アリシアを抱いているワタルが、どうにかして薬を飲もうとする。アリシアを預かろう、と亜莉香が手を伸ばす前に、トシヤは亜莉香の持っていた風呂敷を奪った。両手が軽くなってトシヤを見れば、早く、と小さな声で言われる。
薬の紙を開こうとしていたワタルから、亜莉香はアリシアを受け取った。何度も顔を合わせたことのあるアリシアは嬉しそうに亜莉香に手を伸ばし、腕の中に納まる。
「アリシアちゃん、楽しそうですね」
「楽しそうじゃなくて、おっさんから解放されて嬉しいのかもな」
亜莉香の分と自分の分の風呂敷二つを左手に持ったトシヤが、アリシアに手を伸ばす。遊んでもらえると嬉しそうなアリシアに、優しい笑みを向けた。
薬を飲んだワタルは一息つき、亜莉香とトシヤ、それからアリシアに視線を向ける。
「俺より、アリカちゃんやトシヤの方が、アリシア喜んでいるな」
「泣くなよ、おっさん。子供が生まれてから、涙もろくなったんだろ?」
「そんなことは…」
腕を組んで考え、ない、と言うまで間があった。
図星を言われ、情けない顔のワタルに、亜莉香はアリシアを返す。まだまだ遊びたいアリシアが亜莉香に手を伸ばし、ワタルが必死に抱く様子に、笑っていたのはトシヤとユシア。
亜莉香も笑いそうになると、モモエが嫌がる少年を無理やり連れてやって来た。
「ごめんね。恥ずかしがり屋の甥っ子で、挨拶も嫌がって」
「は、放してください!自分で挨拶するので!」
真っ赤な顔で、モモエに腕を掴まれた少年は言った。
瑞々しいトマトのような赤い髪を持ち、亜莉香と同じ背の高さ。深い緑の着物に、藍色の袴姿の少年。
ユシアは素早くトシヤの後ろに隠れ、トシヤが一歩前に押し出された。
「えっと…今日はよろしく。俺はトシヤで――」
「私は亜莉香です。よろしくお願いします」
トシヤの言葉を受け継いで、亜莉香は少年に軽く頭を下げた。
顔を上げれば少年はすぐに目を逸らし、恥ずかしがる。ますます顔が赤くなった少年は、右手で心臓を押さえて小さな声で言う。
「…ヨリト、です」
「ヨリトくんか、僕はルイ。荷台には乗らないけど、僕とも仲良くしてね」
ひょっこりとルイは現れ、ヨリトの顔を覗き込んだ。
美少女、にしか見えないルイに至近距離で見つめられ、ヨリトは驚き、全身真っ赤になる。
離れた場所にいたのに、と先程までルイがいた場所を振り返れば、ルカはその場を動いていない。ルイの馬の手綱を引いたルカの傍で、トウゴが楽しそうに笑っていた。
モモエが初めて会ったルイを交えて、興味津々で話し出す。アリシアを抱いたワタルもその場に加わり、ルイは明るく無邪気に話をしていた。
傍から見れば、一組の夫婦と、少年と美少女。
実際は、一組の夫婦と少年二人。
ルイが男だと知っているからこそ、純情なヨリトは見ていて憐れになった。遠巻きに様子を見守っていると、トシヤが呟く。
「おい、誰か教えてやれよ。あいつ、あれでも男だぞ」
「トシヤ、言ってあげたら?」
「嫌だ。ルイがふざけだす前に、止めるべきだったな」
「…ルイさんは、いつもあんな風に男の人と仲良くなっているのでしょうか?」
素朴な疑問を、亜莉香は口にした。
ルイはいつも以上に笑顔を浮かべ、振る舞いが女らしい。男だと知らなければ、誰もが美少女と間違うのは仕方がない。
トシヤとユシアが何も言わないので振り返れば、二人は頭を抱えていた。




