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Last Crown  作者: 香山 結月
最終章 街明かりと椿
507/507

101-4

 騒がしくなった小部屋での兄弟喧嘩は、セリカが来るまで続いた。

 ついでにフライ返し叩きは、トウゴだけではなくトシヤも被害を受けた。思いっきり叩かれ痛そうで、何で俺まで、と呟いたことを亜莉香は当分忘れそうにない。

 お礼の会話は数分、差し入れの飴は有難く受け取ってもらえた。


 そこまではある意味順調で、その後が長かった。

 何故か我先にと挨拶に来る男性店員達が居て、彼らは必ず亜莉香かトシヤの噂を一つ話してくれた。挨拶ついでかもしれないが、本人でさえ知らなかった噂を、どんな顔して聞けばいいのやら。

 曖昧な返事をしたこともあったが、ようやく解けた疑問もあった。

 亜莉香やトシヤについての情報を、皆がお持ちだ。容姿、性格以外にも、数か月前までの動向を把握されていたり、トウゴ以外から仕入れた情報があったり。つまり、こちらが顔を知らなくても、相手方は知っていて当たり前の状態だったということだ。

 赤の他人、とは思われていないことを素直に喜べないのは、一方的に知られていたことが多すぎるせい。トウゴが凄く大事にしている家族、と言う理由で興味を持ち、あらゆることを探ろうとしないで欲しい。


 その場にいたセリカは呆れ、トシヤは途中から遠い目をしていた。

 帰りたい、とはなかなか言えず、解放された時には長居をした後。来訪を心待ちにしております、との見送りつきだった。


「遅くなったな」

「そうですね。それに私は少し疲れました」


 次の行き先は決まっているのに、速度は遅い。

 後ろから来た人達に追い抜かれながら、帰る家の方角に向かってゆっくりと歩く。空に茜色が射す夕方、もう少ししたら日が暮れ始める時刻ともなれば、店は閉まり始め、市場の通りも路地裏も帰宅する人達で混みあう。

 押し潰されそうになるとトシヤは手を離し、代わりに亜莉香の腰に腕を回した。

 驚いたのは一瞬で、すぐ真横を急いで駆けて行く人がいた。トシヤに身を寄せなければ、後ろからぶつかっていた。急ぐ人はちらほら居るので、油断していたと肩の力を抜く。


「ご迷惑をおかけして、すみません」

「いや、無事ならそれでいい」


 お互い語尾が小さくなったのは、あまりの近さを意識したせい。

 もう一度手を繋ぎ直すには人が多かった。そのまま何となく歩き続けるが、どうにも腰に回されている手とか、着物越しに触れている身体とか気になって仕方がない。手持ち無沙汰になった両手を合わせつつ、視線を下げ過ぎないように気を付けた。トシヤの顔は見られない。顔を赤くしたまま、亜莉香は無言で歩き続ける。


 暫く何も言えない空気になったが、それも長くは続かなかった。

 時々話しかける精霊はいるし、顔見知りとすれ違えば挨拶を交わす。市場に近づくにつれ知り合いは増え、案外早く帰ってきたと喜ばれることもあれば、仲が良いのを羨ましがられてトシヤが背中を叩かれることもあった。


 自然と笑っていられたのは最初のうちの話。

 未来の嫁発言再びにて、亜莉香は両手で顔を覆っていた。


「…なんか悪い」

「…いえ」


 トシヤのせいではない。どちらかと言えば変な噂を流した人が悪い。

 それをどこからか聞いた人がいて、亜莉香とトシヤを見るなり嫁が戻って来て良かったとひと騒動。周りが盛大に茶化すから恥ずかしさは増す。トシヤが怒鳴っても収まることはなかった。

 むしろ悪化したのではないかと、その場を逃げてから思う。


 ケイの店に辿り着く頃には疲れ果てた。走って逃げたせいで髪はぼさぼさだ。きちんと身なりを整えて伺いたかったが、遅くなればなるほど迷惑をかける時間になってしまう。


 いつもなら店の中が見えるガラス戸は、既に中が見えない状態だった。もう閉まったかと思ったが、中は明るいし忙しくなく動く影が見える。

 急いで戸を叩くと、誰かがやって来てくれるまで時間がかかった。

 亜莉香とトシヤの顔を見るなり、少し驚き笑みを零したのはスバルだ。店主であるケイの孫、イトセの恋人の男性店員。ちょっと待って下さい、と鍵を開けてくれる。


「あの、まだ時間は――」


 大丈夫ですか、亜莉香が訊ねようとすれば、騒がしい中の声が聞こえた。


「ちょっと待って!まだ準備が!」

「そっちの垂れ幕、下がっているって!」


 男女問わず、見知った人達の騒がしい声が飛び交った。

 何事かと顔を覗かせ、その途端に飛び込んだ文字に息を呑む。


 おかえりなさい、と大きく書かれた垂れ幕が壁一面に張ってあった。上の方に小さく亜莉香の名前。忙しなく動いていた人達は、全員ケイの店で働く従業員。

 十五人もいないとは言え、誰一人欠けることなく店に居た。

 男性達は垂れ幕の角度を直し、イトセを含む数人が和菓子や皿を用意していた最中だった。普段なら畳に並べてある品物を移動している人もいて、呑気にお茶をすすっているケイは定位置で笑う。


「五月蠅い連中だねえ」


 どこか他人事のように言い、亜莉香に同意を求めた。

 言いたいことは別にあったのに、嬉しくて感動して、上手く言葉が出ない。


「ケイさん…これ」

「はいはい、二人共入ってください。開けっぱなしで五月蠅くすると、ご近所さんに怒られてしまいますから」


 スバルに背中を押されて、トシヤと一緒に店内に足を踏み入れた。トシヤも驚いた様子で従い、足を止めたイトセが振り返って言う。


「スバル!開けるの早い!!」

「これ以上待たせて、帰られたら困るでしょう?」

「そうだけど!そうだけどさ!」


 でも早いと騒ぐイトセが、凄まじい速さで和菓子を皿に盛り付ける。その姿に周りが笑う。ケイに名前を呼ばれるまで立ち尽くしていた亜莉香だったが、手招きされて傍に向かった。

 靴を脱ぎ、正座をして改めてケイに向かい合う。


「ケイさん。この度は、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」


 亜莉香は深々と頭を下げた。きちんと謝罪しないと気が済まない。


「後日受け取るつもりだった仕事もあったのに、長々と留守にしてしまいました。催しに参加も出来なくて、店の皆様にもご迷惑をお掛けしました」


 最後に亜莉香として顔を合わせた時に、春までに仕立てて欲しい着物があると言われていた。必ず仕立てると約束を交わし、次の催しも参加すると話していたのに、どれも間に合わなかった。

 トシヤは隣に座ったが、黙って話を聞いている。

 スバルは他の人達の元へ行き、他の人達に混ざって喋っている。


「顔を上げなさい」


 降り注いだ声があって、ゆっくりと頭を上げた。それでもケイと視線を合わせない。膝の上で拳を作って、唇を閉ざして、続く言葉を待つ。


「確かに迷惑はかけられた。一人居ないだけでも、それぞれに仕事を割り振っていたからね。急に連絡が取れなくなれば困る人間がいた。仕事を投げ出されれば、しわ寄せで苦労した人間もいた」


 事実は亜莉香の胸に突き刺さる。


「でも、それだけじゃなかったよ」


 急に優しさが滲んだ声になったから、思わず顔を上げてしまった。涙を浮かべ、口角を上げているケイの表情には見覚えがある。

 心配して、亜莉香の無事を喜んでくれた人達にも同じような顔をさせた。

 ケイの手が伸び、慈しむように頬を撫でられて涙が伝う。


「アリカちゃんが無責任に仕事を放り出す子じゃないのは、皆が知っている。そう思える仕事をしていたことは、胸を張っていいことだ。築いた信頼はちゃんと残っていたさ。もう、何も気に病む必要はないよ」


 大丈夫だよ、とケイは言った。

 泣くつもりはなかったのに、止まらない涙を慌てて拭う。

 顔を合わせて許してもらえるまで、ずっと不安が消えなかった。もう要らないと言われても仕方がないのだと、心の片隅で諦めていた。

 泣き出した亜莉香は再び俯き、そう言えば、とトシヤが話し出す。


「娘さんご夫婦に会いましたよ。相変わらずでした」

「へえ、どこで会ったんだい?」

「シノープルの祭りで。預かったものがあるので、明日にでも届けます」


 他愛のない話を聞いていると、用意の済んだイトセが傍にやって来た。涙が止まりかけた亜莉香に差し出したのは、細長いグラスである。


「ほらほら、グラスを持って」

「イトセさん」

「積もる話は後で。まずは乾杯しなくちゃ」


 にっこりと笑ったイトセからグラスを受け取り、お礼を言った。

 そのグラスの中には、苺や葡萄、蜜柑や桃といった一口サイズの果物が数種類。氷と一緒に入っている液体は透明で、小さな泡が弾けては消えていく。

 果物はまるで宝石の欠片のよう、色とりどりで綺麗な飲み物だ。


「因みにそれ、少しお酒入りなの」

「ほろ酔いぐらいで帰宅はありでしょう」


 イトセの傍に来たスバルが言い、その手にも同じものがあった。

 いつの間にか全員が席に着いていた。片手にグラス、一緒に配られていたのは椿の形をした生菓子。


「用意がいいな」

「アリカさんが帰ってきた噂は、それはもう瞬く間に広がっていましたから。これはもう一刻も早く歓迎の準備をするのだと、イトセが張り切った結果です。おかげで非番の奴らが数人街を走り回りました」


 トシヤの呟きに答えたのは、腰を下ろしたスバルだった。小さく話しても聞こえた内容に頷いている人がいる。一人だけ立ち上がっていたイトセは、満面の笑みで聞こえないふりをする。


「小さなことは置いておいて、皆準備はいい?」


 同意する声はあちこちから聞こえた。

 亜莉香と湯呑を持っていたケイ以外、イトセの真似してグラスを掲げる。


「本日用意したのは邪気払いを込めた椿の花の生菓子と、日本酒交じりの炭酸水。お好みで飲みながら日本酒を足してください。アリカちゃんに聞きたいこと、言いたいことは沢山あると思うけど、全員一気に話すのは禁止ね。まずは私から――」

「長い話はいいから、さっさと始めな」


 注目を集めるイトセは、ケイに言われ渋い顔をした。逆らえない上下関係に、他の従業員は笑う。早く始めようと周りに急かされ、頬を僅かに膨らませた。

 では、と不満を隠して、下がりかけたグラスを亜莉香に向かって掲げ直す。


「アリカちゃん、おかえりなさい!」


 おかえりなさい、と口々に言われた。傍に居る人達がグラスを寄せ、触れた瞬間の軽やかな音が響く。その音があまりに美しく、目の前で繰り広げられる光景が眩しくて。


 今日一番の笑顔で、亜莉香は笑った。

 本編はここまでとなります。フミエとヨルの恋の話や千年前の灯の話など、本編では描けなかった物語があるので、完結にはしません。またいつか、の更新を考えています。


 ひとまずは大きな区切りとして

『Last Crown』と出逢ってくださり、ありがとうございました。


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